人物譚④エイヴァン〜後編〜
——リュシアが居なくなったことは、一部の人間だけが知り、公には亡くなったとされた。
エイヴァンはしばらくエリューを離さず、乳母達はミルクの時間のたびに苦労した。
「やっとエリュー様を手放してくれるようになったと思ったら、今度は調べ物に夢中で図書館から出てこない……」
「こんなにお心が乱れている陛下は初めて見る……」
「リュシア様を失ったばかりだ。仕方ない……しばらくは、見守ろう……」
「そんなことは言っていられない。陛下にはしっかり国を動かしていただかなければ」
——数ヶ月が過ぎた。
厨房ではいつも通り、ルトが鍋を振るっている。
隅っこのテーブルには、手付かずのチュッキーと空のティーカップが一客だけ置かれている。
しかしエイヴァンが厨房に現れることはなかった。
カーツは野の花を摘み、リュシアの墓石に備える。
座り込み、膝を抱え、しゃくり上げる。
乳母たちがエリューを城の庭で遊ばせている。
通りかかったエイヴァンが驚愕する。
「外に……出すな」
「えっ?」
「危険だ……」
「で、でも日光浴は身体に良いので……」
エイヴァンはエリューを抱えて城に入っていく。
乳母たちはあっけに取られ、ため息をつく。
「……また?ほんと陛下の心配性は困ったものだね」
「いつになったら少しは落ち着くのかしらね……」
宰相がエイヴァンに進言する。
「陛下、ネグリム公爵家のテレーナ様を王妃にお迎えください」
エイヴァンは玉座に座り、肘掛けに置いた手を額に当てたまま、頷く。
(何でもいい……好きにしてくれ)
新しい王妃を迎える報は、バルクシアを悲しみから祝福の雰囲気へと変えた。
民衆が城の前に集まり、歓声をあげている。
「国王陛下。リュシア様を失った悲しみが癒えることは無いでしょうが、国民はみな、陛下の幸せを望んでおります。どうか笑顔を向けてやってください」
エイヴァンはバルコニーから姿を現し、集まった群衆に向け笑顔を作り、手を振った。
……リュシアとここに立った時は、なんと幸せだったことだろう。
『これから私も一緒に、バルクシアを見守るのね』
彼女はそう言った。叶わぬ夢となってしまった……
この国は一人で支えていかなければ……
——新しい王妃との間には、王子と王女が誕生した。
エリューは3歳になった。
エイヴァンは夜が来るたび不安に駆られ、毎朝エリューの部屋にいき、無事を確認した。
娘の寝顔を見ながら考えを巡らせる。
……この子を守るには、何が必要だろうか。
自分の身を守れる技術は必要だ。
だが、それだけでは足りない……
リュシアの形跡が残るこんな小国にいては
いつか見つかるかもしれない。
エイヴァンは自室に戻ると、地図を広げた。
ガーシュタルク帝国……軍事力は世界最大だ。
他の国に嫁がせるのは心許ないが、帝国であれば……
帝国には年の近い皇太子がいる。
皇妃選抜試験で世界中に募集がかかるはずだ。
エイヴァンは剣術、武術、魔術、ダンス、エフォルテ、礼儀作法などあらゆる講師をかき集め、エリューに学ばせた。
「国王陛下……王女殿下は才能に溢れていらっしゃいます」
「磨き続ければ、この分野で成功できるほどの力を身につけられるかと」
訓練を始めるとすぐ、どの講師も同じように絶賛した。
——慢心して道を踏み外せば、世界の均衡を崩す存在になるやもしれん……
「王女を褒めることを禁じる。慢心することのないよう、厳しく指導せよ。また王女の才能を一切他言するな」
講師たちに箝口令を敷いた。
エリューは朝から晩まで訓練漬けの日々を送ったが、テレーナの王子と王女は一般的な王族がする稽古のみ行い、庭園を駆け回って遊ぶ姿もよく見られた。
扱いの差は歴然だった。
少しずつ、エリューの笑顔は消えていった。
エリューは7歳になった。
目を見張るほど美しいが、全く笑顔を見せない姫君。
1日の殆どはどこかで何かの訓練をしている。
エリューの存在は王子王女の影に隠れていた。
エイヴァンは執務室でテレーナ王妃と政務をこなしている。
——もし、エリューが帝国皇妃に選ばれなかったら、その時は二人で国を出て、どこかで暮らすのもいいかもしれない。
民衆に紛れるのは、王族でいるより目立たないかもしれない——
エイヴァンはハッとした。
私が、国を出てどうやって食べさせていけるというのだ……
私に何の仕事ができる? 何も出来ない……
娘に食べさせてもらうのか?
そんな、情けない話があるか……
私は、ここにいないとエリューを守れない……
隣で政務をこなすテレーナを見る。
王妃にも、あの子達にも罪はない……
見捨てられる悲しみは、私が誰よりも知っている……
私は……ここに居なくてはいけない……
エリューの元へ、二人の少女がやって来た。
「王女殿下、侍女見習いのリーサとマルサです」
「初めまして、王女殿下。リーサです。よろしくお願いします」
「マルサです。お気づきのことは何でも仰ってください」
二人はエリューに笑いかけ、お辞儀した。
エリューは無表情で二人を見つめた。
「……よろしくお願いします」
「二人は年も近いですし、気兼ねなく過ごしていただけるかと」
「……ありがとうございます」
エリューの訓練に "調理" が追加された。
ルトは厨房にやって来たエリューを端のテーブルに招き、紅茶を振る舞った。
エリューは無表情のまま紅茶に口をつける。
「料理人の腕前まで上げてくれって要望だ。まぁ、将来のことは置いといて、とりあえず今日はチュッキー焼こうぜ」
ルトはエリューの頭をポンポンと撫でた。
エリューの誕生日、エイヴァンは腕輪を贈った。
「これは魔除けの腕輪だ。常に身につけていなければ効果がない。寝る時も入浴の時も外してはならない」
エイヴァンはエリューに腕輪を着けた。
エリューは腕輪を見つめたまま呟いた。
「……ありがとうございます」
エリューは燭台のロウソクに手をかざし、火を灯す。
エイヴァンは目を見開いた。
「詠唱せずに魔法を発動したのか……良いか、詠唱は精霊への要望の言葉だ。何も言わずに魔法を使うのは最大の侮辱に当たる。必ず詠唱をするように」
「……分かりました」
——普通の人間に、成せる技ではない……
やはりこの子は、精霊なのだ……
「カーツよ、お前を王妃付きの近衛隊に任命する」
カーツの父、バルドフ近衛騎士団長が告げた。
カーツは首を横に振る。
「……父上、私は今のまま、エリュー様の近衛を続けます」
「世はもはや、テレーナ王妃の時代に変わったのだ。このままエリュー様についていても、お前に出世の道はない」
「必要ありません。私は生涯エリュー様をお守りします」
「ならん。家のためにも従うのだ」
「ならば、私は家名を捨てます」
——時は流れ、遂に帝国から皇妃選抜の募集が始まった。
エイヴァンはエリューの履歴書に手紙を添えた。
"類稀な才能を併せ持ち、すべての分野に通じています。特に魔力は強く、全属性の魔法を扱います。見目麗しく、皇妃に相応しい立ち居振る舞いを致します。会っていただければ、必ずや皇帝陛下のお気に召していただけるものと確信しております"
「——帝国で行われる、皇妃選抜試験を受けろ。全力で挑め。もし通らなければ、その時は王位を剥奪する。好きなところで、自由に生きろ」
「……分かりました」
エリューは短く返事をすると部屋を出て行った。
エイヴァンはため息をついた。
——守ることに躍起になっていたら、いつの間にか娘との距離は果てしなく開いてしまった。
日に日に強まる魔力に、いつ天に精霊が現れるかと気が気ではない……
エリューがバルクシアにいるのは、もう限界だ……
帝国で守って貰えれば、それが一番いい……
帝国へ向かう馬車の支度が整った。
リーサが馬車に乗り込む。
エリューは一度後ろを振り返った。
しかしすぐに前を向いて乗り込んだ。
エイヴァンは城の2階からその様子を眺めていた。
馬車が走り出し見えなくなるまで見つめると、その場に座り込み、涙を流した——
次回は7/21(火)0:00に
【第99話 小さな茶会】
を投稿します。
ここから第四部に入ります。
7/21からまたしばらく毎日投稿予定です。
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