人物譚④エイヴァン〜前編〜
「展望台から鹿が見えた。ちょっと狩ってくる!」
エイヴァンは馬に跨ると、城の裏手の森へ駆け出した。
鹿がいた辺りをぐるっと回る。
馬の足を止め、耳を澄ませる。
「……逃したかな」
小川に向けて進路を変え少し進むと、森の木漏れ日に照らされ横たわる人が見える。
エイヴァンは馬を降り、その人へ近づいた。
薄緑色の長い髪、質素な白い服。
木漏れ日のせいか、光の粒が舞っているように見える。
目を瞑り、静かに息をしている。
エイヴァンはその美しさに息を呑んだ。
「……どうしたんですか」
声をかけるが、起きない。
肩の辺りを揺するが、起きない。
「……このままには、しておけないよな……」
抱えて城へ連れて帰ることにした。
「陛下、その方は……」
「森で倒れていた。医務官を呼んでくれ」
ベッドに寝かせ、髪を整えてやる。
医務官がやってきて、診察する。
「頭部に打ち身がありますね……他には目立った外傷はありません」
医務官は頭に包帯を巻いた。
「お目覚めになりましたら、またお呼びください」
エイヴァンは彼女を見つめた。
なんて綺麗なんだろう。不思議な人だ。
「……う……」
彼女の表情が動く。
うっすらと目を開け、エイヴァンと目が合う。
「……大丈夫?」
薄緑色の透き通った瞳。
「あたまが……いたい」
「あなたは森で倒れていたんだ。頭に怪我をしている。何があったか、分かるか?」
「……分からない」
「どこから来たんだ?」
「…………どこ?」
「名前は?」
「…………」
——医務官が告げる。
「一時的な記憶喪失でしょうか……もう少し意識がハッキリしてきたら、何か分かるかもしれませんね」
「回復するまで、ここでゆっくりしていくといい」
彼女が歩けるようになると、エイヴァンは城内を案内した。
ロウソクが立った燭台を手に取り、眺めている。
「もしかして、燭台も思い出せない?ここに火をつけて夜に使うんだよ」
「これはティーカップ。紅茶を飲む道具」
エイヴァンは庭園のテーブルに案内し、ティーカップに紅茶を注ぐ。
「熱いから、そっと飲むんだよ」
「……美味しい」
リュシアはエイヴァンに微笑んだ。
エイヴァンは甘いため息をつく。
「名前がないと不便だね。何か、呼び名を決めようか」
「……うーん……名前……」
「何がいい?」
「……リュがついた気がする……」
「リュ?リューナとか?」
「うーん」
「リュネッタ」
「違うな……」
「リュノア」
「んーー」
「リュシア」
「ん?」
「リュシア?」
「……リュシアだったかな……」
「じゃあ、リュシアと呼ぼう」
「わかった、私リュシアね」
エイヴァンは公務の時間以外はリュシアと過ごした。
「陛下……申し上げづらいのですが……身元の分からない方をいつまでも城内に置いておくわけには……」
執務室で外務卿が苦言を呈す。
「記憶が無くて心細い思いをしている。せめて回復するまではここにいてもらう」
「本当に記憶喪失かも、分かりませんぞ……」
「疑う気持ちも分かるが、あんなに澄んだ瞳をしている人が、嘘をつくとは思えない。何か要望を突きつけてくるわけでもない。まだ様子見でいいんじゃないか?」
そう言うとエイヴァンは執務室を出てリュシアの元へ向かった。
外務卿はため息をついた。
「お仕事、終わったの?」
「あぁ、今日の分は片付けた」
「どんなことをしているの?」
「実は、私はこの国の国王なんだ」
「国王……」
「えーと、沢山の人の集まりをまとめる人かな。約束事を作ったり、住みやすいように提案したり……」
「この土地を見守ってるってことね」
——リュシアは不思議だ。
生活に関する一般知識もない。
記憶を無くす前は、どこでどうやって生きていたんだろう。
「記憶を無くしても、生活に関することは覚えてる人もいると聞きますが……」
医務官が首を傾げる。
「……自分の名前も覚えていないんだ。かなり強く頭を打ったのかもしれない」
正直、もう記憶が戻らなくても構わない。
今のままのリュシアとずっと一緒にいられれば。
二人は近くの村まで馬で出かけた。
村の木に赤い実がなっている。
「パジの実だよ。食べてごらん」
エイヴァンが1つ取って渡す。
リュシアが口に入れる。
「……わぁ、甘くて美味しい!」
自分で取ろうとすると、パジの実は木から離れずに
ぐしゃっと潰れてしまった。
「あれ……難しいんだね」
リュシアは果汁のついた手を振る。
エイヴァンは両手いっぱいにパジの実を摘み、リュシアに差し出す。
「ほら、どうぞ!」
リュシアは幸せそうに笑った。
——城の訓練場で男の子が剣の練習に励んでいる。
リュシアが通りかかり、声を掛けた。
「剣の練習をしているの?」
「……はい!」
「教えて。どうやるの?」
「こうやって構えて……こう動かすと……」
教えてもらい、ゆっくり打ち合う。
「凄い、難しい! あなた上手に出来るのね、かっこいい! 騎士さんのお名前は?」
「カーツです」
カーツは照れながら答える。
「将来は騎士になるの?」
「はい、国を守る近衛隊に入りたいです」
「頼もしいね、頑張ってね!」
「——国王陛下」
「なんだ」
「リュシアさんを、そろそろ帰さなければいけません。お身体は回復しました。記憶がないというのは陛下に近づくための策略かもしれません」
「……彼女は嘘をついていない」
「お気持ちは分かります。でも、自由に動けるお立場ではないことを、ご理解ください」
エイヴァンは立ち上がり、その場を去る。
——いっそのこと王位など捨ててしまえればいいのに。
私に兄弟がいれば……
いや、兄弟などいなくても……
そうだ、叔父が王位に立てばいい……!
早足でリュシアの元へ向かう。
「リュシア」
「エイヴァン、今日の仕事は早かったね」
「君のことが好きだ」
「……うん、私もエイヴァンのことが好き」
きょとんとした顔でまっすぐ返してくる。
「君と結婚したい」
「結婚?」
「死ぬまで一緒にいたいってこと」
「うん、私も死ぬまで一緒にいたい」
「……そのためには、王位を捨てなければいけないかもしれない」
「王様をやめるってこと?」
「そうだ」
「そっか。うん、どっちでもいいよ」
「ははは……そうか、どっちでもいいよな! 一緒にいられれば」
リュシアのあっけらかんとした返答に、エイヴァンの迷いは晴れた。
「私はリュシアと結婚する。反対なら、王位は叔父上に譲る」
「な、何を仰っているのですか!」
「難しいことではない。私はリュシアと共に生きたいんだ。王位につきたい人間は他にもいる。叔父上は立派な方だ。問題などない」
「そんな……簡単に……」
結局エイヴァンの要望は通り、二人は結婚した。
美しいリュシアを受け入れるもの、平民であることに抵抗を覚えるものと意見は二分した。
「——王妃さま、またつまみぐいですか」
厨房に現れたリュシアに、ルトが声をかける。
「お腹空いちゃった。何かお菓子ある?」
「今日も来るだろうと思って、チュッキー焼いておきましたよ。お気に入りの紅茶もどうぞ」
チュッキーの横に、紅茶を2杯置く。
「リュシア、やっぱりここか」
エイヴァンも厨房に現れる。
「いつもの流れっすね。厨房が忙しい夕方を狙ってつまみ食いに現れる国王夫妻」
「あははは!」
厨房の端の小さなテーブルで幸せそうに語らう2人を横目に見ながら、ルトは鍋を振るう。
リュシアが体調を崩した。医務官が告げる。
「ご懐妊と思われます」
「リュシア……!」
「ご懐妊て?」
「お腹に私たちの赤ちゃんがいるんだ」
「えぇっ! 凄い!」
「あぁ、凄い!」
「赤ちゃん……楽しみ!」
「あぁ、楽しみで仕方ない!」
エイヴァンは泣いて喜ぶ。
「男の子なら、強く優しい王になるよう育てたい。女の子なら——女の子なら結婚はしないでずっと城にいて欲しい……」
「それはかわいそうよ。私と結婚できなかったら困ったでしょ?」
「うぅ……では、女王になってもらおう!」
——リュシアは大きなお腹を支えながら訓練場へやって来た。
「カーツ、また上達したね!」
「リュシア様……!」
「お腹が大きくなって、打ち合い教えてもらえなくて残念」
「……重たいですか?」
「うんとっても! お水が入った大きな風船を抱えてるみたい」
カーツはリュシアのお腹をじっと見つめる。
「カーツ、生まれてきたらこの子の事、守ってあげてね」
「はい、僕がお守りします!」
それからほどなくして、出産の時を迎えた。
産声が響き渡り、エイヴァンは安堵のため息をつく。
遂に部屋に招かれ、そわそわした様子で入る。
乳母が伝える。
「元気な女の子です」
差し出された赤ちゃんを抱く。
「あぁ、なんて可愛いんだ……」
エイヴァンは涙を流しながら赤ちゃんを見つめる。
リュシアは横たわり、枕に埋もれながら泣いている。
「リュシア、ありがとう。愛している。これから3人で幸せに暮らしていこう」
リュシアは顔を覆って泣いている。
夜、仕事を済ませてまたリュシアの元へやってきた。
赤ちゃんはリュシアに抱かれて眠っている。
「エイヴァン、話があるの」
「あぁ、この子の名前も決めなきゃいけないし、私も話したいことが沢山ある」
「名前……」
「つけたい名前はある?」
「……エリュー」
「エリューか。気取らない可愛い名前だ……あ、もしかして、私とリュシアの名前から?」
「そう。私たちの子」
「素敵な名前だ。では、この子はエリューにしよう」
「エイヴァン、私……全てを思い出したの」
「えっ……」
「私は……過ちを犯した」
「リュシア……?」
「ここにはいられない。きっともう、迎えに来ている」
「何を言ってるんだ?」
「エイヴァン……私は、人間じゃない……
私……精霊だった」
「…………!?」
「記憶が戻って、精霊たちと繋がった。私は全ての精霊を統べる存在。精霊のみんながもう、私を迎えにくる。でもまだ、この子のことは気付いてない。この子はここに残していく。……あなたが守って」
「もう、時間がない……私、いかなきゃ……」
名残惜しそうにエリューを抱きしめると、そっとベッドに置いた。
涙を流しながらエリューの頬を撫で、部屋を出ていく。
「リュシア、待ってくれ、意味が分からない……一体どういうことなんだ……!」
城の裏口を出ると、空には巨大な精霊たちが浮かんでいた。雲を隠す大きな姿。神話の本の挿絵のような光景にエイヴァンは息を呑んだ。
リュシアはエイヴァンを振り返り、エイヴァンの手を強く握った。
その手をスルッと離すと前を向き、進む。
まばゆい光の柱が現れ、天まで届く。柱がゆっくりと細くなり、消えると精霊たちも消えていた。
「リュシア……どうして……」
エイヴァンはその場に頽れた。
物語は第四部まで、ただいま絶賛執筆中です!
次回は7/17(金)に
【人物譚④エイヴァン〜後編〜】
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