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7.落ちても消えない

魔力操作の授業が増えてから、一ヶ月が経った。

「テオ様。魔力を動かすのではありません。まず、そこにあることを感じてください」

「はい」

目を閉じる。

魔力というのは不思議なもので、確かに自分の中にある。

暖かいような、冷たいような。

重いような、軽いような。

前世には存在しなかった感覚だから、うまく言葉にできない。

「感じられましたか?」

「なんとなく」

「では、右手へ」

言われた通り、魔力を右手へ集める。

これは最初から、それほど難しくなかった。

「できました」

「では、左手へ」

「はい」

右手に集めた魔力を左手へ。

ぐぐぐっと力を入れる。

「テオ様」

「はい」

「力まない」

「……はい」

どうも僕は、魔力を動かそうとすると身体まで一緒に動かしてしまうらしい。

魔力は筋肉ではないのだから、力を入れたところで意味はない。

分かってはいる。

分かってはいるのだが。

「もう一度」

右手から左手へ。

今度はなるべく力を抜いて。

ゆっくり。

「……できた?」

「ええ。先ほどよりずっと滑らかです」

「おお」

これを毎日繰り返した。

右手から左手へ。

左手から右手へ。

手から肩へ。

肩から胸へ。

胸から手へ。

時には目を閉じ、時には目を開け。

なるべく少ない力で、正確に。

地味である。

非常に地味である。

《剣聖》の兄さまは、剣を振れば風を切る。

《大魔道士》の姉さまは、祝詞を唱えれば炎を出す。

そして僕は。

「右手から左手へ……」

魔力を移動させている。

異世界転生って、こんなに地味なんだ。

ただ、成果はあった。

最初は右手へ集めようとしても、魔力が腕全体に広がっていた。

それが手のひらへ。

手のひらから、指先へ。

少しずつ。

本当に少しずつだけど、狙った場所へ集められるようになってきた。

そして今日。

「そろそろ試してみますか?」

テレシア先生の言葉に、僕は勢いよく立ち上がった。

「はい!」

この一ヶ月、《糸》を出していなかったわけではない。

ただし、先生から「強くしようとするのは禁止」と言われていた。

まずは、魔力を思った場所へ動かせるようになること。

それが今日、ようやく及第点をもらえたのだ。

右手を前に出す。

「では、以前と同じ程度の魔力で試してください」

「多くしなくていいんですか?」

「多くの魔力を動かしても《糸》にできなかったから、この訓練を始めたのでしょう?」

「……確かに」

危ない。

また力任せにやるところだった。

深呼吸。

魔力を右手へ。

そこから、さらに先へ。

今まではここで《糸》と念じるだけだった。

今回は違う。

出てくる糸へ魔力を流す。

細く。

ゆっくり。

こぼさないように。

『糸』

するり。

手のひらに、十センチほどの糸が現れた。

「……変わった?」

見た目は同じだ。

白くて細い。

長さも十センチ。

「テレシア先生」

「はい」

「落とします」

「どうぞ」

手のひらを傾ける。

糸が滑る。

ひらり。

床に落ちた。

「…………」

「…………」

消えない。

「先生」

「はい」

「落ちました」

「落ちましたね」

「残ってます」

「残っていますね」

「やった!」

思わず両手を上げた。

「やった! やった! 先生! 糸です!」

「最初から糸でございます」

「そうじゃなくて! ちゃんとした糸です!」

床にしゃがみ込んで、落ちた糸を眺める。

たった十センチ。

裁縫をするにも短い。

何かを縛ることもできない。

ましてや、戦うなんて夢のまた夢だ。

でも。

一ヶ月前は、床に落としただけで壊れた。

今は残っている。

僕が一ヶ月練習して。

やっと、残るようになった。

「先生」

「なんでしょう」

「もう一回やっていいですか?」

「もちろんです」

『糸』

するり。

ひらり。

残った。

「もう一回」

『糸』

ひらり。

残る。

「もう一回!」

「テオ様」

「はい」

「ほどほどになさいませ」

「……はい」

渋々、三本で我慢する。

でも、床には三本の糸が落ちている。

合計三十センチ。

これまでなら、全部一瞬で消えていたものだ。

一本を慎重に摘み上げる。

前より明らかに扱いやすい。

少しくらい揺らしても壊れない。

両端を持って、ごく弱い力で引っ張ってみる。

残っている。

もう少し。

残っている。

もう少しだけ――。

すん。

「あ」

切れた瞬間、糸は跡形もなく消えた。

「まだまだ脆いです」

「そうですね」

でも、不思議とがっかりはしなかった。

むしろ逆だ。

床に落としても壊れなくなった。

だったら次は、引っ張っても壊れないようにすればいい。

それができたら?

床に残った二本の糸を見る。

十センチ。

十センチ。

二本。

「先生」

「はい」

「これ、結んだらちょっと長い糸になりません?」

テレシア先生が床を見る。

僕を見る。

もう一度、床を見る。

「なりますね」

「ですよね」

長くできないなら、繋げればいい。

なんだ。

やれること、あるじゃん。

僕は二本の糸を摘み上げた。

そしてすぐに気づくことになる。

糸を出せても、家庭科の記憶があっても、糸を上手に結べることは、まったく別の話なのだと。



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