5.消えてるんじゃなくて
いい夢だった。
やはり、お昼寝前にアップルパイを食べたのが良かった。
僕のおかげで賭けに勝ったセバスには、アップルパイを別口で要求してみよう。
さて。
《糸》を授かってから数日。
僕は今日も飽きることなく糸を出していた。
もはやテレシア先生をそっちのけである。
先生は少し離れたところで、なにやら難しそうな論文を読んでいる。
なんでも、偉い魔道士による祝詞についての考察らしい。
『糸』
するり。
手のひらから、すっかり見慣れた十センチほどの糸がこぼれ落ちる。
そして――。
すん。
床に触れた途端、跡形もなく消えた。
「……うん。今日も十センチ」
長くなった様子はない。
念じ方を変えてみる。
『長い糸!』
するり。
十センチ。
なら、力んでみる。
『糸ぉぉぉ!』
するり。
十センチ。
「うーん」
どうやら、ただ頑張れば長くなるというものではないらしい。
まあ、それはいい。
いや、良くはないけど。
そもそも僕は、《糸》というスキルについて何も知らない。
前例がないのだから、当然ながら教本もない。
だったら。
まずは、出てきた糸そのものを見てみよう。
『糸』
するり。
もう一本。
今度は床へ落とさず、手のひらに乗せたまま観察する。
白い。
細い。
見た目だけなら、普通の糸とあまり変わらない。
そして、手のひらにある間は――。
「消えないんだよな」
これは、儀式の時から少し気になっていた。
出した糸は、すぐに消えているように見えた。
でも正確には、いつも床に落ちてから消えている。
なら。
左手の親指と人差し指で、糸の端をそっと摘んでみる。
「…………」
消えない。
「おお……」
摘めた。
そのまま持ち上げてみる。
すん。
「…………」
消えた。
「あれ?」
なんでだろう。
もう一度。
『糸』
するり。
今度は、アップルパイを崩さず切り分ける時くらい慎重に。
そーっと。
そーっと。
糸を持ち上げる。
「おおお……」
消えない。
なんだ。
ちゃんと触れるじゃないか。
じゃあ、僕から離れたら消えるのか?
「テレシア先生」
「はい。どうなさいました、テオ様」
論文を読んでいた先生が顔を上げる。
「これ、摘んでもらえますか?」
「《糸》を、ですか?」
「はい。ただ、ものすごーく慎重にお願いします」
「はあ……」
若干困惑しながら、テレシア先生が指を伸ばす。
先生の指先が、そっと糸を摘んだ。
僕はゆっくり手を離す。
「…………」
「…………」
消えない。
「先生」
「はい」
「僕、触ってませんよね?」
「触っておられませんね」
「消えませんね」
「消えませんね」
なるほど。
僕から離れたら消えるわけでもないらしい。
これは大きな発見だ。
「先生。そのまま机に置いてみてもらえます?」
「分かりました」
先生が糸を机へ近づけていく。
慎重に。
本当に慎重に。
端から少しずつ、糸が机に乗っていく。
「…………」
消えない。
「おお!」
思わず椅子から立ち上がる。
「残った!」
「残りましたね」
だったら。
今まで消えていた理由はなんだ?
机の上に残った糸を見る。
僕が触っている必要はない。
他の人が触っても大丈夫。
机に置いても消えない。
でも、床に落とすと消える。
「……もしかして」
もう一本出す。
『糸』
するり。
十センチ。
今度は手のひらを机からほんの少しだけ浮かせる。
そして、落とす。
すん。
消えた。
「やっぱり」
「何か分かったのですか?」
「これ、消えてるんじゃなくて、壊れてるんじゃないですか?」
テレシア先生が、少し目を見開いた。
「なるほど」
二人で机の上の糸を見る。
先生が指先で、ほんの少し力を加えた。
すん。
「…………」
「…………」
消えた。
どうやら、当たりらしい。
つまり。
僕のスキル《糸》は――。
「床に落としただけで壊れるんだ……」
思っていたより、ハズレ感がすごい。




