4.いつも通り
「それにしても、《糸》のLvなしとは……」
その日の夜。
テオを寝かしつけ、家族団欒の場へ戻ってきたルカの前で、ブルゲがため息を漏らした。
「あなた」
「うむ?」
「テオは、私たちのかわいいテオよ」
ルカが微笑む。
部屋の温度が少し下がった。
「い、いや、もちろんだとも」
聖堂で《糸》を告げられた時より、ブルゲは狼狽えた。
「まあ、今日のテオは楽しそうだったから良いではありませんか」
カイが苦笑しながら助け舟を出す。
「そうよ。おもちゃをもらった時よりはしゃいでたもの」
メイも続く。
「そうだな……」
ブルゲは腕を組んだ。
《糸》。
それも、わずか十センチほどの糸を出すだけ。
父親として思うところがないと言えば、嘘になる。
だが。
何度失敗しても、当の本人は楽しそうに次を試していた。
「今まで勉強を頑張ってきたテオが、あれほど気に入っているのだ。それが何よりか」
「ええ」
ルカが頷く。
「それにしても、聖職者たちにもすっかり神童だと思われていたわね」
メイの言葉に、カイが苦笑した。
「それは仕方ないんじゃないかな。メイの勉強に二歳の頃から混ざっているんだから」
「最初は大変だったんだからね。かわいい顔で『それはどうしてですか?』なんて聞かれるのよ?」
メイは胸を張った。
「答えられないなんて、お姉ちゃんとして許されないじゃない」
「それでメイも随分勉強したものね」
「お母様!」
ルカがくすくすと笑う。
カイにも覚えがあった。
自分が勉強している時も、テオは時折膝の上に乗って本を覗き込んできた。
分からない言葉を見つけては尋ねてくる。
答えられなければ、次までに調べる。
そんなことを繰り返しているうちに、自分の理解も随分深まった。
「それで、二人の勉強はどうなんだ?」
ブルゲが尋ねる。
「問題ありません。僕はこのままの成績を維持できると、テレシア様から」
「私も来年の学院入学には問題ないって」
「そうか」
ブルゲは満足そうに頷いた。
「ならば、テオにも引き続きテレシア殿に教師をお願いするとしよう」
《糸》を授かったからといって、何かを変える必要はない。
少なくとも今は。
テオは今まで通り、学べばいい。
◇ ◇ ◇
「《糸》でございますか」
数日後。
母から説明を受けたテレシア先生が、珍しく困った顔をしていた。
まあ、当然だろう。
テレシア先生は《智者》という、知識に秀でたスキルを授かっている。
そんな先生でも知らない。
どうやら《糸》は、本当に前例がないらしい。
さて。
そんな二人を横目に、僕は今日も糸を出している。
『糸』
するり。
十センチほどの糸が手のひらからこぼれ落ちる。
床に触れて――。
すん。
消えた。
やっぱり十センチ。
それでも飽きない。
だって、前世ではファンタジーの中にしかなかったスキルだ。
自分の手から本当に糸が出てくる。
ワクワクしない方がどうかしている。
ちなみに。
我が家の使用人たちは、僕が何のスキルを授かるのか、ずいぶん前から楽しみにしていたらしい。
どのくらい楽しみにしていたかというと。
見かねた母が、賭け金の上限を決めたくらいには。
そして結果は――。
《どれでもない》。
そこに賭けた家令のセバスが、見事に総取りしたそうだ。
ティータイムに僕の好きなアップルパイを出してくれたメイドが、こっそり教えてくれた。
なるほど。
今度、アップルパイの頻度を増やせないか交渉してみよう。
「それでテオ。今日はお昼寝の後、いつも通りメイの授業に参加するの?」
母の声に顔を上げる。
「はい。まだ習っていないことばかりですので、引き続きテレシア先生に教えていただきたいです」
「もちろんですわ」
テレシア先生が微笑む。
「今まで通り、楽しく学んでいきましょう」
「はい!」
《糸》を授かった。
でも、親愛なる隣人になる訳じゃない。
僕には僕の仕事がある。
勉強する。
遊ぶ。
お昼寝もする。
アップルパイも食べる。
そして――。
『糸』
するり。
十センチ。
うん。
これも増えた。
僕の日常に、《糸》が増えた。




