13.冬を越す
「おお……」
馬車の窓から見える景色に、思わず声が漏れた。
畑。
畑。
畑。
そして畑。
「畑しかない」
「テオくん」
隣に座るメイ姉さまが僕を見る。
「それ、領民に聞かれたら怒られるわよ」
「でも畑しかないよ?」
「だから怒られるの」
理不尽である。
王都を出て数時間。
僕たちは、ラルシーア家が持つ王都近郊の領地へ向かっていた。
遠くに小さな森や村も見えるけれど、景色の大半を占めているのは収穫を終えた農地だ。
刈り取られた跡が、どこまでも続いている。
「ここで王都の食べ物を作ってるの?」
「一部はね」
向かいに座るカイ兄さまが答える。
「もちろん領内で食べる分もあるし、他の街へ売る分もあるよ」
「全部、王都に持っていくわけじゃないんだ」
「そんなことをしたら、この領地の人たちが食べるものがなくなるだろう?」
それはそうだ。
僕はもう一度、外を見る。
これだけ広い畑でも、王都に住む全員を食べさせられるわけではない。
他の領地からも食料が集まる。
それを商人が運ぶ。
売る。
保存する。
食べる。
当たり前のことだけど。
食べ物って、勝手に食卓に現れるわけじゃないんだよな。
前世でも知っていた。
知っていたけど。
こうして見ると、なんだか違う。
「テオ」
「はい?」
父さまが僕を見る。
「そろそろ見えてくるぞ」
「何が?」
「南倉だ」
僕は窓に張り付いた。
「テオくん、危ない」
姉さまに服を掴まれた。
そして。
「……でか」
思っていたのと違った。
倉。
というから、大きな倉庫が一つあるのだと思っていた。
違う。
高い塀に囲まれた敷地に、いくつもの建物の屋根が見える。
倉庫というより、砦みたいだ。
その周囲を荷馬車が行き交い、人が忙しそうに働いていた。
「あれ全部?」
「そうだ」
父さまが答える。
「穀物だけを置いているわけではない。用途ごとに建物を分けている」
「南倉って、一個の倉庫の名前じゃないんだ」
「一帯の呼び名だな」
なるほど。
「寄るんですか?」
「ああ。そのために来た」
馬車が街道を外れる。
南倉へ近づくにつれて、働く人の姿が増えていった。
袋を運ぶ人。
荷車を押す人。
何かを書き留めている人。
樽を転がしている人。
そして。
「止まれ!」
声とともに馬車が止まった。
すぐに外から声が返る。
「ラルシーア公爵閣下である!」
途端に周囲が騒がしくなった。
「え」
父さまが僕たちを見る。
「降りるぞ」
「はい」
僕も慌てて姿勢を正した。
そうだった。
僕にとっては父さまだけど。
ここでは領主様である。
◇
「今年の収量は、昨年を上回っております」
「品質は」
「おおむね問題ございません。ただ、東側の一部で長雨の影響がございましたので、そちらは出荷を減らしております」
「保管に回す分の状態は?」
「確認しております。保管に適したものを選別して、南倉へ運び入れております」
父さまが頷く。
さっきまで馬車の中で僕に説明していた人と、同じ人とは思えない。
いや。
別に怖くなったわけではない。
でも質問が早い。
次から次へと聞く。
収穫量。
保管量。
王都への出荷量。
冬に領内で必要になる量。
家畜の飼料。
他領から買い付ける予定の食料。
そして。
「追加分は」
「商会と交渉中です。ですが、やはり例年より値が上がっております」
「南の大樹海、北の霊峰。それぞれの影響か」
「それもあるかと」
父さまが少し黙った。
僕は横で聞いている。
たぶん、魔物の話だ。
「買えるうちに確保しろ」
「よろしいのですか?」
「値下がりを待って不足する方が困る」
「承知いたしました」
「ただし、買い占めるな。他領が冬を越せなくなる」
「はっ」
難しい。
買えるうちに、いっぱい買えばいい。
という話でもないらしい。
父さまが歩き出す。
僕たちも後ろをついていく。
大きな扉が開かれた。
「おお……」
中には袋がずらりと並んでいた。
小麦。
らしい。
大きな袋が、何段にも積まれている。
「これ、全部小麦?」
「こちらはそうでございます」
案内してくれている男性が答える。
「テオ様は、南倉をご覧になるのは初めてでございますね」
「はい」
「こちらは王都への出荷分と、非常時の備蓄が中心となっております」
出荷する分。
何かあった時のために、置いておく分。
「領民が食べる分は?」
男性が少し驚いた顔をした。
すぐに笑う。
「もちろん、別にございます」
「よかった」
父さまを見る。
「先ほど聞いただろう」
「ここにもあるのか、確かめたかったので」
「それは悪くない」
褒められた。
たぶん。
奥へ進む。
そこで僕は、妙なものに気づいた。
「…………」
袋。
袋。
袋。
どれも口が閉じられている。
当然だ。
でも。
「糸」
「どうした?」
兄さまが聞く。
「袋、全部糸で縫ってある」
「そうだね」
当たり前のように答えられた。
僕は近くの袋を見る。
太い糸で、口が縫われている。
いや。
紐に近いか。
その横では、破れた袋を直している人がいた。
そこにも糸。
荷車に積まれた樽には、荷崩れを防ぐための縄。
天井から吊り下げられている道具にも紐。
作業員の服。
靴。
荷袋。
「……糸だらけ」
「テオ様?」
案内役の男性が不思議そうな顔をする。
「いえ」
僕は首を振った。
ヲワさんの店では、糸は服を作っていた。
母上との刺繍では、模様を作っていた。
でも。
ここでは袋を閉じている。
縛っている。
吊っている。
直している。
糸も、紐も、縄も。
服に使うものとは、太さも使い方も違う。
「テオ」
「はい」
父さまに呼ばれて追いかける。
歩きながらも、つい周りを見てしまう。
あそこにも。
ここにも。
「そんなに珍しいかい?」
兄さまが笑っている。
「珍しいというか」
今まで、見えてなかった。
たぶん、前世でも同じだった。
糸なんて、どこにでもあった。
だから気にしていなかった。
《糸》を授かって。
自分で作るようになって。
初めて目に入るようになった。
「兄上」
「なんだい?」
「糸って、結構使われてるんですね」
「……そうだね?」
兄さまには、僕が何を発見したのか分からなかったらしい。
僕もうまく言えない。
でも。
なんだか嬉しかった。
◇
南倉を出た先でも、人々は冬支度に追われていた。
村には、家々の屋根を確認する人がいた。
薪を積む人。
干した野菜を取り込む人。
肉を塩に漬ける人。
煙の上がる小屋もある。
「あれは?」
「燻製小屋よ」
母上が教えてくれる。
「お肉を煙で燻して、長く食べられるようにするの」
「知ってる」
「あら」
「前に本で読みました」
危ない。
前世で知ってました、とは言えない。
いや、言っても意味が分からないだろうけど。
「テオくん、物知りね」
姉さまが頭を撫でてくる。
「でも、臭い」
「煙だもの」
当然だった。
別の場所では、大量の野菜を加工していた。
その隣では果物を煮ている。
「あれ、ジャム?」
「そうよ」
母上が答える。
「保存食なんですか?」
「もちろん」
そりゃそうか。
ジャムがある。
燻製もある。
塩漬けもある。
干し野菜もある。
この世界の人たちだって、毎年冬を越してきたのだ。
僕が転生者だからといって、
『皆さん! 食べ物は干すと長持ちするんですよ!』
なんて言ったら。
たぶん、すごく優しい目で見られる。
危なかった。
言う予定もなかったけど。
「テオ様、召し上がりますか?」
「食べる!」
村の女性から差し出された、干した果物を受け取る。
甘い。
少し硬い。
でも、美味しい。
「おいしい」
「それはようございました」
女性が嬉しそうに笑う。
「今年は出来がよかったんですよ」
「いっぱい作ったの?」
「はい。冬の楽しみですから」
なるほど。
保存食は、ただ生きるためだけのものでもないらしい。
長い冬。
外に出られない日もある。
そんな時に甘いものがあれば嬉しい。
僕なら嬉しい。
絶対嬉しい。
「もう一個いい?」
「テオ」
父さまの声。
「……一個だけ」
女性が笑いながら、こっそりもう一つくれた。
領民は優しい。
◇
夕方。
僕たちは領内の聖堂を訪れていた。
王都の大聖堂とは比べものにならないくらい小さい。
でも。
人は多かった。
「公爵閣下。今年もありがとうございます」
「今年の恵みは領民の働きによるものだ。私は確認しに来ただけだ」
「それでも、皆安心いたします」
老齢の司祭が父さまと話している。
聖堂の中には、収穫物が少しずつ供えられていた。
小麦。
果物。
野菜。
小さな酒樽まである。
「これも冬越しの宴で食べるの?」
僕が母上に小声で聞く。
「一部はね」
「一部?」
「教会で保管する分もあるのよ」
母上がしゃがみ、僕と目線を合わせる。
「冬の間に食べるものがなくなった人や、病気になって働けなくなった人のために」
「教会が渡すの?」
「ええ」
父さまが言っていた。
冬を越すのは、一人ではできない。
領主だけでもない。
村だけでもない。
教会も。
商人も。
「神様にあげるんじゃないんだ」
「神様はお食べにならないでしょう?」
母上が笑う。
「確かに」
「神様からいただいた恵みを、必要な人へ分けるの」
僕は、供えられた小麦を見る。
ここで教会といえば。
祈る。
儀式をする。
スキルを授けてもらう。
そんな印象が強かった。
でも。
この小麦を受け取りに来る人もいるのか。
「テオ」
父さまが呼ぶ。
「はい」
「祈るぞ」
家族が並ぶ。
僕もその中に入った。
手を組む。
今年の恵みに感謝を。
来る冬に備えを。
誰一人欠けることなく、再び春を迎えられるように。
司祭の言葉に合わせ、皆が祈る。
僕も目を閉じた。
神様が本当に聞いているのかは分からない。
スキルをくれたくらいだから、いるのかもしれない。
でも。
倉に食料を蓄えて。
家を直して。
薪を集めて。
保存食を作って。
困った人のための食料を用意して。
そこまでやって。
最後に祈る。
そういう順番は。
なんとなく、僕は好きだった。
◇
「疲れた」
その日の夜。
領主館に用意された部屋で、僕はベッドに転がった。
「テオ様」
「はい」
侍女に見られていた。
慌てて起き上がる。
貴族子女スマイル。
「少々疲れました」
「左様でございますか」
誤魔化せていない気がする。
まあいい。
今日はいろんなものを見た。
南倉。
保存食。
村。
教会。
それから。
「糸」
手を上げる。
『糸』
するり。
十センチ。
摘む。
ヲワさんに言われて、強さを変えることを考え始めた。
今日見た糸は、袋を閉じたり、破れたところを直したりしていた。
服だけじゃない。
模様だけでもない。
「僕のは」
何に使えるんだろう。
まだ分からない。
今は十センチ。
少し丈夫になっただけ。
普通の糸を二本撚るのだって、まだ下手だ。
それでも。
「結構、色々できるのかも」
なんとなく。
そう思えた。
コンコン。
扉が鳴った。
「テオくん?」
「姉上?」
扉が少し開いて、メイ姉さまが顔を出す。
「お母様に内緒ね」
「何が?」
姉さまが部屋に入ってくる。
手には皿。
その上には。
「干し果物!」
「さっきテオくん、もっと食べたそうだったから」
「姉上!」
素晴らしい。
僕は今日、糸には色々な使い方があることを学んだ。
そして、もう一つ。
冬支度というのも。
案外、悪くない。
「二人とも?」
廊下から母上の声がした。
僕と姉さまの動きが止まる。
「メイ? テオ?」
「…………」
「…………」
姉さまと目が合った。
干し果物を見る。
扉を見る。
逃げ道はない。
今夜を無事に越えられるよう、祈る必要がありそうだった。




