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11.王国の端っこ

王都から遠く離れた、ユルスラシア王国南東部。

人の暮らす土地の先には、魔物の大樹海が広がっている。

王都では今年、少し冬が早いらしい。

ここでは、そんな悠長な話ではなかった。

「右翼! 前に出すぎるな! 隊列を維持しろ!」

怒号が飛ぶ。

兵士たちが槍を揃え、その向こうから押し寄せる魔物の群れを迎え撃つ。

ゴブリン。

オーク。

その後ろには、一回り大きな個体も混ざっている。

「弓隊、構え!」

号令とともに弦が引かれる。

「放て!」

無数の矢が空を走った。

何体もの魔物が倒れる。

それでも、その後ろから次が来る。

「多いな」

砦の上から戦場を見下ろしていたアルブ・ラルシーアは、忌々しそうに呟いた。

「はい。昨日、森へ出した斥候からも同様の報告が届いております」

副官が地図を広げる。

「こちらと、こちら。確認できただけでも三つの群れが大樹海の外縁部へ向かっています」

「原因は?」

「不明です。ただ、例年より明らかに早いかと」

「冬が来る前に餌を求めて、なら分かるんだがな」

アルブは腕を組む。

魔物が大樹海から出てくること自体は、珍しくない。

この土地では、毎年のことだ。

だから砦がある。

兵がいる。

そしてラルシーア家が、この地を預かっている。

問題は、その数だった。

「今年は多すぎる。昨年の暖冬が影響しているのか……?」

アルブがそう呟いた時。

戦場の奥で、何かが動いた。

オークよりも遥かに大きい。

兵士二人分はあろうかという巨体が、周囲の魔物を押し退けながら前へ出てくる。

「オーガ!」

誰かが叫んだ。

「弓隊! 狙いを――」

「待て」

アルブが止める。

オーガが巨大な棍棒を振り上げた。

その進路上にいる兵士たちが、慌てて盾を構える。

間に合わない。

「やってくれ」

アルブが短く言った。

直後。

一人の男が、砦の下から飛び出した。

剣を一本。

ただそれだけを持って。

「……は?」

新人らしい兵士が、間の抜けた声を漏らす。

男は走る。

真正面から、オーガへ向かって。

振り下ろされる棍棒。

男が剣を抜いた。

縦一閃。

それだけだった。

棍棒が割れた。

その後ろにいたオーガも。

さらに、その後方にいた魔物まで。

一瞬遅れて、地面に長い亀裂が走る。

「…………」

新人兵士が、口を開けたまま固まっていた。

「口を閉じろ」

隣にいた古参兵が言った。

「《剣神》様だ」

「……あれが?」

「見るのは初めてか」

新人が何度も頷く。

「覚えておけ。あれが剣を極めた奴だ」

その本人はというと。

「おい、アルブ!」

戦場の真ん中から、砦へ向かって叫んでいた。

「なんだ!」

「デカい獲物は、そこから見えないか!」

「知るか! 自分で探せ!」

「なんだよ!」

緊張感というものを、どこかへ置き忘れてきたらしい。

アルブが額を押さえる。

「まったく……」

副官が苦笑する。

「助かってはおります」

「それは否定せん」

本来なら、オーガ一体を止めるにも複数の熟練兵が必要になる。

それを一人で斬り捨ててくれるのだ。

戦力としては、ありがたいなどというものではない。

その時、左翼の一角が大きく後ろへ下がった。

「左翼! 押し返せ!」

アルブが再び声を張る。

《剣神》がどれだけ強かろうと、戦場のすべてを一人で守れるわけではない。

一人の兵士が魔物を討つ。

その後ろから、別の兵士が前へ出る。

負傷者を下げる。

矢を運ぶ。

傷んだ武器を交換する。

砦の中では食事を作る者がいる。

傷を治す者がいる。

次の襲撃に備え、城壁を直す者もいる。

王国の端を守るというのは、強い者が敵を斬れば終わるほど単純ではない。

「中央隊、前進! 押し返すぞ!」

「応!」

兵士たちの声が響いた。

     ◇

戦闘が終わった頃には、日が傾き始めていた。

「死者三名。重傷者十一名。軽傷者は現在確認中です」

「遺族には規定どおり弔慰金を。冬前だ。食料も付けろ」

「承知しました」

「負傷者は?」

「治療院へ。重傷者から治癒術を受けさせています」

「分かった」

報告を受けながら、アルブは砦の中を歩く。

勝った。

だが、死者が出た。

大樹海に面したこの土地では、珍しいことではない。

珍しくないからといって、慣れていいことでもなかった。

「アルブ」

後ろから声を掛けられる。

振り返ると、《剣神》がいた。

剣を肩に担いでいる。

「なんだ」

「明日、森の奥を見てくる」

アルブの足が止まった。

「一人でか?」

「ああ」

「駄目だ」

「なんでだよ」

「お前が強いからだ」

《剣神》が眉を寄せる。

「意味が分からん」

「お前なら多少無茶をしても帰ってこられる。だから一人で行けると思っている。それが一番危ない」

「心配してくれてんのか?」

「お前がここで死んだら、俺が各方面から怒られる」

「素直じゃねえな」

「うるさい」

アルブは副官から地図を受け取った。

「斥候を二人付ける。戦わせるな。案内と連絡だけだ」

「足手まといになったら置いていくぞ」

「それでいい。お前についていけなくなった時点で戻らせろ」

「分かった」

《剣神》は地図を見る。

「しかし、妙だな」

「ああ」

今年は明らかに、魔物の動きがおかしい。

だからこそ、たまたま近くを通った《剣神》にも滞在を頼んだ。

幸い、本人は、

『飯と酒を出すならいいぞ』

の一言で了承した。

「森の奥で、何か起きているかもしれん」

「調べるだけだぞ」

「分かってるって」

「お前の『分かってる』は信用ならん」

そんな話をしていると、一人の兵士が駆け寄ってきた。

「アルブ様。王都より早馬です」

「公爵閣下からか?」

差し出された封書には、見慣れたラルシーア家の紋章。

アルブはその場で封を切った。

大半は領地に関する指示と、王都から送られる物資について。

そして最後に、私信らしい数行が添えられていた。

「…………」

「どうした?」

《剣神》が横から覗き込もうとする。

「近い」

「いいだろ。減るもんじゃない」

「手紙を勝手に読むな」

そう言いながらも、アルブは手紙を畳まなかった。

「ブルゲの末の息子が、スキルを授かったらしい」

「へえ」

「テオ。末の坊主だ」

「強そうなのか?」

「まだ五歳だぞ」

「スキルは《神童》か?」

《剣神》が揶揄うように聞く。

「そんなスキルがあるわけないだろ」

アルブはもう一度、手紙へ目を落とした。

見間違いではない。

《糸》。

「…………糸」

「糸?」

「ああ」

「それこそ、なんだよ」

「俺が聞きたい」

《剣神》が腕を組む。

「糸を出すのか?」

「たぶんな」

「どれくらい?」

アルブが続きを読む。

「……十センチ」

「短っ」

「床に落とすと壊れていたらしい」

「弱っ」

遠慮のない男である。

もっとも、アルブもほぼ同じ感想だった。

「今は、落としても壊れなくなったらしいぞ」

「おお」

なぜか《剣神》が感心する。

「成長してるじゃないか」

「まあ、そうだな」

「丈夫になれば使えそうだな」

「何にだ?」

「罠」

アルブは少し考えた。

「俺も最初にそれが浮かんだ」

「だろ?」

二人の武人は、しばらく手紙を眺める。

「アルブ。お前、今、物騒なことを考えただろ」

アルブは手紙を畳んだ。

「……元気なら、それでいい」

「会ったことがあるのか?」

「何度かな。小さい頃から、妙に大人しい坊主だ」

少し考える。

「いや」

「なんだ?」

「大人しいというより……変なところで楽しそうにしている奴だったな」

「なんだそれ」

「俺にも分からん」

王都で何をしているのやら。

ブルゲの手紙を見る限り、本人は《糸》を随分気に入り、歳相応に遊んでいるらしい。

それならいい。

アルブは手紙を懐へしまった。

「春になったら、ブルゲたちもこっちへ来るだろう」

「そうなのか?」

「ああ。雪が解けたらな」

この地では、冬を越えて春を迎えることには、特別な意味がある。

魔物がいる。

大樹海がある。

厳しい冬もある。

それでも領民たちは土地を捨てず、毎年ここで春を迎える。

だから雪解けの頃には、神へ冬を越せたことを感謝し、新しい一年を寿ぐ。

当主であるブルゲも、可能な限り家族を連れて領地へ戻ってくる。

「なら、その時に見られるな」

「何を」

「糸」

「興味があるのか?」

「ちょっと」

《剣神》は笑った。

「十センチなんだろ?」

「今のところはな」

「なんだよ。十センチの糸って」

「本人が楽しんでいるんだから、いいだろ」

アルブも笑う。

春には、この魔物の異常も収まっているだろう。



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