第十九話
私が産まれて半年程が経っただろうか。
〈ヒィラゥド〉にはずいぶん人が増えた。
というよりも、先走ってこの地を訪れ、季節で風向きが変わり帰れなくなった者達であふれていたバカじゃねぇのかコイツ等。
この地を調査した結果、海側である南を崖、陸側の西から北東には三つの〈トライ・バーミリオン〉の群生地、東は山なのだが、山向こうにまたいくつかの〈トライ・バーミリオン〉の群生地が広がっていた。
つまりその内側の危険な生物を駆除出来てしまえば、その隙間から入ってくる者達への対処のみで済むのだ。
この城塞を築いた者達はこれを知っていたのだろう。
現在、ノボルとリュウ、そして、私達と同じく〈原初の樹〉より産まれた〈カカポモドキ〉と〈コウモリネコ〉。
彼等も〈ヒィラゥド〉に滞在していた。
チビ二匹はヨシミの体毛に紛れて密航してきたらしい。
タチアナによって〈トリコ〉、〈ニャフン〉という名前を付けられている。
コウモリの様な翼を持った白猫、〈ニャフン〉の方は全くもってただのネコである。
いっつもフラフラしてやがる危ねえな。
現在体高三十センチ程、翼長は六十センチ程か?
ノボルがニャフンを抱きかかえながら言う。
「コイツの成長段階がよくわからん。
最初は翼が成長して一時飛んでたんだよ。その後身体が成長して飛べなくなって今また翼が大きくなってる最中だな。
最近頭もデカくなってきてんだよ、頭蓋骨ごと。よくわからん。」
本当によくわからんな。取り敢えず経過観察か。
カカポモドキ、〈トリコ〉の方は、現在体高六十センチ程、翼長百センチ以上、一対の翼とは別に四肢を持ち、〈プードル〉と呼ばれる〈幼竜〉特有の〈幼毛〉を持っている。
おそらく〈六肢竜亜科〉、何かしらの〈ドラゴン〉の〈幼体〉であろう。
後肢の握力が異常に強力な様で、自分の数倍もの大きさの、〈ワリンバァン〉なる群れで狩りをする捕食動物の頭蓋骨を握り潰している様を観察出来る。
動きは素早く、飛行能力も併せ持つ。
目や喉等の急所を狙う、手足等の攻撃部位を破壊する等、賢い動きが目立つ。
私達と同じ様な元人間なのではないか?というものが私達の見解だ。
タチアナはしっかりと日本語を話しているが、日本での記憶は曖昧なのだという。
本名すら覚えていない。
似た様な状態なのかもしれない。
ここから先はまた私の油断の話になる。
最悪のミスと油断だ。
この日行われたのは気球の単独操作訓練。
単独での上昇、下降操作の訓練である。
そう難しいものではない。
ガスバーナーでバルーン内部の空気を加熱して上昇、排気弁で排気して周囲の空気との温度差を少なくして下降。それだけだ。
経験則が必要との事で、地上数メートルから十数メートル程度での訓練だった。上昇したら即排気して下降するのだ。
全て私の油断とミスだった。
この訓練の流れは、安全対策として係留装置と気球を繋ぎ、異常無し確認。
ゴンドラ内及び燃料の異常無し確認。
その後バルーンを膨らませて操作訓練。
一つ目はミス。
係留装置のロープを私の馬鹿力で結んでしまった。
係留装置内ドラムのロープを引き出す際の異音を軽視すべきでは無かった。
バルーンを膨らませ操作訓練が始まり、上昇しようとしていたその時、突如北から強風が吹いた。
気球を留め置けるはずだったロープが千切れ、私が単独操縦するそれは海側へと流され始めた。
「リケイさん!飛び降りろ!」
ノボルの声が響く。
海の上空まで流されてしまえば海に飛び込まねばならない。大変危険であろう。今、気球を捨て、飛び降りるべきだ。
だが、出来なかった。
二つ目は確認漏れ。
飛び降りる際に少しでもクッションになればとゴンドラ内常備品から取り出した毛布。
その中にトリコとニャフンが紛れ込んでいた。
これでは飛び降りられない。
私は無事だろうがこのトリコとニャフンはそうはいかないだろう。
気球から見下ろした景色はすでに海岸線。
そして高い位置に来た事で最悪なものを見つけてしまう。
三つ目、危険予測を怠った。
緩やかだったとはいえ、いつもと風の向きが違っていた事には気付いていたはずだった。
南東海上に雲の壁。嵐だ。見覚えがある。おそらく台風だ。
ノボルが上を指差している。
海岸線付近まで来た事で台風を目視確認したのだろう。
それを見て私も思い出した。
低気圧は低い位置の空気を吸い込み、高い位置で放出する。
高度を上げれば台風から外へと向けて吹く風に乗り、陸へと戻れるかもしれない。
すでに真下は海だ。急いでガスバーナーの火力を上げる。
本当に、不味い事になった。
〈マァツ・ヒィラゥド〉は真北。
上空の風は南西に向かって吹いていた。
〈マァツ・ヒィラゥド〉は、〈原初の島〉は、急速に遠ざかっていく。
数分でもう線画の様にしか見えなくなっていた。
テオとヨシミがあの場に居ればトリコとニャフンは救えたかもしれない。
方針を切り替えなければならない。
燃料を節約し、とにかく陸地を目指す。
だが問題がある。
地図を開き確認する。
原初の島の西側にある島〈エイグレア・フウクエィ〉、南東の島〈エイグレア・ヒィサァカ〉、遠く南南西にある連なる島〈エイグレア・ニアマァツ〉〈エイグレア・セントオリ〉〈エイグレア・ナル〉。
原初の島を囲む様に、南に連なる様に存在するこの島々には、〈竜の眷属〉や、〈レイムガウル〉等と呼ばれる〈ファントム〉、〈アルバ〉、〈フェンネル〉、〈グリモア〉、〈エルフィア〉等といった、一対の翼と四肢を持った小型の竜の様な生物の群れが支配的に生息しており、陸路を行くには大変危険であるという話をフアンから聞いている。
フアン・アスマキオ。
〈アスマキオ〉なる地へと赴き、帰還した青年からだ。
気球では、着陸すら困難かもしれない。
だが、陸地である事には変わりない。
このまま高度を維持しつつ、燃料を節約しつつ、南西へと流される事とする。
太陽が沈む。
産まれた日に見た、空から垂れる光の糸が見える。
束になって集まっている様に見える場所がある。
北東?
あぁ、〈原初の樹〉だろうか?
明らかに水平線の向こうだ。
オーロラの様な姿に見える。
ガスボンベをまた一本使い切り、交換する。
ガスバーナーの炎がゴンドラの中を照らす。
ニャフンが震えている。毛布で包む。
トリコはニャフンを私に抱かせて私ごと毛布で包む。そして自分も潜り込む。
あぁ、その方がいいか。
〈ハウルの一団〉は西にある大陸へと渡ったとされている。
どうやって渡って行ったのだろう?
またボンベを交換する。
ガスボンベの残りは使用しているものを含め合計三本。
すでに使い切った三本は海に投棄した。
軽くする為だ。
もう十二時間以上は飛んでいるはずだ。
こんなに飛べるものだったか?
日本での体験ではもっとガスを吹かしてやっと浮いている様な印象だったが。
二時間も飛べていなかったはずだ。
方位磁針の針を自身に向けて右斜め前に進み続けている事を確認する。
左から光が差す。
日の出だ。
真東から昇るのか。
これでは季節も緯度も予測しにくい。
私が産まれてからはずっと温暖だった。
これから冬なのだろうか。
思ったよりも低高度を飛んでいる。
今はほぼ真南に飛んでいるのか。
太陽が海を照らし始めた。
陸地が見えた。西だ。
なんとか進路を変えられないものか。
なんとか近付けないものか。
またボンベを取り替えて投棄する。
あと二本。
金属製のボンベは使い切ってしまった。
残りの二本は〈ヴェルグリンド〉なる巨竜の竜骨を改造したものである。
どの程度持つのだろうか。
現在正午前辺りだろうか。
何故だろう?
高度が上がっている。
そして気付いた。
西の陸地と海を見るに、この気球はものすごい速度で進んでいる。
なんだこれは?
そんな風に乗って、バルーンは潰れたりはしないのか?
視線の先、進行方向真正面に空を飛ぶ黒い塊を発見した。
高度はこちらの半分程度であろうか?
よく見て確認する。危険なモノかもしれない。
カラスの様な生物の群れだ。
かなり大きいな。コンドルの様なサイズだ。
大きな嘴を持ち、黒い翼で空を舞っている。
いや、前肢がある。
例の、〈竜の眷属〉か。
危険と判断し、更に高度を上げる。
見えた。
進行方向真正面に、陸地だ。




