第七話 開かれる扉
アストレア王国の王の間に、冷ややかに澄んだ沈黙が満ちていた。
玉座に鎮座するのは、弱冠二十四歳で即位した女王ラウラ・アストレア。
その前には、王国を支える四人の家老が並んでいた。
王家の威厳を守るガルド・フォン・ローゼン。
国庫の数字から民の暮らしを読み取るエドモンド・ヴァイス。
戦場を知る老将ベルナール・クロイツ。
そして、いつも穏やかな笑みを浮かべる外交官セドリック・オルフェン。
いずれも国の重鎮であり、その視線にはそれぞれの正義と、若き女王に対する品定めのような色が含まれていた。
「──諸卿。本日集まっていただいたのは他でもありません。破竹の勢いで版図を広げる帝国に対し、我がアストレア王国が今後いかなる方針をとるべきか、改めて意思を伺うためです」
ラウラは粛々と声を響かせた。
「軍務としては、即刻国境の防備を固めるべきかと!帝国の目覚ましい侵攻速度に対し、現状の配置ではあまりに脆い!」
「お待ちくだされ。これ以上の戦時増税は民の困窮を招きます。まずは財務の立て直しと、徴税計画の再試算を」
「帝国の目的が不透明だからこそ、対話の窓口を閉ざすべきではありません。戦は始めるより止める方が難しい。まずは使者を送り、相手の真意を探るべきかと」
それぞれの立場から放たれる言葉。
最後の一人──老将ベルナールが、低く固い声で言葉を継いだ。
「兵を休ませる時間はありません。ですが……無策の徴兵で若者を戦場へ送れば、今度は我々が彼らを殺すことになる。王家の威信を守るためだけに、兵の命を散らせるわけにはいきません」
「な……ベルナール殿!王家の威信を軽んじるか!」
ガルドが怒声をあげるが、ベルナールは一歩も引かず、ただ静かにガルドを睨み返した。
四者四様の意見と覚悟。ラウラはそれらを黄金の瞳で静かに見つめた。
言葉と心の間に、一切の偽りの形が見えない。
彼らはそれぞれ守るべきものが異なるだけで、己の正義と国への忠誠において、嘘を吐いてはいなかった。
国を売ろうとする意思は、この場には存在しない。
ならば──と、ラウラは言葉の角度を変えた。
「……皆様の意見、確かにお聞きしました。では、もうひとつ。話題を変えましょう」
ラウラはゆっくりと背もたれから身体を起こし、四家老をまっすぐに見据えた。
「十七年前の、王都地下聖堂で起きた事件について……皆様が知っていることを話していただきたいのです」
一瞬、謁見の間の空気が静まる中、
第四家老セドリック・オルフェンだけが、ほんの一瞬だけ笑みを失った。
それは驚きではない。
十七年前という言葉を聞いた者だけが見せる、深い記憶への沈黙だった。
だが──ラウラの瞳には、偽りの歪みは映らない。
彼は何かを隠しているわけではない。
ただ、「十七年前」という言葉が、彼の中にある何かを呼び起こしただけだった。
「急にどのようなご意図で……あの夜のことであれば、四家老一同、鮮明に記憶しておりますが」
「覚えていることを、そのまま口にしてください」
四家老は顔を見合わせ、戸惑いながらも順に口を開いた。
「あの夜……王都に原因不明の大火災が発生いたしました。わたくしどもは亡き国王陛下と共に、夜を徹して消火活動と民の避難誘導にあたりました」
「ええ。しかし火の手があまりに早く……鎮火した頃には、王妃殿下が命を落とされていた」
「幼いラウラ陛下が眠る横で、王妃殿下が殺された痛ましい事件でしたな……」
四家老の口から語られる内容は、王国の公式記録にある通りのものだった。
隠蔽や不自然な嘘の歪みはない。
「あの事件と、いま迫りくる帝国に、一体何の関係があるというのですか?」
「当時は国をあげて痕跡を調べ上げました。しかし外部からの侵入の形跡は一切残されていなかった……」
四家老の疑問が重なる中、ラウラの傍らに控えていたマティアスが、静かに一歩前へ出た。
その歩み寄りに、ガルドが即座に不快感を露わにした。
「……なぜ貴様が、その夜のことを語れる」
「……帝国軍の攻撃ならば、もっと単純な形になります」
謁見の間に張り詰めた静寂が落ちる。
「城壁を破り、兵を送り、敵を倒す。軍とはそういうものです。ですが……あの夜に起きたことは戦ではない。王都の内側を知る者が、内側から起こしたように見える」
「帝国軍の元将軍が、推測で口を挟むな」
今度はベルナールが怒りを孕んだ低い声で牽制した。
十七年前、自分の部下たちを戦場で幾人も葬り去った男が、今は女王の護衛のように佇んでいる。
その存在自体が、老将にとっては忘れがたい棘だった。
だがマティアスは冷めた瞳で四家老を見据えたまま、静かに言葉を継ぐ。
「その当時に私が帝国から受けた命令書の中に、事件に関するようなものは存在しなかった。だが、混乱に乗じるかのように刺客が通された……兵を引いたのではなく、元から道を知る者が城内にいたということです」
その異様な気迫に押され、四家老の間に確かな動揺が伝播していく。
自分たちの誰一人として嘘をついていない。だというのに、元帝国将軍の放った違和感は、城内に潜む決定的な歪みを突いていた。
若き女王は静かに息を整えた。
「本日の意見は、すべて記録し、検討します」
「しかし、今なお核心には届いていない」
「十七年前の事件。帝国の動き。その周囲で起きた些細な変化でも構いません」
「忘れていた記憶の中にこそ、真実への手掛かりが眠っている可能性があります」
「もし何かを思い出した者がいるなら、迷わず私へ報告してください」
「その一片の情報が、アストレア王国の未来を変えるかもしれません」
「以上です」
四家老は深く頭を垂れ、それぞれの思案を胸に秘めたまま謁見の間を後にしていった。
◇
重厚な扉が閉ざされ、執務室に場所を移した三人の間には、冷え切った静寂だけが残されていた。
ラウラは椅子に深々と身体を預け、そっと両目を閉じた。
言葉の輪郭に偽りはなかった。彼らは真実に国を案じている。
だとしたら、十七年前のあの夜、城の防衛網を内側から崩し、王妃暗殺の手引きをしたのは誰なのか。
「……マティアス」
ラウラは目を開けず、部屋の隅の影に佇む男へ声をかけた。
「四家老は、十七年前の火災を真に『不可解な事故』として記憶していました」
「……彼らは本当に何も知らされていない可能性が高く、あのような認識でいてもおかしくは無い、と思われます陛下」
マティアスの声には、いささかの動揺もなかった。
「ですが、陛下」
腕を組み、壁際に立っていた近衛隊長レイナルドが苦い顔で静かに口を挟む。
「先日、城内の警備記録を読み返しました……ですが、少し妙なのです」
「あの夜の前後だけ、残っているはずの警備報告が存在しない。誰かが意図的に消したのか、それとも……最初から残されなかったのか。四家老が関わっていないのだとすれば、記録の手綱を握る者が別にいたということになりませんでしょうか」
ラウラはゆっくりと立ち上がった。
「……分かりました」
「レイナルド、城内の警戒は引き続きあなたに任せます」
「御意に」
「マティアス、あなたも休みなさい」
「……失礼いたします」
二人が退出していき、ラウラは一人、胸の上に手を当てた。
(記録の手綱を握る者……)
外交を担い、諸外国だけでなく王都内外の情報にも通じる男──セドリックの顔が一瞬脳裏をよぎった。
だからこそ、ラウラは一瞬だけ疑念を抱いた。
しかし、真偽眼はそれを否定していた。
けれど──真実を語っている人間が、すべて正しいとは限らない。
その恐ろしい可能性に、ラウラはまだ気づいていなかった。
◇
夜が深まり、女王の寝所は静謐に包まれていた。
薄闇の室内で、燭台の小さな炎だけが静かに揺れている。
ラウラは鏡台の前に座り、自分の髪を梳かす侍女の姿を、鏡越しに見つめていた。
「セレス」
「はい、ラウラ様」
髪を梳いていたセレスの手がピタリと止まり、鏡の中で首をかしげる。
ラウラと同い年の少女。十七年前の王都大火で家族を失い、王国に引き取られてラウラの侍女となった。ラウラにとっては、女王の重責から離れ、素の自分に戻れる唯一の救いであった。
「ふと思い出したのです……あなたが城に来たばかりの頃のことを」
「私の……ですか?」
セレスは困惑したように目を丸くした。
「ええ。あなたはあの日、すべてを炎に奪われた……十七年前のあの夜のこと、何か覚えていることはありますか?」
「十七年前……」
──燭台の火が小さく弾けた。
セレスの身体が、かすかに強張った。
彼女の手から銀の櫛が滑り落ち、毛足の長い絨毯の上へ音もなく落ちる。
「あ……申し訳ありません、ラウラ様。すぐに……」
セレスは慌てて屈み込み、拾い上げようとした。
だが、その指先が激しく震えている。まるで極寒の雪山に放り出されたかのように、全身が細かく戦慄いていた。
「セレス? どうしました?」
「……わかり、ません」
屈んだ姿勢のまま、セレスは途切れ途切れに声を漏らした。
「あの夜のことは……炎の赤さと、煙の匂いしか……私、幼くて……何も覚えていなくて……」
セレスが顔を上げた。
その瞳には、理由の分からない恐怖と困惑の涙が溢れ出していた。
「でも……ときどき、声が聞こえる気がするんです。『忘れなさい』って……すごく優しくて、すごく冷たい声で……『全部忘れて、いい子にして正しく生きなさい』って……」
「……怖いんです」
「その声を思い出すことじゃありません……その声を聞くと、すごく……安心してしまうことが、怖いんです……っ」
セレスは苦しげに息を乱し、震える手で頭を押さえた。
「それに……その言葉を思い出すたびに……」
「どうしてなのか分からないんです。この間、外套を取り繕う際に初めて拝見し──あの頃は会ったこともないはずなのに……マティアス様を若くしたような顔が浮かぶんです……」
「何度振り払っても……あの人が、そこにいる気がして……」
セレスは己の頭を抱え込むようにして、床に丸まった。
すがるようにラウラを見上げるセレスの瞳に、嘘や誤魔化しの色は一切ない。
言葉に偽りはない。
恐怖も、混乱も、ラウラへの思いも、すべてが本物だった──。




