第52話
いよいよ甲子園が始まる。
俺たちは新幹線で新大阪駅へ向かい、そこからは在来線を乗り継いで、ようやく指定されたビジネスホテルへと辿り着いた。
硬いベッドに寝転がり、遠征の疲れを癒していると、枕元に置いてあるスマホが震えた。
画面を確認すると、恋歌からの着信だった。
『もしもし』
『壮真さん。ホテルへは着きましたか?』
『うん、着いたよ』
『私も今、着いたところです』
『例の予約してたホテル?』
『はい、残念ながら壮真さんたちが泊まるホテルは空きが無くて……』
恋歌の弾んでいた声が、ふっと寂しそうに沈む。
『まあ、仕方ないよ。そもそも学校の許可が無いと、俺たちの宿泊エリアには入れないし』
『え?……じゃあ、会えないんですか!?』
『ああ、なんか昔の感染症対策の名残で今も厳しいみたいでさ、大会中の不祥事防止とか、俺たちの休養優先ってことで、部外者との接触はマジで厳禁なんだ』
『なんですかそれは!また日本高野連の仕業ですか!?』
恋歌の愛らしい声が、一転してドスの効いた怒声に変わる。
『ルールだから仕方ないよ』
『私と壮真さんの愛を邪魔する者は、例え日本高野連でも許せません!今すぐ抗議の電話をかけます!!』
『頼むから、本当にそういうことするのは止めてね……』
そこから興奮する恋歌を宥めすかす事、実に一時間。
スマホが熱を帯びてきた頃、ようやく彼女の怒りを鎮める事ができた。
『……壮真さんがそこまで言われるなら、わかりました』
『……ありがとう』
通話を終えてスマホを枕元に置くと、気づけば手汗がびっしょり、遠征の疲れが綺麗に倍になった。
◇◇◇
恋歌は毎試合のたびに、『試合頑張ってください』とエールを送ってくれた。
そんな彼女のエールのおかげか、俺たちの甲子園初戦は順調だった。
初戦を2対0で無事に突破すると、二戦目も3対1で勝利。
三戦目も3対1と手堅く勝ち、準々決勝へと足を進めた。
この勢いのまま優勝──俺たちは準々決勝で甲子園の神様に嫌われた。
九回裏。
試合は0対0のまま、ツーアウトまで相手を追い詰め、延長戦突入まであと一人と思っていた矢先。
最初のバッターが放った、ふらふらと上がった打球が風に押し戻されてポテンヒットとなった。
次のバッターが打った打球をサードが後逸し、ツーアウト二塁・一塁。
次のバッターのインコースを突いたボールが相手選手のユニホームにかすり、デッドボールでツーアウト満塁。
次のバッターにファールで粘られフルカウント。
渾身の力を込めた一球だった。
インハイが僅かに外れて、ボールはキャッチャーミットに収まった。
バットが空を切る事もなく──押し出しでサヨナラ負け。
俺たちの最後の夏はあっけなく、ゲームセットを迎えた。
別に涙は出なかった、恋歌の件で枯れ果てたのかもしれないが、力は出し切ったし、全力を尽くしたという充実感の方が勝っていたからだ。
だが、帰りのバスに乗り込むとき、俺の心を占めていた爽やかな充実感は一瞬で吹っ飛んだ。
『壮真くーん!お疲れ様!』
他校の女子生徒の集団から黄色い声が飛ぶ。
俺は思わず口元を少し緩め、女子生徒の集団に笑顔で手を振って返した。
すっかり油断していたその時だった。
集団の先頭で、俺を殺しそうな目で睨み付けているピンクのワンピース姿の恋歌と目があった。
真夏のはずなのに、俺の背筋には冷たいものが走る。
俺は別の意味で負けたのを後悔していた。
(……家に帰りたくない)
◇◇◇
野球部を引退した俺たちは、受験勉強をしながら残りの夏休みを堪能していた。
今夜も受験勉強の息抜きとして、俺たちは夏祭りへと向かった。
皆、それぞれ色とりどりの浴衣姿で、沢山の屋台がある通りを歩いている。
もちろん恋歌は一緒なのだが、去年に引き続き秀樹と高畑さん、猪鹿川さんと新たに颯希が加わり、六人で来てた。
だが、なぜか俺はひょっとこのお面を被らされている。
(俺は鬼が出てくる漫画の刀鍛冶じゃないぞ)
「なあ、なんで俺だけお面を被らないといけないんだ」
「お前なあ、少しは自分は地元の有名人だって自覚しろよな」
秀樹が呆れた顔をして、俺を見ている。
(失敬な奴だ)
「そうですよ。壮真さんはおモテになるんですから。顔を隠さないと。うふふ」
恋歌は俺の腕に抱きつきながら、悪戯っ子みたいな微笑みを浮かべている。
「れ、恋歌先輩。焼きそば食べませんか」
猪鹿川さんが恋歌の浴衣の袖を掴むと、焼きそばの屋台を指差した。
「いいわね。奢ってあげるわ。牛」
「あ、ありがとうございます」
恋歌は意外と面倒見がいい、猪鹿川さんはすっかり従順な妹ポジションに収まっていた。
「壮真先輩。金魚すくいやりませんか?」
颯希が俺の腕に抱きつきそうになったその時。
恋歌が素早く俺の前に立ちはだかると、颯希の胸をちょい揉みして鼻で笑った。
「何ですか!その笑いはっ!」
「安心しなさい。そこの胸の薄いちんちくりんにも焼きそばを奢ってあげるから来なさい」
「わ、私の胸は一番需要が高い標準サイズですから!」
恋歌は有無も言わさず、颯希の腕を掴むと猪鹿川さんと三人で焼きそばの屋台へ向かった。
その後、颯希が行きたがっていた金魚すくいへと足を運ぶ。
「よし、俺が全部すくってやるぜ!」
「私もやります!」
秀樹と颯希が先陣を切って、掬い始めたが一匹も取れず、あえなく撃沈。
「私はいいですので、山口先輩と恋歌先輩どうぞ」
俺の横で金魚すくいには興味無さそうな猪鹿川さんが、恋歌に買ってもらったりんご飴を食べている。
「じゃあ、俺と恋歌で勝負するか」
「どちらが多く取れるか勝負しましょう!壮真さん!」
ピンクの浴衣の袖を捲り、金魚すくいのおじさんからポイを受け取ると、恋歌の目がキランと光った気がした。
恋歌の流れるような素早いポイさばきで、金魚が次々とおわんの中へと入っていく。
みるみるうちに、恋歌のおわんは金魚でいっぱいになった。
俺も負けじと、掬い始めたが時すでに遅し、恋歌の圧勝で幕を閉じた。
「やりました!私の勝ちですね!うふふ」
満面の笑みを浮かべている恋歌を、ぽかーんと口を開けて見ている金魚すくいのおじさん。
しかし、こんな大量の金魚は持って帰れないので二匹だけ貰って残りは近くにいた子供たちにプレゼントした。
色々と屋台を巡り終えると、クライマックスの花火が始まるのを皆で待っていた。
俺の横では、恋歌は颯希が俺に近づかないように腕を掴んでブロックしている。
その隣で猪鹿川さんが、恋歌に買ってもらったお好み焼きを美味しそうに食べていた。
(今年も食べてばかりだなこの人……)
目の前では、高畑さんが秀樹の腕に抱きついて何やら楽しそうに談笑している。
(青春だな)
「腕を離してください!ピンク先輩!」
「ダメよ!離すと壮真さんに抱きつこうとするでしょ!自称・標準サイズのちんちくりん!」
「自称って!その言い方なんかムカつきますね!」
そんな不毛な争いをしている横で、猪鹿川さんが恋歌に買ってもらった綿菓子を食べ始めた。
目の前では爽やかな青春を謳歌する秀樹たち、俺の周りはカオス状態。
この違いはなんだ。
「や、山口先輩。綿菓子少し食べますか?」
無邪気に笑いながら、俺に綿菓子を差し出してきた。
「……俺は色々とお腹いっぱいだからいいよ」
「そうですか。へへへ」
猪鹿川さんは綺麗な微笑みを浮かべるが、白い歯に青い物体が見えた。
(そんなことより猪鹿川さん……今年も焼きそばの青のりが前歯に付いているよ……)
そんな中、百花繚乱の鮮やかな花火が打ち上がり始めた。
「綺麗ですね。壮真さん」
恋歌が天使のような微笑みを浮かべて、喜んでいる。
「そうだね。恋歌ほどではないけどね」
「もう、最近はそういうことをさらっと言いますよね。うふふ」
「本当のことだからね」
「ありがとうございます。えへへ」
「何そこでいちゃいちゃしてるんですか!」
颯希が頬を膨らませて怒っている。
「私と壮真さんの愛の語らいを邪魔しないで。自称・胸が標準サイズのちんちくりん」
「むぅ、その言い方本当に腹が立ちますね!」
「二人とも、ここは大人しく花火を見ようよ」
「そうですね。壮真さん」
「はーい、壮真先輩」
俺たちは花火を最後まで楽しむと、夏祭りは終了した。
帰り道で秀樹は高畑さんと颯希を送って行くため駅へと向かったので、俺は恋歌と一緒に猪鹿川さんを家へと送り届ける。
猪鹿川さんを送り届けた後、恋歌と一緒に家に帰ると、金魚を水槽へと移した。
「オスとメスだといいですね。うふふ」
「どうだろうね。見分け方わからないからな」
俺はスマホで、金魚のオスとメスの見分け方を調べてみた。
「オスには追星とかいうのがあるらしい。後はオスはスマートな体型をしていて、メスはお腹の辺りがぽっちゃりしてるみたい」
「なら、こっちがオスで、こっちの方がメスかもしれませんね」
「そうかもしれないね」
「私たちみたいに仲良くしてくれるといいですね」
「本当にそうだね」
恋歌は俺の胸にそっとおでこを預けた後、上目遣いで見つめてきた。
恋歌が長い睫毛を伏せてそっと瞳を閉じると、俺は抗うことなく、彼女の柔らかい唇に軽い口づけを落とした。
(明日、さっそく金魚の餌を買いに行かないといけないな)
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