第5話
朝、起きたら体が鉛のように重かった。嫌な予感がして体温計を挟めば、表示された数字は39.1度。
(……部活見学どころか、学校すら無理だな)
朦朧とする意識の中、恋歌にメッセージアプリで『風邪を引いたから休む』とだけメッセージを送り、俺は泥のような眠りについた。
──突然のインターホンで目が覚めた。枕元のスマホを確認すると、もう17時を回っている。
(……随分、寝てたな)
熱で重い体を起こし、ふらつきながら玄関まで向かう。
古びた引き戸を開けると、そこには心配そうな顔をした、制服姿の恋歌が立っていた。
手には大きなボストンバッグを持っている。
「壮真さん!大丈夫ですか!」
「……うん。何とかね」
「すみません、起こしちゃったみたいで……」
「気にしないで、風邪、うつるといけないから。側に寄らない方がいいよ」
「……私の肩を使ってください」
俺の言葉を無視して、恋歌が強引に肩を貸してくれた。
(細い肩だなぁ…折れちゃいそうだ……)
恋歌の華奢な肩に支えられながら、俺はふらふらと自分のベッドに戻った。
「壮真さん、何か食べました?」
「……朝から何も食べてない」
「私が何か作りますね!キッチンお借りします」
「うん、ありがとう……」
しばらくして、小さい土鍋を乗せたトレーを運ぶ恋歌が部屋に入ってきた。
「ふぅ、ふぅ……あーんしてください」
恋歌はお粥をふうふうと冷ましてから俺の口へと運ぶ。
「……あーん」
「どうですか?」
「美味しい……」
「ちゃんとスタミナつけてくださいね」
「うん、ありがとう……」
お粥を食べ終わる頃には窓の外はすっかり暗くなっていた。
「もう、遅いし帰った方がいいんじゃないか?」
「母に、今日は一番大切な人の家に泊まると言ってありますので大丈夫です。お泊まりセットもちゃんと用意してきました!」
恋歌はボストンバッグを誇らしげに見せてくる。
(誤解を生むような言い方はしないで……ってか泊まる気満々かよ……)
「あの、シャワーをお借りしてもいいですかね?」
「……あ、ああ、風呂の場所、わかるかな?」
「はい、大丈夫です」
返事と同時だった。恋歌が躊躇もなく制服のボタンを外し、その場で脱ぎ捨て始めたのだ。
視界に飛び込んできたのは、眩しいほどに白い肌を包む淡いピンクのレース。
「な、ななな、なんでここで脱いでるんだよ!?」
「え?制服がシワになったら嫌なので、ハンガーお借りしますね」
平然と言ってのける彼女は、そのまま手際よく制服を整えている。
(……恥ずかしくないのか?)
「では、お借りします」
恋歌は小さなポーチと着替えを抱え、鼻歌まじりに部屋を出ていった。
嵐の後のような静寂の中、急に強烈な眠気が襲う。
(お粥を食べた後に飲んだ、風邪薬のせいかな……)
瞼が鉛のように重い。抗おうとする意識も虚しく、深い闇の中へと沈んでいく。
朦朧とした意識の中でがチャリとドアが開く音がした。
「──壮真さん……、ふふ、寝ちゃいましたか?」
「おやすみなさい。壮真さん」
唇に触れた、熱を帯びた柔らかい感触。現実か夢かも判断できないまま、俺の意識は完全に途絶えた。
◇◇◇
朝、胸にのしかかる心地よい重みで目が覚める。視線を落とすと、そこには恋歌の小さな頭があった。
(……もしかして、ずっと看病してくれていたのか?)
「……ん……ん……あ、おはようございます」
まだ夢うつつの、とろんとした大きな瞳と目が合った。
「おはよう、……ずっと看病してくれたんだ。ありがとう」
「いえいえ、そんな……私、少し寝ちゃったみたいで……すみません」
恋歌は俺の胸から離れると、猫のように伸びをして、小さくあくびした。
(不思議だな。昨日よりずっと体が軽い。)
昨日までの熱っぽさが嘘のように消えていた。
体温計で熱を測ると、すっかり平熱に戻っている。
「どうでしたか?」
「熱、下がったよ」
「良かったです……」
恋歌はまるで自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。
その翌朝、恋歌から『風邪を引きました』とメッセージが来た。
(……もしかして、俺の風邪、うつしちゃったかな)
◇◇◇
放課後、恋歌のお見舞いに行こう──そう決めた直後、俺は絶望した。……肝心の家の場所を知らないのだ。
とりあえず『お見舞いに行きたいんだけど』とメッセージを送信。すると、詳細な地図が爆速で返ってきた。
(用意してたわけじゃないよね?)
俺は地図を頼りに恋歌の家へと向かった。
どうやら最寄りの駅からは徒歩十分そこら。結構近い。
地図を確認しながら歩き、恋歌の家らしき場所に辿り着いた──のだが。
(……嘘だろ?何だよこの家。デカすぎない?)
そこにそびえ立っていたのはコンクリート打ちっぱなしの三階建て、一目でそれとわかる。……文句なしの豪邸だった。
圧倒されつつも、俺は意を決してインターホンを押した。
「はーい」
インターホン越しに聞こえてきたのは、落ち着いた大人の女性の声だった。
(うーん、何て名乗ればいいのだろうか?友達?いや、とりあえず知り合いでいいか)
「あ、突然すみません、恋歌さんの知り合いの山口と言います。今日は、その、お見舞いに伺ったのですが……」
「もしかして、あなたが山口壮真くん!」
「あ、はい、そうですけど…」
(何で俺の事を知ってるんだろう?)
「どうぞ!入って!」
がシャリ、と機械的な音を立てて門が自動で開く。
吸い込まれるように敷地内に足を踏み入れると、玄関の前に驚くほど髪の長い綺麗な女性が微笑んで立っていた。
「初めまして。私は恋歌の母、小鳥遊和歌です。さぁ、どうぞ、上がって」
「あ、初めまして、山口壮真です。失礼します」
「会いたかったわ、山口くん!」
靴を脱いで上がった瞬間、いきなり抱きしめられた。
恋歌にも負けない、柔らかな膨らみの感触がダイレクトに伝わってくる。
「恋歌からよく聞いているわよ!最近、あの娘ったら山口くんの話ばかりなんだもん」
「そ、そうなんですか……?」
「うん、凄く大切な人なんだって。……何か羨ましくなっちゃうわね。うふふ」
人懐っこい笑顔でそう告げる和歌さん。
(……この親子、似てるかも)
「あっ、恋歌の部屋はこっちよ」
やたらと広い家を案内され、恋歌の部屋らしきドアの前に着いた。
和歌さんがドアをコンコン、と軽くノックする。
「……はい」
中から聞こえたのは、心なしか元気のなさそうな恋歌の声。
「恋歌、壮真くんがお見舞いに来てくれたわよ」
和歌さんがドアを開けると。
「えっ、ええぇぇ!?壮真さん!?」
背中を追って部屋に入ると、ベッドに横たわっていた恋歌が文字通り飛び起きた。
「あっ、寝てていいから」
「そ、そういうわけには」
「無理しないで寝てなよ」
「は、はい」
俺に促され、恋歌は少し頬を赤くしてベッドに戻った。
「じゃあ、邪魔物は消えるわね。うふふ」
恋歌のお母さんは嬉しそうな笑みを浮かべたまま部屋を去って行った。
「大丈夫?俺が風邪うつしちゃったかな。ごめんね」
「気にしないでください。全然、大丈夫なので……」
恋歌は顔が熱っぽく、明らかに具合が悪そうだ。
「あっ、これ買ってきたから良かったら飲んで」
栄養補給ゼリーと栄養ドリンクを机の上に置く。
「ありがとうございます」
「何か俺にやってほしいこととかある?」
「何か心細いので、手を握ってもらってもいいですか?」
「それくらいならいいよ」
俺は恋歌の小さな手を軽く握った。
「ありがとうございます……」
恋歌は安心したのか、すぐ眠りについた。
ふと視線を向けると、ベッドの上にはたくさんのぬいぐるみや可愛いらしいクッションが敷き詰められていて、ピンクのカーテンにピンクのカーペット。どこを見ても恋歌の『好き』が隙間なく詰め込まれていて、少し圧倒される。
眠ってるし、そろそろ帰ろうかと思ったのだが、恋歌が握った手を離してくれない。
無理矢理、手を離そうとしてもダメだった…
(この小さい手のどこにこんな力があるんだ……?)
何とか手を離せないかと悪戦苦闘しているところに和歌さんが戻ってきた。
「あら、手なんて繋いで、ラブラブね。」
「いや、手を離してくれなくて……」
「あらあら、よっぽど壮真くんを手放したくないのね」
(帰りたいんですが…)
「恋歌は子供の頃から好きなものにたいしての執着心が強いのよ」
「そ、そうなんですか……」
「そこに継ぎはぎだらけのボロボロのぬいぐるみがあるでしょ。恋歌のお気に入りで一歳の頃からずっとベッドに置いてあるのよ」
(確かにぼろぼろすぎてもはや何のぬいぐるみなのかもわからない…犬、か……?)
それから少してから恋歌が目を覚まし、ようやく手を離してくれたので、俺は家路につくことができた。
(恋歌の風邪すぐ治るといいなぁ…)
読んでくださりありがとうございました




