第44話
猪鹿川小蝶視点
野球部の練習が休みの休日の午後。私はずーんと重い憂鬱を胃のあたりに抱えながら、待ち合わせ場所である駅前の喫茶店へと向かっていた。
今朝早くから、私のスマホに『ピンクの悪魔』こと小鳥遊恋歌から問答無用の呼び出しのメッセージが届いたのだ。
喫茶店へと足を踏み入れる。……探すまでもなかった。
遠くからでも一目でわかる、派手なピンクの服を着たピンクの悪魔が、店の最奥の席にちょこんと鎮座していたのだ。
私が怯えながら歩み寄ると、ピンクの悪魔はふふっと不気味な笑みを浮かべる。
「遅いわよ。牛」
(私は牛じゃないもん)
「……ま、まだ約束の時間の五分前だと思いますが」
「部下は上司が来る五分前に来てなきゃダメよ。上司を待たせる部下がどこにいるの?」
「……す、すみませんでした」
ピンクの悪魔が放つ圧倒的な圧に負けた私は、ただひたすら頭を下げた。
「まあ、とりあえず座りなさい」
私はピンクの悪魔の向かいの席に腰掛けた。
……癪だけど、本当に可愛い。
個性的なメイクと服装だけど、女の私から見ても見惚れるレベルだ。
現に、店内の視線をこれでもかと独占している。
「それで、どうなの?あのチビッ子は?」
ピンクの悪魔は紅茶をすすりながら、スッと真剣な表情になってこちらを窺ってきた。
ピンクの悪魔は日向さんのことをチビッ子と言うが、背は二センチくらいしか変わらないと思う。
「や、山口先輩のことが好きなんだと思います」
「やっぱり。鈍臭い牛と違ってあのチビッ子は侮れないわね」
(だから、私は牛じゃないし、鈍臭くないもん)
「ぶ、部室へも、わざと下着姿のまま誘ったみたいです」
「ちょっと、あなたちゃんと見張ってないとダメじゃない!」
「わ、私だって、ずっと監視してるわけにはいかないですし……」
「あなた、壮真さんのことはずっと監視してたじゃない」
「うっ……こ、これからは頑張ります」
「ちょっとやる気が足らないようね」
そう言うと、ピンクの悪魔はまさしく悪魔のような笑みを浮かべてスマホを取り出した。
私の目の前に突きつけられた画面。そこからは見覚えのありすぎる『とある動画』が流れ始める。
「そ、それは!」
「忘れたのかしら、4ヶ月前のとある休日」
「うっ」
「あなたは、勝手に作った合鍵で私たちの留守中に家へと不法侵入して」
「す、すみませんでしたぁ!もう、それは消してください!」
「クローゼットの引き出しから壮真さんのパンツを取り出すと──」
「も、もう、やめてください!」
「──そのパンツを頭にかぶって、『ひゃっほー!』と奇声を上げて小躍りしている動画よ」
「い、いやぁぁぁ!あの時はどうかしてたんです!許してください!」
思い出すだけで消え入りたくなる黒歴史を再生され、私は半泣きで懇願した。
「あなた、本当に気持ち悪い顔してたわね。この動画を見たとき、私はお昼に食べたカルボナーラを吐きそうなのを必死に堪えたわ」
ピンクの悪魔のまるでゴミでも見るような視線が突き刺さる。
「…………」
「あなたも甘いわね。あの家には盗聴器だけでなく、盗撮カメラもあらゆる部屋に仕掛けてあるのよ」
フンス、と凄まじいドヤ顔を決めるピンクの悪魔。
(……いや、あなたのやってることも十分に普通じゃないんですけど)
「……も、もう二度としません」
「壮真さんに、この動画を見せたらどう思うかしら。うふふ」
「そ、それだけは勘弁してください!」
「なら、ちゃんと私のために働きなさい」
「わ、わかりました」
『あなたは少し常識というものを勉強したほうがいいわよ。うふふ』
「……はい」
(なんだろう?この世で一番常識から遠いところにいる人に諌められるとイラッとする)
「それじゃ、また用があるときは連絡するわ」
ピンクの悪魔は席を立ち、伝票を手にすると、うさみみが付いたピンクのミニリュックを背負った。
(……高校三年生にもなって、恥ずかしくないのだろうかあのリュック)
そして、私の横を通り過ぎざま──。流れるようなモーションで私の胸をむにゅっとひと揉みしてから、彼女は去っていった。
(……何で毎回、私の胸を揉んでから帰るのだろうか?緊張と恐怖で、胃がキリキリして痛い)
◇◇◇
初夏の日差しが窓から降り注ぐ、次の休日。
今日こそのんびり過ごそうとまったりしていたら──スマホが震え、またしてもピンクの悪魔からのメッセージ。
(寝たふりだ……無視して寝たふりをしよう……)
そう決意してスマホの電源を切ろうとした瞬間、まるでこちらの思想を見透かしたように、二通目のメッセージがポップアップした。
『無視したらどうなるかわかってるわよね?』
ひいっと短い悲鳴が漏れる。脳裏にあの『小躍り動画』がフラッシュバックした。
私は重いため息を一つ吐くと、重い腰を上げて出掛ける支度をし、いつもの喫茶店へと向かった。
喫茶店に入ると、案の定、奥の席にピンクの服を身を纏った悪魔が座っていた。
「遅いわよ。牛」
「や、約束の五分前には着いてますけど」
「私が10分前に来てるんだから、牛は15分前に来てないとダメよ。それくらい察しなさい」
(そんな理不尽な……)
「突っ立ってないで、座りなさい」
「は、はい」
私は借りてきた猫のように大人しく向かいの席に腰かけた。
「それで、最近のチビッ子はどうなの?」
「は、はい、私が目を光らせてるのもありますし、山口先輩も日向さんと距離を取るようになったので、今のところは大丈夫です」
「壮真さんが距離を……。私のお仕置きがかなり効いたようね。うふふ」
ピンクの悪魔は悪魔の微笑みを浮かべると、紅茶を一口飲んだ。
(い、一体、山口先輩はこのピンクの悪魔にどんなお仕置きをされたのだろ……そういえばこの前、頬がげっそりと痩けていた……)
「他に、壮真さんに近づくような不届きな女の影はないかしら?」
「い、今は大丈夫ですが、山口先輩はモテるので油断はできません」
「はあ……まあ、私の壮真さんがモテるのは仕方ないかしら」
「は、はい、優しくてカッコいいので、ちょっと無自覚なところがありますが、そこも母性本能をくすぐるというか何というか。へへへ」
大好きな山口先輩のことを思い浮かべ、私はついつい締まりのないニヤケ顔になってしまった。
「──牛」
ヒュン、と一瞬で店内の空気が凍りついた。
目の前のピンクの悪魔が、隠しきれない殺気を宿した瞳で、こちらを般若の形相で睨みつけてきた。
(……こ、怖い。少し漏らしちゃいそうになるくらい怖い)
「わ、わかってますから!私はただの監視役です!」
弁明する私に、ピンクの悪魔は氷のような冷たい微笑みを浮かべながらスマホを取り出すと、画面を私の目の前に差し出した。
例の、私がパンツを頭にかぶっている動画だ。
「実はこの動画にはまだ続きがあるのよ。あなたこの後何したか覚えているわよね?」
「……えっ」
「あなたは壮真さんのパンツを頭にかぶったまま、引き出しの中の壮真さんのパンツを熱心に物色し始めた──」
「や、やめてください……!」
「──そして、お気に入りの二枚を嬉しそうに取り出すと、綺麗にたたみ自分のバッグにこっそり仕舞い込んだわね」
「ち、違うんです!」
「あなた……とうとう一線を越えてしまったわね。これで不法侵入に加え、『窃盗罪』が成立よ」
ピンクの悪魔は肩を上下に揺らすと、本当に『哀れな犯罪者』ねというような目で私を見下ろしてくる。
「……つ、つい出来心で、ごめんなさい」
「あの時、私が下着泥棒の濡れ衣を着させられそうになったのよ。壮真さんの疑いを晴らすのがどれだけ大変だったか……」
ピンクの悪魔はどこか遠くを見つめながら、深いため息をついた。
(あなたの普段の行いも関係してるのでは……)
「……す、すみませんでした。もう二度と盗みません」
「よろしい。では、これからも私の忠実な下僕としてしっかり働くのよ」
「り、了解しました……」
「じゃあ、またね」
ピンクの悪魔は席を立ち、伝票を手に持つと、去り際に私の胸をむにゅっとひと揉みしてから店を出ていった。
(だから、なんで最後に必ず胸を揉むのよぉぉぉ!)
◇◇◇
トボトボと家に帰り、自室のベッドにダイブして寛いでいると、再びスマホが震えた。
スマホの画面を覗き込むと、ピンクの悪魔から送られてきたのは二枚の写真。
『このワンピースのコーデがどっちがいいと思う』という、山口先輩とは全く関係ないメッセージだった。
画面に写る衣装は、ピンク一色とピンクと黒の組み合わせだったので、はっきりいって私にはどっちの良さもわからないが、とりあえずピンクと黒のコーデの方が可愛いとは思ったのでこっちがいいですと返信すると、すぐに返信が来た。
『私もそう思ってたんだ!あなたセンスいいわね!』という内容。
それから、たわいもないメッセージのやり取りを繰り返すと、最後にピンクの悪魔からの『ありがとう。またね』というメッセージでやり取りを終えた。
この時は普通の可愛らしい天使に思えた。
(でも、この人本当に友達少ないんだろうな……私もだけど……)
読んでくださりありがとうございました




