第3章41話
春の暖かくて優しい日差しが降り注ぐ、野球部のグラウンド。
その片隅で、俺は束の間の休憩を取っていた。
高校三年生になり、恋歌と付き合い始めて二年の月日が流れた。
恋歌の束縛と監視は相変わらず激しい──というか、年々笑えないレベルでエスカレートしてる気がする。
けれど、俺はこの重すぎる愛こそが幸せなのだと、日々自分に言い聞かせている。
新入部員も入り、新たな野球部のスタートだ。
ちょっと変わった一年生も入ってきたが、今年の夏が俺たちにとって甲子園へのラストチャンスだ。
恋歌の重すぎる想いを糧に、俺は全力で駆け抜けることを心に決めた。
◇◇◇
野球部の練習を終え、更衣室へ向かう途中のことだった。
「壮真先輩!お疲れ様です!」
元気な挨拶に振り向くと、一年生の日向颯希が帽子を脱いで頭を下げ、無邪気な笑顔を浮かべていた。
黒髪のショートカットがよく似合う、活発で小柄な可愛らしい女の子だ。
彼女は、俺に憧れてうちの野球部に入ってきたらしい。
女子は試合に出られないので、そもそも補欠の練習しかできない環境なのに、彼女は『それでもいい』と入部してきた。
まあ、うちの高校には女子野球部は存在しないので、野球がやりたい場合はうちに入るしかないのだが。
「お疲れ様。日向さん」
「もう、颯希って呼んでくださいって言ってるじゃないですか!」
「……えっと、颯希」
「へへ、合格です!今日も一緒に帰っていいですか?」
その微笑ましいやり取りを目撃した瞬間、猪鹿川さんが鬼の形相で突っ込んで来た──が、盛大に足をもつれさせて派手に顔面からダイブした。
だが、彼女はめげずにすぐ起き上がる。
鼻血をダラダラと流しながら、般若のような形相でこちらへ歩み寄ってきた。
「ひ、日向さん……!山口先輩から、離れて、ください!……」
「何でですか?それより鼻血出てますよ。大丈夫ですか?」
「猪鹿川さん。これ使って」
俺は、見かねて未使用の白いハンカチを猪鹿川さんに差し出す。
「あ、ありがとうございます。へへ、へへへ……」
(鼻血出しながらその笑みはちょっと怖いよ、猪鹿川さん……)
「じゃあ、俺は着替えてくるから」
「あ、壮真先輩。一緒に帰る約束は?」
「いいよ。校門で待ってる」
「ありがとうございます!」
颯希は深々と頭を下げた。
「わ、私も一緒に帰りますから」
鼻をハンカチで押さえながら、猪鹿川さんが執念でついてくる。
◇◇◇
着替えを終え、校門で待っていると二人がやって来た。
「お待たせしました!壮真先輩!」
「お、お待たせ……しました……はあはあ……」
元気良く駆けてくる颯希の後ろを、猪鹿川さんが死に物狂いで追いかけてきた。
膝に手をついて肩で息をする猪鹿川さんの頭を、俺は苦笑しながらポンポンと撫でた。
「あ、ありがとうございます……へへへ」
鼻にティッシュを突っ込んでいる猪鹿川さんが、嬉しそうに笑っている。
普通にしていれば、豊満すぎるプロポーションを誇る、ロングの黒髪の美少女なのだが色んなところが残念すぎる。
「猪鹿川先輩だけズルいです!私にもしてください!」
「はい、はい」
俺は颯希の頭をポンポンとしながら、そっと撫でた。
「ありがとうございます!にひひ」
颯希は無邪気な微笑みを浮かべ、俺を見つめてくる。
「じゃあ、帰ろうか」
秀樹は高畑さんと帰るため、最近はこの三人での下校が定番になっている。
駅に着いて、電車に乗り込むと、茜色の景色を眺めながらガタゴトと心地よい揺れに揺られていた。
隣に座っている猪鹿川さんが、ニヤニヤしながらスマホの画面をじっと見つめているのが少し気になった。
(少しヨダレ垂れてるよ……猪鹿川さん……)
◇◇◇
家に入ると、いつものようにリビングで恋歌が笑顔で迎えてくれたのだが──目が一切笑っていないし、手には包丁を持っていた。
「おかえりなさい。壮真さん。うふふ」
「……ただいま、どうして?包丁持ってるの?」
「ふふ、晩御飯の支度をしていたので」
「そ、それはご苦労様です」
「いえいえ、それよりも野球部に入ったあのチビッ子と、随分と仲良くしてるらしいじゃないですか?牛から報告が来てますよ。うふふ」
(電車でずっとスマホをいじってると思ったらこれか……)
「……な、仲良くというか、先輩として色々と指導してるだけだよ」
「頭をポンポンと撫でるのを指導と言うのですか?」
恋歌から感情が消え、すーっと氷の微笑みへと変わっていく。
リビングの空気も一瞬で凍りついていき、気温が二、三度下がった気がした。
「……うっ、それは」
俺はなにも言えず言葉に詰まり、無意識のうちに直立不動になっていた。
「最初は牛の頭をポンポンしたらしいじゃないですか。牛からの嬉しそうなメッセージがたくさん届きましたよ。うふふ」
「あ、あれは無意識にしちゃっただけで、深い意味はないんだ」
「おモテになっていいですね……ふふ」
恋歌の完全にハイライトの消え、目がどんどん据わっていく。
「そ、そういうんじゃないから、心配しなくても大丈夫だから」
「別に心配なんてしてませんよ、本当に浮気したらどうなるか壮真さんはよくわかってますよね。うふふ」
恋歌は『わかってますよね』という鋭い眼光を俺に向けると、包丁がキラッと一瞬だけ不気味な光を放った。
「…………」
恋歌からの殺気のこもったプレッシャーを受けて、俺の体中のあらゆる場所から滝のように冷や汗が流れだした。
「それよりも壮真さん。いつものは?」
「はい!お願いします!」
恋歌が右手をスッと差し出してきたので、俺は迷いもなくポケットからスマホを取り出し、震える手で恋歌に手渡した。
恋歌は文字通り穴が開くほど、入念にスマホをチェックする。
高速フリックがピタリと止まり、彼女はふっとため息をついた。
「怪しいのはありませんね」
「当たり前であります!」
俺は思わず敬礼をしてしまった。
そもそも俺が連絡取れる女性は、士門先輩と高畑さんに猪鹿川さんと颯希と姉ちゃんと和歌さんだけだ……後は全て恋歌にブロックされた。
「今日のおかえりなさいのキスはありませんので、さて、私は晩御飯を作らないといけないので」
「いつもありがとうございます!」
俺は、キッチンに向かう恋歌に向かって深々と綺麗なお辞儀をする。
「あ、お風呂のお湯は張ってありますので、今日はお一人で入ってください」
恋歌は振り向いてそう言うと、再びキッチンへと歩いていった。
(頭をポンポンしただけなのに……)
俺はこの嫌な汗を早く流したくて、シャワーを浴びに風呂場へと向かった。
◇◇◇
恋歌の殺気を浴びながら何とか晩御飯を食べ終えた俺は、リビングのソファに座り、膝の上に跨がって抱きついている恋歌の頭を撫でていた。
恋歌のプレッシャーで味がしなかったし、もはや何を食べたのかさえ覚えていない。
「恋歌。まだ撫でるの?」
「まだです!私がいいと言うまで撫でてください!」
「……わかりました」
恋歌はまだご機嫌が斜めらしい。
「壮真さんが他の女の頭を撫でたりするのが悪いんですよ!」
「わかった、もうしないから」
俺は恋歌の頭をポンポンと優しく撫でた。
「絶対に、もう二度としないと約束してください!」
恋歌が、俺の肩にぐりぐりとおでこを何回も埋めてくる。
「うん、これからは頭を撫でるの恋歌だけにする」
「証拠を見せてください」
恋歌は顔を近づけると、瞳をそっと閉じた。
俺は恋歌の肩に手を置くと、深い口づけを交わす。
お互いどちらともなく舌を滑り込ませると、激しく絡ませ合う。
数分間の愛の銀糸の交換を終えると、恋歌は再び抱きついてきた。
「……壮真さん……はあはあ……」
恋歌は甘い吐息を漏らしている。
「恋歌。愛してるよ」
「私の方が愛してます」
再び深い口づけを交わすと、恋歌の豊かなふくらみを手のひらで包む。
パジャマの上からでもわかる柔らかな感触。
「壮真さん。続きはベッドでしましょう」
恋歌は俺の手を優しく握ると、そのまま寝室へと二人で向かった。
二人の愛を確認する行為は一晩中続き、何度も肌を重ね合わせた。
(機嫌直ったみたいで良かった……)
読んでくださりありがとうございました




