第26話
野球部の練習が再開し、ただ暑いだけでかく汗ではなく、久々に体を動かす汗の心地よい疲労感に包まれていた。
新しくチェンジアップの投球練習をしていると、ボールを受けていた秀樹がミットを小脇に抱えてこちらに歩み寄ってくる。
「どうした?」
「チェンジアップいい感じだぞ。やっぱ抜くボールはあった方がいい。来年には武器になるかもな」
「そうか?腕の振りとか真っ直ぐと違わないか……?」
「まだ少しクセが出てるけど、練習すれば同じ軌道になるだろう。お前の些細なクセは、俺には全部お見通しだからな」
「……そっか、自分では分からないから助かるよ。さすが、俺の相棒だな」
「何年お前とバッテリー組んでると思ってんだよ。……あ、そういえば今度の夏祭り、麗華と小鳥遊さんと四人で一緒に行こうぜ」
「夏祭りか……分かった」
去年は恋歌と二人で行ったな。綿菓子を頬張る無邪気な姿や、金魚すくいに夢中になる真剣な横顔──。
あの時の可愛い恋歌の姿は、今も鮮明に覚えている。
◇◇◇
野球部の練習を終えると、早く恋歌に会いたくなり足早に帰路へとついた。
リビングのドアを開けると、恋歌が小走りで駆け寄り、俺の胸にダイブをしてきた。
「壮真さん、おかえりなさい」
「ただいま」
優しく抱きしめてから唇をそっと重ねると、俺は恋歌にスマホを手渡す。いつもの俺たちのルーティン。
恋歌は入念に画面をチェックすると、満足気に微笑むとスマホを俺に返してきた。
安堵から、俺は慈しむように恋歌を抱きしめた。
「どうしたんですか?壮真さん」
「うーん、なんとなく」
「なんとなくですか?うふふ」
恋歌も俺にぎゅっと抱きついてきた。
「あ、そういえば、秀樹から夏祭りに一緒に行こうって誘われた。高畑さんと恋歌も四人で」
「いいですよ。本当は壮真さんと二人がいいですが。えへへ」
俺の胸に恋歌が顔を埋めてくる。
「じゃあ、断るか?」
「いえ、やっぱり四人でいいですよ」
「分かった」
ずっとこうしていたかったが、恋歌は晩御飯の支度をするためキッチンに行ってしまった。
◇◇◇
夏祭り当日。玄関の前で、バッチリ地雷メイクを決めた、ピンクのレースリボン浴衣ドレス姿の恋歌が小走りで駆け寄ってきた。
いつものようにお互いそっと唇を重ねる。
「行こうか」
「はい」
お祭りが行われている川沿いへと向かうと、待ち合わせていた秀樹と高畑さんと合流した。
そして、川沿いに並び立つ屋台の前を歩いていたのだが──またやつが現れた。
「何でまた牛がいるのですか!?」
「き、奇遇ですね。山口先輩」
猪鹿川さんは、鮮やかな青色の浴衣に身を包んでいた。
「絶対にまた私たちの後を付けて来たでしょっ!」
「ち、違います。私はたまたま一人でお祭りに来ただけですぅ」
「一人でって、あなた自分で言っていて寂しくないの?」
「うう、私には山口先輩という『愛の対象』がいますから大丈夫です」
「愛の対象って何!?私の壮真さんですから!勘違いしないでね!」
「まあまあ、せっかくだし猪鹿川さんも一緒に廻ろうよ」
さすがの秀樹も少し苦笑している。
「よ、よろしくお願いします。山口先輩。へへへ」
俺の腕に豊かすぎるふくらみを押し付けてくる。
「壮真さんから離れなさい!牛が!」
「山口くん、ほんっと最低……」
高畑さんから心底冷ややかな視線を向けられる。
(最近、高畑さんの中で俺の評価が駄々下がりしてない……俺なにもしてないのに……)
結局、俺たちは五人で屋台を回ることになった。
猪鹿川さんが焼きとうもろこしにイカ焼き、りんご飴や綿菓子を買って食べている。
(……よく食べるな……栄養は全部胸にいくのかな)
◇◇◇
秀樹が射的をやろうと言い出したので、射的の屋台に向かった。
「麗華、何が欲しい?」
「あの豆柴のぬいぐるみが欲しいな」
「よし、任せろ!」
秀樹は豆柴のぬいぐるみに慎重に狙いを合わせると、コルクガンの引き金を引く。
命中した手応えはあった。しかし、豆柴のぬいぐるみはピクリと動いただけで、逆にコルクを弾き返した。
その後も全弾命中したのだが、豆柴のぬいぐるみは微動だにしない。
「わりぃ、無理だった」
「別にいいよ。惜しかったね」
秀樹と高畑さんは微笑みながら見つめ合うと、秀樹が高畑さんの肩にそっと手を置いた。
(……青春だな)
「壮真さん、私がやります!」
恋歌は屋台のおじさんからコルクガンを受け取ると、猪鹿川さんに銃口を向ける。
「な、なにするんですか!危ないじゃないですか!」
猪鹿川さんは食べていた焼きそばを吹き出した。
「冗談よ。大袈裟ね」
恋歌は不適な笑みを浮かべると、豆柴のぬいぐるみに狙いを定める。
まるで狙撃手ばりに、本格的な構えをすると、迷いなくコルクガンの引き金を引いた。
コルクガンからはおよそ考えられない『ドォン!』という重低音が響き渡り、景品棚の豆柴のぬいぐるみが物理的法則を無視した勢いで後方へと弾け飛んでいった。
「ふっ、私にかかればこんなものです」
恋歌はドヤ顔で豆柴のぬいぐるみを高畑さんに手渡す。
(……あれ、秀樹の時と威力が違くない?)
◇◇◇
その後、色々と屋台を廻っていたらクライマックスの花火の時間になり、大輪の花火が夜空に舞い散った。
高畑さんが秀樹の腕に抱きつき、二人で花火を楽しそうに眺めている。
一方、俺の左右には、恋歌と猪鹿川さんが競うように、その豊かなふくらみを腕に押し付けてきていた。
「あなたは離れなさい!壮真さんが嫌がってるでしょ!牛女!」
「ひ、ひどい、山口先輩は嫌がってませんし!」
(大人しく花火を見てられないのか君たちは……)
「き、綺麗ですね。山口先輩」
「そうだね。綺麗だね」
「え、私の方が綺麗ですか。照れちゃいます。へへへ」
(……そんなこと一言も言ってないぞ。どんな耳してんだ。ってか、そんなことよりさっき食べた焼きそばの青のりが前歯に付いてるよ……猪鹿川さん)
「壮真さんはそんなこと言ってないわよ。耳腐ってんじゃないの!」
「まあ、確かに猪鹿川さんは綺麗だけど」
思わず漏れた俺の本音に、腕に伝わる恋歌の圧力が、一段階強くなった。
「え、私、綺麗ですか。嬉しいです。へへへ」
猪鹿川さんは、嬉しそうに微笑みながら頬を桜色に染めている。
しかし、柔らかな果実を押し付ける恋歌の手がわなわなと震えだした。
夜空に舞う大輪より派手な爆発が俺の隣で起こりそうだが、怖くて恋歌の顔を直視できない。
(マズい、何とかしなければ俺の夏が……いや、俺の人生ごと今日で終わってしまうかもしれない)
「……へぇ、牛が綺麗。……そうですか」
瞳からハイライトがすうっと消え、底無し沼のような暗い色が広がる。
「ち、違うんだ。恋歌。本音が漏れたというか」
──しまったと思った時にはもう遅い。
「本音が漏れた……?」
感情の消えた声に、真夏なのに恋歌から吹く凍えそうな風に俺の背筋は凍りついた。
何の運命かその直後、花火も終了した。
「花火も終わったし、帰るか」
能天気な秀樹が、ニヤニヤしながら近寄ってきた。
「……も、もう少し屋台とか回らないか?」
「何言ってんだよ。屋台はもう片付けてるぞ」
「な、なら今からお前の家行っていいか?」
「これから電車で麗華を送ってくから無理だよ」
「……壮真さん、帰りましょう。うふふ」
恋歌の目が全く笑っていない。
絶対に逃がさないとばかりに俺の腕はがっちりと恋歌にロックされている。
「私の家に来ますか?山口先輩」
無邪気な猪鹿川さんが満面の笑みをして聞いてきた。
(こ、これ以上火薬を投げ込むのは止めてくれ)
「……牛も、もう帰りなさい。壮真さんと途中まで送ってあげるから」
恋歌の氷のような冷たい声と隠しきれない殺気に、さすがの猪鹿川さんも何かを感じたのか、家の近くまで送っていくと猪鹿川さんは素直に帰っていった。
「さあ、壮真さん、私たちも帰りましょう。色々積もるお話がありますし。うふふ」
(……お家に帰りたくない)
家に帰ると、説教されながら例の我慢大会のようなお仕置きが始まった。
お仕置きはその後も一週間続いて俺の夏は終わった。
(……しんどかった)
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