第25話
翌日。駅で待ち合わせ、恋歌と秀樹、高畑さんと屋外プールにやって来たのだが、何故かそこにはいるはずのない猪鹿川さんの姿があった。
家族連れやカップルなどで賑わう、プールサイドに、二人の罵声が響き渡る。
「何で牛乳クソストーカー女がいるのよ!」
「き、奇遇ですね。山口先輩。まさかこんな場所でお会いできるなんて、す、凄い筋肉ですね」
ブルーのビキニを着た猪鹿川さんが、口元から溢れた銀色の筋を手の甲で拭いながら俺の腕にしがみついてきた。
むちっとした実りすぎた柔らかいふくらみが、腕にダイレクトに当たる。
「壮真さんから離れなさい!牛乳クソストーカー女!」
「い、嫌です。私の山口先輩なので」
「壮真さんは私だけのものです!っていうか、あなた絶対私たちの後を付けて来たでしょ!」
「な、なんのことですか?私はたまたま一人で泳ぎに来ただけです」
「一人でこんな激混みのプールに来る人がいるわけないでしょ!」
「い、いますよ」
(いや、普通はいないと思うぞ……猪鹿川さん)
「モテモテだな。壮真」
「……最低、彼女がいるのに……女の敵ね。山口くん」
ニヤニヤ茶化してくる秀樹と、氷のような冷ややかな視線を向けてくる高畑さん。
(俺が一体何をしたと言うんだ……?)
「まあまあ、猪鹿川さんも一緒に遊べばいいんじゃないか?」
お気楽な秀樹が地獄の提案をしてきた。
「牛乳クソストーカー女は一人で流れるプールにでも入って永遠に流されてなさい!」
「き、今日はよろしくお願いします。山口先輩。へへへ」
「だから、離れなさい。壮真さんが牛臭くなるでしょ」
「わ、私は牛じゃないですぅ!山口先輩、あのストーカー女が私をいじめてきます。助けてください」
猪鹿川さんは、さらに柔らかくて重みを持ったたわわな果実を腕にむにゅっと押し付けてくる。
「その無駄に大きい脂肪を壮真さんに押し付けるのは止めなさい!」
「あ、あなたも人のこと言えないと思いますが。十分、無駄な脂肪が付いてますよ」
視線がぶつかり合う火花で、ただでさえ暑い気温がより上昇しそうだ。
「牛乳クソストーカー女!あなた友達いないでしょ?」
恋歌が、誰もが薄々感じていながらあえてスルーしていた禁断の核心をつく。
「……あなたは友達いるんですか?」
「わ、私は壮真さんだけいてくれたらいいの。友達なんかいらないわ」
言い切った瞬間、自分の言葉が特大のブーメランとなって突き刺さったらしい、恋歌はみるみると顔を赤くし言葉を詰まらせた。見事な自爆である。
「そ、それは私もです」
不毛で哀しい戦いが目の前で続いていく……。
(……もう、帰りたいんだけど、俺)
◇◇◇
結局、なし崩し的に五人で人混みで溢れるプールに突っ込むことになった。
相変わらず恋歌と猪鹿川さんは、水の中でも火花を散らしている。
というか、猪鹿川さんは泳げないんだろうか。さっきからドーナツ型の浮き輪を生命線のように掴んで離さない。
「ふ、あなた泳げないのかしら」
恋歌がこれ見よがしに、猪鹿川さんの浮き輪の空気栓に指をかけた。
「や、止めてください。溺れてしまいます」
「あなたには天然の大きな浮き輪が二つもあるじゃない。うふふ」
「や、やめて、人殺しぃ!助けて!山口先輩!」
(……余裕で足つくから大丈夫だよ。猪鹿川さん)
目の前の修羅場を遠い目で見つめつつ、ふと視線をやれば。水を高畑さんの顔にかけ、笑いながら逃げる秀樹の姿。。
「あはは、やったねー!」
「やったわね。秀樹くん待ちなさい!」
背景にひまわりと入道雲が見えるほどの眩しい青春。
(……同じ場所にいるはずなのに、俺の目の前だけ殺伐としてるんだけど)
◇◇◇
秀樹がウォータースライダーに乗ろうと言ってきたので、俺たちは順番待ちの行列に並ぶことになった。
先に秀樹が高畑さんとボートに乗り、滑り降りていく。
本来は俺と恋歌で乗るはずだったのだが、猪鹿川さんが一人だと怖いと、泣きそうな顔をするもんだから、急遽三人乗りのボートに変更することに。
恋歌が、射抜くように猪鹿川さんを睨んでいたが、お構いなしに順番はやってくる。俺がボートに乗り込むと、両隣を二人に挟まれる形になった。
「山口先輩ぃ……っ、私、怖いですぅ……っ」
「怖いなら乗らなきゃいいでしょ。っていうか、壮真さんから離れなさいよ。牛!」
長い上に悪意のあるあだ名が面倒くさくなったのか、恋歌の中での猪鹿川さんの名称が牛に省略されるようになった。
「猪鹿川さん、ハンドルをしっかり握ってないと危ないよ」
「は、はい」
ボートがスタートする。
ボートは勢いよく滑り降りていく。激しい水しぶきの音と恋歌と猪鹿川さんの悲鳴が耳をつんざく。
プールに落ちる瞬間。恋歌がわざとボートのバランスを崩し、バシャンという音とともに猪鹿川さんがボートから放り出された。
「山口先輩……ゴボゴボ……助けて……ぶくぶく……」
猪鹿川さんは必死に手足をバタバタさせていた。
(……だから、余裕で足がつくって)
仕方なく、猪鹿川さんに近づくと、猪鹿川さんは俺に泣きついてきた。
「ちょ、足で立てるから落ち着いて」
「……え?……あ、本当だ」
猪鹿川さんが俺から少し離れた時、まさかのお約束の展開が──猪鹿川さんの上の水着が外れて、その育ちすぎたふくらみが剥き出しになっていた。
思考より先に体が動いた。俺は周囲の男の視線から守るために、慌てて猪鹿川さんの体を正面から抱きつき、その豊満すぎる果実を物理的に封印する。
むにゅっという圧倒的な弾力が胸に伝わってきた。
その瞬間。背後から、大気を凍らせるほどの、質量を伴う殺気が膨れ上がるのを感じた。
「何してるのですか……?壮真さん……?」
恐る恐る後ろを振り返ると、目から光が完全に消え、深淵のの闇を放つ恋歌がゆらゆらと近づいてくる。
「こ、これは緊急事態だから」
「何で緊急事態だと牛と抱き合うのですか……?やはり胸の大きな女の方がいいのですか……?ブツブツ」
「猪鹿川さんの水着が取れたんだ!恋歌も探してくれ!」
「……水着?」
「ああ、頼む!」
ぷかぷか浮いているブルーのビキニの一部を見て、事態に気づいた恋歌が水着を取ってくれ、何とか事なきを得た。
(誰にも見られなくてよかった。俺はバッチリ見ちゃったけど……まあ、でも家に帰ったら恋歌の説教があるのは確実だな……)
◇◇◇
駅で解散して帰路につくと、案の定、恋歌の機嫌はとても悪かった。
恋歌は能面のような表情で晩御飯を作っているのだが、物凄い辛そうな嫌な匂いが漂ってきて嫌な予感がする。
今日のお仕置きはこれだな……。
「晩御飯できましたよ。うふふ」
ダイニングテーブルには、いかにもヤバそうな真っ赤な炒飯と暗黒にツヤツヤ輝いた本格的な四川風麻婆豆腐と並べられた。
「どうぞ、お食べください。うふふ」
「お、美味しそうだね」
「残さず食べてくださいね……絶対に」
俺は鬼のように激辛の炒飯と麻婆豆腐を汗でびしょ濡れになりながら何とか完食した。
もはや冷房など意味をもたなかった……。
晩御飯を食べ終え、恋歌と一緒に風呂に入ったのだが、恋歌にいつもよりも念入りに体を洗われた。
「恋歌……ちょっと痛いんだけど」
「牛の臭いを取り除かないといけませんので。牛臭くて不快です!」
いつもは手で優しく洗ってくれる恋歌が、ゴシゴシとタオルで洗ってくる。
(そんな匂わないと思うのだが……痛いし……)
風呂から出てリビングのソファで寛ぐつもりだったのだが、恋歌が俺の膝に跨がり、いつも以上にぴったりくっついて抱きしめてきた。
「恋歌……どうしたの?」
「牛の臭いを消さないといけないので!」
「いや、もう、さすがに消えてるだろ」
「まだあの牛の臭いがします!壮真さんを私の匂い一色に変えないと!」
(もう、猪鹿川さんの匂いはしないと思うんだけど……)
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