第21話
朝食終え、膝の上にちょこんと座る恋歌を後ろから抱きしめながら、俺はリビングで寛いでいた。
「壮真さん!もうすぐお誕生日ですね」
「あ、そうだった?」
「壮真さん、ご自分のお誕生日をお忘れですか?うふふ」
自分の誕生日を忘れるほど、ここ最近の俺は疲弊していた。
「楽しみにしていてくださいね!」
恋歌は振り返り、何か気合いの入った微笑みを浮かべた。
「……期待してるよ」
「はい、私、頑張ります」
豊かな胸の前で小さくガッツポーズをする恋歌。
「あ、そろそろ行くね」
俺は朝練があるため、玄関に向かうと、恋歌の柔らかい唇に自分の唇をそっと重ねる。
いつものルーティンだ。
そして、ガラリと古びた引き戸を開けたらまたやつがいた。
「あ、山口先輩。おはようございます」
「お、おはよう。猪鹿川さん……」
「あなた、性懲りもなく、また来たのですか……この、牛乳クソ女が」
背後からゆらゆらと体を揺らしながら歩み寄る完全に瞳の光を無くした恋歌。
「う、牛乳じゃないです」
猪鹿川さんは小声で反撃すると、すぐに俺の背後に回り込み、背中に熟れすぎた果実を押し付けてくる。
「やはりその牛乳クソ女はすぐに処理しないとダメですね」
「恋歌止めなさい!ハウス!」
「壮真さん……また、牛乳クソ女の味方をするのですか?」
俺は怒りに震える恋歌を優しく抱きしめた。
「……壮真さん」
「俺は恋歌一筋だから、大丈夫だよ」
抱きしめると、恋歌の瞳からすっと光が戻っていく。
「嬉しい。うふふ」
「行ってくるね。恋歌、ハウス」
「はい、壮真さん、行ってらっしゃい」
恋歌は満面の笑みを浮かべ、家に入って行った。
「い、行こうか。猪鹿川さん」
「……山口先輩。あのストーカー女とは別れた方がいいと思います」
(君も人のことは言えないよ……)
◇◇◇
朝練中、投げ込みを終え、秀樹とグラウンドの片隅で立ちながら少し休憩をしていた。
「山口先輩、これどうぞ……ハァハァ」
猪鹿川さんが紙コップに入ったスポーツドリンクを持って走って来た。
走るたびに大きく揺れる小玉スイカの破壊力が凄い。
「ありがとう。猪鹿川さん」
「い、いえ、マネージャーですので。へへへ」
「猪鹿川さん、俺もいるんだけど」
秀樹が不満げに何やら呟いてる。
「あ、あの、これも良かったら……」
猪鹿川さんはラップに包まれた小さくて可愛いおにぎりを差し出してきた。
懐かしいおにぎりだ。あの頃とは違い、綺麗な形をしている。
「ありがとう。美味しそうだね。有り難く頂くよ」
「う、嬉しいです……へへへ」
猪鹿川さんは、まるで湯気が上がりそうなほどの顔を真っ赤にしている。
「俺もいるんだけど……でも、猪鹿川さんって胸がめっちゃ大きいよね。士門先輩に少しわけてあげ──」
おいおい今のご時世それはセクハラだぞと注意しようとしたその瞬間。
秀樹の背後に死神がすうっと立ちはだかり、秀樹の腰に手を回し、ガッチリとロックしていた。
そして、綺麗な弧を描くようなジャーマンスープレックスが炸裂した。
──ドォン!!
地面に突き刺さる秀樹と完璧なブリッジを極める士門先輩。
「あ、お疲れ様」
士門先輩はすっと立ち上がり、ジャージの汚れを払う仕草をすると、何事もなかったように立ち去っていった。
(……生きてるか?秀樹)
◇◇◇
誕生日の朝。朝食を終え、朝練へ向かおうとしたら、玄関で恋歌が抱きついてきた。
「今日の晩御飯は壮真さんが好きな煮込みハンバーグにしますね」
「ありがとう!」
恋歌が目を瞑ったので、その柔らかい唇にそっと自分の唇を重ねた。
そして、玄関の引き戸に手をかけようとしたその時、恋歌に腕をギュッと掴まれ、動きを止められた。
「待ってください、壮真さん」
「どうしたの?恋歌」
「牛の臭いがします!」
恋歌がピシャッと勢いよく古びた引き戸を開けると、案の定、玄関先に猪鹿川さんが立っていた。
「や、山口先輩。おはようございます」
ペコリと頭を下げる猪鹿川さん。
「……おはよう。猪鹿川さん」
「また来たの、牛乳クソストーカー女! 警察に通報するわよ!」
ゆらゆらと体を揺らしながら、恋歌が獲物を狙う肉食獣のように猪鹿川さんへと近づいていく。恐怖に引きつる猪鹿川さんをじっとりと睨みつけながら、先ほど以上の迫力で追い詰める。
(悪意あるあだ名が長くなったな……)
「あ、あのチビッ子ヤンデレ地雷ストーカー女が怖いです、山口先輩」
猪鹿川さんは、俺の学生服の袖をぎゅっと掴むと、震えるように隠れた。
(君も結構、毒吐くね)
「壮真さんから離れなさい! 牛の匂いが移ります!」
「わ、私は牛じゃありません」
ボソボソと反論する猪鹿川さん。
「恋歌。落ち着いて」
俺は恋歌の頭をポンポンとしながら撫でると、そっと優しく抱きしめた。
「でも、この牛乳クソストーカー女は危険です!」
「大丈夫だよ。俺には恋歌しかいないから」
「壮真さん……っ」
恋歌の表情が、一瞬で天使の笑顔に戻った。
さて、朝練に向かおうかと思った時。
猪鹿川さんが小さな紙袋をそっと俺の前に差し出してきた。
「あ、あの、山口先輩。これ誕生日プレゼントです」
「ありが──」
俺が受け取ってお礼を言い終わる前に恋歌がその紙袋を強奪した。そして、あろうことか、庭のゴミ箱へと思い切り投げ捨てたのだ。
「な、何するんですか……!」
猪鹿川さんは今にも泣きそうな顔をしている。
「牛のプレゼントなんて、壮真さんには不要です」
相変わらず容赦のない恋歌。
俺はさすがに不憫だと思い、庭の隅にあるゴミ箱から小さな紙袋を拾い上げた。
「壮真さん。そんな牛の臭いがついた物なんて捨ててください!」
「せっかくプレゼントしてくれたんだから、そんなことできないよ」
「……山口先輩」
猪鹿川さんは涙を浮かべながら、嬉しそうに笑みを零している。
「うううーー!」
それを見て、恋歌は犬のように猪鹿川さんを威嚇する、そして、見せつけるように俺に抱きつくと、深く唇を重ねてきた。
「恋歌。本当にそろそろ行くから」
「行ってらっしゃい。壮真さん」
(朝練する前から疲れたな……)
◇◇◇
放課後。野球部の練習を終え、俺は士門先輩や高畑さんや秀樹から貰った誕生日プレゼントをスポーツバッグに詰めて、帰路へとついた。
リビングのドアを開けると、恋歌が小走りで駆け寄ると、俺の胸にダイブしてきた。
そのまま、唇を重ね、彼女が手をそっと差し出す。俺は素直にポケットからスマホを取り出し、恋歌に渡した。
恋歌は執拗にスマホをチェックしている。画面の光が彼女の瞳の奥で冷たく反射していた。
いつものルーティンだ……。
「壮真さん、牛乳クソストーカー女からのプレゼントは何だったのですか?」
「えっと、くまのぬいぐるみが付いたキーホルダーだったよ」
「ぬいぐるみ?……壮真さん、ちょっと見せてください?」
「あ、ああ、いいけど」
俺はスポーツバッグからキーホルダーを取り出し、恋歌に手渡した。
「ふーん、なるほど」
恋歌は何やらぬいぐるみを念入りにチェックしていたが、おもむろに立ち上がり、どこかへ行ったと思ったらカッターを手に戻ってきた。
躊躇なくぬいぐるみの腹を切り裂く。
「ちょっ、恋歌、何すんだよ」
「……お静かにお願いします」
恋歌がぬいぐるみの腹に指を突っ込むとなにやら小さな箱形の機械を取り出した。
「なにそれ?」
「……盗聴器です」
恋歌は乱暴に盗聴器を床に捨てると、無慈悲に踵で踏み潰した。
──パキッという乾いた音がリビングに響く。
「と、盗聴器!?なんでそんなものが」
「あの、牛乳クソストーカーの仕業でしょうね」
(マジかよ……やっぱ、あのまま捨てとけば良かった)
「でも、詰めが甘いですね。これは電池式。電池が切れたらただのゴミです」
「へー、そうなんだ」
(いや、普通は入ってないからね)
「私が昔、壮真さんの家中に仕掛けたのは、コンセント内部から電気を直結するクリップ式です。電力供給が止まらない限り、半永久的に使えます。うふふ」
恋歌は満面の笑みを浮かべ、遠くを見つめていた。
「……ねえ、今さらっと怖いこと言ったよね?」
「さて、一緒にお風呂にしますか」
「待て待て、それって今も仕掛けてあるの?」
「お風呂ですよ。壮真さん」
恋歌は俺の腕を掴み立たせると、豊かなふくらみを腕に押し付けてくる。
「恋歌、聞いてた? 盗聴器はもう外したよね?」
恋歌に腕を引っ張られ、そのまま半強制的に風呂に入れられ、体の隅々まで洗われた。
(いつの間に仕掛けられたんだ……?)
読んでくださりありがとうございました




