SO-024「歌う姫と誓うお嬢様・前」
(視線を感じるな……まあ、わからないでもないが)
王城内を静かに歩くお嬢様と俺。お嬢様の片手には俺、そしてもう片方にはバスケット。俺というさすまたを除けばまるでピクニックにでも行くかのようだが、その中身はカチャカチャと音を立てている。
わずかに見えるそれは光を反射し、光っているのがわかる。特別な加工を施した水晶瓶だ。それが10本ほど。廊下で出会う人々も最初はわからないが、通り過ぎる頃には状況証拠が揃っているとばかりにその中身がポーションだと悟っているようだ。
お嬢様が運ぶポーションっぽい物、となると悪名のせいで、怪しげに感じられるのが問題だ。実体は……違うんだがな。
そんな彼らのことを気にせずに、お嬢様が向かった先では見知った顔であるメイドが掃除をしているところだった。
「アレスト様。良くおいでくださいました」
「ディエラ、フリーニア様は……起きていらっしゃるようね」
お嬢様がわずかに顔を向けたのは、抜けるような青空の中に建つ王宮の離れ。人気のないその場所に、かすかな歌声が響いていた。耳の無い俺でも、なんだか心地よさを感じる声と歌だった。
「次の式典では、顔は出せなくても歌うことは王よりお許しがあったようで……熱心に練習しておられます」
「それは何よりですわね。ではお邪魔しないように少し待たせていただきますわ」
空気に溶けて、それでいて体に染み入ってくるような透明な歌声。歌の内容はある意味有名な物だ。この国にも伝わる英雄譚。おとぎ話みたいにばかげた強さの勇者の……お話だ。俺もお嬢様の傍ら、彼女が幼いころに何度も読んで聞かされた。
応接間に、爽やかな風と窓からの日差しが静かに差し込む。ふんわりと揺れるカーテンに乗って聞こえる歌声は前に聞いた物よりもさらに良くなっているように思う。俺のおぼろげな記憶だと、さすまたになる前は楽器が打ち鳴らす音楽が多かったような世界も知っているが、声だけというのもとてもいい物だなと思う。
「ディエラ、ぬるめのお水を……お姉様! いらしてたのですか!」
「お言葉にはご注意くださいませ……ええ、先ほどね」
普段は品性公正……いや、ちょっと違うかな? お嬢様は自身の覚悟を芯として動いてるだけだしな。ともあれ、いつもならばたしなめることを続けるであろうお嬢様も、フリーニア様相手では勝手が違うようだ。
小動物のようにヴェール越しの瞳で見つめられてはそうもなるだろう。そばで見ている俺ですら、文字通り胸がきゅんきゅんするほどだ。俺には胸はないけどな、さすまただし!
急に冷たい物は喉に悪いということなのか、手際よくディエラから差し出された水をきれいな仕草で飲んでいくフリーニア様。なんというか、ただ水を飲んでるだけだというのに妙に様になるのは持って生まれた物と、これまでに身につけた物のどちらもが今、1つになっているからなんだろうな。守りたくなってしまう感じは、まさに幼姫萌えってやつである。
「なんだか恥ずかしいですわ。声をかけてくださればよかったのに」
「あら、それではせっかくの歌が止まってしまいますもの。ああ、忘れるところでしたわ……こちらを」
柔らかなソファーに小柄なフリーニア様が座るとそのままソファーに飲み込まれそうな気さえする中、思い出したようにお嬢様がテーブルの上に出すのは持ち歩いていたバスケット、その中身。お嬢様は何でもないように取り出したけど、市販されているポーション類の中身を考えるとこれ1本で市販品がいったい何本買えるだろうか?
「綺麗……」
お嬢様のことを信じているフリーニア様は、説明も受けていないのにポーションの入った水晶瓶をまるで高級な装飾品であるかのように丁寧な手つきで手にし、光に透かした。ポーションの色は緑。一番近いのは宝石のエメラルドだろうか。
「いつも通り、お試しいただけますか。今自分が試しますので……お目汚し、失礼いたしますわ」
そういってお嬢様は自らの腕に巻かれた包帯を取る。包帯の下にあったのは、ここに来る前に自室で自らつけた……傷。お嬢様自身は刃物を持ち歩かないようにしているので自室で先に済ませておくしかなかったのだ。2人の視線が集まる中、お嬢様はポーションの1瓶を手に、少量をそこに垂らす。
見る間に傷口にポーションが反応し、わずかに発光したかと思うと傷があったことがまったくわからない綺麗なお嬢様の肌が戻ってきていた。毎度のことであるが、俺の無いはずの心臓に悪い光景だ。まったく、女の子が傷つくことなんてない方がいいに決まってるのだ。
「では姫様、失礼いたします」
「ええ、よろしく頼みます」
未婚であろうがなかろうが、女性の顔にポーションとはいえ液体をかけるというのは外聞がよろしくない。そのため、メイドのディエラがハンカチのようなものにポーションを浸し、フリーニア様の傷跡へと優しく押し当て、ぬぐう。
「あ……」
「やはり、治すのではなく……消す必要がありますか。魔剣の効力……厄介ですわ」
お嬢様の視線の先では、ポーションの効果か薄くなっていっていたフリーニア様の顔にある傷があった。だが、まるで傷があるのが本来の姿だ、と言わんばかりに彼女の顔には傷跡が戻ってしまった。姫様自身は見えなくてもそれを感じたのだろう……自分の顔に手をやったまま、触れない状態で固まっている。
「力及ばず、申し訳ありません」
役目を失敗したかのように、膝をついてフリーニア様に謝罪を告げるお嬢様。伏せた、姫様には見えない顔には苦渋と、自分への至らなさが混ざった表情がある。決して相手には見せない、それでもこの瞬間だけは出てしまった表情だ。
「顔を上げてください。お姉様」
「しかし……もう何度目かだというのに……」
事実、お嬢様がプラクティス家に伝わる秘術同然のポーションに改良を加え、こうして姫様に試してもらうのは両手の指では足りないだろう。効果は出ているのだが、毎回最後にはこうして傷跡が戻ってきてしまう。
そのことが、お嬢様が日々鍛錬の合間に、欠かさず行っている調合につながっている。本来の傷を治すというポーションとしては既に十分だというのに、こうして姫様の顔についてしまった傷、魔剣によるソレを癒しきる物を目指しているのである。
「お姉様……いえ、アレスト。貴女は私の顔が醜ければ私ではないとお思いですか?」
「そんなことはありませんわ。フリーニア様……貴女はここにあり、そうしているだけで確かにフリーニア様であらせられます」
幼めの見た目からは想像もつかない、凛とした声と姿。そんなフリーニア様にお嬢様も顔を上げ、いつかの忠誠を誓った日の様に、言葉を紡ぎ返した。
フリーニア様はそれに満足したように、細い手をお嬢様の手に添えると、ゆっくりと持ち上げ……自らの傷に導いた。驚くお嬢様と、真剣なまなざしのフリーニア様とが見つめ合う構図となり、姫様の手を振りほどけないお嬢様はそのまま導かれるままに姫様の傷をなぞることになる。
「私は、今を不幸だとは思いませんの。なぜなら、こうしてアレスト……貴女が会いに来てくれる。治るまで、何度だって」
「治っても必ず来ますわ。ですからそのようなことはおっしゃらないでくださいませ」
そこまで言って、お嬢様もフリーニア様に半ばからかわれていることに気が付いたんだろう。普通の間柄ならできないことだけど、2人ならば可能だ。それだけの絆が……2人の間にはある。
そばに控えていたディエラもどこかほっとした様子で、必要になるであろうとお茶を入れている。
「お姉様はお強いですわ。私だったらどこかで折れてしまいそう」
「苦労は無いかと言われれば、無いとは決して言えませんが……お役目ですから」
どこか柔らかくなった空気に沿うように、2人の言葉も主従、王家と臣下から友人のそれに近くなっていく。そばで聞いている俺も一安心である。
「その強さはどこから来るのですか? その……どうしてお役目を背負う覚悟が出来たかということなのですが」
「そんなに高尚な理由ではありませんわ。フリーニア様は……始まりの勇者のお話はご存知?」
「始まりの……あいにく詳しくは。歌は歌えるのに知らないのはおかしいですよね……ディエラ、貴女は知っていて?」
一通りは、と答えるディエラの顔は困惑に満ちている。それもそのはず、始まりの勇者の話は子供の頃に読み聞かせて聞くような……そんなお話なのだ。決して、今のお嬢様にそのままつながるようなお話ではない。
「時代によって細部は違うのですけれど、私の大好きな一節は変わりませんの」
お嬢様の口からはかつての勇者の、戦いと苦悩、そして栄光の日々が語られ始める。
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