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【4】初恋の果てる場所

「相羽……くん……?」


白石葵の、震える声が教室に響いた。


彼女の瞳には、困惑と、ほんの少しの恐怖が色濃く浮かんでいた。


そりゃそうだ。いきなり目の前で男子生徒が大声を上げて立ち上がり、「逃げろ!」なんて叫びながら自分の両肩を強く掴んできたのだから。


理由なんて説明できるはずもない。


「おい相羽! お前、白石に何してんだよ!」


「手、放せよ! 痛がってんだろ!」


男子生徒たちが一斉に席を立ち、俺を葵から引き剥がそうと押し寄せてきた。


俺は弾かれたように葵の肩から手を離した。自分の指先が、嫌な冷や汗で湿っているのが分かった。


「あ……ごめん、白石さん……俺、ちょっと……頭が……」


言い訳すら満足に言葉にならない。


視線が泳ぎ、周りのクラスメイトたちの顔が視界に入る。誰も彼もが、俺を「頭がおかしくなった哀れな奴」を見るような目で見つめていた。桐島の事故で精神がおかしくなったのだと、誰もが確信したような顔をしていた。


そして——葵のすぐ後ろ。


教室の黒板の上、掲示物の額縁にちょこんと両足を乗せて揺らしているルゥがいた。


ルゥは、ぶかぶかのパーカーの袖口で小さな口元を隠しながら、くすくすと楽しそうに笑っていた。


「あはっ! ひろと、顔が真っ赤だよ? みんなにへんな人って思われちゃったね!」


「……っ」


俺は歯を食いしばり、カバンを掴むと、教員の制止する声すら無視して教室を飛び出した。


「おい、相羽! まだホームルーム終わってねえぞ!」


後ろから聞こえる担任の声を背中に受けながら、廊下を狂ったように走った。


階段を駆け下り、校舎を抜け、体育館の裏手にある誰も来ない小さな中庭へと逃げ込んだ。

冷たいコンクリートのベンチに倒れ込むように腰を下ろし、両手で顔を覆う。


全身の筋肉が小刻みに震えていた。情けなかった。不甲斐なかった。


葵を守りたい一心だったのに、結果として俺自身が彼女を恐怖に陥れ、クラスでの自分の居場所すら失ってしまったのだ。


「ひろとー、追いかけてきたよー!」


頭上から、のんきな声が降ってきた。


見上げると、中庭の大きなクスノキの枝から、ルゥがぶら下がっていた。逆さ吊りになった状態のまま、真っ赤な瞳をキュートに輝かせて俺を見下ろしている。


「ねえねえ、さっきの女の子、白石あおいちゃんって言うの?」


「……喋りかけるな」


俺は顔を伏せたまま、掠れた声で拒絶した。


「あおいちゃん、すごく可愛かったね! おっぱいもちょっと大きくて、声も鈴の音みたいで綺麗だった! ひろとがすきになるの、すっごくわかるなー!」


「黙れって言ってるだろ……!」


俺は立ち上がり、ベンチを思い切り蹴り飛ばした。ガツンと鈍い金属音が響き、足の甲に激痛が走る。だが、その痛みが脳を麻痺させてくれる方がずっとマシだった。


ルゥはクスノキの枝からふわりと飛び降り、地面に軽やかに着地した。


昨夜、俺がカッターで傷つけた彼女の首筋には、既に跡形もなく綺麗な肌が戻っていた。彼女の身体は、人間の絶望を食べるたびに、少しずつ、だが確実に「本物」へと近づいているのだ。


「ひろと、怒らないでよ。あたしね、ひろとのためを思って言ってるんだよ?」


ルゥは両手を後ろで組み、小さなスニーカーの爪先で地面の砂利をいじりながら言った。


「ひろと、あたしのこと殺したいんでしょ? でも、お父さんの脚を折ったくらいじゃ、お友達の足をぐちゃぐちゃにしたくらいじゃ、ひろとはあたしのこと殺してくれなかったでしょ?」


「……」


「だからね、もっとすっごい絶望が必要なの! あのあおいちゃんがね、すっごくかわいそうな目にあって、泣いて、叫んで、心がバキバキって折れたら……ひろと、きっとあたしのこと、本当に殺してくれるよね?」


ルゥの顔に浮かんでいたのは、悪気のない、純粋な「親切心」だった。


宿題が終わらない友達のために、答えを教えてあげる小学生のような、真っ直ぐな好意。


それが、どれほど狂気的でおぞましいことか、


この悪魔の幼女は一生理解しないだろう。


「……白石さんには、何もするな」


俺はルゥの目の前で膝をつき、彼女の小さな肩を掴んだ。


昨夜よりも、確かな肉体の感触があった。冷たく、柔らかい、子供の肩。


「頼む……ルゥ。白石さんだけは巻き込まないでくれ。あの人は……あの人は何も悪くない。親父も、桐島も、俺の周りのやつらはみんな何も悪くないんだ……! 痛い思いをさせるなら、俺にしろ! 俺の脚を折れ! 俺の命を奪え!」


俺はプライドも何も捨てて、幼女の姿をした化け物に頭を下げた。


地面に額を押し付け、砂利が皮膚に食い込むのを無視して懇願した。


「俺を殺せばいいだろ……! 俺を不幸にすれば満足だろ……! だから……白石さんには手を出さないでくれ……!」


静寂が、中庭を包み込んだ。


しばらくの沈黙の後。


ルゥの小さな手が、俺の頭にそっと触れた。


「ひろと……ばかだねぇ」


耳元で、クスリと笑う声。


「ひろとを直接痛い痛いにするのはね、あんまりおいしくないの。ひろとはね、自分自身が傷つくよりも、大好きな人が壊れていくのを見る方が、ずーっと黒くて甘い『ぜつぼう』を出すんだよ?」


ルゥの手が、俺の髪を優しく撫でる。


「あたしたちはね、知ってるの。人間の一番美味しい部分はね、自分の肉体じゃなくて、自分の『心』が死ぬ瞬間なんだよ。ひろとが自分のかわりにあの女の子を庇おうとすればするほど、あの女の子が壊れた時のご飯が、とびきり美味しくなっちゃうの」


「っ……あ……」


絶望が、全身の毛穴から染み込んでくるようだった。


庇えば庇うほど。想えば想うほど。


ルゥという厄災は、その想いの強さをエネルギーにして、ターゲットをより残虐に破壊する。


俺が白石葵を愛おしいと思えば思うほど、彼女に降りかかる不幸は凄惨なものになるのだ。


「さあ、ひろと! あおいちゃんのお家、どこかな? あたし、ご挨拶にいってこようかな!」


ルゥはキャッキャと楽しそうに笑いながら、空中へすっと浮き上がった。


「やめろ……ルゥ!!」


俺の手は空を切り、彼女の影すら掴むことはできなかった。






その日の放課後。


俺は白石葵の家へと走っていた。


学校の生徒名簿の記憶を頼りに、葵が住んでいる住宅街を目指す。


彼女を救う方法は一つしかなかった。


「関わらないこと」だ。


俺が彼女を想い、守ろうとすれば、ルゥはその感情を糧にして葵を壊す。


ならば、俺が彼女を徹底的に拒絶し、嫌い、関わりを絶てばどうだ?


俺にとって「どうでもいい存在」になれば、ルゥにとって彼女を破壊する価値は下がるのではないか?


(そうだ……それしかない……!)


白石さんに嫌われよう。


気味悪い奴だと思われるのは、もう慣れた。


「二度と話しかけるな」「お前なんか大嫌いだ」と吐き捨てて、彼女から離れよう。


それが、今の俺にできる唯一の、そして最悪の「保護策」だった。


住宅街の一角。


閑静な住宅街の中に、白石葵の家はあった。小綺麗な二階建ての一軒家。庭には手入れされた花壇があり、色鮮やかなパンジーが咲いている。


その門扉の前で、葵が立ち尽くしていた。


「……相羽くん?」


制服姿の葵が、手に持った買い物袋を抱え直しながら、驚いたように俺を見た。


その顔には、昼間の事件に対する不安と、それでも俺を案じるような複雑な色が混ざり合っていた。


「どうして……私の家、知ってるの……?」


「……白石さん」


俺は足を止め、荒い息を整えた。


心臓が痛いほど脈打っている。喉がカラカラに乾いていた。


今から、俺はこの世界で一番優しい女の子に向かって、酷い言葉を投げつけなければならない。


「追っかけてきたんだ……昼間のこと、謝りたくて」


「え……? あ、ううん……いいの。相羽くん、すごくパニックになってたみたいだったから……桐島くんのこと、ショックだったんでしょ?」


葵は困ったように眉を下げ、優しく微笑もうとした。


どこまでも優しい。自分を恐怖に陥れた男に対してすら、理由を探して気遣おうとしてくれる。


その優しさが、俺の胸を痛烈に刺した。


駄目だ。こんな優しい子を、ルゥの餌食にするわけにはいかない。


「……違うんだ、白石さん」


俺は意識して顔の筋肉を固くし、冷酷な目を作った。


「俺……白石さんのことが嫌いなんだ」


「……え?」


葵の動きが、凍りついたように止まった。


「昔から、お前みたいな優等生ぶったツラが反吐が出るほど嫌いだったんだよ。白石さんが俺に優しくしてくるのも、ただの自己満足だろ? 哀れな相羽くんを心配してあげてる私、優しい!って思いたいだけだろ?」


「な……相羽くん……なに、言ってるの……?」


葵の大きな瞳から、すっと光が消えていくのが見えた。


買い物袋を握りしめる細い指先が、小刻みに震えている。


「二度と俺に関わるな。話しかけるな。気安く桐島のことを聞くな。お前の顔を見るだけで虫唾が走るんだよ!」


一気に捲し立てた。


心の中で、俺自身が悲鳴を上げながら。


酷い。最低だ。人間として終わっている。


だが、これでいい。これで彼女は俺を嫌い、二度と近づかなくなれば——。


「……あ……あたし……」


葵の目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。


彼女は唇を噛み締め、声にならない声で泣き出した。


「あたし……そんなつもりじゃ……ただ、相羽くんが辛そうだったから……っ」


「知るかよ! 失せろ!」


俺は背を向け、走り出そうとした。


——その時だった。


葵の家の二階の窓。


そのひさしの上に、いつの間にかルゥが座っていた。


ルゥは膝を抱え、うっとりとした表情で、泣きじゃくる葵を見下ろしていた。


「わあ……すごい……! すごいよひろと……!」


ルゥが声を出して笑った。


「ひろとが酷いこと言ったから、あおいちゃんの心がぐにゃ〜って曲がっちゃった! 『信じてたのに』『優しくしたのに』『どうして』って……すっごく苦しい匂いがする!」


(——なっ……!?)


俺の足が止まった。


血の気が引いていく。


「ひろと、ばかだねぇ!」


ルゥは空中を優雅に滑り降りてくると、泣き崩れる葵の背中に抱きついた。当然、葵にはルゥの姿は見えない。ただ、急な寒気に身を縮め、肩を震わせているだけだ。


「ひろとがどれだけ嫌いなフリをしたって、ひろとの心が『あおいちゃんを守りたい』って叫んでるの、あたしには全部見えてるよ? あおいちゃんもね、ひろとのことが好きだったから、こんなに深く傷ついてるんだよ?」


「白石さんが……俺を……?」


「そうだよ! お互いに思い合ってる二人が、すれ違って、傷つけ合って、心が壊れていく……! あはっ、これ、単なる事故よりもずーっと美味しくなる予感がする!」


ルゥは葵の髪に顔をうずめ、深々と息を吸い込んだ。


「ごちそうさま、ひろと! 次は、あおいちゃんのお家ごと……全部壊してあげるね!」


(嘘だろ……)


裏目に出た。


俺の企みは、すべて見透かされていた。


拒絶すればするほど、白石葵の心は傷つき、ルゥにとって最高の「食料」へと仕上がってしまう。


逃げ場なんて、最初からどこにもなかったのだ。


「相羽くんの……ばか……っ!」


葵は涙を拭うと、玄関のドアを開け、家の中へと駆け込んでいった。


バタン、と重い音を立ててドアが閉まる。


俺は一人、夕暮れの街路樹の下に立ち尽くしていた。


拳を握り締め、爪が手に食い込み、血が滲む。


「……ルゥ」


「なあに、ひろと?」


葵の家の屋根の上に立ち、夕日を背にして黒いシルエットとなったルゥが振り返った。


「……白石さんの家に、何をするつもりだ」


「んー? まだ内緒! でもね、あおいちゃんのお父さん、大きな会社でお仕事してるんでしょ? お金持ちのお家ってね、壊れた時の音がすっごく大きくて面白いの!」


ルゥは無邪気にケラケラと笑った。


「明日を楽しみにしててね、ひろと! ひろとがもっともっとあたしを殺したくなるような、とびきりのショーを見せてあげるから!」


そう言い残すと、ルゥの姿は夕闇の中に溶けるように消えていった。


「待て……! 戻れ、ルゥ!!」


俺の叫びは、虚しく無人の住宅街に吸い込まれていくだけだった。






翌日。


その「厄災」は、あまりにも唐突に、そして完璧なタイミングで訪れた。


朝の登校時間。


俺が学校の最寄り駅を降りた時、スマホのニュース速報がヨロヨロと画面に表示された。


『大手建築資材メーカー「白石ホールディングス」、粉飾決済と不正融資の疑いで強制捜査。株価暴落、倒産の危機か』


白石ホールディングス。


白石葵の父親が経営する、地域でも有数の大手企業だった。


俺の手から、スマホが滑り落ちた。


「嘘だろ……」


昨日まで、誰もそんな噂すら口にしていなかった。


地域に貢献し、誠実な経営で知られていた優良企業。葵の父親も、PTAの活動などに積極的に参加する温厚な人物として有名だった。


それが、一夜にして崩壊した。


学校に着くと、事態はさらに最悪な方向へと進んでいた。


「見た!? ニュース見た!?」


「白石の親父さん、逮捕されるらしいぞ!」


「マジかよ……白石って、超金持ちのお嬢様じゃなかったの?」


「倒産したら、家も学校も追い出されるんじゃないの?」


昨日までの「みんなに好かれる学級委員長」への態度は、一変していた。


人間は、他人の不幸が大好きな生き物だ。特に、自分たちより「上にいた存在」が地に落ちる瞬間ほど、下劣な好奇心を刺激するものはない。


クラスの連中は、まるでエンタメを見るような目で、空席になっている葵の席をヒソヒソと見つめていた。


葵は、学校に来ていなかった。


「あははっ! すごいすごい! テレビでもニュースやってるよ!」


教卓の上。


ルゥがノートパソコンの画面を覗き込みながら、大喜びで両手を叩いていた。


「あおいちゃんのお父さん、警察の人にペコペコ頭下げてた! お家にも、いっぱい怖い男の人が来て、ペタペタ紙を貼っていったよ! あおいちゃん、お部屋でずっと泣いてるの!」


ルゥの体が、一回り大きくなっている気がした。


髪のツヤが伸び、肌は人間と見分けがつかないほど生々しい質感を帯びている。


「ルゥ……お前が……お前がやったのか……!?」


俺は教卓に駆け寄り、ルゥの襟首を掴み上げた。


今度は、ハッキリとした手応えがあった。


彼女の服の布地、首元の温もり。確かにそこにある肉体。


「そうだよ! あたしが『あおいちゃんのお父さんの会社の書類』を、ちょっとだけぐちゃぐちゃにしてあげたの! そしたら、人間たちが勝手に怒り出して、全部壊れちゃった!」


ルゥは掴まれたままで、無邪気に笑った。


「ひろと、すごいでしょ? あおいちゃん、もうお金持ちじゃないよ。この学校にもいられなくなるかもね! お友達もみんな、あおいちゃんのこと悪者扱いしてるよ!」


「……っ……この……悪魔がぁぁぁっ!!」


俺はルゥを地面に叩きつけようとした。


だが——その時。


ガラガラガラッ!


教室のドアが開き、一人の少女が入ってきた。


白石葵だった。


彼女は制服の袖で目元を真っ赤に腫らしながら、俯いて自分の席へと歩いてきた。


鞄を強く抱きしめ、周囲の冷酷な視線とヒソヒソ声を耐えしのぐように、唇を固く噛み締めている。


「あ……白石さん……」


クラスの誰も、彼女に声をかけようとしない。


葵は自分の席に座ると、机の上に突っ伏した。


その細い背中が、小さく震えている。


「ねえ、ひろと」


俺の手をすり抜け、いつの間にか葵の隣の席に座っていたルゥが、俺に向かって楽しそうに手招きをした。


「あおいちゃんの心、もうすぐ完全に壊れるよ。ひろとが昨日言った酷い言葉と、今日のニュースで、もう生きてるのも嫌になっちゃいそうなんだって!」


ルゥの瞳が、血のように真っ赤に濡れていた。


「ねえ、ひろと。あおいちゃんが屋上から飛び降りたら、ひろと、あたしのこと殺してくれる?」


(——飛び下りる……!?)


俺の脳内で、警報が鳴り響いた。


葵の震える背中。絶望に染まった瞳。


そして、無邪気に死を促す悪魔の子供。


親父の足を奪われ、桐島の夢を奪われ、そして今度は初恋の人の命まで奪われようとしている。


「……ルゥ」


俺は静かに歩み寄った。


「なあに? ひろと!」


俺はルゥの目の前で立ち止まり、彼女の小さな顔を真っ直ぐに見つめた。


怒りは、不思議なほど消えていた。


代わりに胸を満たしていたのは、冷たく、澄み切った、絶対的な「決意」だった。


「俺の負けだ」


「え?」


「お前の勝ちだよ、ルゥ。俺はもう、お前を許さない。お前を理解しようとも思わない。お前という存在を、この世界から完全に消し去る」


俺はポケットの中で、強く拳を握り締めた。


「白石さんを……俺の大切な人をこれ以上傷つけるなら、俺はお前を殺す。たとえ俺がどんな化け物になろうと、お前を地獄へ引きずり降ろしてやる」


初めて俺の口から出た、本物の「殺意」。


ルゥの目が見開かれた。


彼女の頬が朱に染まり、小さな胸が激しく上下する。


「……あ……あぁ……っ!」


ルゥは自分の胸を抱きしめ、うっとりと目を細めた。


「それ……っ! その顔……! その声……! ひろと、本当の『さつい』をくれたのね……っ! すごい……胸がキュンってして、体が熱いよ……っ!」


ルゥの背中から、黒い翼のようなオーラが激しく吹き荒れた。


教室の蛍光灯がバチバチと点滅し、窓ガラスがガタガタと音を立てて震える。


しかし、その異常な現象は、クラスメイトたちには見えていない。ただ「急に風が強くなったな」と嫌がるだけだ。


「ひろと! 待ってるね! あおいちゃんが死ぬ前に、あたしを殺しにきてね!」


ルゥはそう叫ぶと、黒いモヤとなって教室の天井へと消えていった。


俺は、突っ伏して泣く白石葵の背中を見つめた。


守るために、俺は人間を捨てる。


無垢な悪魔を殺すという、最悪の罪を背負う。


運命のカウントダウンが、静かに、そして確実に刻まれ始めていた。


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