3本の矢(前編)
土曜の午後6時前。ジョージの家のインターホンが鳴った。階段を降りてきたジョージが、「はーい」とそれに返事して、尻尾を振った愛犬のサルーキを引き連れながら、玄関のそのドアを開けた。ドアを開けると、佑樹が明るい笑顔を見せた。ジョージはこの間買ったばかりのオレンジ系のネルシャツを着ていた。佑樹も同じ時に買った、ゲーム内のジライヤと同じロサンゼルス・ギャラクシーのブルーのトレーナー姿だ。
ジョージが、「やあ、佑樹。時間通りだね」と話し、佑樹がニッコリと笑って、「へへっ。まあね」と言って頷いて返した。佑樹は幼い時から、大人になって大物になりたいなら、時間には正確にと、父親に徹底して躾けられてきた。
サルーキのタツィーが嬉しくなって、姿勢を低くした佑樹の顔やその口を舐めた。その後、立ってジョージのその口も舐めた。
するとフロアの奥の方から、エプロンを着けたジョージの母親のキャサリンが出てきて、玄関に彼を見つけて、「ハロー、ユウキ。ハウ・アー・ユー・トゥデイ?」と言って上品な笑みで挨拶した。
佑樹がキャサリンに頷いて、「グッド・イブニング・ママ。アイム・ファイン。母がよろしく伝えておいてくれって、話していました」と応えた。
佑樹と同じに、川口家の1人息子のジョージの部屋は2階にあって、かなり広かった。彼の部屋には彼のセミダブルのベッドがあって、iMacを常設した少し横長の勉強用のデスクとオープンラックがあって、3人掛けのソファがあっても、フロアにネイティブ・アメリカン柄のラグを敷くだけのゆったりとした面積があった。ジョージはデスクの椅子に腰掛け、佑樹をソファら座らせて、iMacに検索した『スクリーム・オブ・フリークス2』の攻略法を説明するユーチューブ・チャンネルを壁掛け型の大型テレビに映し出して、感心しながらお互いの意見を交わしていた。
タツィーがジョージのその横で身を伏せて、静かにして、愉快そうにテレビを見ているジョージと佑樹に目を向けている。
なぜかその部屋にはもう1人、彼女はジョージのガールフレンドなのか、淡いピンクのナース姿の年若い女が、フロアのクッションに大人しく腰掛けていた。女は時おり瞬きだけをして、なぜか身動きひとつせず、言葉をひとつも発しなかった。
ジョージがそんな女をまるで家具の一つかのように無視して、佑樹に目をやって、続けてテレビに動画を見ながら口元をほころばせた。
「今日の午後に契約したからね。佑樹と一緒にプレイするからってことで、ママの許可が下りたんだ。きっと週明けにはコントローラーが届くはずだ」
佑樹がニヤニヤ笑って、ジョージへと話した。佑樹も女のことは無視していた。
「まずはログインして、自分で何回かやってみてくれ。いつもと変わらない日常が始まったかと思うとさ。いきなり超がつく過激な世界に引き込まれるから。きっと驚くよ。それでいくらか感覚を掴めたら、時間を合わせてログインすることにしよう」
「うん。分かった」
「俺は『ジライヤ』ってユーザーネームを使っているから。プレイヤーのリストに俺を見つけて、いつでもボイス・チャットに呼び出してくれ」
「ジライヤか。良い名前だな。それじゃあ俺は『オロチマル』にするかな」
「悪くないね」
佑樹がそう言って微笑んでみせ、それからちょっとだけ考えた。
「学校に行ってみて、授業の時間割を確認して、週の何曜日の何時からゲームをするかを2人で決めることにしよう」
「そうだね。ゲームのせいで成績が悪くなったら、話にならないからな」
「そう言うこと」
「俺たちが優等生でいることは宿命だから。絶対にそれだけは外せない。成功している親たちのお陰で、俺たちは良い所に住んで、いつでも美味いものを食べて、何でも好きなことをしていられるんだ。それだけは外せない」
佑樹が少し羨ましそうに、ナース姿のツイン・テールの女に目をやった。そして微笑んで、「そうだよな。『何でもナース』のマリアちゃんだって手に入れることが出来る」と言って、頷いてみせた。タツィーが尾を振って、頭を撫でてくれたジョージのその手とその指を舐めた。
ジョージのデスクの近くのオープンラックには、同じ格好をしたアニメの『何でもナース』の主人公たちのフィギュアが並んでいる。女は、そんなフィギュアの1人を極めてリアルに、生身の女にしたかのような存在だ。首の後ろにはマイクロメカニック社の製造番号が薄っすらと刻印されている。それはマイクロメカニック社が特許を持つヒューマナイズと称するナーバヴァス・システムに基づいて、『リアクション・ムーブ』で身体や表情に動きを生み出す。裕福な人間たちしか所有できない、車並みに高価な嗜好品、『愛人ロボット(セクサロイド)』である。ジョージの初恋の少女の名であるマリアと名付けたその女は、ジョージの好みに完全にカスタマイズされている。
彼女がいれば、生身のガールフレンドがいなくたって性処理に困ることはない。簡単な日常会話なら相手をしてくれるし、現代につきまとう孤立感を癒すことが出来る、一種の精神安定剤でもある。親からしてみれば、溺愛している1人息子に余計な虫が付くのを避けることが出来る。
そうこうしていると、「ジョージ!ユウキ!ディナーが出来たわよ!さあ、下に降りていらっしゃい!」と言う、階下からのキャサリン・ママの呼び声が聞こえた。
ジョージと佑樹はジョージの父の武史に促され、ジョージの母の自慢の広東料理の大皿が並んだテーブルへと着いた。フカヒレのスープ、酢豚に海老蒸し餃子、油菜の塩炒め、レタスのオイスターソースがけなど、どれもが目に美しい、極めて美味な料理ばかりである。それらに加えて、最後にワンタンメンが出されると言う。
それらは一時期、キャサリンの祖父が、当時のイギリスの領土であった香港の総督府に勤務していて、そんな夫に同行して、その地で料理を身に付けてロンドンに帰ってきた祖母から彼女が直々に受け継いだ香港の伝統料理の数々である。
佑樹とジョージはキャサリン・ママの手料理を小皿に取り分けて、舌鼓を打っていた。ジョージの父親がグラスの赤ワインを傾けて、小皿の料理に口を付けつつ、2人の早田大学入学を祝って、いくつかの注意を述べた。
「2人は、これからの大学生活を無駄にしないようにな。君たちも知っての通り、日本の多くの大学生たちは、学生生活を無意と無益に過ごしている。こいつは日本社会の病だな。この国の社会が衰退している大きな原因のその一つだ。政治家たちは頭が悪過ぎて、何の助けにもならないからな。・・・大学生活の本質は、若者たちが社会に出てゆくその前の大切な準備期間なんだ。これからの4年間を実直に過ごすかどうかで、卒業した後の個々の能力に大きな差が付くことになる。そのことを、この場で改めて、頭に入れておいてくれ」
それから、「それに並行して、かけがえの無い若い時代を楽しく過ごすように。欧米の一流大学の学生たちは、そうして大学生活を充実させている。2人は将来、起業するなり、一流企業で頭角を現すなりして、世界から求められる優秀な人材になってくれ。私とキャシーは、2人がそうなる時を楽しみにしているよ。名古屋の篠塚さんも、君に同じように期待しているはずだ」と、続けた。
それから、佑樹を眺めつつ、「佑樹。君はジョージのゲームのパートナーになってくれるんだってな」と話した。
佑樹は微笑んだジョージの両親に、「ええ。まあ」と答え、ジョージに目をやって、「な」と言って頷いてみせた。ジョージがそれに、「そうなんだ。2人でしっかり協力し合って、世界で話題の困難なゲームを攻略してゆくつもりだ」と答えた。
「そうか。そうなのか。それじゃあ、ジョージをよろしく頼む。ジョージの信頼し合える遊び仲間になってやってくれ」
父親がそう言って、ニンマリ笑って頷くと、佑樹は改まって、ジョージの父親に、「もちろんです。授業とテストの邪魔にならないよう、2人でしっかりとゲームのスケジュールを組んでゆくつもりです。僕らは、遊びも勉強も超一流を目指したいと考えています」と続けた。
赤ワインのグラスを手に持ったキャサリンが、そう言った佑樹とジョージに目をやって、誇らしそうに微笑んでみせた。そして「ママは本当に、それ、嬉しい」と言って、グラスのワインにその口を付けた。
キャサリン・ママの手料理は、どれもが相変わらず本当に美味だった。そして4人で談笑しながら、フカヒレ・スープと大皿料理を食べ進めてゆくと、ママは途中で席を立って、エプロンを着け直し、キッチンで大鍋にお湯を沸騰させながら、4名分のワンタンメンを手際よく調理し始めた。
佑樹はジョージの両親に帰宅の挨拶をして、ジョージを伴ってその家の玄関から出てくると、ジョージを車の助手席に乗せて、黒のNISSAN・コクーンを246へと走らせ出した。そして上馬の交差点をUターンしていって、用賀方面へとその車を走らせた。
そうして246号に面したロイヤルホストの桜新町店の駐車場へとその車を入れた。
時刻は夜の9時30分。その時間のロイヤルホストには、家族で遅めの夕食を採っている子供連れや、恋人たちや学校のクラブ帰りの同級生たち、仕事帰りの仲間たちが集まって、随分と賑わっていた。そして佑樹とジョージが246側の窓際のテーブルに着いて、カフェラテを飲んで落ち着いていると、それから3分遅れで、カワサキ・シャイアンというカスタム・メイドのチョッパー・バイクがトルクの音を立て、246から折れてきて、その店の駐車場へと入ってきた。バイクを運転しているのは若い男のようだ。
黒革のライダーズ・ジャケットにブーツカット・ジーンズの若い男は、バイクをエントランス近くの駐車スペースに駐車すると、バイクから降り立って、黒のハーフキャップ・タイプのヘルメットとゴーグルを外し、ライダーズ・ジャケットのフロント・ジッパーを下ろした。そしてライダーズの前を開いて、ロイヤルホストの玄関ドアを引いて、店内へと入った。
男は賑わった店内を簡単に見回して、窓際のテーブルに、もう1人の青年と向かい合っている祐樹を見つけて、そこのテーブルへと歩き出していった。男は運動神経が良いらしく、背筋を伸ばして、大股で歩いていた。
テーブルの佑樹が、ふと店内に目をやって、そんな男を見つけて微笑んで、「やって来たな」と声にした。そしてジョージに、「ジョージ。俺の隣に移動してくれ。そっちに瑛太を座らせるからさ」と指示した。男は身長が180を超える、髪が長くて、彫りの深い格好の良い青年だ。いわゆる、ちょっとしたカリスマ性を称えている。近くのテーブルにいた女子高生のグループが、そんな彼を見てポカンとして、その目をハートにしていた。
佑樹に頷いて、ジョージがボックス席から立ち上がると、佑樹の幼なじみである、川崎に住んでいると聞く長谷川瑛太がそのテーブルにやって来た。
瑛太が、窓辺に佇む元気そうな佑樹を見て、ニヤリと笑って、「佑樹」と言うと、佑樹が妙に大人っぽくなった瑛太を見て、「やあ、瑛太」と返して、頷いて応えた。
佑樹は自分の隣にやって来たジョージに目をやって、瑛太に、「彼が、電話で話したパートナーに選んだ川口ジョージだよ。来週から早田の国際政治学部の同級生になる」と、彼を紹介した。
続けて、「こっちは俺の幼なじみの長谷川瑛太だ。とにかくケンカが強くてさ。高校生の頃には、神奈川全体の暴走族の総長をやっていたんだ。信じられない話だけどさ」と言って、瑛太に冗談ぽく笑って、瑛太をジョージに紹介した。瑛太がそれに、「元ね」と言って微笑んでみせた。それから、驚いて呆然としているジョージと力強く握手した。
瑛太はその手がゴツくて、握力が強かった。瑛太は、それを感じて右手を振ったジョージと向き合い、頷き合ってテーブルへと着いた。それからちょっと照れ臭そうに笑って、自分の側のテーブルの上にゴーグル付きのヘルメットを置いた。
佑樹がジョージに、「俺たちが『フリークス2』で前進するためには、瑛太の行動力と運動能力が絶対的に必要だ」と、瑛太をどうしてこの席に迎えたのかを説明した。
それから2人に、「俺は『フリークス2』を無双で攻略したいと考えている。『フリークス2』のプレイヤーたちにはたくさんのオーディエンスがいてさ。世界の至る所にオーディエンスがいるんだ。ゲームの中で注目されるようになると、誰かがそいつの噂を流し始めてさ。奴らは昼でも夜でもスマホを片手に、達人たちをライブで見て、投げ銭して、オープンチャットに意見や反応を書き込んでいる。面白いよね。オーディエンスがオーディエンス同士で勝手にコミュニケーションを取り合っているんだ。そいつが時にはオーディエンスの全体に波や流れを作り出している。・・・でさ。今はまだ何が出来るかは分からないけどさ。俺はいつかそいつらをネットワークにして、俺たち3人の将来に役立てられないかって考えている。だからさ。今夜は俺たち3人のチームの結成式なんだ」と話した。
佑樹はいつも面白いことを言う奴だ。何かに関心を持つことがあると、人とはちょっと違った見方をする。いわゆる頭の使い方って奴が、そこらにいる並の連中とはちょっと違うんだ。だからかどうかは分からないけど、子供の頃から奴とは縁が切れないでいる。佑樹は、佑樹の父親から太っ腹なところを受け継いでいる。今では、困った時には佑樹に相談するのが一番だと考えている。・・・佑樹の話を聞いていて、そんな風に思って、瑛太がジョージに目をやって、ニヤリと微笑んでみせた。ジョージがそんな佑樹の話を興味深く思って、瑛太に同意して、軽くウインクして返した。
瑛太が、佑樹に、「それで?とりあえず、俺たちは何をしたら良いんだ?」と尋ねた。
それに佑樹が、「瑛太は『フリークス2』の登録は済ませたんだよな?」と返した。
「ああ。そいつはあの後すぐに済ませてある。来週中には、コントローラーの一式が届くと思う」
佑樹が隣のジョージに目をやって、それから瑛太に顔を近づけて話した。
「ジョージにも話してあるけどさ。それなら、まずは個々にログインして、試しにゲームにチャレンジしてくれよ。入ってみたら分かると思うけど、こいつは本当に難しいゲームなんだ。ここでは細かいことは伝えないけどさ。結構、衝撃的な出来事が起きる。・・・ゲームのフィールドは『シブヤ』に設定しておいてくれ。そこから色々と移動してゆくことにしよう。・・・良いね。2人は万全に準備を整えてくれ。とにかく漠然とゲームに入って行かないで、必ず頭を使って、注意を払って、ゲームに挑んでみて欲しい。そうしたら、多分、1人1人が違った感覚や考えを持つはずだ。得意なポイントと不得意なポイントを、きっとそれぞれに理解できると思う。それから3人で合流することにしよう」
ジョージは時おり、初めて会った瑛太に興味深くその目を向けながら、佑樹の話に愉快そうに耳を傾けていた。佑樹がハブの役割を果たし、ジョージと瑛太の初対面は上々の出来だった。2人は互いが、自分に無いものを補え合えると感じ合っていた。
ジョージは、高校生までは数学と理化学が得意な優等生だった。いわゆる理数脳が作られている青年だ。そんな青年は父親の影響を受けて、子供の頃から親たちと一緒にテレビで日本の政治番組を見ていた。
・・・ジョージは、日本の政治家がやっていることは、すべてが間違っていると感じていた。バブルが弾けて日本が衰退して、コンピュータとスマホが当たり前になって時代が変わっても、彼らの考え方とやり方は昭和の高度成長期といった、もはや使い物にならない過去の遺物を基準にしていて、まったく話にならないと、いつも感じていた。要するに時代錯誤、時代遅れなのだ。政治家たちは何も仕事をしていない。・・・幼い頃をロンドンで育っていたせいか、あるいは自分は半分、よそ者だと感じているせいなのか、日本の政治は関心さえあれば、中学生にだって理解できるひどい有り様だった。詰まるところ、日本を良くするためには、自分のような理数系の頭の持ち主がもっと必要だと感じていた。そんな理由で大学からは、早田の国際政治学部へとハンドルを切ったのだ。
ジョージは瑛太に目をやって、生命という奇跡についてを、ふと考えた。生命については考えれば考えるほど、生命が持った驚くべき精巧さに感嘆するばかりだ。
仮に原始の地球に戻って、進化をゼロからやり直したとしたら、果たして同じように複雑な生物が地球上には誕生するのだろうか?加えて、仮に誕生したとして、その生命体は僕たちが知る今の生物と似ているのか?・・・この疑問は、「地球外の宇宙に生物は存在するのか?」といった問いにも通じると思う。
仮に宇宙人が存在するとしたら、彼らの姿はどれくらい僕たちと似ているのか?会話やコミュニケーションは可能なのだろうか?人類と価値を共有することは出来るのだろうか?と。・・・
瑛太は同じ人間であっても、自分とは特性がまったく違う。もちろん、自分にだって優れた部分はたくさんある。しかし、瑛太は自分が持っていないものを大量に持っている。少々粗野ではあるようだが、それは彼の行動力とハートの強さの証左であって、それでいて繊細で、懐が大きくて、肝が座っていて、人柄が良い。ジョージはそう思って、佑樹を介して、今夜、瑛太に出会えたことを何より幸運だと感じていた。とにかく佑樹は興味深い人選をしたものだ。祐樹はそんなところが誰よりも優れていて、本当に素晴らしい。
翌日の日曜日。佑樹はNISSAN・コクーンを運転して、都内を西から東へと走り、午前11時前には、東京駅の駐車場へとその車を駐車した。
そしてと新幹線のホームに上がっていって、ノゾミの指定車両に乗って東京へとやって来た母の麻耶を出迎えた。
2人は強くハグして挨拶を交わした。おおよそ1ヶ月ぶりにその目にした母親は、相も変わらず美しかった。46才が実年齢だが、30代半ばにしか見えない。彼女は若々しくて可憐なくせに、近付くととても良い匂いがして、異様に艶かしいと感じた。派手なプリントTシャツとジーンズの上に軽く羽織った白いトレンチコートが良く似合っている。
摩耶にしてみれば、大学に合格して一人暮らしを始めた一人息子がちょっと成長したように感じて、彼が愛おしくて堪らなかった。佑樹の方も、母親こそが理想の女性だと臆面もなく公言する青年で、今日と明日の1日半を彼女と2人で過ごせることを大変に嬉しく思っていた。他人の目から見てみると、2人の様子は、ちょっと年上の大人の女性がシャイな年若い青年との逢瀬を楽しんでいるかのようだった。
2人は駅の近くの老舗の天ぷら屋に寄って、少し早めのランチを採った。そして途中、都心の有名マーケットに立ち寄って、牛と豚の合挽き肉や有機野菜やホールトマトなどを買い込んで、その足で世田谷弦巻にある佑樹のマンションへと向かった。
麻耶は初めて佑樹の新居にやって来ると、広くて日当たりの良い部屋の間取りを確かめた。それから窓から見える外の景色を見晴らして、とても良い物件だと感じて、満足に思った。そして早速、エプロンを着けてキッチンに立った。麻耶は佑樹と取り止めのない会話を楽しんで陽気に笑い合い、これがあれば解凍するだけでいつでもスパゲティを茹でるだけで美味を味わうことが出来るだろうと、佑樹の好物である、彼女のお手製のミートソースを大鍋一杯に煮込んでいた。
当然、ディナーは出来立ての彼女の手作りのスパゲティ・ミートソースだった。残ったボルドーの赤ワインで乾杯もした。そしてその日の夜、彼女はシャワーを浴びて浴室から出てくると、佑樹に借りたTシャツとトランクス型のブリーフを身に着けて、同じベッドで仲良く2人して眠った。
次の日の朝、佑樹と麻耶は早めに目覚めて、紺色のトラッド・スーツを身に着けた。そして佑樹の運転で車を出して、ジョージと母親のキャサリンを迎えに彼らの家へと立ち寄った。
ジョージとキャサリンはクラクションを合図に家から出てくると、出迎えた麻耶と久しぶりの再会の挨拶を和気藹々と交わした。そして2人は愛犬のタツィーを家の留守番にして、佑樹の車の後部座席に乗り込んで、4人で連れ立って新宿区に立地する早田大学へと向かった。そうして大学の講堂で始まる国際政治学部の入学式に出席して、緊張した面持ちでその式をつつがなく済ませた。それは大学の歴史と伝統を感じさせる高尚な式典で、出席した皆は心が引き締まる思いだった。
その後、4人は、麻耶の奢りで副都心のホテルの寿司屋でランチを食べることにした。麻耶とキャサリンはその席で、ケガも大病もなく健康に成長してくれた、愛する息子たちの新たなる門出を心から歓んだ。母親たちは我が子を誇らしく思い、感極まって涙していた。佑樹とジョージは親たちが人目も気にせず泣くのを目にして、少々戸惑っていた。
麻耶とキャサリンは青山の有名マーケットに立ち寄って、数日分の食料などの買い物をした。佑樹とジョージはその間、近くのカフェでカフェラテを注文した。佑樹はスマホを手に、『スクリーム・オブ・フリークス2』のサイトを開いて、ログインして、傍らのジョージに「これから観るのは有名プレイヤーたちの戦いだ。ビギナーズである俺たちでは、どうやったってこんな風には行かないからな」と忠告した。
ジョージがそれに、「なるほど。心しておくよ」と応えて、2人は現在プレイ中であるゲームの有名プレイヤーたちの危機迫った実況中継をモニターにチェックして、しばらく時間を潰していた。
近年、世界でカルト的な人気を誇る『スクリーム・オブ・フリークス2』では、日本が国を挙げて勧める『COOL JAPAN』の好影響もあって、大量の外国人プレイヤーたちが、東京や大阪、京都などの大都市や観光都市に出現している怪物たちと戦って、怪物たちが人々を食べ、それらの街を破壊し尽くしていた。
小一時間がして、母親たちの買い物が終わると、4人になって30分ほどティータイムを延長した。それから車で246号をさかのぼって、佑樹と麻耶は、ジョージとキャサリンを駒沢にある、タツィーが待つ彼らの自宅へと送り届けた。
加えて佑樹は、その日の夜の8時過ぎには、帰りのノゾミの発車時刻に間に合うように麻耶を東京駅へと送り届けた。
まずは、佑樹が旅行カバンを手に持って、車両へと入っていって、それを彼女の指定席の荷物棚へと置いた。それからホームに出てくると、麻耶は佑樹とホームに立って、「あなたがいなくなって寂しくなったわ。何だか家が広く感じるのよね。元から大きい家なのだけど。・・・あなた、夏休みには帰ってくるのよ」と、色々と話した。
そして発車のベルが鳴り出すと、麻耶は佑樹に顔を近付け、「ゲームを始めちゃったら、大学に行っても、ガールフレンドを作っている暇なんてきっと無いわよね。・・・良いわ。次のテストで高得点を取ったら、私が気の利いたプレゼントをしてあげる。ね。だから一生懸命に勉強するのよ。ゲームも勉強も頑張って」と話した。それから「じゃあね」と言って彼女は、佑樹の頬に軽くキスして、列車へと乗り込んだ。
火曜の朝。佑樹は愛用のスカイブルーのデイパックを胸側にかけて、新玉川線の桜新町駅のホームから上り列車の先頭から3両目の車両に2番扉から乗り込んだ。8時50分発の渋谷方面へと向かう上り列車は、ラッシュアワーで当然ながら混雑をしていた。
そして列車が8時53分に次の駅である駒沢大学駅へと到着すると、オレンジ色のデイパックを胸側にかけたジョージが、同じ2番扉から同じ車両へと乗り込んできた。佑樹が、約束通りに列車に同乗してきて、乗客たちに押し流されていったジョージとその顔を見合わせて、軽く頷いてみせた。
列車は渋谷駅からは乗り換えなしで東京メトロの半蔵門線となって、表参道駅を過ぎると少しだけ混雑が解消されて、ジョージが佑樹の傍らへとやって来た。
そしてジョージが、「悪くないね。良い計画だ。これなら行き帰りを有意義に過ごせる」と言って、佑樹と肩を並べて吊り革に掴まった。佑樹がそんなジョージに、「だろ?」と言って、微笑んで返した。
2人の間で計画を立てるのは、いつも佑樹の役割である。佑樹は、時間を無闇に無駄にすることが嫌いだ。父から『人生』という時間は限られていると強く教えられてきたからだ。だから佑樹は、何においてもスケジュールを作って、時間を管理して、有意義に使うことを大切にしている。
「授業の時間割を見て、どの時間に『スクリーム2』をやるべきかを考えてみるよ。俺たちには勉強があるからね。必ず優等生でなきゃいけないからさ」
「分かった。君に任せるよ。きっと、今日明日にはコントローラーが届くはずだ。そいつが届いたら、しばらくは時間を見つけて俺なりに体験してみるよ」
それを聞いて、佑樹がニヤけて笑って、耳打ちをした。
「きっと驚くぜ。体感がもの凄いからさ。もう一つの別の人生を手に入れたって感じられるはずだ。それはもう過酷なね。生ぬるい現実世界とは真逆のような殺伐とした世界が、そこにはある。日常を生きていたって、生きているって実感することって余り無いじゃないか。だけどそこには強烈な生命感がある。プレイしていて、改めて生きているって事実を実感すると思うよ」
確かに、現実世界には臨場感なんてどこにもない。退屈なだけだ。現実世界は、のっぺら棒みたいにどこに行っても大企業の印が付いた同じ物ばかりが並んでいる。人間社会は金だけが物を言い、個性なんてどこにもない。こんな世界はガラクタ同然だ。・・・ジョージはそんな風に思って、佑樹の言葉を耳にして、心ときめいていた。
やがては地下鉄が九段下駅へと到着すると、2人は列車から降りていって、駅構内を並んで歩いて、東西線に乗り換えた。そうして2人は、早田大学がある早田駅へと向かった。桜新町駅からの移動時間は40分ほどだった。




