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第八話 守られた日々と、旅立ちの予感

 レンが自分の「クリスチャンとしての弱さ」と「地球の記憶」をすべてカシウス夫妻に告白してから、レンの生活パターンは様変わりした。


 まず、今まで一日の大半を魔物討伐に費やしていたスケジュールが見直された。


 午前中は必ず、ウィリアムとレベッカと共に教会での奉仕活動と、聖書の勉強に費やすようになったのだ。もちろん、これまでも日曜日の礼拝と水曜日の祈り会には欠かさず出席していたが、より密度が濃くなったと言える。


 ウィリアムとレベッカは、レンに宣言した通り、聖書の御言葉と「クリスチャンとしての在り方」を、生活の中で徹底的に、かつ自然に刷り込んでいくつもりのようだった。


 だが、やることは「机にかじりついて聖書を読みまくる」といった堅苦しいものではない。


 教会の活動は多岐にわたる。


「はい、魔物の肉が沢山入った温かいスープです。熱いから気をつけてください」


 レンが差し出す木椀を、痩せた獣人の女性が両手で受け取った。

 その指は、冬の枝みたいに冷たい。


「……ありがとう。今日はまだ、何も食べてなくて」

それだけ言うと、彼女はスープに顔を近づけ、震える息を吐いた。


 その横でクロが鼻を鳴らし、尻尾を控えめに振る。

 子供が「わぁ……!」と歓声を上げて背にしがみつき、クロは誇らしげに胸を張った。


 一方、庭木にはシロが止まっていた。

 きらりと白い翼が光り、さえずりが礼拝堂の壁を撫でる。

 お年寄りたちが自然と集まり、誰かが小さく祈りの言葉を漏らした。


(……地球でも、犬は子供に、鳥はお年寄りに好かれる傾向があったけど……)


 レンは微笑んで、袖をまくった。

「次の鍋、運びます!」

 レン自身も、なかなか頑張っていた。


 一応、地球時代にそれなりの聖書知識を学んでいたし、そもそも聖書が書かれた地球の出身だ。

 同年代の子供やニエフの人々と比べると、聖書の歴史的背景や地理的理解は深い。

 少々偏りはあるが。


 そのため、ウィリアムが学び会をする際の資料作成を手伝ったり、説教の要点を教会員向けに分かりやすく書き写したりといった知的なサポートを行っていた。


 そしてもう一つ、レンが活躍する場があった。


 料理である。


 これも地球時代の一人暮らし経験が活きた形だが、レンは結構料理が上手かった。

 最初はニエフ特有の魔物食材に驚いたものの、レベッカとマリーの指導を受け、今ではかなり美味しいニエフ料理を作れるようになっていた。


 レベッカが振る舞う料理に、レンが作った一品二品が加わることも珍しくない。


 得意料理は、特殊なトレントから採れるスパイスを効かせた肉料理や、ブル系魔物の濃厚なチーズと植物系魔物から採取する果物をふんだんに使ったケーキ、肉と根菜のスープ、炒め物などだ。


 ちなみに、肉料理はクロに、ケーキはシロに大好評だった。


「ワンッ!(辛くてお肉たっぷりで最高!)」


『……甘くて、ふわふわで……幸せ』


 クロは辛党の肉好き、シロは甘党のベジタリアン。

 本当に対照的な二人である。


 こうして両親の働きを間近で手伝いながら、レンは改めてウィリアムとレベッカの「クリスチャンとしての姿」に感銘を受けていた。

 決して押し付けがましくなく、けれど揺るぎない信仰を持って人々に仕える姿。


 自分も父さんと母さんのようなクリスチャンになりたい。


 まだ自分の信仰に自信がなく、断言はできないけれど……いつかあんな風になれたらと、レンは強く願うようになった。


 さて、レン、クロ、シロ、マリーが総出で教会の奉仕を手伝うようになったことで、ウィリアムとレベッカの時間に余裕が生まれた。


 その結果、何が起きたか。


 週に3回、半日ほど行われる「魔物討伐の指導」が再開されたのだ。


 だが、今度の指導は前回のような「基礎訓練」ではなかった。


 戦闘の流れを読むこと。相手の行動予測と妨害。カウンターのタイミング。

 パーティメンバーの特性を活かした戦略と戦術。

 引き際の見極め。

 魔物の詳細な弱点や特性。

 有効な魔法の組み合わせ。

 そして、ハイレベルな対人剣術。


 ハッキリ言って、最初の頃の10倍はスパルタンだった。


 特にレベッカが。


「レン、動きが遅い! 次の魔法に入りなさい! クロ、そこは右に回り込む! マリー、突っ込みすぎよ、周りを見なさい!」


 氷点下の微笑みと共に飛んでくる指導は、まさに鬼軍曹。


(「ビシバシ鍛えてあげる」って言葉、嘘じゃなかった……というか、ちょっとくらい手加減してくれてもいいんじゃないかな!?)


 レンは心の中で悲鳴を上げつつも、必死に食らいついた。


 しかし、その成果は絶大だった。


 半年間、みっちりと指導を受けた結果、レン一行のパーティ能力は劇的に底上げされた。


「レン、半年でここまで到達するとは……」


 イクスから少し離れた草原で、ウィリアムは地面を見下ろし、苦笑した。


「剣術は九位。治癒魔法は六位。補助魔法も8位……七歳前にこれは、正直想定外だ」


「そうですか……?姉さんに比べたらまだまだだと思いますけど……?」


「十分すぎる。軍なら小隊付き魔道士候補の実力だ」


 ウィリアムの意外な高評価にレンは体を縮こませながらも顔はほころんでいる。


「だが、レン。忘れるな。神様は強い者だけを用いるわけじゃない」


「……そうでした。神様は、強い人じゃなくて……イエス様に救われた人を用いられるんですよね」


「そうだ、強くなってもイエス様に従い、その背中を追いかけ続けるようにしなさい」


「わかりました、父さん、大切なことをありがとうございます」


 マリーに至っては、剣術七位、攻撃魔法六位と、11歳半にして驚異的な成長を遂げていた。

 軍隊なら30人規模の小隊長を任されてもおかしくないレベルだ。

 カシウス家の遺伝子は恐ろしい。


 クロは、炎の扱いが格段に巧くなった。


 冬の訓練後、凍えたレンの手をそっと包み込むように温める炎から、岩肌を赤く溶かし落とす灼熱まで、その温度は思いのままだ。


 さらに電撃も進化した。

 体から放つだけでなく、空に走る雷雲を呼び寄せ、標的の真上に雷を落とす。


 ウィリアムでさえ、一瞬言葉を失った。

 空から落ちた雷は、草原の土を深く抉っていた。


 シロもまた、静かに牙を研いでいた。


 風を纏ったその小さな体は、もはや鳥ではない。

 空を裂く刃だ。

 高速で旋回したあと、触れただけの魔物が音もなく崩れ落ちる。


 光の力はまだ試す機会が少ない。

 イクス周辺にはアンデッドがほとんど現れないからだ。


 それでもウィリアムは、闇属性の魔物に対しては絶大な効果を持つはずだと言った。


 最近では、全身から放つ細い光線が岩を焼き切るところまで来ている。


 しかし。


 ここまで強化されてもなお、レンはパーティの中で「最弱」だった。


 そのことを気に病んで溜息をついていると、レベッカが優しく声をかけてくれた。


「レン? あなたはまだ六歳半よ? その年齢で剣術も魔法も上級に達しているなんて、十分すぎるくらいよ。それに、あまり他人と比べちゃダメ。まずはきちんと自分に何ができるのか。それを考えなさい。それはクリスチャンとしても、冒険者としても同じよ」


 ウィリアムも頷いて言葉を継いだ。


「そうだな、ママの言う通りだ。レン、私たちの力なんて、神様から見れば皆とても小さなものだ。だが神様は、そんな取るに足らない私たちを選んで愛してくれている。

 私たちがすべきことは、能力を誇ることでも嘆くことでもない。神様に愛されていることを感謝し、私たちも神様を愛することだ。

 自分のできないことを数えるんじゃなく、自分が神様から与えられたもので何ができるのか、どう用いられるべきなのかを考えるべきだ」


「……はい」


 レンは深く頷いた。


「今はまだ、自分がどう神様に用いられるのか、自分に何ができるのか分かりませんが……少しずつでも、神様の愛に応えていけるようになりたいです」


「よしよし、それでいい。レンはまだ若いんだから、焦らず少しずつ進みなさい」


 二人はニコッと笑って、レンの頭を撫でてくれた。


 温かな時間。


 こんな日々が、ずっと続けばいいと思っていた。


 だが、時は止まってくれない。


「しかし、あと半年でレンも七歳か……月日が流れるのはあっという間だな。レンも来年から学校に入るんだから、色々と準備をしないとな」


 ウィリアムがしみじみと呟いた。


「そうねぇ。少し早い気もするけど、そろそろ私たち以外の先生や、同い年のお友達をもっとたくさん見つける時期よねぇ。ビーストテイマーになるなら、どうしても学校に行かないといけないし」


「???」


 レンの頭に大量の疑問符が浮かんだ。


「どういうことですか? 今まで通り、父さんと母さんの下で勉強していくんじゃないんですか? だって、マリー姉さんは学校なんか通ってないはずじゃ……?」


「マリーは特に、カレン様から『何の職業に就きなさい』とは指定されていないからね」


 ウィリアムが説明する。


「私たちが教えられる範囲――聖書の知識や読み書き、算術、冒険者としての技術で、このニエフで生きていけるだけの力は充分につけられるわ。教会には仲の良いお友達もいるしね」


「私たちの希望としては、良いクリスチャンの男性と出会って幸せになってほしいと思っているが、それはまだ先の話だしな」


「パパ!!! レンに変なこと言わないでよ!!!」


 なぜかマリーが顔を真っ赤にして怒鳴った。


(……珍しい。十一歳といえば思春期入りたてだし、そういう話題には敏感なのかな?もしかして、もう好きな人がいるんだろうか。だとしたらちょっと寂しいような……いや、父さんがいい相手を探そうとしてるのに、僕が父親みたいな心境になってどうするんだ。

 我ながら姉には弱い。地球での妹がいたせいだけど。マリー姉さんは暴力的だけど愛情があるし……いや、思考が逸れたな)


「えーと、父さん、母さん。つまり僕は、カレン様にビーストテイマーになるよう指定されているから、学校に行く必要があるんですか?」


「そうだな。カレン様に言われたからって理由だけじゃないけれどな」

 

 ウィリアムが真面目な顔に戻る。


「レンも分かっていると思うが、いずれはクロとシロを人間体に変身させるだろう?」


「はい、二人ともあと一年くらい経てば、もう充分大人になっていると思うので。もしかして、その方法を習いに学校へ行くんですか?」


「その通りよ」


 レベッカが引き継ぐ。


「私たちも専門じゃないから詳しくは分からないんだけど、ビーストテイマーが動物を人間体に変身させるには、魔法だけじゃダメなの。

 『魔法陣』が必要なのよ。動物の種類によって魔法陣の描き方も違うらしいし、ちゃんとした長い呪文や、時間帯なんかも関係してくるらしくて……とても素人が独学でできるものじゃないと思うわ」


「人々が皆、うちみたいに冒険者の家系ってわけではない」


 ウィリアムが補足する。


「親が冒険者じゃない子は、学校に入って専門的な技術を学び、軍やギルドに入るのが一般的だ。

 特に魔法陣の扱いは高度な専門知識が必要だ。国の宮廷魔導師になるようなエリートも、学校で様々な効果の魔法陣を学ぶ。

 ビーストテイマーの生徒は少ないだろうが、専門の先生はいるから、変身させる正しい手順と魔法陣は、学校で習う。そして、一般的な入学年齢が七歳なんだ」


(……学校か。正直、あまりいい思い出はない)

(地球にいた頃も、教室という場所はどこか苦手だった……何より不安なのは――)


「父さん、母さん。その学校って……イクスにはありませんよね?」


「ああ。学校があるのは首都の『ファルバ』だよ。カレン様の対談所が多くある、この国カレンシュタインで一番大きな都市だ。イクスからは……大体、馬車で二週間ぐらいの距離だな」


 二週間。


(まさか、七歳にして独り立ちとは。聞いてないぞ、カレン!!!)


「……あの……父さん……母さん……正直、すごく不安なんですが……」


 レンの声が震える。


「大丈夫よ、レン」


 レベッカが優しく微笑む。


「移動に時間がかかるから頻繁には会えなくなるけれど、年に二回、春と夏には二ヶ月のお休みがあるから。その時は絶対帰ってらっしゃい。それにファルバにも対談所があるから、カレン様を通してお互いのことは確認できるわ」


 帰れるのは年に二回。

 移動時間を考えると、実家でゆっくりできるのは実質一ヶ月だけ。


 連絡方法は、あの適当極まりないカレン頼み。


(……憂鬱だ。あまりにも憂鬱だ)


(でも、クロとシロのためだ。二人を人間にするためには、行くしかないのか?)


 レンがぶつぶつとネガティブなことを呟き、うなだれていると――


 これまで蚊帳の外だった人物が、ドン! とテーブルを叩いて立ち上がった。


「あーもう!!! 男らしくないわねぇ!!! うじうじしちゃってさ!!!」


 マリーだった。彼女は腰に手を当て、レンを見下ろして宣言した。


「そんなにパパとママから離れるのが嫌なら、私が代わりに付いて行ってあげるわ!!!」


 突然で唐突で、でもちょっと、いやかなり嬉しい提案。


 しかし、ウィリアムは首を横に振った。


「マリー? お前も学校に行きたいのか? あそこは基本的に、弱い人が強くなるための場所だぞ。お前はもう充分すぎるほど強い。行く必要はないだろう」


「だったらパパは、ここでうじうじしてるレンを、本当にこのまま一人で遠い所にやるつもりなの!?」


 マリーが食い下がる。


「本当に心配じゃないの!? この前、三人でこそこそ何か深刻そうな話をしてたじゃない! はっきり言って、レンはまだしっかり独り立ちなんかできやしないわよ! まだ甘えん坊だし、すぐ考え込むし、放っておいたら何するか分からないじゃない!」


 二十歳以上も年下の姉に「独り立ちできない」と断言されてしまった。

 ぐうの音も出ないレン。


「でも、マリーほど強い生徒がいたら、他の生徒も先生も混乱するんじゃないかしら……?」


 至極まっとうな意見を出すレベッカ。


「なら、先生になってやるわ!!!!」


 マリーは高らかに叫んだ。


「パパとママの実力なら、紹介状ぐらい書けるでしょ!? それが無理なら、ファルバ周辺で冒険者やって生計を立てて、レンの住む家の隣に住むわ! とにかく、私はレンを一人にするのは反対よ!!!」


(……お節介系ブラコン姉貴か。ちょっといいな……じゃなくて!!!)


「……姉さん。気持ちはすごくありがたいけど……姉さんまで父さん母さんと離れて暮らすのは……」


 レンが遠慮がちに断ろうとすると、両親があっさりと手のひらを返した。


「マリーが先生か、いいかもしれないな」


 ウィリアムが顎に手を当てる。


「知り合いの剣士がファルバの学校で先生をやってるはずだから、頼んでみようか」


「そうねぇ。私も昔のコネを使ってねじ込んでみようかしら」


 レベッカも悪戯っぽく笑う。


「手前味噌な感じもするけど、マリーは剣も魔法も優秀だものね。いきなり軍に入ったりソロで冒険者させるより、学校の先生という立場で社会勉強するのは、ずっといいかもしれないわ」


「やった! さすがパパ、ママ! 話が分かるぅ!」


 マリーがガッツポーズをする。


 あっさりと、マリーが先生として同行することが決定してしまった。


 マリーは自分の判断が認められたことが嬉しいのか、ものすごいドヤ顔でレンを見て仁王立ちしている。


 どう? 感謝しなさいよね!という声が聞こえてきそうだ。


 かくして。


 レンはビーストテイマーとして一人前になるため、実家から遠く離れた首都ファルバの学校へ行くことが決定した。


 一人かと思って不安のどん底にいたが、最強の姉がセットで付いてくるという。


 どこのハッピーセットだ。いや、文字通りハッピーではあるのだが。


 マリー、レン、クロ、シロのパーティは、まだしばらく解散することはないようだ。


 カシウス家の新たな旅立ちの予感が、イクスの空に広がっていた。

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