第二十一話 三人のリビングアウトフィット
レンたち四人がイクスの街に帰還してから、五日が過ぎた。
穏やかな日常が戻ってきたカシウス家では、レベッカによる「乙女教育」という名の猛特訓が繰り広げられていた。
初日の宣言通り、レベッカはクロとシロに対し、女性としての振る舞い、そしてクリスチャンとしての心のあり方を説いた。
クロには、物語を聞かせるように分かりやすく聖書の教えを。
シロには、その高い知性と理解力に合わせて、より深く、神学的な視点も含めた学びを。
基本的な女性としての嗜みや身だしなみについては、すでにアイナスとマリーからの薫陶を受けており、服に至ってはレンが暴走気味に買い揃えてしまったため、レベッカが補足することは少なかった。
となると、教育の主戦場は必然的に「キッチン」となる。
「ああっ、クロ! お砂糖と塩、それ逆よ!」
「……ふむ。味に深みが出ない。ならば、香辛料を倍量投入すれば解決するのでは?」
「シロ、それは極端すぎるわ! 待って、ストップ!」
キッチンからレベッカの悲鳴に近い声が響く。
クロもシロも、決して不器用ではない。動物だった頃、レベッカやマリー、そしてレンが料理をする姿を常に見つめていたため、皮むきや食材の切り分けといった下ごしらえは見事なものだ。
しかし、味付けという繊細な工程になると、途端に個性が爆発する。クロはお約束のように調味料を間違え、シロはその決断力の良さが裏目に出て、味付けを極端な方向へ振り切ってしまうのだ。
それでも、二人は必死だった。レンのために美味しい料理を作りたい――その一心で、粉まみれになりながらレベッカの言葉を吸収しようとしていた。
そんな愛らしい二人を見守るレベッカの表情には、慈愛とともに、隠しきれない不安の影が差していた。
料理の時間だけではない。ふとした瞬間に遠くを見つめ、一人で祈る時間が増えた。普段は明るく振る舞っているが、その笑顔の裏には拭いきれない憂いがある。
ウィリアムもマリーも、そしてレンもその違和感には気づいていたが、問い詰めることはしなかった。それは、彼女の聖域に踏み込むような気がしたからだ。
(母さんは、何をそんなに心配しているんだろう……)
レンは首を傾げる。
ウィリアムは男性だし、レベッカからのアプローチで結ばれた経緯もあるため、女性特有の機微には疎いのかもしれない。マリーも多感な年頃とはいえ、レベッカが抱く「女としての懸念」を共有するにはまだ幼い。
本来ならば、一番に気づくべきはレンであるはずだ。
クロとシロから向けられる、あれほどあからさまな好意と情熱。精神年齢は三十を超えているにもかかわらず、レンはそれらを「家族愛」や「ペットとしての親愛」として処理していた。
カレンが見たら「リア充爆発しろ」と叫び出しそうな状況だが、レンにはその自覚がない。
無理もない話だ。レンは地球時代、女性に対する免疫が皆無だった。異性から好意を向けられた経験など記憶の彼方を探っても見当たらない。動物時代から二人を深く愛していたが、それはあくまで「愛犬」「愛鳥」への愛だった。
彼女たちが人の姿になってまだ半月。さらに現在の肉体年齢は七歳。物理的にも精神的にも、レンの認識が現実に追いつくには、まだ時間が必要だったのだ。
†
レベッカの静かな憂慮とは対照的に、ライオンハート鍛冶店では凄まじい熱量が渦巻いていた。
日曜の礼拝後、ヨシュウから「準備は完全にできた。早く来い」と、ライオン系獣人特有の強面で詰め寄られたレンは、その迫力に押され「りょ、了解です……」と情けない返事をするしかなかった。
そして翌日。カシウス家の一行は、ライオンハート鍛冶店の重厚な扉を開いた。
「やっと来たか! 待ちくたびれたぞ!」
カウンターの奥から、ヨシュウの声が轟く。それだけではない。
「レンくん、クロちゃん、シロちゃん!! またこんな凄い機会を与えてくれてありがとう!! 鍛冶職人として、魂を燃やして挑ませてもらったよ!!」
「あらあら、クロちゃんもシロちゃんも美人さんになったわねぇ。二人にぴったりのアクセサリーも作っておいたわよ」
「ううううっ……感動じゃあああ!!! この歳で再び伝説に立ち会えるとは……もういつ天国へ旅立っても悔いはないわい!!!!」
ガッシュ、ソニア、そしてゴードンの三人が、カウンター前で待ち構えていたかのように叫ぶ。四者四様、情熱の塊のような歓迎だった。
「うわっ、はい、えっと……クロとシロの装備、よろしくお願いします」
「ひゃあっ!!」
「……レンと同じ装備、期待している」
レン、クロ、シロの三人もまた、三者三様の反応を返す。クロに至っては気圧されて悲鳴を上げているが、シロはゴードンの「いつ死んでもいい」という絶叫にも眉一つ動かさず、冷静に頭を下げた。
「カレン様から詳細は聞いている。クロとシロの素材、それにお前の素材は持ってきたよな?」
「あ、ああ。クロとシロの毛と羽、爪。それと僕の髪の毛は切ってきたよ。血液は固まるといけないから、今ここで採ろうと思うんだけど……大丈夫?」
「問題ない。儀式の直前が良いだろう。その前に、まずは完成した装備の説明をさせてくれ」
ヨシュウが真剣な眼差しで、カウンターに並べられた装備を指し示す。
「まずはクロ、お前の装備だ」
そこに置かれていたのは、マリーの装備にも似たロンググローブとロングブーツ形状のガントレット、そしてグリーヴだった。
この数日間の観察が生きたのか、クロの発育の良い胸元にぴったりと合うよう調整されたプレートメイルが印象的だった。
だが、その優美な見た目とは裏腹に、ガントレットとグリーヴには鋭利な刃が取り付けられ、凶悪なまでの実用性を感じさせた。
「カレン様から材質は銀が良いと聞いていたから、ベースはレンと同じだ。だが『とにかく分厚くしろ』という注文でな……かなり重くなっている。クロ、ちょっと持ってみろ」
「ひゃ、ひゃい、ヨシュウ先生!!」
恐縮しきりのクロがおずおずと手を伸ばす。
「えーと、ほい……あら? うん、これなら全然へっちゃらだわ」
「へえ、どのくらい重いんだ? ちょっと僕にも持たせてよ、クロ」
「オッケー、レン。ほい、パス」
「サンキュー……って、おもっ!!?」
ズシンッ!!
受け取った瞬間、レンの腕が重力に負けて床に叩きつけられた。
「いってぇ!! 嘘だろ、一体どうなってんだヨシュウ!?」
「あ、あわわわ、ごめんレン!」
クロが慌てて駆け寄り、レンの腕を押し潰していた装備を軽々と――まるで発泡スチロールでも扱うかのように――持ち上げる。
「分厚く作ったから当然だ。だいたいレンの装備の三、四倍の厚みがある。強度を上げるために鋼の配合も増やしてあるし、攻撃用の刃もついているからな」
「マジかよ……クロ、本当に大丈夫なのか?」
「んー、これくらいなら余裕なのね。心配ないわ、レン」
「一体その細腕のどこにそんなパワーが……」
「元々クロは犬だった頃から筋力が強かったし、何よりお前たちとの信頼関係が獣人としての身体能力を底上げしているんだろ。ビーストテイマーならそれくらい理解しろよ」
ヨシュウの呆れたような声に、レンは唸る。
「い、いや、理屈はわかってるんだけど……どうしても見た目の可憐な女の子らしさと、この質量のギャップが……」
「ちょ、ちょっとレン! 運転中もそうだけど、人前でサラッとそういうこと言わないで! 恥ずかしいじゃない……い、嫌じゃないけど……でも恥ずかしいのね!」
顔を真っ赤にして身をよじるクロ。無自覚に褒め言葉を投下するレンは、やはりどこまでも鈍感系主人公だった。
「いちゃつくのはその辺にしておいてくれ。次はシロだ」
ヨシュウが次に示したシロの装備は、見た目こそレンのものに近いが、その質感は異なっていた。
武器は短めの槍が一本と、数本のナイフ。
「材質は概ね同じだが、こちらは極限まで薄くし、アルミニウムなどの軽量金属も配合している。高速飛行を妨げない軽さと、チタンや鋼による最低限の防御力を両立させるための配合だ。カレン様考案のレンズ状の窪みも作ってみたが……効果の程は保証できん。シロ、持ってみろ」
「ん……問題ない。これなら、翼の邪魔にはならない」
シロが流れるような動作で装備を確認する。
「一応、僕も持ってみていいか?」
「ん、どうぞ。レン」
シロは恭しく、まるで王に献上するかのようにレンに装備を渡す。落ちないように、そっと手を添えて。
「これは……すごいな。金属なのに、羽のように軽い。それでいて、しなやかな強さを感じる……」
「前回の反省を活かしてな。親父もお袋も、じいちゃんまで総出で鍛え上げた。ライオンハート鍛冶店の技術の結晶だ」
「……ガッシュさん、ソニアさん、ゴードンさん。クロとシロのために、本当にありがとうございます」
レンが深々と頭を下げると、三人は照れくさそうに笑った。
「いやいや、レン君の時のような素晴らしい仕事ができると思ったら、つい体が動いてしまってね」
「私もよ。二人が美しく戦う姿を想像したら、デザインの手が止まらなくなっちゃって」
「鍛冶職人として最高傑作を残さねば、神様に顔向けできんからのう!!」
それぞれの情熱に、レンは苦笑しつつも感謝する。
最後にヨシュウが出してきたのは、ファルバの一級品を使ったインナーウェアだった。
「ちっ、やはりカレンめ……『趣味全開』とかいうふざけた注文をそのまま通しやがって……。まあいい、これだ」
広げられたのは、機能性と可愛らしさを両立させたアンダーウェアだった。
「あら、可愛いじゃない。デザインも色も二人によく似合ってるわ。……ちょっとスカート丈が短い気もするけれど、スパッツもあるし、若い二人なら大丈夫かしら。ねえ、レベッカ?」
「え、ええ、そうねソニア……。まあ、このくらいなら私も十代の頃は……たまに……」
レベッカの視線が泳ぐ。彼女の脳裏には、これを着てレンの周りを動き回る二人の姿が浮かんでいるのだろう。胃の痛そうな顔をしている。
コートの背中には、白い十字架の意匠。イクス周辺の羊系魔物の糸で織り上げられたその十字架は、レンたちがいつでもイエス様を思い出せるようにとの願いが込められていた。
レベッカが鬼気迫る表情で刺繍していたその背中には、言葉にできない祈りが込められているようだった。
「よし、準備は整ったな。レン、血液を頼む」
レンは躊躇なく手首を切り、滴る血を器に集める。すぐにクイックエイドとギガヒールで傷を塞ぐと、クロとシロもそれに倣った。
素材の中心に、手をつないだ三人が立つ。
「ではレベッカさん、マリーさん。融合のイメージをお願いします」
「はいっ!!」
「……はい」
マリーの元気な声と、レベッカの祈るような声が重なる。淡い光が店内を満たす。
「クロ、シロ。やるぞ。繋いだ手から互いの魔力を循環させ、放出するんだ」
「う、うん、やってみるわ!」
「任せて。ふふ、レンとクロと私の魔力が循環する……ふふ」
シロが恍惚とした表情を一瞬浮かべたが、すぐに真剣な眼差しに戻る。
レンが集中を高め、三人の魔力が一気に放出された。
瞬間、店内の光景が一変した。
レベッカとマリーの光に加え、レンの蒼、クロの紅、そしてシロの淡い緑――三色の光が螺旋を描きながら絡み合い、素材へと吸い込まれていく。
「よし!! 行くぞい、ガッシュ、ソニア、ヨシュウ!!」
ゴードンの号令とともに、四つの槌が振り下ろされた。
カーン、カーン、カーン。
金属音が響くたびに、三色の光は装備へと定着していく。レンたちは、前回よりもはっきりと、力強く、それでいて温かい「繋がり」を感じていた。
やがて光が収束し、そこには新たな「リビングアウトフィット」が誕生していた。
クロの装備は、深い蒼のガントレット、鮮やかな紅のグリーヴ、プレートメイルには大きなブロックチェックが描かれている。
シロの装備は、細やかなブロックチェックに染まり、洗練された美しさを放つ。武器である槍とナイフはダークブロンドに染まり、強化ガラスのような透明な被膜が神秘的な輝きを放っている。
「ふう……こりゃまた凄いな」
完成品をチェックしたヨシュウが、感嘆のため息をつく。
クロとシロは、互いの魔力である「炎」と「風」を共有できるようになっていた。インナー装備と武器には自動回復効果が付与され、シロの武器には投擲しても手元に戻る特性が備わっている。
「ありがとう……父さん、母さん、姉さん、そしてライオンハート家の皆さん。父さんが見守ってくれているだけで、僕は安心できます」
「あ、ありがとうございまふっ……!」
「ふふ、レンとお揃い……ペアルック……感謝する」
涙ぐむクロと、静かに喜びを噛み締めるシロ。
ウィリアムは、逞しくなった息子の肩に手を置き、静かに微笑んだ。
「レン、私がいれば安心と言ってくれるのは嬉しいが、本当に平安を下さるのはイエス様だからね。それを忘れてはいけないよ」
†
ライオンハート鍛冶店の更衣室で真新しい装備に身を包んだ三人は、その足でカレンの元へと向かった。
対談所に入ると、そこには無表情のカレンが座っていた。
嫉妬や羨望を超越し、感情が抜け落ちたような「虚無」の表情。ガチムチ髭スキンヘッドの老人が死んだ魚のような目をしている光景は、憤怒の形相よりも数倍恐ろしい。
「カ、カレン様? どうしたんですか……?」
「クロ、大丈夫。いつもと同じカレンよ。多分、色々と限界を超えてしまったのね」
「その……カレン。気持ちは察するが……教えてほしいことがあるんだ。大丈夫か?」
レンが恐る恐る声をかけると、カレンは重い溜息をついた。
「はぁ……なんだい? 心配しているのが馬鹿馬鹿しくなってきちゃうよ……」
「心配? リビングアウトフィットも完成して、強くなれたのに? まだ俺が七歳だから目的を達成できないと思ってるのか?」
「はぁ……レンレンも大概だねぇ……。まあ、僕だって当事者なら同じような反応になるかもしれないけど……レベッカさんが可哀想だ……」
「母さんがどうかしたのか?」
「……レンレンが自分で気づきなさい」
突き放すような言葉に、レンは首を傾げるばかりだ。
痺れを切らしたシロが一歩前に出る。
「カレン、何を心配しているのかは知らないけれど、答えてほしいことがある」
「なんだい、クロちゃん、シロちゃん」
「私とクロも、お互いの炎と風の魔力は使えるようになった。でも、クロの電気魔力と、私の光魔力は使えない。なぜ? 私たちの信頼関係は十分に強いはず」
カレンは少しだけ表情を戻し、顎に手を当てた。
「そうだね……考えられる可能性としては、レンレンがまだ幼いこと。そして君たちも獣人になって間もないこと。三人が知り合ってからの時間も、人生という尺度で見ればまだ短い」
「つまり、もっと時間と成長が必要ってことか?」
「……成長と時間、という部分は合っていると思う。あとは……可能性がもう一つあるんだけど……」
カレンが言葉を濁す。
「それは、僕からは言えない」
「珍しく教えてくれないんだな。お前の目的達成のためなら、強くなる方法はなんでも教えてくれると思ってたんだが」
「教えられないんじゃない……『言えない』んだよ」
カレンの頑なな態度に、レンはそれ以上の追求を諦めた。
「よくわからんが……これからもクロとシロと時間をかけて、家族として信頼関係を深めていけば、いずれ全ての能力が発揮されるんだな?」
「そう……だね。家族として……そして君たちが鍛錬を重ねていけば、可能性はある」
「なら問題ない。お前の言う通り、クリスチャンとしても冒険者としても鍛錬を積むよ。その間、クロとシロと一緒にいれば、絆も強くなるだろうしな」
レンの迷いのない言葉に、カレンは複雑な表情で三人を見つめる。
「レンレンの言っていることは正しいよ……。僕やレベッカさんが心配していることは、レンレンが自分で気づいて、その時どうするか自分で決めるしかない」
「やっぱりよく分からんな。とにかく、俺たちは三人で頑張るよ。父さんも母さんも待ってるし、そろそろ帰るな」
三人が退室の挨拶をして出て行くと、対談所には再び静寂が訪れた。
「……クロちゃんとシロちゃんは、レンレンを愛しているだけじゃなく、お互いをも愛している……」
カレンは天井を仰ぎ、誰にともなく独り言ちる。
「その愛はきっと間違っていない……。でも……神様。レンレンが将来どんな決断をしても、どうか見放さず守ってあげてください。クロちゃんとシロちゃんにも、幸せな未来が訪れますように……」
深い溜息が部屋に落ちる。
レンたちの準備は整った。だが、その強固な装備と絆が、彼らを待ち受ける運命から守ってくれるのかどうか。
カレンの心配が杞憂に終わるのか、それとも的中してしまうのか。それはレンの決断と、神のみぞ知る計画にかかっているのだった。




