第十二話 初めての戦い、守るための無茶
ファルバでの二日目の朝。
レンが目を覚ますと、誰かに頭を撫でられていた。
温かく、優しい手つき。
もちろん、ここに人間は二人しかいないので、撫でているのはマリーだ。
昨夜、モモコの理不尽な暴力により傷つき、倒れたマリー。
レンは必死に治癒魔法をかけ、クロは青い炎で、シロは赤い光で彼女を温め続けた。
その甲斐あってか、マリーはレンよりも早く目を覚まし、心配そうに弟の寝顔を見守っていたらしい。
「……姉さん、大丈夫? どこか体におかしいところはない?」
レンは飛び起きて、姉の顔を覗き込んだ。
顔色はまだ少し悪いが、瞳には光が戻っている。
「ん……ちょっと体が強張って、頭がぼんやりするけど……大丈夫よ」
レンが昨日抱き上げた時は、まるで氷のように冷たかった。
筋肉の強張り、意識の混濁……低体温症の後遺症か、それとも出血多量による貧血か。
(くそっ、もっと詳しく分かれば……!地球でもっと医学を勉強しておくべきだった!)
レンは唇を噛み締める。
「姉さん、ごめん。ちょっと体を見せて」
「えっ、うわ、何するのよレン!?」
レンは有無を言わせず、マリーの寝巻きを捲り上げた。
羞恥よりも、姉の体の状態を確認したいという焦燥が勝っていた。
……昨夜は暗くて分からなかったが、改めて見るとひどい有様だった。
白い肌のあちこちに、鋭利な刃物で突き刺されたような無数の傷跡が残っている。
幸い急所や顔は無事だが、手足を中心に痛々しい痕が刻まれている。
治癒魔法で塞がってはいるものの、ヒールのような低級治癒魔法では失われた血液までもとに戻せないし、傷跡を完全に消すこともできない。魔法は万能ではないのだ。
「……姉さん。モモコに、一体何をされたんだ?」
レンの声は、自分でも驚くほど低く、冷たく響いた。地球での「疲れた大人」の声が漏れていたかもしれない。
「……ただの、試験よ」
マリーは視線を逸らし、小さく答えた。
「魔法の試験。でも、階位を聞かれて『4位』と答えたら……突然、レイピアみたいな氷の槍が無数に襲ってきて……。一生懸命防御して、反撃しようとしたけど、あっちの手数が多すぎたのと、槍の動きが速すぎて……対処しきれなくて……。
氷に貫かれて、意識が朦朧としてからも、攻撃が止まらなくて……。気づいたら、レンが私のベッドに寄りかかって眠っていたから、撫でてたの」
マリーは、昨日レンに語りかけた最期の言葉――「一人にはしない」と言ったことを覚えていない。意識混濁の症状だ。
話を聞く限り、氷魔法による急激な体温低下と、多量の出血が原因だろう。
(階位を聞いた途端に攻撃? 4位という才能に嫉妬したのか? 逆恨みか? ……ふざけるな)
どす黒い感情が渦巻くのを、レンは必死に押し殺した。今は怒っている場合じゃない。マリーを治すのが先決だ。
体温低下はクロとシロのおかげで脱した。
問題は出血による貧血と、この傷跡だ。
(考えろ、考えるんだ! 出血には輸血……だがニエフじゃ血液型判定ができない。なら食事療法だ。造血には鉄分とタンパク質……ヘモグロビンの材料だ。あとは葉酸、ビタミンB12とか……。
レバーだ。新鮮なレバーや赤身肉が必要だ。
傷跡は……ビタミンCで代謝を上げる? いや、それだけじゃ消えない。皮膚移植? ……俺の皮膚を使えばいいか? 姉弟だし拒絶反応も少ないはずだ。痛いのは構わない。マリー姉さんの体に傷が残るくらいなら、俺の皮膚なんていくらでも……)
ブツブツと呟きながら真剣に考え込んでいると、視線を感じた。
顔を上げると、マリーが顔を真っ赤にして、涙目で睨んでいた。
「レン……? いつまでお姉ちゃんの裸、見てるのかなー?」
ボンッ!
レンの顔から湯気が出た。
「い、いやっ、違うんだ姉さん! 僕は姉さんの体を何とかしようとして……!」
「……何とかって何よ。いやらしい意味じゃないでしょうね?」
「ちっ、違うよ!!!! 体調を戻す方法と、傷跡を消す方法を考えてたんだって!!」
マリーはふっと表情を緩め、クスクスと笑った。
「ふふっ、分かってるわよ。ちょっと意地悪しただけ。レン、今まで見たことないくらい真剣で、思いつめた顔してたから。レンがそんな弟じゃないって分かってるわ。
……でも、それはそれとして。弟とはいえ、いつまでもレディの裸を凝視するのは失礼よ。……その、私だって少しは恥ずかしいし……」
もじもじとシーツを引き寄せる姉。
(……やっべぇ。照れてる姉ちゃん超かわいい。……そしてごめんなさい、俺は姉萌え属性持ちのダメな弟です……じゃなくて!)
「ご、ごめん姉さん!」
レンは慌てて毛布をかけ直した。
お互い顔を真っ赤にして、しばしの沈黙が流れる。
だが、レンの思考は止まらない。
やるべきことは決まった。
まず現状確認と報告。学校のスケジュールを確認し、治療に使える時間を確保する。
ウルリア学院長にマリーの無事を報告。
カレンに事情を聞き、治療法のアドバイスをもらう。
そして何より、具体的な治療だ。
鉄分とタンパク質の塊――つまり、栄養価の高い魔物のレバーを手に入れる。
傷跡の治療法も、カレンに聞くか、最悪は自分の皮膚を使って魔法を開発する。
「よし、やるか!」
レンは力強く立ち上がった。
「姉さん。ちょっと学校へ行って、これからのスケジュールを聞いてくる。あとウルリア先生に、姉さんはとりあえず命に別状はないって伝えてくるね。
あと、色々調べるのに町を素早く移動したいから、クロは連れて行くよ。シロは姉さんの看病をしてて。もし何かあったら、教会でやってたみたいに飛んで知らせに来て」
「レン……。私のために、色々しようとしてくれてるのね……ありがとう。でも、無茶はしないで。私はとりあえず大丈夫だから……」
「姉さん。大丈夫さ」
レンはニカっと笑った。地球で好きだった小説の台詞を借りて。
「『無茶』は喜んでやるもの。『無理』は苦しんでやるものさ。そして姉さんが言うように、僕がやろうとしてるのは無茶。だから、喜んでやるんだよ!
よし、クロ! ちょっとハードになるけど行くぞ!!!」
「ワンッ!」
クロが元気よく応える。
レンは装備を整え、クロに跨って颯爽と出かけて行った。
残されたマリーは、ぽかんとしていた。
「……変なこと言うのね、レンは。……でも、なんだか凄い迫力だったわ。あの子があんなに自信満々なの、初めて見たかも。
お姉ちゃんとしては、守られちゃうのはちょっと情けないけど……。どうかしらね? シロ、どう思う?」
シロはマリーの頬に擦り寄り、首筋を羽でくすぐった。
「あ、あははは、くすぐったいよシロ。分かったわ。レンは大丈夫なのね? 信じて待ちましょうか」
『……カー(任せておけばいい)』
シロは美しい声で一鳴きし、窓の外を見つめた。
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その頃、レンは猛スピードで走るクロに跨り、風を切って学院を目指していた。
石畳の道を疾走する巨大な黒犬と少年。街の人々の注目を浴びまくったが、今のレンにはどうでもよかった。
学院に到着すると、クロに乗ったまま受付へ突撃。
唖然とする職員にスケジュール(授業開始は一週間後)を確認し、ウルリア先生への伝言を残すと、そのままトンボ返りで飛び出した。
次は冒険者ギルドだ。
ギルドにもクロに乗ったまま突入。情報屋の男を見つけ、惜しげもなく金貨一枚を叩きつけた。
「ファルバ周辺の魔物で、食用になり、かつ栄養価の高いレバーが取れる魔物の情報をくれ。金ならある」
鬼気迫る6歳児の迫力に、情報屋は素直に情報を吐いた。
ファルバ周辺の山岳地帯には、土属性の亜種である「岩属性」のロックガゼル、ロックゴート、ロックシープなどの草食魔物が生息している。こいつらの肉や内臓は滋養強壮に良いらしい。
また、火属性の中型爬虫類もいるが、これは癖が強いとか。
そして、生態系の頂点には「ホワイトレパード」という無属性の上位種が君臨している。
こいつの肉は極上だが、凶暴で強く、冒険者たちが恐れる存在だという。
(土属性にはシロの風。火属性にはマリー姉さんの水……だけど姉さんはいない。
無属性は弱点がないが、逆に言えば何でも通る。
……狙うはロック系と、あわよくばホワイトレパードだ)
レンは脳内でシミュレーションを組み立てる。
岩属性には、ウィリアムから譲り受けた剣「インヤンクロス」の切れ味が有効。
クロの炎は相性が悪いが、彼女には「電撃」がある。全ての物質には電子が存在する以上、それを乱す電撃は属性を無視してダメージを与えられるはずだ。
パーティ戦力は半減しているが、レンの心に恐怖はない。
怖いのは、マリーが回復しなかったり、傷跡を負ったまま生きることだ。それを防ぐためなら、なんだってやる。
「クロ。ちょっと無茶な戦い方するけど、付き合ってくれるか?」
街を出て山道に入ったところで、レンは尋ねた。
「もっちろーん!!! マリー姉さんを助けるためなんでしょ? それに、レンが一緒なら私、怖いものなしよ!!!!」
「ありがとう。クロも絶対守るから。二人で姉さんを助けよう」
「ラジャー!!! ……そんじゃあ、そこの高いとこにいる、なんか偉そうなのやっちゃうね!」
「え、もう見つけたのか?」
見上げると、岩棚の上に大型のロックガゼルがいた。
「ちょっと待ってね……んー、えいっ!」
クロの可愛らしい掛け声と共に、極太の蒼い稲妻が迸った。
バヂヂヂッ!!!
岩属性で電気抵抗が高そうなロックガゼルが、一瞬で黒焦げになって崩れ落ちた。
「……すげえ」
「えへへ、すごいでしょ!」
「よし、これならいけそうだ。マリー姉さんとシロはいないが、基本はいつもと一緒だ。クロが攻撃メイン、俺は補助と回復、遊撃。それじゃ、本格的に狩猟開始!!」
「おーーーー!!!」
クロの勇ましい遠吠えと共に、ファルバ周辺の山岳地帯が狩り場と化した。
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朝から狩り続け、昼過ぎ。
大量の魔物を仕留めた二人は、岩陰で昼食がてらレバーの味見をしていた。
「あー……なんか爬虫類系のレバーは癖が強すぎるな……。肉は淡白で美味いんだけど」
「そうね。私も臭いからあんまり好きじゃないわ。それに比べて、なんか角生えてるヤツのは美味しいねー。特に角くるくるしてて、モフモフの毛が生えてるやつ!」
「ああ、ロックシープな。あれは当たりだったな」
和やかに食事をしていた、その時だった。
ゾワリと、肌が粟立つような殺気を感じた。
岩山の上から、冷ややかな瞳で見下ろす影があった。
純白の毛皮に、黒い斑点。しなやかで強靭な肉体。
ファルバ周辺の主、ホワイトレパードだ。
ギルドの情報ではBランク。つまり、剣術にしても魔法にしても階位5位以上の実力がなければ討伐することは難しい。ウィリアムやレベッカと同等かそれ以上の実力が必要な相手だ。
しかも、この個体は異常にデカい。通常の倍、100キロはあるだろう。限りなくAランクに近い変異種かもしれない。
レンたちが餌場を荒らしたことに腹を立てているようだ。
逃げ道はない。地の利は相手にある。
レンとクロのコンビで勝てるか? ……分からない。
だが、やるしかない。
「クロ。来るぞ」
「ワンッ!」
ホワイトレパードが音もなく跳躍した。
速い。だが、クロも負けていない。蒼い稲妻を纏い、迎撃態勢を取る。
レンはすかさず幻惑魔法をかけ、敵の感覚を狂わせる。
一瞬の隙。
クロが突っ込む。
だが、相手は歴戦のボスだ。空中で身を捻り、クロの牙をかわすと同時に鋭い爪で反撃してくる。
それを読んでいたレンが、クロの影から飛び出した。
「はあああっ!」
インヤンクロスの鋭い切れ味を乗せた一撃を叩き込む。
ギャオッ!
剣閃が走り、ホワイトレパードの片目を切り裂いた。
だが、それが王の逆鱗に触れた。
ホワイトレパードが咆哮すると、周囲の気温が急激に低下した。
青白い魔力が渦巻き、無数の鋭利な氷の槍が出現する。
氷属性。
ただの偶然だ。だが、その光景はレンのトラウマを刺激した。
傷ついたマリー。
嘲笑うモモコ。
重なるイメージ。
プツン。
レンの中で理性の糸が切れた。
「……殺す」
レンは防御思考を捨てた。
「うおおおおおおおおっ!!!!」
氷の槍の嵐の中へ、正面から突っ込んだ。
数本の槍を全力の炎魔法で瞬時に蒸発させ、ホワイトレパードの顔面に剣戟を叩き込む。
ドガァッ!
衝撃と熱で敵が吹き飛ぶ。
だが、代償として――レンの体には、太い氷の槍が3本、深々と突き刺さっていた。
「クロ、今だ!!!」
大量の血液を振りまきつつ吹っ飛んだレンが叫ぶ。
発生した水蒸気で電気伝導率が最大になった空間。
クロはレンの姿に悲鳴を上げそうになったが、主人の命令を遂行した。
「あああああああっ!!!!」
涙ながらに、最大電圧の蒼い雷撃を放つ。
バリバリバリバリッ!!!
水蒸気を伝って直撃した雷は、ホワイトレパードの心臓と神経を焼き尽くした。
巨体が痙攣し、どうと倒れる。
完全な沈黙。
クロは水蒸気の中、匂いを頼りにレンの元へ駆け寄った。
「レン、レン!!!! 大丈夫!? ねえ、死なないで!!!」
「……あー、何とか……大丈夫だ……」
レンは苦痛に顔を歪めながらも意識を保っていた。
「ギリギリで……コートを急所に巻きつけたから……致命傷は避けた……。装備のない二の腕と太もも、肩はやられたけど……」
「あわわわわ……こ、これどうすればいい?」
串刺しになったレンを見て、クロはパニック状態だ。
「……落ち着いて。一本ずつ抜いてくれ。抜いたらすぐに『アクア・ウォッシュ』で洗浄して……いてて、『クイックエイド』で止血する。その後、自分で『ヒール』をかけるから」
「わ、分かった! ゆっくり、ゆっくりね……!」
クロは震える口で槍を咥え、慎重に引き抜いた。
激痛に耐えながら止血し、全ての槍を抜き終わると、レンは自分自身にヒールをかけた。
クロが炎で体を温めてくれたおかげで回復が早まった。10分ほどで、レンはどうにか立ち上がれるようになった。
「ふぅ……クロ、ありがとな。もう大丈夫だ」
レンが笑いかけると、クロはポロポロと涙をこぼした。
「もうレン!!!! 絶対こんな戦い方しないで!!!!!
今回はたまたま上手くいったけど、こんなのレベッカ母さんに教えてもらった戦い方じゃないよ!!!!! さっきの槍だって、当たり所が悪かったら死んでたかもしれないんだよ!? レンが死んじゃったら、私どうすればいいか分かんないよ……!」
クロの悲痛な叫びに、レンは我に返った。
マリーを助けたい一心で、一番近くにいるパートナーを悲しませてしまった。
「……心配かけてごめんな、クロ。
今までは姉さんやクロが前線に立ってくれてたから知らなかったけど……俺、大切な人を守りたいって思うと、かなり馬鹿で考えなしなことをしちゃうみたいだ」
レンはクロの頭を優しく撫でた。
「だから、クロにはこれからも守ってもらいたい。もちろん俺もクロを守るけど……俺弱いからなぁ。クロに守ってもらうことの方が多くなると思う。
……そんな情けないマスターだけど、まだ一緒にいてくれるか?」
「レンの馬鹿……。そんなの当たり前じゃない……」
クロはレンの胸に顔を埋めた。
「誰が私を、あの暗い檻と孤独から助けてくれたと思ってるのよ……。あの時、ウィリアム父さんに言ってたじゃない。私を助けられなかったら一生後悔するって……。私、その言葉今でもちゃんと覚えてる。
それに……私も、レンを守れなかったらもう生きてる意味なんてない……」
「そっか……。そうだな、確かに俺はそう言った」
レンは遠い目をした。
「でもクロ、二つだけ約束してくれ。
まず、俺が死んだとしても『生きてる意味がない』なんて言わないでくれ。
そして、いつかお前を人間体にしたら……俺よりも遥かに凄い方が、お前を本当の意味で救ってくださる。俺はその方のことを、お前が人間体になったら出来る限り教えていくつもりだから……どうか、救われてくれ」
「その方って……レンとヨシュウがよく話してた『イエス様』って人のこと?」
「なんだ、知ってたのか?」
「きっと私がまだ人間体じゃないからよく分からないんだと思うけど……でも、レンの大切な人なのよね?」
「ああ。俺だけじゃなくて、イエス様を信じる人たちみんなの救い主さ」
「そう……。よく分からないけど、レンが私を助けてくれたみたいに、してくれる人なのね?」
「いや、俺なんかよりずっとちゃんと、クロを助けてくれる神様だよ。人間体になったらきっと分かるさ」
クロは少し考えてから、顔を上げた。
「レンより凄いなんて想像もつかないけど……人間体になるのがもっと楽しみになったわ。
今はまだ分かんないけど、レンがそう望むのなら、私、イエス様を信じるようにするわ。きっとシロも一緒だと思う」
……でも、一番はレンだけどね。
そう言い足すように、クロはレンの頬をペロリと舐めた。
「そっか……ありがとう」
レンは心からの感謝を伝えた。
「さて、予定外の大物も狩れたし、そろそろ帰ろうか。
このレバーを食べれば姉さんも元気になるし、ホワイトレパードの素材を売れば、もっと良い治療も受けさせられるはずだ」
「……そうね。マリー姉さんには早く元気になってもらわないと」
クロは頷きつつ、レンがマリーのために命がけになったことを思い出し、少しだけチクリと胸を痛めた。
(……早く人間体になりたいな)
かくして、マリー回復のための最高級食材と資金は確保された。
あとは傷を消す方法だ。明日にでもカレンに相談しよう。
こうして、本当の意味でのカシウス・レンの「初めての戦い」は終わったのだった。




