変わった帝国
随分久しぶりにウリクセス様の屋敷に足を踏み入れた気がする。いや、今回来るのは初めてなのだけど……ほぼ以前と同じ外観の屋敷に、ほぼ同じ位置に作られた私の部屋。内装も殆ど以前と変わりない。おかげで初めて足を踏み入れたという感覚が湧かない。
「すごい……ここまで前と一緒だと思わなかった」
思わず感嘆の声をあげてしまう。私の侍女達も、全員一緒ではないがライラーを始めとした特に良くしてくれた人は同じだし、よくここまで以前と同じに出来たものだ。
「前と近い方が過ごしやすいと思って。私自身も、ある程度一緒にしておかないと混乱するからね……なんせもう合計すると何百年もこれでやっているから」
サラリと責められた気がしたのは、私の自意識過剰だろうか。「申し訳ございません……」ととりあえず謝っておく。
「謝る必要は無いよ。なんせタルジュが私に様々な生を歩ませてくれたおかげで、今回マニュス帝国はこれ程までに変われたのだから」
帝国に着いた私を出迎えてくれたのは、信じられない光景だった。幼い平民の子が紙でできた本を持っている……!もう製紙技術や印刷技術が出来上がっているのかとそれだけでも感動したのに、日本で言うところの小学校のような教育機関も少しずつできているらしく、身分に関係なく教育を受けることができる環境が整ってきていた。
さらに首都部に着くと、馬車の周りに沢山の人が集まり、こちらに向かって手を振る。私とウリクセス様の名前を呼びながら笑顔を向けてくれる人々。晴れているけど少しくらいなら大丈夫だよね?と思いながらカーテンを開け手を振り返す。でもカーテンを閉めていたのに私だと分かったのだろう?
「馬車の側面に帝国の紋が入っているからね。紋入りでカーテン締め切った馬車なんて、タルジュが乗っていると書いているようなものだから」
「民が集まってくるレベルで、私が帝国に来る事が知れ渡っているのですか?」
「勿論。伝説を知らない者であっても、この数年の帝国の変わりようはアズィーム山脈の神の知識だと知っている。そしてその知識は私がタルジュと婚約したおかげで得られた物で、実質的にタルジュのおかげだと皆思っている。すでに人気者なんだよ」
私のおかげではなく、転生しまくって知識を蓄えたウリクセス様がすごいだけなのだけど、ウリクセス様にいくらそれを指摘しても「だってタルジュがその知識を私にくれたんだよ」と聞く耳を持ってくれない。
そして、迎えにきた時からずっと気になっていたのだけど……ウリクセス様がいつもの黒の手袋をしていない。アズィーム王国では白斑を差別したりする文化は無いので外しているのかと思っていたが、帝国に着いてからもずっと素手だ。素手で民に手を振っている。
「ウリクセス様、手袋はしないのですか?」
流石に疑問に思い聞いてみると、やっと聞いてくれたと言わんばかりの顔で説明してくれる。
「皇帝がシロ様とアズィーム国王に約束したからね。この五年の間に、異端だからと誕生しなかった事にすると罰せられるようになったり、あからさまに差別することが明確に禁じられた。それがアズィーム山脈の神が求めた事で、その対価として沢山の知識と伝説上のアズィーム王家の寵愛を分けてもらえたことになっている。……タルジュのおかげで、私はすっかり手袋なしでも出歩けるようになったよ。ありがとう」
夏は少し暑かったしね、と付け加えながら私の頬に口付けてくるウリクセス様。カーテンが開いていたので外から囃し立てるような歓声が聞こえてくる。恥ずかしいからちょっと控えて欲しい!
「ウリクセス様?あの、こういう見せつけるようなのはちょっと、どうかと……前はあんなに私の事を隠したがっていたのに……せめて隠れた場所で」
「何百年もやっているとね、完全に私だけのものにして隠してしまうよりも、私のタルジュだと見せびらかすようにしておいた方が上手くいく事がよく分かったから。やっと本物のタルジュを得たのだから、学習した事を存分に使わないとね」
……私のせいで転生しまくった件を、こう笑顔で持ち出されると反論できない。
「アズィームの姫、よくぞ帝国まで来てくれた。マニュス帝国皇帝として礼を言う。そして、息子との婚約を受け入れてくれた事を皇帝としてだけでなく父親としても礼を言いたい」
ウリクセス様の屋敷に到着した日の夜。着いて早々に申し訳ないのだけど、と宮殿に連れて行かれた。なんでも皇帝が私に会いたがっており、食事を一緒にしたいとのこと。
五年ぶりにお会いした皇帝は、相変わらず私は苦手意識があるのだけど……以前のように肌でも感じとれる緊迫した空気は纏っていないのでまだマシだ。
「お陰で帝国は生まれ変わったかのようだ。本当に心から感謝している。親しみを込めて名前で呼んでも?愛称でもよいが……そうだな、ルジュとか」
そう言いながら皇帝が私に対して膝を折るので、困惑した目線でウリクセス様に助けを求める。
「……父上、タルジュの困惑した可愛い顔が父上に向くのが嫌なのでやめてください。私が不愉快です」
いやいやいや、そういう事ではなくってね?
「そうか、そうだな。こんなおじさんに愛称で呼ばれても困るか……。ウリクセスを怒らせると後が怖いからな、やめておくか」
……それで納得して引き下がる皇帝も皇帝だし、ウリクセス様もウリクセス様だ。皇帝に対して怒るウリクセス様なんて想像できないのだけど、一体どんな風に怒ったのだろうか。ていうか何をしたのだろう。
食事の席に呼ばれたのは、私とウリクセス様。そしてフェーリックスとその婚約者であるラエティティア様だった。家族となるのだからと、皇帝が顔合わせも兼ねた食事会を行いたかったらしい。無理矢理連れてこられた前回とは全く違った、暖かな空気感。同じ世界でも、これ程までに変わるのか。私的には全く初対面な気はしないのだけど、初対面なのでちゃんと挨拶していく。
「タルジュ様初めまして。第一皇子の婚約者のラエティティアと申します。同じ婚約者という立場同士仲良くしましょうね」
聞けばラエティティア様はアイーシャお姉様と同じ歳だったらしい。前回苦湯を飲まされた件もあってどうしても警戒してしまう。
「ティア、そこまで仲良くしなくていい。ティアもそいつも忙しいだろう、こういう場でだけ交流しておけばいい」
そしてフェーリックスは初対面でも私の事はそいつ扱いだった。悪いやつでは無い事は前回よーく分かったが、印象が悪いのはこういう所のせいだと思う。
「フェーリックス、ラエティティア様が忙しくしてるから心配だと正直に言えばいいのに」
「まあ!フェーリックス様は私の心配をしてくれていたの?嬉しい!」
「おいウリクセス!バラすんじゃない!」
言い合いする子供達を皇帝も笑いながら見ている。……これは本当に前と同じ世界なのだろうか。ギスギスとした前の世界観を想像して帝国に来たので、拍子抜けしてしまいそうだ。
「……びっくりした?タルジュのおかげでね、本当に平和なんだよ」
こっそりと隣に座るウリクセス様が耳うちしてくる。
「フェーリックス様、ほらやっぱりウリクセス様はタルジュ様の事大好きなんですよ!あんなに親しそうにして……利用するだけの婚姻なんかじゃっ、むぐぐっ」
ラエティティア様の口をフェーリックスが慣れた様子で塞ぐ。……なるほど、ラエティティア様が余計な事を口走るのは昔からという事か。
「タルジュ、ウリクセスの為にもこの際だから伝えておくが……帝国内にはこの婚約がタルジュを利用したいがために結んだものだという声もある。しかし私はウリクセス本人から、つい手を引いて連れ去ってしまう程に貴女に一目惚れしたのだと……耳にタコができそうな程聞いている。どうかウリクセスを信じ、余計な声に関しては気にせず生活してほしい」
「……はい」
まさか皇帝がこのようにウリクセス様を庇うような発言をするなんて。もう色々と信じられない事ばかりで……都合のいい夢を見ているのでは無いかと思ってしまう。
「夢じゃないよ、現実だからね」
相変わらず私の表情を読むのが上手いウリクセス様がまたこっそりと耳うちしてきて、それを見たラエティティア様がキャーキャー言う。
今度は皆を守るのだと、ウリクセス様を守るのだと……変に身構えなくとも、この感じだと大丈夫なのではないだろうか?ここからどう転んでも、前回のようにはならない気がする。……占術省だって、伝説の通りの寵愛をウリクセス様もいただいているのだから、きっとウリクセス様には手出ししないだろう。
頭ではそう思うのだけど、食事の手が止まってしまう。どうしても前回の記憶が蘇ってきて……この水を飲んだら結果的にウリクセス様が死んでしまうのではないか、とか恐ろしいことを考えてしまう。
「ウリクセス、そいつ体調悪くないか?食事の手が度々止まっているが」
「……長旅で疲れているんだと思うよ。なんせ父上が到着した日に考え無しに呼び出すから」
そいつ扱いではあるが、ウリクセス様に対して私の体調を気にかけた言葉をかけてくれるフェーリックス。そして自分のせいにされてしまった皇帝はしょんぼりしている。
「皇帝は早くタルジュ様にお会いしたかったのですよね?お気持ちわかりますわ……えーと、ウリクセス様も心から怒ってはないですよ!……多分」
ラエティティア様が慌てて皇帝を励ましているが、それは励ましになってないと思う。
「タルジュ、疲れたよね?もう帰る?」
ウリクセス様が優しく問いかけてくれるが横に首を振る。きっと大丈夫、今回はそこまで気にしなくても……少なくともこの場はウリクセス様だって同じ物を食べているのだから平気に決まっている。
「大丈夫です。ウリクセス様のおっしゃる通り、少しだけ疲れただけで」
「そう?じゃあ食べられる物だけ食べればいいよ。ほら、あーんしてあげるから」
そう言いつつ私の口元にウリクセス様がフォークで突き刺した苺を運んでくる。……フォークはウリクセス様が先ほどまで使っていた物だし、苺もウリクセス様の皿から出てきた。
「きゃー!ちょっと待ってあのウリクセス様がタルジュ様にはこんなに甘々だなんて!フェーリックス様、見ました?」
「……ティア、叫びすぎだ。少しは静かにしろ」
外野の声に気を取られそうになるが、きっとこれは気を遣ってこうしてくれている。私が毒を盛られた事を思い出して食べ進める事ができないのだと理解した上で、心配ないと自分の皿の物を自分のフォークで差し出してきているのだろう。しかも生の果物は毒も盛りにくい。
「ふふっ、ウリクセス様ありがとうございます」
お礼を言ってから、口元に運ばれた苺をぱくっと食べる。
「きゃー!皇帝、見ました?お二人が甘々ですよ!」
「……ティア、黄色い歓声に父上を巻き込むのはやめろ。父上が困るだろう」
「はは……困りはしないが、うむ。両皇子が婚約者と仲が良いとなると、帝国も将来安泰だな。沢山優秀な孫が生まれて、私は平和に余生を過ごせたら良いのだがな」
孫かぁ。私はまだ十歳だからまだまだ先の話だなと他人事のように思ってしまったが、それを聞いたラエティティア様はピタッと黄色い声を止める。
「皇帝、それはセクハラなのでやめていただけませんか?義理の父に子供の話をされるのは不愉快です!ね?フェーリックス様」
グサリと音を立てて皇帝に言葉のナイフが刺さった気がした。まさかのラエティティア様の一言で皇帝が撃沈している。フェーリックスは十八歳、ラエティティア様は十五歳。そろそろ後継を見据えた会話をされてもおかしくはない年齢ではあるが……家族になるから食事会をと言った皇帝に対し、普段は励ましたりしてフォローに回っているにも関わらず、「義理の」というワードでいきなり距離を突きあけてくるこの態度。無自覚でやっているのなら見習いたい強さだ。
「最近は父上を喜ばせるのも撃沈させるのもラエティティア様ですね。……父上も少し反省しては?その調子だとタルジュにも嫌われますよ」
また苺を私の口元に運びつつ、ウリクセス様が言葉のナイフ第二弾を皇帝に突き刺すのだった。




