幸せ、だった日々(2)
「タルジュ、朗報だ。ついに羊皮紙より紙の方が遥かに安く生産できる目処がついた」
数日ぶりに私の部屋に現れたウリクセス様が、嬉しそうに報告してくる。髪を編み込んで完全に執筆モードになっていたのだけど、ペンを置いて話を聞く。
「だからここ数日忙しそうにしていたの?深夜まで仕事に追われているって聞いたけど」
「……せっかくタルジュの好きな紙の話をしているのに返事が冷たいね。これで平民の教育も進める事ができるし、タルジュの書く物語だってもっと世の中に広める事ができるというのに」
ウリクセス様のおかげ、と言っていいのかは分からないが、いつの間にか私の書いた小説は本にされ勝手に世の中に送り出されていた。最近は活版印刷の技術が出来上がったので書き写すための人手も不要となり、貴族であれば本を手に取って読書を楽しむ事も気軽に出来るようになってきている。
作家の分母が少ないが為に女性向け恋愛物ジャンルの人気作家になってしまい、おかげで執筆も忙しい。でも待ち望んでいた推しを愛でる文化に近づいていると思えば、この忙しさすら愛おしい。
「返事が冷たい?そんなつもりは無かったのだけど……あ、目処が立って良かったです、おめでとうございます。ベリージャムのクッキーがありますけど食べますか?」
ウリクセス様も疲れているだろうと思って、彼の好きな甘い物でも出してあげようと、立ち上がり戸棚に向かう。私も今日は食べようかなぁと考えていると、後ろから頭1つ分以上大きな体に包み込まれた。
「タルジュ、ごめんね。寂しかった……?」
黒い手袋に覆われた長く綺麗な指が、私の腕を撫でる。
「……少しだけ」
恋するまで知らなかった。離れる事がこれ程寂しいだなんて。不安になるだなんて。
会えない時間が愛を育てるなんてよく言えたものだ。おかげで私の書く物語はハッピーエンド一色、登場人物達にも辛い恋などさせたくない。
「少しだけ?私はとても寂しかったのだけど?」
少しだけ腕が緩められ、向かい合わせにされて抱きしめられる。私も手を回して抱き返すようにすると、ウリクセス様は嬉しそうに微笑んだ。
「何だか随分と嬉しそうですね?」
「勿論。会いたかったよ、私のタルジュ」
編み込んだ髪が解かれ、髪に指を差し入れ梳くように頭を撫でられる。素肌でされるのに比べ手袋の縫い目で若干の引っ掛かりを感じるが、いつも通り優しいウリクセス様の手付きに安堵感を覚える。
「前から言ってるけど、私は結ってない柔らかくクルクルした髪の方が好きだよ。何で結っちゃうの?」
「だって結ってないと、俯くと髪が垂れてきて邪魔なんです。私だって前から説明してるじゃない!」
「だから、私といる時くらい私の好みを優先してくれてもいいじゃないかって事だよ。明日の夜会は下ろした髪をベースにしてきてね」
明日はウリクセス様が18歳となる前夜祭である夜会が開かれる。今までずっとウリクセス様の屋敷外で行われる公務は視察のみで他はノータッチだったが、今回ばかりはそうもいかないらしい。帝国の法上結婚できる歳となる18歳の行事は特別で、主役は婚約者を同伴するのが必須だそうだ。ウリクセス様の兄フェーリックスの時も同じように……ん?そういえばフェーリックスの婚約者って見た事も聞いた事もない。ウリクセス様より5歳年上のはずだから現在23歳。お相手が年下なのだろうか、第一皇子なのに結婚するって話を全く聞かない。嫌いすぎて考えたこともなかった。
「タルジュ、また他事考えてるでしょ。抱きしめられている時くらい、私の事だけを考えて欲しい」
「あ、ごめんなさい。人が沢山集まる場に出るの、本当に久しぶりで……ちゃんと出来るか心配」
視察の時に沢山の役人がついてくる事もあったのだが、役人側が気を遣って私に話しかけると……即ウリクセス様が間を割って入ってくるのだ。お陰で私は役人達の間では「話しかけてはいけない人」扱いされているらしい。
5年間ウリクセス様を除くと、ライラーをはじめとした侍女達や家庭教師の先生としかほぼ話す機会の無かった私……すっかり対人スキルがゼロになってしまいました。




