名実共に(2)
「……タルジュは優しいね、私の腕の事を気にするのは終わりにしよう?そんな悲しげな顔しないで、教育に対するタルジュの意見を聞かせてもらえるかな?」
腕について話している時は平然としていたのに、私の表情に気がつくと困ったような苦笑いの顔に変わる。困らせてはいけない、と急いで気持ちを切り替えた。
「ちなみにウリクセス様はどのような案をお考えに?」
「各領主に領地内の平民の教育を任せて、優秀な者を目標値より多く排出できた領には報酬を出そうと思っている。費用は一定までなら後に帝国が補充する」
インセンティブを導入する訳ですね。確かにそれならどのように舵を切るのかは、貴族である各領主が決める事が出来る。そこまで考えているならもうそれでいいじゃないと思うのだけど、駄目なのだろうか?私に問われる意味が分からない。
「タルジュ、顔に出てるよ。こういうのは様々な角度からの意見を聞いた方がいい。1人で考えて完璧だと思っていても、他人の目から見れば穴だらけだったりする事もある」
それは実体験としてよく分かる。読者様が誤字脱字チェックしてくれたり、漫画が完成し印刷した後にトーンの貼り忘れに気が付いたり。自分の目は節穴なのかと悩んだエピソードは挙げればキリがなくなるほど存在する。
「あくまで私なら、の話ですけど。一旦平民の教育については保留にします」
「へぇ……まさかそうくるとは思わなかった。タルジュは平民への教育には反対しないと思っていたのだけど……やっぱりタルジュと話してると飽きなくていい。では、そう考えた理由を聞こうか?」
「いや、反対したい訳ではなくて……」
こんな事を言ったら気を悪くされるかなぁと思いながらの発言だったのだが、ウリクセス様は心から面白いといった表情をされているので少し安堵しつつ、自分の考えを述べていく。
「現在平民の一般的な学びの手段は口授です。口授は文字が分からなくとも知識を吸収できるしコストも低い手段ですが、高等な内容を学ぶのには向いていません。それに決まった時間に行われる講義に、農作業など仕事の合間を見繕い参加するのは難しいと思います。子供も労働力の一部として働いているような場合、ありがた迷惑だと敬遠される可能性もあります」
「そうだね。実際そのように敬遠されているから、なかなか平民には教育が行き届かない。だからこそ力を入れることによって、学びたいと思ってもらえる環境を作りたいという話なのだけど?」
「だから、紙を作ります」
「……は?」
「だから!そこで紙の出番です!!」
「……目が点になる、とはまさにこの事だな。タルジュが紙が大好きなのはよーく知っているが!まさかこんな所まで絡めてくるとは思わなかった」
こんな所だなんて失礼な。私は確かに「創作の手段として」紙をこの上なく愛しているが、だから絡めた訳では無い。ちゃんとした理由がある。
「平民の教育の前に、安価に紙を製造できる技術を作る。ついでに印刷技術を発展させれば現在の羊皮紙で作られた教本よりはるかに価格を抑えた教本が製造出来る。平民の子供1人1人に配布出来るだけの教本が用意できるようになれば、文字さえ読めるようにしてしまえば各自好きな時間に好きなだけ勉強できるようになります」
本当に能力のある子なら、文字が読め教本があればある程度自主的に学習するだろう。学習する事により将来有望な職への道が拓けるのなら、それに釣られるように勉学に励むパターンもあるかもしれない。
「労働力としてあまり期待できない幼い年頃の子を『託児所』と銘打って集め、文字を教え込めばよいかと。各自で自由にできる教本があれば、文字を学んだ幼子からその家族へと知識の口授や上の世代の識字率の向上も期待できます」
識字率が上がれば、娯楽としての読書も視野に入ってくるし……良い事づくめでしょ!と下心込みで思うのだけど、
「まぁ問題はその紙を安価に製造するための手段……なんですけどね。」
アズィーム王国にいた時からなんとか紙を安く作れないかと思案していたのだが、小学生の頃にしたような牛乳パックの紙梳きや、教科書で見たような和紙作りの製法しか知らないので、お手上げ状態だった。勿論羊皮紙やパピルスを安く作る方法でもいいのだが、そっちは紙以上に分からない。
「タルジュ、ちょっと聞きたいんだけど」
そう言いながらウリクセス様がソファーから立ち上がり、羊皮紙で作られた本を1冊手に取って、私の横に座り直す。……大事なポイントなのでもう一度言います。対面のソファーに腰掛けていたのに、わざわざ私の横に座り直す、です。あまり大きなソファーではないので肩が触れ合いそうな至近距離になってしまうし、微かにシトラス系の香りがして……少しだけ心がドキドキしてしまったのは秘密です。
好意を持ってしまっただけではなく、それが徐々に恋に変わりつつあるのを意識してしまう。約2ヶ月前には横抱きにして運ばれたって何も感じなかったのに、今では横に座るだけで意識してしまうだなんて。
恋って実際にしてみると怖いものね。創作のネタにしよう。
「タルジュの言う教本とは、このような羊皮紙で作られた本では無いということで合っているかな?そして、パピルスのようなアズィーム王国で使われていた物でも無い?」
「そうです」
「それはもしかして、これを使って作るのを検討していたりする?」
そう言いながらウリクセス様が手に取ったのは、先程見た平民の教育について纏められた用紙。そういえばコレ、紙だ。前世の記憶が濃くて逆に違和感なく手に取ってしまっていたが、羊皮紙でもパピルスでも無い紙を見る事なんてこちらの世界では無かった。
もしかしてマニュス帝国では製紙技術がすでにあるのだろうか?なら話が早い。
頷くと、ウリクセス様がニッコリと笑った。
「この用紙は、遠い東の国からもたらされた方法を使って作られた物だ。この帝国では珍しい物で、つい最近再現することに成功した所謂国家秘密なんだけど……何故タルジュが知っているのかな?紙好きのタルジュの事だから喜ぶだろうと思って使ってみたんだけど、あまりに自然に受け入れるから変だと思っていたんだよね」
やらかした、と気がついた時にはもうすでに遅し。ウリクセス様、だからこの状況で笑顔は怖いんだってば。
錆びた機械のようにギッギギと音がしそうな動作で、怖い笑顔のウリクセス様から顔を背ける。
「タルジュ、私を見て説明してくれるかな?」
どうしよう、どうしよう……何と説明すれば良いんだろう。アズィーム王国で見たことあります、なんて嘘通じないだろうし……前世で使ってましたなんて言ったら更にややこしい話になってしまう。血の気が引くとは正にこの事……ウリクセス様の追及を逃れる為にはどうすれば良いのか……。
「ねぇ、誰から聞いたの?私の監視下に置いてるつもりだったのだけど、誰かと繋がっているのかな?」
どんっと横から体を押されて体が倒れる。ソファーの肘掛けにこめかみが当たり、痛っ!と思ったと同時に両手首を片手で掴まれて頭の上に纏められる。そして倒れた私を、ウリクセス様が覆い被さるようにして見下ろしてくる。
これは噂に聞く壁ドンならぬ床ドン!いや、手を纏められているから違う?とりあえず脳内が大パニックだ。もしかして何処かの密偵かと疑われているのだろうか?どうやって誤解を解こう!?
「ねぇ……私のタルジュ、誰と連絡を取っているの?どうやって私の目を掻い潜っているの?」
もう片方の手が私の頬を包み、親指が口角から唇の中心部に向かって這う。手袋をしていない手で直接肌に触れられるのは、5歳の時以来だ。
先程の怖い笑顔は何処かに消えてしまった。今目の前にあるのは、あの時のフェーリックスと同じような冷たい瞳をした、ただただ怖いだけの表情。普段は表情や纏う雰囲気が異なるから何も思わなかったがやはり兄弟だ、似ている。
「言う気がないのならライラー達に聞いてみようかな。侍女ぐるみじゃないとタルジュに近寄るなんて出来やしないだろうから、口を割るまで拷問にでもかけようか。不貞相手も侍女もタルジュも、皆罰を受けてもらうよ」
……え!?ちょっと待った、なんで密偵じゃなくて不貞を疑われるわけ!?そんな事していないし、第一この歳でそんな事ある訳ない!!思考回路大人びすぎでしょう!!
「ウリクセス様誤解です!不貞なんて働いてないし、この屋敷に来てからウリクセス様と侍女にしか会っていません!あと、密偵とかでもありません!」
「では何故紙の存在を知っている?この紙の事は一部の中枢の者たちしか知らない、しかも中枢に居るのは男ばかり。私の許可無しに男と連絡を取るなんて、絶対に許さないから。……今相手の名を明かすならば、そいつの命までは取らない。さぁ、兄よりは優しいと評される私の気が変わらぬ内に吐いた方がいいよ?相手は、何処の、誰?」
もう、紙を知っている=不貞と決めつけられてしまっている。もしかしなくても、ウリクセス様はかなり嫉妬深い性格……なんだろうな。
……たしかに前世の記憶がなければ、誰かに聞かないと紙の存在なんて知り得ない。そして誰かと連絡を取ることすら許可が無ければ不貞というのであれば、不貞に値してしまうのだろう。……この人を裏切って不貞なんてする訳ないのに。
もうここから前世がどうこう正しい事を説明しても拗れる気しかしない。どうにか上手く説明しなくては……間違えても嫌われたくはない。
こんな事を思うなんて、私……やっぱりこの人に恋してしまったんだ。
「……ウリクセス様にお会いする前からの付き合いですから、まさか許可が必要だなんて思いませんでした。まさかアズィーム山脈の妖精姫と評される私が、山脈の神々が授けてくれる情報を受け取るのに許可がいるなんて」
「……山脈?」
冷たい目の間の眉間に皺が寄る。すっごく怪しまれてる気がする。
でも、もう一生この設定で突き通す!嘘ついてごめんなさい!!
「そうです!神々が昔教えてくれました、この先は羊皮紙ではなく紙が主流になると。だから帝国で紙が作れるようになったのは知らなかったけど、主流になっていく物なのだから存在し始めても当然の事だと気にもしませんでした」
「……タルジュがそんな事を出来るなんて聞いてない」
「だって今初めて言ったから!……私が賢いと言われる事が多いのは、神々が授けてくれた情報があるからです。なんなら勉強家のウリクセス様が知らなそうな事、教えましょうか?」
とりあえず前世仕込みの情報で、賢く聞こえそうな科学系の内容をペラペラと喋ってみる。お願いだからこれで信じて欲しい!嘘なんだけど、信じて欲しい!!
「──というわけで、プレートの歪みが限界に達した所で起るのが地震で」
「分かった!分かったからもういい!」
頬に当てられていた手で口を塞がれ、ストップをかけられる。
「まさかタルジュが山脈の神々と交流出来るなんて……しかし、本で学んだにしてはやけに幅広い知識があったのにもこれで納得がいく。……不貞を疑って申し訳なかった。相手が神では、皇子とは言え一個人が囲い切れる訳ない。完全に独占するのは諦めるしかないね」
頭の上で纏められていた手も解放され、口の覆いも外される。冷たかった瞳も眉間の皺も消え、いつもの優しく真面目そうで、どこか余裕のありそうな表情に戻っていた。しかし倒れた私の上に陣取ったまま避けてくれないので起き上がれない。
「……信じてくれるの?」
自分でこんな説明しておいて言うのもアレだが、私がウリクセス様の立場だったら、嘘だ!!って言って信じないかもしれない。
……だって本当は嘘だし。アズィーム山脈の神様、本当にいるのであれば言い訳に使ってごめんなさい!
「タルジュがそう言うのだから、信じるしかない。むしろ今までの疑問点に対し納得出来てスッキリしたよ。まさか名実共に山脈の姫だったとはね。うん、でも私にこんな大事な事を隠していた罰だけ受けてもらおうかな」
そう言いながらウリクセス様が私の前髪を上げる。
「え、罰ってまさかのデコピン!?」
ぎゅっと目を瞑った私の額に落ちてきたのは、衝撃ではなく優しい口付けだった。
──ちなみにこの日以降、部屋周りの護衛の数が増えたと……後日ライラーが教えてくれた。




