第9話:悪食の境界線と、夜を貪る怪物
門番の指示通りに進むと、呆れ返るほど巨大な建物が眼前に現れた。
ウルドのギルド本部に勝るとも劣らない存在感と重厚感。レアリア冒険者ギルドの本部だ。
俺は重厚な正面扉を勢いよく押し開けた。
熱気と威勢の良い大声が室内を満たしている。
初心者のFランクから、洗練された高級装備を纏うAランク上位と思しき猛者まで、おびただしい数の冒険者が闊歩していた。
「今日こそあそこのダンジョンを攻略してやるぜ!」
「バカ言え、あそこはBランク以上でパーティ組まなきゃボス部屋に到達する前に全滅だ」
「おい知ってるか? クロシキの森に『魔女』が出たらしいぞ!」
「マジかよ!? ただの都市伝説じゃなかったのか!?」
交錯する怒号や噂話をすり抜け、俺は正面の受付カウンターへと向かった。
「冒険者登録を頼みたいんだが……」
「かしこまり――えっ!? 少々、少々お待ちください!!」
受付の女性は俺の顔を見た瞬間、血の気を引かせて奥の執務室へと飛び出していった。
なんだ……? 顔をフードで隠しきれていなかったか、それとも雰囲気が不気味すぎたか?
首をかしげていると、横からドスンと力強い衝撃が肩に走った。
「お前……名前は?」
見上げると、二メートルを優に超える巨大な男が立っていた。
ライオンの鬣を思わせる青い髪と、岩石のような筋肉。圧倒的な威圧感を放つ大男だ。
「……リンド・アルターヤだ。あんたは誰だ?」
気圧されることなくスッと答えると、奥から戻ってきた受付嬢が蒼白な顔で叫んだ。
「あっ、あなた急に何て口を叩くのよ!? このお方はギルドマスターよ!?」
「フッ、まあいいじゃねえか。見たところこの街は初めてのようだしな。知らなくて当然だ」
大男はニヤリと豪快に笑うと、極太の手を差し出してきた。
「俺はブルーハーツ・ライオネル。このレアリアのギルドマスターだ。ライオ、とでも呼んでくれ」
「……無知をすまない。リンドだ。よろしく頼む、ライオ」
差し出された分厚い手を握り返す。
その瞬間、ライオの目が鋭く光り、声のトーンが跳ね上がった。
「いきなりで悪いが……お前、『深層』へ行ったのか? 俺が古文書で聞いた『深層種』の特徴と、お前の纏う魔力脈動が一致しすぎているんだが?」
――ッ!?
一瞬で全身の細胞が緊張で跳ね上がる。
未発見とされていた『深層』の存在を知っているだと……!?
「まあ、そう警戒するな。取って喰おうってわけじゃねえ。ただ……話を聞かせてほしいだけだ」
俺は新スキル【鑑定】を透過させた。
敵意の有無を判別する視覚効果。ライオの身体から立ち上るオーラには、邪気も敵意も一切存在していなかった。真直ぐな好意と好奇心のみ。
「……いいだろう。確かに俺は深層で死にかけ……奇跡的に生きて帰ってきた。あんたは何が知りたい?」
「!? ……やはりか。ここじゃ人目が多すぎる。俺の部屋へ来い」
ギルドマスター執務室。
「まあ掛けろ。……お前の素性はだいたい察しがついている。ウルドの公認Sランクパーティ『ランカーズ』の一員だった男だな? なぜ一人でこの街へ来た?」
「察しがいいな。だが一つ修正だ。俺は『元』ランカーズだ」
俺は偽ることなく、穴へ突き落とされた経緯から深層での出来事を淡々と話した。
下手に嘘をつくより、この男の信用を得る方が今後の動きやすさに直結する。
「……そうか。そんな裏切りに遭っていたとはな……。酷いことを思い出させた、すまねえ」
ライオはぶっきらぼうだが、腹にイチモツない真正直な男だった。
「いや、気にしていない。……無職になった以上、ウルドへ戻る気にもなれなくてな。この街を選ばせてもらった」
「ククッ、ウルドの連中と鉢合わせる心配もないし、理にかなってるな。冒険者として稼げば自由も利く」
「話が早くて助かるよ」
「……それにしても、お前のスキル【捕食】か。過去の『天害級』の記録も目を通したが……お前の成長速度は群を抜いて頭おかしいな」
俺は深層種を貪り喰い、自身を深層化させることで生還した事実も包み隠さず明かした。
「……なるほどな。深層の魔物を食って己の肉体を深層種に変質させ、濃密な毒魔力に耐えたか……。童話を聞かされてる気分だが、お前の左頬の紋様と瞳を見れば、それが紛れもない真実だってわかるぜ」
「信じてくれてありがたいよ、ライオ。自分でも現実離れしている自覚はある」
「よし、事情は分かった! お前を俺の名の下で『レアリア公認冒険者』として正式に認める。これを持っていけ」
ライオが放り投げてきたのは、深みのある青いクリスタルが埋め込まれたペンダントだった。
「これがあれば街の門はフリーパス、どの等級の依頼も優先的に受けられる。いいか、深層を生還した規格外の英傑を他所に渡すわけにはいかねえからな。……それに、俺もウルドの腐れギルドが反吐が出るほど大嫌いなんだ。同志の証だと思って受け取れ」
噂通り、ウルドとの不仲は本物だったらしい。
俺にとっても願ったり叶ったりだ。煩わしい手続きなしで動けるなら何でもいい。
「ありがたく使わせてもらう。早速明日からダンジョンへ潜りたいんだが、いい場所はあるか?」
「それなら『賢王の墓』がいい。高ランク限定で人通りは少ないが、お前の実力なら余裕だ。ついでに未踏地域の調査も頼むぜ」
こうして俺は、レアリア公認冒険者としての初仕事を手に入れた。
その日の夜。
深層のクリア報酬で得た旧金貨を現代の金貨へ換金し、高級宿を確保した俺は、ベッドの上で激しい悶絶に苦しんでいた。
「……クソッ……腹が減って……死にそうだ……」
【捕食】が完全に覚醒して以来、どれだけ魔物の肉を喰らっても『満腹』を感じたことがない。
身体の奥底から湧き上がる飢餓感に耐えきれず、俺は夜の街へと飛び出した。
夜になってもレアリアの街は活気に満ちていた。
あちこちの露店から香ばしい匂いが漂っている。
「いらっしゃい! レアリア名物、特製ポークの極厚串焼きだよ!」
吸い寄せられるように露店へ歩み寄る。
「十本くれ。金ならある」
「あいよ!0本で銀貨二枚ね!」
焼きたての串焼きを受け取り、豪快にかぶりつく。
分厚い肉に塩コショウ。前世の感覚なら文句なしに絶品のはずだ。
だが――。
「……まずくはない。だが……なんだこの物足りなさは……?」
胃袋が、脳が、全く満足してくれない。不完全燃焼感に首をひねっていると、暗い路地裏から怯えた悲鳴が漏れ聞こえてきた。
「や、やめて……助けて……!」
「へへへ、いくら叫んでも無駄だぜ! こんな路地裏に人は来ねえ!」
「アニキの次は俺が楽しませてもらうぜぇ? グフフ……!」
昼間、ライオが言っていた愚痴を思い出した。最近、女性を狙った悪質な性犯罪が横行していると。
ゴミ屑どもが。
「へっ、恨むなら雑魚スキルしか与えなかった神様を恨むんだな! さーて、いただきまーす……」
男の手が女性の服へ伸びた瞬間、俺は影から足音もなく滑り込んだ。
「雑魚スキルのせいで、人間は尊厳まで奪われなきゃならないのか? なぁ……そんな理不尽が許されていいはずがないだろ」
「う、うわぁぁぁ!? 誰だてめぇ!?」
「なぁ……お前はどんな『素晴らしいスキル』を持って生まれたんだ?」
冷たく問いかけると、男は下卑た笑みを浮かべて見せびらかすように短剣を構えた。
「へっ! 俺のスキルはBランク【呪いの刃】だ! この刃でつけた傷は神聖魔法でも治せねえ! スキルってのは天授の才能……覆せねえ格の違いなんだよ!!」
「……そうか。死ね」
「へ……?」
スパッ――。
亜空間から滑り出させた【冥王の凶剣】が一閃。【見えざる斬撃】が男の首を苦もなく跳ね飛ばした。
「お前もだ。スキルで他人を見下す差別主義者の粗大ゴミ」
「グギャッ……!?」
驚愕に目を見開くもう一人の男の腹へ、【一閃突き】を深く刺し穿つ。
一秒もかからない二瞬の死。
「き、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
助けられた女性は、目の前の凄惨な光景にパニックを起こし、脱兎のごとく夜の街へ逃げていった。通報されても面倒だが、今の俺の興味はそんなことにはなかった。
ゴクッ……。
足元に転がる、二体の人間の死体。
溢れ出す血の匂い。
普通なら気分の悪くなる凄惨な光景。だが――半分人間をやめた俺の脳は、まったく別の信号を叩き出していた。
(……なんて……なんて……芳醇で美味そうな匂いなんだ……!!)
気づいた時には、俺の身体は本能のまま動いていた。
膝をつき、まだ温かい人間の肉へと食らいつき、貪り、血を啜っていた。脳髄を突き抜けるような凄まじい快楽と旨味。
『【ゴド・マクレン】を捕食。経験値を獲得』
『スキル【呪いの刃】を獲得』
『【ジャキ・シンガ】を捕食。経験値を獲得』
『スキル【魔法妨害】を獲得』
脳内に冷機械的なアナウンスが響いた、その瞬間――。
「……あ……?」
ハッと我が返った。
視界に飛び込んできたのは、血の海と、肉を綺麗に食いちぎられて転がる二体の白骨。
そして――己の口元と両手についた、おびただしい量の人血。
「はっ……ぁ……息が……!?」
背筋を酷い悪寒が駆け抜けた。ガタガタと全身の震えが止まらない。
俺は……俺は今、何をしていた……?
(人間を……喰った……!? クズとはいえ……人間を……喰い尽くした……!?)
こみ上げる激しい悪心と吐き気。だが、胃袋は嫌悪感とは裏腹に、かつてないほど心地よく満たされていた。
その『身体の満足感』が、余計に己の異常性を突きつけてくる。
「くっ……うあぁぁっ……!!」
口元の血を乱暴に袖で拭い、俺は壁を這うようにして路地裏から逃げ出した。
理性と怪物性の狭間で激しく胸を掻きむしりながら、暗い夜の闇へと消えていくのだった。




