第8話:異形の美食家と、欲望の街レアリア
「ぐっ……眩しい……。ずっと暗闇にいたからか、太陽光魔法でも顔面に叩きつけられた気分だ」
いつぶりだろうか、地上の日差しを浴びるのは。
肌をジリジリと焼き焦がすような日光に、俺は強い不快感を覚えて顔を歪めた。
ダンジョンボスを喰らい、クリア報酬として現れた転移ゲートを潜って、俺は地上へと帰還した。
未発見の新規ダンジョンだったため、転移出口の周囲には人っ子一人いない。本来なら露店やテントが立ち並ぶはずだが、そこには静寂だけが広がっていた。
「むしろ好都合だな……。今のこの姿を見られれば、人間かどうかすら疑われかねない」
黒髪に赤メッシュ、そして左頬に刻まれた血のような紋様。
【深層王のマント】のフードを深く被り直し、俺は無人の街道を歩き始めた。
ここへ来た時はランカーズの馬車を使っていたが、すでに跡形もない。奴らは俺を穴へ突き落とした後、早々に帰路についたのだろう。
通常、ダンジョン攻略には二〜三日。初見攻略ならその倍はかかる。俺が突き落とされたのは初日だったから、あれから最低でも三〜四日は経過している計算だ。
「……ハッ。日光が嫌に感じるのも、当たり前か」
魔物は基本的に夜や暗がりを好む。
『深層種』としての肉体を得た俺もまた、太陽の光に対して本能的な嫌悪感を抱くようになっていたのだ。
歩を進める途中、森の木々を押し倒して一匹のオークが飛び出してきた。
俺はそいつを一瞬で首を跳ね飛ばし、その肉を口に運んだ。そして――もう一つの決定的な変化に気づいた。
「……美味い」
最初はあれほど吐き気を催し、吐瀉物を押し戻しながら食べていた魔物の肉。
それが今や、高級肉のジューシーな肉汁のように口いっぱいに広がり、脳を激しく麻痺させるほど美味い。
一度味を占めると、腹の底から底なしの食欲が溢れ出してきた。一匹では全く足りない。二匹、三匹と、群がり寄るオークを次々と引き裂き、貪り食う。
『【オーク】を捕食。経験値を獲得』
『スキル【突進】【神聖魔法】を獲得』
『【オーク・マージ】を捕食。経験値を獲得』
『スキル【MP自動回復】を獲得』
深層の化け物どもと死闘を繰り広げてきた俺にとって、地上の魔物など赤子も同然。
口元についたオークの返り血を腕で乱暴に拭い去り、俺は立ち塞がるオークの群れへ向かって邪悪に笑いかけた。
「あんな環境で深層種を喰らい続けてたんだ……。肉体も、心も、味覚も……とっくに魔物へ近づいちまってるんだろうな。……まあいい。俺の邪魔をするなら――全員残さず喰ってやるよ!!」
俊敏30000を超える異次元の速度で、俺は惨劇の爪痕を残しながら森を駆け抜けていった。
リンドが森を走り去ってから間もなく。
新ダンジョンの危険度がランカーズの初見攻略報告によって「ランクC」と指定された。
ランクB以下のダンジョン周辺では露店の出店が許可されるため、商人たちに雇われた数人の大工が、設置工事のためにこの地を訪れていた。
「な……なんだ……なんだよ、この惨状は……!? オークの死骸が山になってやがる……!」
「いたるところに巨大な肉を食いちぎった噛み痕……。魔物同士の……共食いか……!?」
大工たちが目にしたのは、無残に転がる数百頭のオークの死体だった。
鋭い刃物で切断された跡と、巨大な顎で無理やり喰らい尽くされたような惨たらしい喰い千切り痕。目を背けたくなるような地獄絵図が広がっていた。
「オ、オークは一頭ならまだしも、この大群が一気に襲いかかってきたらAランク冒険者だって全滅するぞ……! それを一瞬で蹂躙し、喰らい尽くすほどの化け物が近くに潜んでるっていうのかよ……!?」
「ひ、ヒィィッ! 露店の出店どころじゃねえ! 伝説の”龍種”でも現れたのかもしれねえぞ! ギルドへ戻って報告だ!!」
大工たちは道具を放り出し、パニックになりながら元来た道を脱兎のごとく逃げ出していった。
森を突き抜けると、視界が一気にひらけた。
タルタリ平原。大都市ウルドの門前に広がるその平原は、強力な魔物が出現しないため、初心者冒険者の格好の鍛錬場となっている。
遠目で見ると、出来立てのピカピカの装備に身を包んだ若者たちが、必死の様相でスライムに剣を打ち込んでいた。
「……スライムは、どんな味がするんだろうな」
もう食べることしか頭に浮かばない俺は、冒険者たちの死角からそっと忍び寄り、一匹のスライムを水魔法の刃で切り裂いた。
ドロドロと溶け落ちる核とゼリー状の肉体を両手で掬い上げ、一気に喉へと流し込む。
『【スライム】を捕食。経験値を獲得』
『スキル【弱溶解液】を獲得』
「……! 甘酸っぱい……!」
爽やかなレモンの酸味と、上品な果汁のような甘みが口いっぱいに広がる。
オークのこってりとした脂身を食した後のデザートとして、まさに最高の喉越しだった。
「普通の人間なら『うわっ、粘液だ!』って吐き捨てるんだろうな……。まあ食費がかからないのは助かる」
先ほど持ち歩いていたオークの骨付き肉をかじりつつ、お口直しのスライムを掬って喰らう。前世の日本のバイキングにでも来ているかのようだ。
「さて……いつまでもこんな場所で寄り道をして、あのクソどもと鉢合わせても面白くない。さっさと次の目的地へ行くとするか」
平原のスライムを一通り綺麗に平らげると、俺は次なる目的地へと足を向けた。
目指すは、大都市ウルドと長年ライバル関係にあり、ガートランド皇国の首都の座を狙う大都市――『レアリア』。
以前ウルドの公認パーティとして一度訪れたことがあるが、両都市のギルドマスターが絶望的に仲が悪く、「ウルドの犬め」と門前払いを食らった苦い記憶がある。
だが、今となってはそれが最高の好都合だ。
ウルド公認のランカーズが足を踏み入れることはまずないし、知人に会うリスクも皆無と言っていい。
ウルドからレアリアまでは馬車で二日かかる距離だが、俊敏30000の俺の足なら三十分もかからなかった。
途中で遭遇したグリーンコブラから【毒牙】、アングリーベアから【切り裂き】【威嚇】、プルーダック(辛味が激旨な鴨型魔物)から【火炎】の計四つのスキルを補給し、俺はレアリアの巨大な正面門へと到達した。
特に【威嚇】は、自分より総ステータスが低い相手を一瞬で恐怖麻痺させる優れものだ。高ステータスの俺には悪魔的な相性の良さを誇る。
(ひるませて動きを止めてから踊り食いしたら、生きながらスキルを奪えるのかな……)
そんな物騒な思考を巡らせながら、俺は入国審査の列に並んだ。
レアリアは強固な高壁に囲まれた鎖国気味の要塞都市だ。正面門以外からの侵入はほぼ不可能だが、俺にとってはそれすら都合が良い。
「次! 貴様だ! 見たところ冒険者のようだが、レアリアには何をしに来た!?」
順番が回ってくると、鎧を固めた門番が鋭い視線を投げてきた。
俺はフードを目深にかぶり直し、消え入るような声で自虐的に演技を打った。
「……ウルドで職を失い、路頭に迷っておりました……。レアリアはウルドと違って活気があり、実力者を正当に評価してくれる素晴らしい街だと聞きまして……。冒険者としての腕には自信があります。どうか働かせていただけないでしょうか……?」
我ながら大根役者だな、と思う。大道芸のスキルでも捕食できればマシになるだろうか。
しかし、門番の表情が一気に砕けた。
「ほう! ウルドで追い出された口か! あんな冷酷で腐った街に未練など持つな! ようこそレアリアへ、腕があるなら食いっぱぐれることなど絶対にないぞ! ワッハッハッハ!」
ウルドへの嫌悪感が功を奏したらしい。同情を買った俺は、何のお咎めもなく門を通過させてもらえた。
門を抜けると、ウルドを凌駕するほどの絢爛な街並みが広がっていた。行き交う人々の熱気と密度は段違いだ。
「――っ!?」
不意に、ドクンッ、と心臓が激しく脈打った。
いい匂い。
なんだ、この脳が痺れるような甘く芳醇な匂いは……?
匂いの発生源へ、吸い寄せられるように視線を向ける。
そこには――賑やかに笑い合い、街を行き交う『人間たち』の姿があった。
(……待て。今、俺は……人間を『旨そうな食い物』として認識したのか……!?)
全身にサーッと冷や汗が吹き出す。
日ごとに自分が『魔物』へと成り下がっていく現実に対する、激しい恐怖。
(だめだ……俺は世界に復讐すると決めたんだ……! そのためにも……人間としての『理性』だけは、絶対に手放すわけにはいかない……!!)
口元から自然と溢れ出しかけていた涎を袖で乱暴に拭い去り、俺は溢れ出す食害の欲望を殺しながら、ギルドのある街の奥へと深く歩みを進めた。




