第10話:賢王の城と、闇を喰らう翼
朝が来た。
窓から差す薄明るい光が顔に当たり、ゆっくりと目を覚ます。
(……俺は昨日、人・間・を『捕食』したんだ……。確かにあいつらはどうしようもないカスだった。それでも……俺は人を……)
意識がはっきりと覚醒した瞬間、昨夜の脳髄を焼くような匂いと肉の感触が蘇った。
胃の奥からこみ上げる激しい悪心と吐き気。俺はベッドから転がり落ちるようにしてトイレへ走り込み、激しく胃液と吐しゃ物を吐き出した。
「おえッ……ハァ……ハァ……ッ!」
吐いたからといって、奪った経験値やスキルが消えるわけではない。食べてからすでに時間は経っているし、マイナス効果がないことは解っていた。だが、今日ばかりは精神的に我慢が限界だった。
人を食った。
その絶対的な事実だけで、胃がむかむかと痙攣を繰り返す。
まともな倫理観を持って普通に生きてきて、絶対にすることはないであろう一線を、俺は昨日の夜、確かに越えてしまったのだ。
しばらくの間、洗面台の鏡に映る自分をじっと見つめる。
顔立ちそのものは『リンド・アルターヤ』のものと変わりない。だが、光を吸い込むように真っ黒に染まった髪。頬に不気味に浮かび上がる赤い紋様。そして注視すれば、黒目の奥に魔物と同じ不吉な金色の光が混じっている。
(俺は一体……どうなってしまうんだ……?)
底なしの不安と己への恐怖が脳裏をよぎる。
だが次の瞬間――あの顔が浮かんできた。
『元・仲間』の奴らの、嘲笑うような顔が。
死ぬほど憎い。切り刻んで、砕いて、殺してやりたい奴らの顔。
「そうだ……俺は……俺はやらなきゃいけないんだ……!! 桐原蓮との約束も……! 俺が……俺がやるんだ……!! やってやるよ……!!!」
――バシィンッ!!!
振り下ろした拳が鏡を粉砕し、鋭い砕片が散らばる。
俺は俺を見失わない。
リンド・アルターヤは――山城健也は、血を流す拳を固く握り締め、心の中に復讐の炎を再び激しく燃え上がらせた。
宿を出て軽装の状態から装備を装着し、目的のダンジョンへと向かう。
ギルドマスターのライオからお勧めされたのは『賢王の墓』。人通りが皆無で、一部の物好き以外は近寄りもしないAランクダンジョンだという。
(人目が少ないのは今の俺にとって好都合だ。きっとライオも俺の現状や雰囲気を察して、配慮してくれたんだろうな)
渡された地図を頼りに進んでいくと、目指す場所に辿り着いた。
「さて……地図ではこの辺りなんだが……あれか」
『賢王の墓』という名前から、無数の墓石が立ち並ぶ暗い墓地のような場所を想像していたが、眼前にそびえ立っていたのは巨大な廃城だった。かつて一国を治めた王国の名残だろうか。
「なるほど……それで『賢王の墓』か。皮肉な名前だな」
城の巨大な正面扉へ歩み寄ると、俺が触れるよりも早く、重厚な扉がギギギと音を立ててひとりでに開き始めた。まるで訪問者を招き入れるかのように。
「歓迎してくれんのか……? なら、たくさん“糧”を用意してくれてんだろうな?」
口元に冷たい笑みを浮かべ、俺は廃城の闇の中へと踏み込んだ。
城内は鼻を突く凄惨な死臭に満ちていた。
普通の人間なら顔を顰めて引き返すレベルの悪臭。だが……今の俺にとっては違う。前世で言えば、腹が減っている時に飲食店街の目の前に立ったような、食欲をそそる芳醇な匂いだった。
俺は獲物を探してゆっくりと歩を進める。
ボコォッ!!
突然、足元の石畳を突き破って青白い手が飛び出してきた。
続いて頭部、胴体が這い出し、その全貌を現す。
肌は緑がかって変色し、服はボロボロに腐敗した村人のゾンビだ。
「……あまり美味そうじゃないが、とりあえずつまみ食いさせろやぁぁぁ!!」
空間魔法で亜空間から引き抜いた長剣を振り抜き、【風牙】を解き放つ。
風の刃がゾンビの胴体を真っ二つに切断した。だが、切り離された上下の肉体はドロリと蠢き、すぐさま引っ付いて元通りになってしまった。
「もうすでに死んでるゾンビへの有効打か……なら、これを試してみるか。【一角獣の後光】!!」
深層で殺した聖獣・ユニコーンのスキルを発動する。
俺の背後に神聖な一角獣の幻影が現れ、その額の角が眩いばかりの純白の光を爆発させた。
『……!? ギャァァァァァァァァス!!』
光を浴びた途端、ゾンビの全身が内側から激しく発火! 悲鳴を上げる間もなく一瞬で焼け焦げ、バタリと倒れ伏した。
「なるほど、光属性魔法の扱いになるのか。もしかしてと思ったら、期待通りバッチリ効くな」
ゾンビが完全に沈黙したのを確認すると、俺は膝をつき、その肉へと噛み付いた。
……悪くない。腐臭に反して、口の中に広がったのは芳醇な燻製のような風味だった。思わず冷えた酒が欲しくなるような味わいだ。
『【ノームゾンビ】を捕食しました。経験値を獲得しました』
『スキル【再生】を獲得しました』
『スキル【窒息耐性】を獲得しました』
ゾンビを綺麗に食らい尽くした直後、戦闘音を聞きつけた魔物どもが集まってきた。
錆びた甲冑を纏った骸骨の騎士、ボロ布のローブを着た骸骨の魔導士、巨大な鎌を抱えて宙に浮く不気味な骨の死神――無数のアンデッド群が俺を取り囲む。
「骨って食えんのか!? 試させてくれよ!!!」
俺は地を蹴って跳躍し、空間魔法で二本目の剣を引き抜いて双剣を構えた。
ローブの骸骨が放ってきた黒い魔力弾に対し、俺は【蒼炎弾】を叩き込んで相殺。直後、左右から迫る骸骨騎士たちの鋭い剣撃を二本の剣で軽やかにいなす。
さすがはAランクダンジョン。森で倒したオークなどとは連携も精度も格が違う。
だが――。
「深層の魔物は、もっと狂ったように強かったぞぉぉぉ!!」
【見えざる斬撃】を一閃!
不可視の刃が群がる骸骨どもをまとめて蹴散らし、ガラガラと激しい音を立てて骨の山へと変えていく。深層での極限の死線に比べれば、こんなものは赤子の手ひねりだ。
一匹、二匹、三匹と容赦なく薙ぎ払う。
骸骨騎士どもは一度引き、強固な陣形を組み直そうと後退した。だが、その隙を与える気など微塵もない。後方に控えていたヒーラーらしきローブの骸骨へ肉薄し、一瞬で斬り伏せる。スキル【呪いの刃】の効果により、自動回復を阻害された魔導士はそのまま絶命。
上空から襲いかかってきた鎌持ちのゴーストもひらりと身を褌わし、【一角獣の後光】の閃光で一瞬にして灰へと昇華させた。
焦りを覚えた残りの騎士たちが、捨て身の突撃を仕掛けてくる。
それを紙一重でかわしざま、【切り裂き】を発動。硬質な甲冑ごと、まるで柔らかいバターのように胴体を切断した。あと三匹、あと二匹――ラスト!
「……終わった……か。」
静寂が戻った室内を見渡すと、床にはバラバラになった骨の砕片だけが転がっていた。
俺は迷わず骨を拾い上げると、豪快に口の中へ放り込んだ。
バリッ、ボリッ……バリバリッ!!
思ったよりも柔らかく、心地よい歯応え。
食感も味も、まさに絶妙な塩加減の煎餅そのものだった。これは油断すると手が止まらなくなる味だ。
『【スカルナイト】を捕食しました。経験値を獲得しました』
『スキル【剣術の心得】を獲得しました』
『スキル【捨て身】を獲得しました』
『【スカルマージ】を捕食しました。経験値を獲得しました』
『スキル【闇魔法】を獲得しました』
『スキル【死霊魔法】を獲得しました』
『【ゴースト】を捕食しました。経験値を獲得しました』
『スキル【浮遊】を獲得しました』
努力だけでは絶対に手に入らない特殊魔法の数々。
【闇魔法】は有名だが、【死霊魔法】とはなんだ……?
試しに魔力を込めてみると、先ほど倒したばかりのスカルナイトとスカルマージが、漆黒のモヤと共に従順な僕として召喚された。なるほど、死者を使役する魔法か。なかなか面白い。
そして何より、俺が一番気になっていた【浮遊】を発動させてみる。
フワリ、と身体が浮き上がった。
「うぉぉぉぉぉぉぉ……!! う、浮いたぞ……!!」
ついに『飛行能力』を獲得した。
これまでは足の筋力と超速移動で強引に跳躍するしかなかったが、これで完全に三次元空間を自在に駆け巡ることができる!
「よし……! あらかた骸骨も食いつくしたし、面倒な階層はショートカットしてボス部屋まで一気に行っちまうか! 【星砕き】!!」
頭上へ向けて強力な一撃を放ち、天井の石造りを軽々と粉砕!
そのまま【浮遊】でぽっかり空いた穴へと飛び上がり、階層を何段階もすっ飛ばして上へ上へと突き進む。
途中の4階で出くわした新しい魔物も、【蒼炎弾】と【一角獣の後光】のコンボで瞬殺し、そのまま美味しくいただいた。
『【デッド・コクローチ】を捕食しました。経験値を獲得しました』
『スキル【高速移動】を獲得しました』
『【デス・ドッグ】を捕食しました。経験値を獲得しました』
『スキル【腐蝕】を獲得しました』
『スキル【噛み砕き】を獲得しました』
このダンジョンの魔物はどれもほんのり燻製風味が効いていて、つくづく前世のビールが恋しくなる。
そんな呑気な感想を抱きながら天井を穿ち続け――俺はついに、最上階の巨大な大扉の前に辿り着いた。




