第29話:夜の代償と悪魔の誓い
一斉攻略を明日に控えた前夜。
仲間たちが明日の戦いに備えて早めの仮眠を取る中、俺は冷たい夜風に当たろうと一人でバラクシアの街角へ歩みを進めていた。
石畳の路地裏を抜けていた、その時だった。
「ひっ……! た、助け――」
「声出すんじゃねぇよ、ギャハハッ!」
暗がりから聞こえたのは、若い女性の短く切られた悲鳴と、男の下劣な嘲笑。
物陰を覗き込むと、ナイフを突きつけられて震える町娘と、それを楽しそうに見下ろす男の姿があった。
指名手配書で見覚えのある顔――バラクシア周辺を荒らし回る広域強盗殺人犯の男だ。
「おい。夜道で何やってんだ」
「あぁん……? 誰だてめぇ――」
俺が声をかけた瞬間、男の手元から奇怪な波動が放たれた。
「死ねやッ! 【時間停止】!!」
――ピシィィィンッ!
世界からすべての音が消え去った。
男を中心に、半径5メートルほどの空間だけが濃密な灰色に染まり、夜風の揺らめきすらピタリと静止する。
「ギャハハ! この範囲に入った奴は一秒たりとも動けねぇ! どんな強者だろうが、止まったまま首を撥ねて終わりなんだよ!!」
男は勝ち誇った笑みを浮かべ、俺の首元へナイフを振り下ろす。
だが――。
ガキンッ!!
「……なっ……!? なんで……動けて……!?」
「【魔法無効】……いや、空間系スキルへの【相殺】か。悪くない威力だが、俺を完全に止めるには領域が浅すぎる」
灰色の領域を力づくでこじ開け、俺は即座に男の首元へ手を伸ばした。
「ヒッ……!? 待っ――」
ゴキッ。
短い悲鳴と共に、男の身体が力なく倒れ込む。
助け出された女性は半狂乱のまま「ありがと、ございます……!」と叫んで一目散に逃げ出していった。
静まり返る路地裏。残されたのは、悪党の冷たくなった死体だけだ。
(時間を止めるスキル……半径5メートルとはいえ、圧倒的な初見殺しの能力だ。喉から手が出るほど欲しい……)
だが、人間を【捕食】することへの倫理的な拒絶感が、俺の脳裏を掠める。
魔物なら躊躇なく喰らえる。しかし、人の形をした者を食らうのは――。
(……いや、葛藤している暇などない。俺にはルナスティアを、世界を叩き潰す力が必要なんだ……!)
意を決し、俺は男の死体に手を伸ばし、食い始めた。
『【捕食】――完了。スキル【時間停止(半径5m)】を獲得』
強烈な旨味に感動を覚えてしまったが、脳内にスキル習得の通知が響き渡り我に返る。
その瞬間――背後の闇から、かすかな足音が聞こえた。
「……リンド……?」
振り返ると、そこには目を丸くしてたたずむアイリスの姿があった。
宿を抜け出し、俺の後を追ってきたのだろう。
「アイリス……見られていたか。」
しまった、と思った。
人を殺し、その死体を無残に喰らい尽くす姿。悪人相手とはいえ、こんな惨状を見られれば拒絶される。そう覚悟して固まる俺に、アイリスは静かに歩み寄ってきた。
「……あんな凶悪な人を一瞬で倒しちゃうなんて。それに……今のスキル、周囲の時間を止めていたよね……?」
「……ああ。半径5メートル限定の【時間停止】だ。……気味が悪いだろ。死体を喰らって能力を奪うなんて、正真正銘のバケモノだ」
自嘲気味に吐き捨てる俺に対し、アイリスは銀色の瞳を真っ直ぐに見つめ返してきた。
「ううん。ちっとも気味悪くなんてないよ」
「……なに?」
「あの男は、人を殺して笑ってた悪人でしょ? そんな害悪を裁いて、その力をリンドが奪って糧にする……それのどこがいけないの? 街にとっても、世界にとっても、よっぽど貢献になってるよ」
アイリスの言葉には、一切の迷いも恐怖もなかった。
「リンド。私のため、私たちの復讐のために……必要ならどんなものでも喰らい尽くして。私、リンドの全部を肯定するから」
【悪魔の制約】を宿し、絶望の底から這い上がってきた少女の強い意志。
その言葉が、俺の胸に燻っていた僅かな迷いを完全に吹き飛ばした。
「……そうだな。害虫を食い散らかして強くなれるなら、安いもんだ」
俺はニヤリと口角を上げ、新たに手に入れた【時間停止】の感覚を掌で確かめる。
「復讐のためなら、悪魔にだってなってやる。……行くぞアイリス。明日のダンジョン攻略、俺たちの力を見せつけてやる」
「うん、行こうリンド!」
闇の中で不敵に笑い合う二人。
最凶のスキルを手に入れた『ディープレイヤー』が、ついに明日、半深層化ダンジョンへと殴り込む――。




