戦間期 5 諜報戦
明治28年(1895年)末。
日清戦争という巨大な通過儀礼を終えた大日本帝国の姿は、本来の歴史(史実)におけるこの時代の日本とは、全く次元の異なる怪物へと変貌を遂げていた。
帝都・東京や商都・大阪の空を覆うのは、無数の赤レンガの煙突から吐き出される重工業の黒煙。
製鋼所では昼夜を問わず巨大な溶鉱炉が火を吹き、化学工場からは最新の火薬や工業用薬品を精製する刺激臭が漂い、造船所のドックでは、かつて輸入に頼るしかなかった鋼鉄の軍艦が、自国の職人たちの手によって次々と産声を上げている。
この世界における日本の工業力、化学力、科学技術力、そしてそれらを総合した「国力」は、史実の明治28年と比較して、控えめに言っても『数倍』という異常なレベルに達していた。
この時代を生きる大衆には、自分たちの国がどれほど異常な速度で成長しているか、客観的に理解することは叶わない。しかし、それは来たるべき列強との死闘において、日本が手にした極めて巨大な「アドバンテージ」であった。
なぜ、この世界の日本はこれほどの異常成長を遂げることができたのか。
その最大の要因は、国家の脳髄たる政府が『藩閥政治という名の自己破壊』を、早期に、かつ完全に根絶していたことにあった。
史実の明治政府は、薩摩(鹿児島)と長州(山口)の出身者ばかりが権力の中枢を独占する「藩閥政治」の病魔に深く侵されていた。
薩長以外の出身であるというだけで、どれほどの天才的な政治家や秀才であっても出世の道を閉ざされ、冷遇され、時には政争(謀略)の彼方へと追いやられた。
結果として、国家は優秀な人材を使い潰し、無駄な内部摩擦によって自らの成長力(国力)を大きく削いでいたのである。
しかし、この世界では違った。
滝脇慶家をはじめとする冷徹な合理主義者たちが、政府と軍の中枢に「合理性」という名のシステムを組み込んだことで、国家から『贔屓の眼』が完全に排除されたのだ。
出身地など関係ない。「国家の生存に有益か否か」だけが絶対の評価基準となった。
かつての敵であった旧幕臣(徳川家)だろうが、没落した華族(貴族層)であろうが。
彼らが持つ「古い権威」や「教養」を無駄に捨てることなく、海外への外交官や、民衆を導く象徴として、形を変えて徹底的に『使い倒した』。
民間の商人(渋沢栄一ら)が持ち前の柔軟さでリスクを取って軽工業や金融を牽引し、彼らが手を出せない巨額の重工業やインフラ整備には、官僚(国家産業促進委員会など)が冷徹な計画経済で莫大な国家予算を注ぎ込む。
身分や出身にとらわれず、すべての歯車が「国家の成長」という一点に向けて噛み合い、全力で上を目指して回転する。これこそが、大日本帝国が本来の歴史を遥かに凌駕する国力を手に入れた、最大のカラクリであった。
そして、その凄まじい成長を裏から支えていたのは、警察庁保安部をはじめとする*『世界規模の謀略と諜報の網(蜘蛛の糸)』である。
欧米に追いつくためなら、プライドなどというものは一切持たなかった。
留学生を大量に送り込んで最先端の科学技術を『学び』。
時には外交官や草の者を使い、列強の兵器廠から設計図や化学式の機密を平然と『盗み出し』。
それが国際問題になりかければ、外務省が総力を挙げて『しらを切る(あるいは他国になすりつける)』。
手段を選ばぬ国家ぐるみの産業スパイ活動と、それを自国の工場で即座にリバースエンジニアリング(分解・解析して模倣)できるだけの基礎工業力の底上げ。
それらが連動したことで、日本は欧米が数十年かけて歩んだ技術的進歩を、わずか数年で貪欲に吸収し、自らの血肉へと変えていったのである。
だが。
それほどまでに異常な成長を遂げ、史実の数倍の国力を叩き出している大日本帝国であっても。
『欧米列強』という壁は、未だ絶望的なまでに高く、そして分厚かった。
世界地図を広げれば、一目瞭然である。
シベリアから東ヨーロッパまで、ユーラシア大陸の北半分を完全に覆い尽くす巨大なロシア帝国。
彼らが持つ無尽蔵の資源、圧倒的な工業生産力、そして数百万という常備軍の「質量」。
いくら日本の科学技術が進歩し、軍のシステムが洗練されたとはいえ、現状でロシアと「真正面」からぶつかれば、日本の勝率は限りなくゼロに近い。文字通り、大砲の数と兵士の波にすり潰されて、島国は海に沈むことになる。
「……まともに殴り合えば、百回やって百回負ける。それが現実だ」
それが、この国の頂点に立つ者たち(慶家や伊藤博文ら)が共有している、冷酷すぎる事実であった。
だからこそ。
『数多の謀略』が、どうしても必要であった。
真正面から殴り合って勝てないのなら、敵の足場を腐らせ、敵の背中を他国に刺させ、敵の兵站が伸び切るように仕向けるしかない。
三国干渉でロシアに一時的な「面子」を譲ったのも。
イギリスという巨大な案山子を立てて欧州の目を逸らしたのも。そして、朝鮮半島を軍事力ではなく『システム』で内側から溶かしているのも。
すべては、絶対に勝てない巨大な熊を、自国のテリトリーに引きずり込んで『勝てる形(局地的な非対称戦)』にまで弱体化させるための、壮大な罠の準備に他ならなかった。
雪の降り始めた帝都の空の下で、大日本帝国という若き怪物は、内燃機関の如く熱く激しい成長の鼓動を鳴らしながら。その頭脳では、どこまでも冷たく、残酷なまでの生存の算盤を弾き続けていた。
―――
大日本帝国が日清戦争で見せた異常なまでの「完全勝利」は、北の彼方、雪に閉ざされたロシア帝国の首都サンクトペテルブルクの冬宮(宮廷)に、かつてないほどの『強烈な危機感と警戒』を巻き起こしていた。
「極東の猿どもが、たまたま運良く勝ったなどという報告書は、もう二度と私の机に持ってくるな!」
ロシア帝国の外務大臣や軍首脳たちは、極東から送られてくる詳細な戦闘記録を読み合わせながら、顔を青ざめさせていた。
腐っても、大清帝国はユーラシア大陸の東半分を支配する巨大な帝国であった。ドイツ式の要塞(旅順)を持ち、東洋一の巨大戦艦(定遠・鎮遠)を擁し、一定水準以上の軍事力を持っていたはずなのだ。
それを、開戦からわずか数ヶ月で、兵站線から戦術に至るまで完全に圧倒し、ほぼ一方的な『殲滅戦』で降伏に追い込んだ日本。
ロシアの軍事専門家たちは、日本軍の機関銃の運用や、陸海軍の恐るべき連携の精度を分析し、「あの島国は、もはや欧州の二流国などを遥かに凌駕する軍事システムを完成させている」という冷酷な事実を認めざるを得なかった。
ロシアの警戒をさらに跳ね上げさせたのは、軍事力以上に、日本の持つ『底知れぬ外交的狡猾さ』であった。
「三国干渉……我々は『漁夫の利』を得たつもりでいた。日本から遼東半島を取り上げ、清国に恩を売ることで、極東の覇権を握ったと。
だが、実際はどうだ? 日本はそれを逆手に取り、我々から『不平等条約の撤廃』という莫大な譲歩を力ずくで毟り取っていったではないか!」
ロシアの外交官たちは、自分たちが日本の周到な罠(踏み絵)に嵌められたことに、遅ればせながら気がついていた。
そして、彼らの疑心暗鬼は、一つの巨大な「推測」へと行き着くことになる。
「あのような極東の小国が、我々ロシアやフランスを相手に、これほど強気に、さも『当然』であるかのように振る舞えるはずがない。……裏にいるのだ。あの島国の糸を引いている、超大国が!」
ロシアの視点から見れば、日本の強気な態度の裏には、常に「大英帝国」という巨大な影がちらついて見えた。
実際のところ、日本はイギリスに都合よく利益(清国の市場)を渡し、彼らを「案山子」として利用しているだけであり、日英の間に軍事的な密約などまだ存在していなかった。
しかし、日本政府(外務省)は、ロシアのその勘違いを訂正するどころか、わざとイギリス公使と親密に会談する姿を意図的にリークし、さも『我々の背後には常に大英帝国がついている』かのように振る舞い続けた。
日本のその堂々たる態度が、ロシアの疑心暗鬼をさらに煽り、対日警戒レベルを極限まで引き上げていったのである。
「日本という国の『真の実力』と『裏の繋がり』を、徹底的に調べ上げろ」
危機感を抱いたロシア帝国は、ついに重い腰を上げ、日本に対する大規模な『対日諜報網』の構築へと動き出した。
彼らもまた大国である。軍の諜報機関や秘密警察の息がかかったエージェントたちを次々と極東へ送り込み、日本の軍事力や経済力、そして英国との関係の裏付けを取ろうとした。
しかし。
いざ蓋を開けてみれば、この両国間で展開された「諜報戦」は、日清戦争以上に『絶望的なまでの実力差』が存在していたのである。
ロシアの諜報活動は、当時の欧州列強が好んで用いた極めてオーソドックスな手法であった。
すなわち、『大使館を中心とする諜報網』である。
東京のロシア公使館に駐在する武官や外交官が中心となり、夜な夜な開かれる華やかな夜会で日本の政治家や軍人の口を割らせる。あるいは、金に困っている日本の下級役人を大金で買収し、機密書類を盗み出させる。
それは、貴族主義的で、スマートな「点」の諜報活動であった。
対する日本。
警察庁保安部が極秘裏に育て上げた日本の諜報網(草の者)は、ロシアのそれとは全く異質な、おぞましいまでの『総力戦(面)』の様相を呈していた。
日本の諜報員は、タキシードを着たスマートなスパイなどではない。
ウラジオストクの港で荷運びをする日雇い労働者。シベリア鉄道の建設現場に潜り込んだ土木作業員。ハルビンの裏通りで春をひさぐ娼婦。ロシア軍の将校が出入りする理髪店の店主。大陸を放浪する托鉢僧。
ありとあらゆる階層、ありとあらゆる職業の日本人が、国の命を受けて、あるいは自発的な愛国心から、ロシアの広大な領土の毛細血管にまで入り込み、息を潜めていた。
「……ウラジオストクの港湾労働者からの報告。ロシア太平洋艦隊の石炭備蓄量は〇〇トン。冬期の凍結に備えた砕氷船の稼働率は三割未満」
「シベリア鉄道建設現場の工夫より。バイカル湖周辺のトンネル工事において、深刻な地盤沈下が発生。開通は予定より最低でも一年半遅れる見込み」
「ロシア軍将校の行きつけの酒場の女給より。〇〇将軍は極度のギャンブル狂であり、多額の借金を抱えている。……買収の余地あり」
東京の保安部本部には、ロシアという大国の「内臓の隅々」に至るまでの生々しい情報が、毎日、文字通り山のように報告されてきていた。
圧倒的なる情報格差
大使館という「点」からしか情報を拾えないロシアと。
民間人すらもすべて手足として使い、社会の底辺という「面」から相手の国を丸裸にする日本。
諜報能力の差は、圧倒的という言葉すら生ぬるいものであった。
ロシアが東京の公使館から放ったスパイたちは、横浜港に降り立った瞬間から日本の保安部(あるいは買収された車引きや宿屋の主人)によって完全にマークされ、彼らが誰と会い、何を書き送ったかまで、すべて日本政府に筒抜けであった。
ロシアが買収したつもりの日本の役人は、実は保安部が用意した「二重スパイ」であり、ロシア側には意図的に偽造された『偽の軍事情報』ばかりが掴まされていたのである。
「……恐ろしいな」
保安部の長官は、ロシア大使館から傍受・解読された暗号電報の束(そこには日本軍の戦力が過小評価された偽情報が嬉々として書き送られていた)を読みながら、薄く笑った。
「ロシアの連中は、自らが『見たいもの』しか見ていない。彼らはまだ、我々のような有色人種の島国が、これほど緻密で巨大な『網』を張れるとは夢にも思っていないのだ」
表舞台では、平和な条約改正と外交の駆け引きが華やかに行われる裏側で。
大日本帝国は、将来確実に激突することになる巨大な北の熊に対し、その手足を縛り、目隠しをし、内臓を腐らせるための『不可視の猛毒(諜報網)』を、一滴の血も流すことなく、完全な優位性をもって注ぎ込み始めていた。




