戦間期 4 陰口
明治28年(1895年)、夏。
帝都・東京の郊外にある、鬱蒼とした木々に囲まれた元武家屋敷。
それが、極東の覇権を強引に引き寄せた男、滝脇慶家中佐の私邸であった。
戦争が終わり、慶家がこの屋敷で「日常」という名の休息を過ごすようになると、門前の通りを行き交う近隣の住人たちの間には、常にヒソヒソとした陰口と、得体の知れない恐怖が付きまとうようになった。
「……見なさいな。あそこが、あの『悪魔』のお屋敷だよ」
「しっ、声が大きいわ。……でも、本当に恐ろしいお方。新聞で読んだ通りなら、何万人という清国兵を、虫けらのようにすり潰したっていうじゃないか」
井戸端会議の女たちや、町内を歩く商人たちは、慶家の屋敷の黒塗りの門を忌まわしげに遠巻きにしながら歩いた。
彼らにとっての滝脇慶家は、英雄などではない。
戦時中、慶家自らが検閲をすり抜けさせて新聞に書かせた『凄惨極まる殺戮の図面を引いた男』というプロパガンダが、民衆の心に完璧に根付いていたのだ。
人間を機械の部品のように扱い、敵の聖地を大砲の的にして数万の騎兵を肉片に変えた男。勝利に浮かれる民衆ですら、その所業のあまりの冷酷さに背筋を凍らせた。
「あの男は、人の業を煮詰めて固めたようなお方だ」
「ああ。どんなに頭が切れても、『人の心を持たぬ者』に国を任せちゃあいけねえ。血の通った人間のやることじゃねえよ」
軽蔑と、恐怖。
それが、銃後で新聞を読み、平和な帝都で暮らす民衆たちから慶家に向けられた、偽らざる評価であった。
しかし。
その「人の心を持たぬ悪魔」に対する評価は、実際に戦場の泥と硝煙の中を這いずり回り、生きて故郷の土を踏むことができた『軍関係者(前線の将兵や参謀たち)』の間では、全く、180度真逆のものであった。
「……民衆の連中(素人)は、何も分かっちゃいない。あの人が悪魔だと? ふざけるな」
新橋の居酒屋で、復員してきたばかりの陸軍の古参下士官が、新聞記事を叩きつけて吐き捨てるように言った。
その周囲を囲む兵士たちも、皆一様に深く頷き、その目には絶対的な『畏敬』が宿っていた。
「俺たちが今、こうして生きて酒を飲んでいられるのは……五体満足で、女房や子供の顔をもう一度見ることができたのは、一体誰のおかげだと思っているんだ」
前線で戦った者たちは、骨の髄まで理解していた。
かつての戦争――例えば西南戦争のように、将軍が「名誉」や「武士道」を重んじて正面から堂々と戦えば、どうなるか。現場の兵士たちは、無駄な突撃を命じられ、名誉という名の美しい言葉と共に、大量に命を散らすことになる。
だが、滝脇慶家は違った。
彼は武人としての「名誉」も「美しさ」も完全にドブに捨てた。
敵を誹り、侮辱し、聖地を踏み荒らし、卑劣な罠を張り巡らせて、相手を徹底的に怒らせてコントロールした。
すべては、『大日本帝国の兵士の血を、一滴でも無駄に流させないため』である。
「滝脇閣下は、俺たちに『死んで英雄になれ』とは一度も言わなかった。ただ『指定した場所で、指定した通りに引き金を引け。そうすれば絶対に死なせずに勝たせてやる』と命じ、その通りに清国軍を自滅させたんだ」
別のテーブルで飲んでいた将校も、静かに杯を置いた。
「世間がなんと言おうと、関係ない。滝脇中佐は、我々にとっての救世主だ。あの冷酷さは、敵に向ける絶対的な刃であると同時に……味方の命を守るための、最も分厚い『盾』だったのだ」
将兵たちは、帝都の方向――市谷の参謀本部と、その奥にある武家屋敷に向かって、誰に言われるでもなく静かに杯を掲げた。
自分たちの命を救うために、あらゆる泥と憎悪を一身に被ってくれた、たった一人の不器用な覇王に向けて。
民衆からは「人の心を持たぬ悪魔」と忌み嫌われ。
将兵からは「味方の命を救う絶対の神」として崇拝される。
一つの世界において、真っ二つに割れたこの極端な評価の乖離こそが、滝脇慶家という男が仕掛けた盤面の『完全なる勝利』を証明していた。
夏の夕暮れ。
自宅の縁側に座り、涼みながら庭の青葉を眺めていた慶家は、門の外から微かに聞こえてくる「悪魔の屋敷だ」という通りすがりの囁き声を、手元の茶を啜りながら静かに聞き流していた。
前世において、天下を泰平に導きながらも「古狸」「腹黒い簒奪者」と万民から陰口を叩かれ続けた徳川家康。
真の為政者とは、愛されることではなく、憎まれることで世界に重しを乗せる存在である。
慶家は、自らに向けられる世間の冷たい視線すらも、心地よい日常のノイズとして受け入れながら。
縁側へ駆け寄ってきた幼い息子たち――信一と吉次の頭を、悪魔と呼ばれたその大きな手で、不器用に、だが優しく撫でるのであった。
―――
同じ頃。
帝都の喧騒から遠く離れた、駿府(静岡)。
夏の日差しが照りつける庭先で、一台の木製暗箱が、穏やかな市井の風景に向けられていた。
ファインダーを覗き込んでいるのは、帝国議会上局(貴族院)の議長という公的な表舞台から退き、今は趣味の写真撮影や自転車に没頭しながら悠々自適の隠居生活を送っている、最後の将軍――徳川慶喜であった。
「……して、慶家の奴は、帝都ですっかり『悪魔』扱いされているそうだな」
慶喜は、黒い布を被ったまま、シャッターの調整をしながら楽しげに尋ねた。
その後ろに控えているのは、今年で還暦(六十歳)を迎えた慶家の父、滝脇清隆である。
清隆は、息子が世間から「人の心を持たぬ者」と冷たい陰口を叩かれていることに、親として、また武士として肩身の狭い思いと、微かな痛みを抱えていた。
「……はっ。お恥ずかしい限りでございます。あのような残虐な盤面を引き、あまつさえ自ら悪名を被るなど……。我が息子の不器用な生き方が、上様(慶喜)のお耳を汚してしまっていること、父として申し訳なく……」
「謝るな、清隆」
パシャリ、と。
シャッターが切られ、慶喜は布から顔を出して、楽しげに笑った。
「面白いではないか。……まるで、幕末のあの頃の『私』の話を聞いているようだ」
慶喜の言葉に、清隆はハッと顔を上げた。
鳥羽・伏見の戦いで兵を見捨てて江戸へ逃げ帰り、絶対恭順を誓って江戸城を無血開城した徳川慶喜。当時の彼は、旧幕臣たちから「臆病者」「腰抜け」「裏切り者」と、日本中からあらゆる罵倒と憎悪を一身に浴びた。
だが、慶喜がそのすべての泥と悪名を被って「完全なる降伏」を演じたからこそ、江戸は火の海になることを免れ、日本は欧米列強に付け込まれることなく近代国家へと生まれ変わることができたのだ。
名誉を捨て、悪名を被り、自らをスケープゴートにしてでも、最も合理的に国を生かす。
滝脇慶家が日清戦争でやったことは、規模と手法こそ違えど、本質的にはかつての慶喜が幕末に下した「究極の自己犠牲(損切り)」と全く同じであった。
「……見てみろ、清隆」
慶喜は、現像を待つまでもなく、カメラのレンズが向いている先――平和な駿府の町並みを指差した。
商人たちが笑い合い、子供たちが夏の日差しの中を駆け回っている。
「慶家が背負っている世界は……お前の息子が一人で泥を被って守り抜いた世界は、こんなにも輝かしく、人々が生き生きと息づいている。
誰かが業を背負わなければ、この平穏は成り立たない。不条理と条理が入り混じったこの世の中で、慶家は自ら『影』になることで、この美しい『光』を残したのだ」
慶喜の目は、大局を見透かすような、深く澄んだ輝きを放っていた。
レンズを通して世界を切り取る彼には、光と影のコントラストが誰よりも正確に見えていたのである。
そして後日。
慶喜の邸宅に集まった旧幕臣たちが、世間の風聞に流されて「滝脇の倅は、情け容赦のない鬼になってしまった」「武士の風上にも置けぬ所業だ」と顔を顰めていた時のことである。
慶喜は、彼らの中に清隆がいるのを見ると、わざと周囲に聞こえるような大きな声で、扇子を打ち鳴らして笑ってみせた。
「何を言うか。慶家はな、『この私』の真似をしているのだぞ?」
「え……?」
旧幕臣たちは、一斉に口をつぐんだ。
「すべてを計算し尽くし、名誉を捨てて自ら悪党に成り下がり、国を残す。……あれは、私が幕末にやったことと全く同じではないか。つまり、慶家を悪魔と罵ることは、この私を罵るのと同じことだ。違うか?」
悪戯っぽく笑う最後の将軍の前に、旧幕臣たちは慌てて平伏し、「滅相もございません!」と首を振るしかなかった。
徳川慶喜という、歴史的にも絶対的な「権威」。
彼は、その自らの大きすぎる名を使って、清隆や滝脇家へ向かおうとしていた身内(旧幕臣)からの責め苦や陰口を、見事なまでに遮断してみせたのである。
「……上様」
清隆は、その背中を見つめながら、人知れず目頭を熱くした。
帝都で独り、業を背負って日常を生きる息子と。
駿府の空の下、その息子の業を「私の真似だ」と笑って庇い、平和な世を写真に収め続けるかつての主君。
蝉時雨の降り注ぐ夏空の下で、歴史の影で国を動かした男たちの、不器用で、しかし誰よりも深い絆が、そこには確かに息づいていた。




