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葵三つ葉  作者: 丸亀導師
戦間期
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88/95

戦間期 3 国譲りの始まり

明治28年(1895年)、夏。


日清戦争の硝煙が風に流され、極東の勢力図が完全に塗り替えられたこの頃。朝鮮半島は、これまでの歴史において経験したことのない、静かで、しかし不可逆的な『転換期』を迎えようとしていた。  


大清帝国という巨大な宗主国を物理的に排除された朝鮮王朝。


しかし彼らを待っていたのは、真の独立などという甘美なものではなかった。代わりに彼らの首に巻き付けられたのは、大日本帝国による「冷徹極まる統治のシステム」という名の、目に見えない強固な鎖であった。


「……釜山から臨津江(イムジンガン)に至る、縦貫鉄道の敷設。……これが、我が国の『復興』のための計画書だと言うのか」


漢城(ソウル)の王宮にて、日本政府から突きつけられた計画書を前に、朝鮮政府の高官たちはただ力なく肩を落とした。


日清戦争の終結直後に持ち上がったこの巨大なインフラ計画。驚くべきことに、その莫大な建設資金は、日本が下関条約において清国からむしり取った『朝鮮王朝への軍費賠償(5千万テール)』の半分を、初めから計上(横取り)して用意されたものであった。


朝鮮を戦場にした賠償金を、朝鮮の国土を日本の軍隊と物資が素早く行き来するための『軍用鉄道(鉄の血脈)』を造るために使わせる。


当然ながら、そこに朝鮮政府の意向など微塵も反映されていない。彼らは完全に日本の操り人形(傀儡)であった。


だが、このあからさまな主権侵害に対して、声を荒げて反発しようとする者は、もはや朝鮮政府の中には一人もいなかった。


平壌で数万の清国軍が一瞬にして消し飛ばされた、あの異常な殺戮戦を間近で見てしまったからだ。日本軍の絶対的な暴力と合理性の前に、彼らの心には底知れぬ恐怖と、そして**『諦観(ていかん)』**だけが蔓延していた。


軍事的な脅威(清国)が消え去った今、日本が朝鮮半島に送り込んだのは、銃を持った兵士ではなく、分厚い帳簿と算盤を持った『行政官(官僚)』たちであった。


彼らの目的は、朝鮮という国家を「日本の一地方」として完全に組み込むための、内臓の作り替えである。


日本人の指導官たちは、朝鮮の役人たちが長年親しんできた「丼勘定」や「賄賂を前提とした不透明な経理」を徹底的に破壊した。戦時中、兵站を維持するために日本軍が用いた『一銭一厘の狂いも許さない冷酷な経理システム』を、平時の行政にそのまま叩き込んだのである。


「帳簿の数字が合わん。やり直せ」


「はい、ただちに……!」


行政区の役所では、指導官たちの厳しい声が響き渡る。


彼らは同時に『日本語の習得』を徹底して強要した。日本のシステムを動かすためには、日本の言語と論理回路で思考する手足(役人)が必要だからだ。結果として、わずかな期間で殆どの行政府において日本語と朝鮮語が入り乱れ、実務レベルで日本語が通じるという、異様な空間が完成しつつあった。  


しかし、大日本帝国(参謀本部の滝脇慶家らを含む統治の設計者たち)が、今後の朝鮮半島支配において最も重視し、真血を注いだ政策は、鉄道でも役所の整理でもなかった。


それは『学校制度(教育)』を根付かせることであった。


富国とは即ち、民を富ませること。


そのためには、極めて低かった朝鮮の識字率を向上させ、民の知識を底上げすることが最も手っ取り早く、かつ確実な手段である。それは決して、朝鮮の民への同情や善意から来るものではない。


古代中国の兵法書『孫子』には、こう記されている。

「道とは、民をして上と意を同じくせしむる者なり。故にこれと死すべく、これと生くべくして、民は詭わざるなり」

(政治の根本たる『道』とは、民衆と君主の心を一つにすることである。そうすれば、民は君主のために命を懸け、決して裏切ることはない)


そして、こうも記されている。 

「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ」

(戦争において最善の策は、敵国を破壊せずに無傷のまま手に入れることである。武力で打ち破るのは次善の策に過ぎない)


この二つの真理を、日本政府は冷酷に実行に移そうとしていた。


大清帝国という強大な外圧(盾)を失った朝鮮を完全に制するために、もはや軍隊(暴力)を使う必要はない。


学校を造り、日本の言葉と歴史を教え込み、日本の資本でインフラを整え、生活を豊かにしてやる。

そうすれば、貧困と無知に喘いでいた民の心は、次第に「無能な自国の王(旧体制)」から離れ、豊かさを与えてくれる「新しい支配者(日本)」へと自然に同化していく。


内から食い破るように、ジワジワと国そのものの『脳髄』を変えてしまう。


それこそが、最も安上がりで、最も反乱が起きにくく、そして最も残酷な「究極の侵略」であった。


日清戦争という物理的な破壊の嵐が去った後。


朝鮮半島の大地には、銃声の代わりに、子供たちが日本語の教科書を音読する声と、鉄道敷設の槌音が響き始めていた。それは、大日本帝国による「血を流さない戦争(完全なる併合への序曲)」が、静かに幕を開けた音に他ならなかった。


―――


明治28年(1895年)、秋。


朝鮮半島の空が高く澄み渡る頃、仁川(インチョン)の港に一隻の客船が滑り込んだ。

タラップを降りてきたのは、欧米の仕立ての良いフロックコートに身を包んだ、若き朝鮮人の青年たちであった。


彼らは、古き悪習に塗れた旧体制(守旧派)の権力者たちとは違う。国の未来を憂い、自らの足で海を渡り、アメリカやヨーロッパの大学で近代法学、経済学、そして「民主主義」や「国民国家」の概念を学んできた、真正の愛国者たちであった。


彼らの胸の奥には、熱い炎が燃えたぎっていた。


(……我が祖国は、日清戦争という大国の争いに巻き込まれ、国土を踏みにじられた。無知で腐敗した王宮の連中には、もはや国は任せられない。我々が西洋の優れた思想と科学を持ち込み、真に独立した、豊かな近代国家『大朝鮮』を創り上げるのだ!)


彼らは、祖国の民が戦火と外圧に苦しみ、涙を流して自分たちのような「新しい指導者」を待っていると信じて疑わなかった。


しかし。


数年ぶりに祖国の土を踏み、漢城(ソウル)へと続く街道を歩き始めた彼らの目に飛び込んできた光景は、彼らが欧米の空の下で想像していた『悲惨な被占領国』の姿とは、あまりにもかけ離れていた。


「……どういうことだ。これは、一体……」


青年たちの一人が、呆然と呟いた。


市場(いちば)は、かつてないほどの活気に満ち溢れていた。商店の店先では、商人たちが満面の笑顔を振りまきながら、新しく整備された日本の通貨や手形を使って、滑らかに商いを行っている。


郊外の農村に目を向ければ、黄金色に実った豊かな稲穂の波の前で、農民たちが泥にまみれながらも、心の底からの喜びの声を上げていた。


農民たちは、収穫した米を荷車に積みながら笑い合っている。


「いやあ、今年の取り立て(税)は、本当にこれだけで良いのだな!」


「ああ。帳簿に書かれた分だけ払えば、あとは全部俺たちのものだ。役人がいきなりやって来て、難癖をつけて蔵の米を全部持っていくようなことは、もうないんだ!」


「日本から来た役人様が、きっちり計算してくださるおかげだ。ありがてえ、これで冬は子供に腹いっぱい食わせてやれる!」


汗水を流し、定められた「少ない税」を支払い、手元にしっかりと残った自分の財産を見て、手を取り合って喜ぶ民衆たち。


長年、朝鮮の民衆を苦しめていたのは、外敵ではなく、両班(ヤンバン)と呼ばれる自国の特権階級による『終わりのない搾取』と『不条理な暴力』であった。


日本政府から送り込まれた行政官たちは、その腐敗した旧体制のどんぶり勘定を完全に破壊し、一円一銭の狂いも許さない「近代的な徴税システム(法の支配)」を敷いた。


日本の目的は、彼らを豊かにして同化させることである。ゆえに、税率は適正化され、私腹を肥やす役人は厳しく罰せられた。


結果として、朝鮮の民衆の生活は、皮肉なことに『大日本帝国に実質的な主権を奪われた直後の今が、歴史上最も豊かで、最も希望に満ちていた』のである。


「違う……。こんなものは、本当の独立ではない! 餌を与えられて喜ぶ家畜と同じではないか!」


帰国した青年たちは、民衆の無知を嘆き、自らの理想(西洋の近代思想)を訴えるべく、行政の心臓部である役所や王宮へと向かった。


民衆が騙されているのなら、我々知識人が国を動かす役人たちを目覚めさせ、誇り高き独立国家の気風を吹き込まねばならない、と。


だが。


役所の扉を開けた彼らを待っていたのは、さらなる深い絶望であった。


そこには、山積みになった帳簿と、真新しい算盤(そろばん)に向かい、日本語と朝鮮語を交えながら黙々と事務作業をこなす朝鮮の役人たちの姿があった。


彼らの顔に、国を奪われた怒りや、悲壮な決意は一欠片もなかった。

あるのはただ、『底なしの諦観(ていかん)』だけであった。


「……君たち、欧米から帰ってきたのか。ご苦労だったな」


かつて知己であった初老の役人が、青年たちを見て力なく笑った。


「だが、君たちの学んできた『自由』や『独立』などという高尚な学問は、もうこの国では何の役にも立たないよ」


「何を仰るのです! 今こそ我々が立ち上がり、国を――」


「見なさい、あの民衆の顔を」


役人は、窓の外で笑い合う農民たちを指差した。


「私たちは数百年かけて、この民衆にあのような笑顔をさせてやることができなかった。だが、日本人はやってのけた。武力ではなく、恐ろしく正確な『計算』でな。……もう、勝てないのだよ。我々は、刃を交える前に、為政者としての存在価値を完全に否定されてしまったのだ」


役人の瞳の中には、絶望すら通り越した、冷え切った受容があった。


彼らは理解してしまったのだ。日本が持ち込んだこの「豊かさ」と「合理性」に逆らうことは、自国の民衆を再びあの地獄のような貧困と搾取の時代へ引き戻すことを意味するのだと。


愛国心などという形のないイデオロギーで、今日食べる白米の味に勝つことなど、絶対にできないのだと。


「あ……、あぁ……」


欧米帰りの若きエリートたちは、その場にへたり込んだ。


彼らが胸に抱いてきた「愛国心」という名の炎が、音を立てて消えていくのを感じた。


もし日本が、残虐な暴君として朝鮮の民からすべてを奪い、血の涙を流させていたのなら。彼らは喜んで民衆の先頭に立ち、命を懸けて独立戦争の旗を振ることができただろう。 


しかし、現実は違った。


日本は、誰もが抗えない『合理的な善政』という名の劇毒を使って、朝鮮という国家の誇りと反骨心を、根こそぎ溶かし去ってしまったのである。


武器を持った侵略者には、武器で対抗できる。

だが、笑顔で『豊かさと秩序』をもたらす侵略者に対して、一体どうやって戦えばいいのか。


「……これが、日本のやり方か……」


青年の一人が、血の滲むような声で呻いた。


秋の高く澄んだ空の下。彼らの帰還を歓迎するかのように、新しい学校の建設現場から、日本語を学ぶ子供たちの無邪気な声と、規則正しい槌音が響き渡る。


―――


明治28年(1895年)、秋深し。


彼らは、絶望の淵に立たされながらも、決して自らの魂までを日本に売り渡すことはなかった。


「……武力では勝てない。経済でも、政治システムでも、もはやあの巨大な機械(日本)に抗うことは不可能だ」


漢城(ソウル)の片隅、ランプの灯る静かな部屋に集まった青年たちは、血の滲むような声で語り合った。 


彼らは、数年後、あるいは数十年後には、この『朝鮮』という独立国家が地上から完全に消滅し、大日本帝国の一部(東北や九州と同じような、ただの『地方』)に成り下がるであろうという冷酷な未来を、誰よりも正確に予見していた。


「だが、だからといって、何もしないわけにはいかない!

たとえ国という『器』が奪われようとも、我々が数千年かけて培ってきたこの大地の『記憶』までを奪わせてはならないのだ!」


彼らは、戦うための武器を「銃」から「筆」へと持ち替えた。


国が消滅するその時までに。自分たちが「朝鮮人」としてこの大地に生きたという証を、文化を、歴史を、言葉を、一つでも多く書き残すこと。


どれほど日本という巨大な胃袋に飲み込まれようとも、「我々はかつて誇り高き独立国であった」という自尊心(魂)の核だけは、決して同化させまいと、必死に藻掻き、文字を紡ぐことを決意したのである。


それは、真の愛国者たちによる、悲壮にして気高い『文化的な抵抗戦』の幕開けであった。

  

しかし。


彼ら愛国者たちのその崇高な決意すらも、大日本帝国政府の掌の上を転がる、計算された一つの反応に過ぎなかった。


日本の朝鮮監督府は、これら若き知識人たちの「文化保全運動」を、警察庁保安部の諜報網によって完全に把握していた。


通常、植民地支配を行う欧米列強であれば、こうした民族主義的な動き(歴史の編纂や固有言語の保護)は、反乱の火種になるとして徹底的に弾圧し、焚書(ふんしょ)や投獄によって物理的に破壊するのが定石である。


だが、日本政府の動きは、欧米の帝国主義者たちよりも遥かに『狡猾(こうかつ)』であった。


「……彼らの歴史研究や、文化保護の活動を弾圧してはならない。むしろ、総督府の予算を回して『保護・奨励』せよ」


東京の政府中枢から下された方針は、現地に赴任した末端の役人たちを驚かせた。


その方針の根底にあったのは、日本という国家が古代から脈々と受け継いできた、極めて特殊で洗練された同化政策――『国譲り(くにゆずり)』の神話的哲学である。


日本の神話において、天照大御神(アマテラス)の勢力が出雲の大国主命(オオクニヌシ)から国を奪う際、彼らは出雲の神々を虐殺し、その文化を焼き払うことはしなかった。


代わりに、敗者である大国主命のために「天まで届く巨大な神殿(出雲大社)」を建立し、その存在を最大限に『尊重(祭祀)』することで、出雲の人々の反発を和らげ、なめらかに自国の体系へと同化させていった。


武力による破壊は、必ず民族の怨恨を生み、永遠に血を流し続けるテロリスト(殉教者)を生み出す。 


だからこそ、相手の土地の文化や歴史を破壊するのではなく、あくまでも「尊重し、保護する」という形をとることによって、相手から反抗する理由(大義名分)を奪い取る。


それこそが、一見遠回りに見えて、実は最も反乱を抑え込み、精神的な同化を進めるための『近い遠回り』なのだと、日本政府は理解していたのである。 


「彼らが朝鮮の歴史を編纂したいと言うなら、立派な図書館を建ててやれ。

朝鮮王朝の王族たちには、日本の皇族(王公族)に準じる最高の特権と莫大な歳費を与え、その権威を保護してやれ。

我々は、朝鮮の文化を破壊する『侵略者』ではなく、旧弊な清国の支配から朝鮮の文化を解放し、共に育て上げる『保護者』として振る舞うのだ」 


漢城の青年たちは、困惑していた。


彼らが決死の覚悟で始めた朝鮮固有の歴史書の編纂や、伝統文化の保護活動に対し、日本の警察は一切の弾圧を加えてこなかった。


それどころか、「素晴らしい学術的貢献である」として、日本の総督府から多額の資金援助や、立派な出版の環境までが提供され始めたのである。


「……どういうことだ。なぜ、日本は我々の活動を邪魔しない?」


「いや、邪魔しないどころか、我々の編纂した歴史書を、彼らが新しく建てた学校の教材として採用すると言ってきた……!」


青年たちは、戦慄した。

もし日本が強圧的に「朝鮮の言葉を捨てろ」「歴史を忘れろ」と弾圧してくれば、彼らは民衆を扇動し、命を懸けて暴動を起こすことができた。 


しかし、日本は微笑みながら、彼らの文化を両手で包み込み、そして「大日本帝国の多様で豊かな地方文化の一つ」として、綺麗にショーケースの中に陳列し始めたのである。


朝鮮の歴史は残る。文化も残る。


だがそれは、独立国家としての「牙」を完全に抜かれ、日本という巨大な帝国の枠組み(大東亜の歴史)の中に、安全に管理された『郷土史』として組み込まれることを意味していた。


「……我々は、戦う相手すら……失ってしまったというのか……」


資金を援助され、立派な装丁で製本された自国の歴史書を手に、青年たちは声を上げて泣き崩れた。


彼らの崇高な愛国心と、必死の抵抗すらも。


すべては日本政府が敷いた『国譲り』という巨大な同化のシステムの中で、安全なガス抜きとして利用され、最後には「帝国への感謝」へと変換されてしまうのだ。


武力で肉体を破壊する『理戦論』。


そして、善政と文化の保護によって魂を絡め取る『国譲りの哲学』。


大日本帝国の官僚たちが冷酷に実行に移したこの「複合的な侵略」の前に。


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