戦間期
台湾における「台湾民主国」の武装蜂起と、それに伴う日本軍の台湾接収作戦。
滝脇慶家の後任となった参謀本部の若きエリートたちは、慶家が残した『理戦論』と警察庁保安部の諜報網を完璧に模倣し、嬉々としてこの事後処理にあたっていた。
「情報で敵の内部を崩し、自滅したところを無血で接収する」。彼らは慶家のシステムがいかに強力であるかを実感し、自分たちもまた「新しい時代の戦争」を完全にマスターしたのだという万能感に酔いしれていた。
しかし。
そんな後輩たちが華々しく盤面を動かしている喧騒を尻目に、作戦室の最も奥まったデスクで、滝脇慶家はただ一人、薄暗いランプの灯りの下で膨大な書類の山と格闘していた。
それは、終結したばかりの『日清戦争』における、日本軍のあらゆる戦闘記録、弾薬消費量、兵站線の稼働率、そして将兵の死傷報告書の束であった。
「……滝脇中佐。もう戦は終わったのだ。台湾の件も、後任の者たちが上手くやっている。貴官も少しは骨を休めてはどうだ?」
参謀次長である川上操六が、書類から目を離さない慶家を見かねて声をかけた。
あの苛烈極まる大戦争の図面を引き、外交の根回しまで完遂したのだ。誰もが慶家を英雄と讃え、特別休暇を取るべきだと勧めていた。
だが、慶家は万年筆を置くことなく、淡々と答えた。
「終わってなどおりません。むしろ、ここからが『本番』です、閣下」
「本番、だと?」
「ええ。勝利というものは、軍隊にとって最も恐ろしい『劇毒』です。勝った軍隊は必ず慢心し、己の戦術を過信し、次も同じやり方で勝てると錯覚する。……だからこそ、熱狂が冷めやらぬ今のうちに、『我々がいかに危うい綱渡りをしていたか(自軍の粗)』を徹底的に洗い出し、修正しなければならないのです」
慶家のその言葉には、かつて戦国時代という地獄を生き抜いた「徳川家康」の魂が宿っていた。
三方ヶ原の戦いで武田信玄に完膚なきまでに叩き潰された時も、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉と対峙した時も。家康は勝っても負けても、必ず自らの戦の『粗(欠陥)』を探し出し、病的なまでの生真面目さでそれを修復し続けてきた。
「完璧な作戦など、この世に存在しない」。その絶対的な真理を骨の髄まで理解しているからこそ、彼は覇王たり得たのだ。
「……というわけで、各局の局長および、主要な作戦参謀をこの部屋に集めていただきたい。これより、本戦役における我が軍の『失敗』と『非効率』についての精査を行う」
数時間後。
慶家の要請により、川上操六をはじめとする参謀本部の幕僚たちが、困惑した顔で長机の周りに集められた。
彼らにとってみれば、平壌・黄海・瀋陽・旅順と、文字通りの「完全勝利」を収めた戦争である。今更何を反省する必要があるのかと、首を傾げる者も少なくなかった。
しかし、黒板の前に立った慶家が口にしたのは、彼らの自尊心を粉々に打ち砕くような、冷酷な自己批判の嵐であった。
「まずは『平壌の戦い』における進軍速度についてだ。……あれは、控えめに言って『薄氷を踏む愚行』であった」
幕僚たちがざわめいた。あの一夜にして数万の敵を包囲した神速の行軍が、愚行だというのか。
「確かに、結果として敵は包囲網に怯えて自滅した。だが、輜重の報告書を見ろ。先鋒部隊の進撃速度に対し、食糧と弾薬の輸送が完全に限界を超え、末端の輸送兵は三日間不眠不休で馬を引いていた。
もしあの時、秋雨が三日長引き、朝鮮半島の泥濘で荷車が立ち往生していたら? もし敵に少しでも理性が残っており、補給線を側面から叩かれていたら? ……我が軍の先鋒は、平壌の城壁の前で弾薬を尽かし、飢え死にしていたはずだ」
慶家は、黒板に兵站線の伸びを示すグラフを激しく叩いた。
「現場の『各個判断』を許容し、行軍速度を上げるのは良い。だが、それに追いつけない兵站システムはただの自殺行為だ。
現状の馬匹と荷車に依存した補給では、満州の奥地やシベリアの広大な平原には絶対に届かない。……鉄道の敷設能力の向上、そして悪路でも走破できる『新型の規格化された輸送車』の開発が急務である」
「次に、秋山支隊が担当した『瀋陽会戦』について。……あの戦いは、我が軍の戦術的欠陥を最も如実に表している」
慶家は、死体の山を築いた陵墓の陣地図を広げた。
「我々の基本戦術は、あらかじめ堅牢な陣地を構築し、敵の攻勢を徹底的に『受け』に回って吸収し、敵が息切れした終盤戦において、圧倒的な火力で逆襲を仕掛け、盤上からすり潰すというものだ。
瀋陽においては、それが完璧に機能した。敵が『怒り』に任せて、何も考えずに正面から突撃してきてくれたからだ」
そこで慶家は、言葉を区切った。その漆黒の瞳が、部屋にいる全員を射抜く。
「だが、次なる敵の指揮官が、清国のように感情で動く愚か者ではなく、冷徹に算盤を弾く男だったらどうなる?
彼らがこちらの『待ちの陣形』を見破り、突撃を控え、圧倒的な数の大砲を並べて遠距離から陣地を粉砕してきたら? あるいは、こちらの防御陣地を無視して、さらに広大な迂回ルートを通って背後の兵站拠点を突いてきたら?」
幕僚たちは息を呑んだ。
「相手の攻撃を『受けてから潰す』という我々のカウンター思想は、敵の戦力がこちらと同等か、あるいは敵が戦術的なミスを犯すことを前提としている。
しかし、大国ロシアの巨大な質量による波状攻撃を受けた場合、現在のような『薄い防御線(一つの陣地)』では、一回の突破で軍全体が崩壊する。
受け身に回るなら、受け切るだけの『縦深性(幾重にも張り巡らされた予備陣地)』と、相手の動きを二十手先、三十手先まで読んで盤面を構築する『戦略的終盤戦の読みの深さ』が、今の我が軍には決定的に欠けているのだ」
自らの戦術の根幹である『理戦論』の弱点すらも、自らの手で解剖し、白日の下に晒す。
その病的なまでの客観性に、川上操六は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
議論は白熱した。
慶家の容赦ない指摘に、最初は反発していた参謀たちも、次々と提示される「事実」の前に沈黙し、やがて慶家の思考に引き込まれるように、共に打開策を練り始めた。
「……黄海海戦の分析からも、明確な課題が浮き彫りになっております」
海軍との連携を担当していた参謀が、重い口を開いた。
「速射砲による榴弾の雨は、非装甲の巡洋艦には絶大な威力を発揮しました。しかし、清国の『定遠』『鎮遠』の分厚い装甲に対しては、表面を燃やすだけで致命傷を与えられなかった。
もし相手が、同等の装甲を持ち、かつ高度な訓練を受けたロシアの『バルチック艦隊』であったなら、我が連合艦隊は為す術もなく撃ち沈められていたでしょう」
「その通りだ」
慶家は深く頷いた。
「海軍には、速力と手数の『巡洋艦』だけではなく、敵の分厚い装甲を正面から粉砕できる、絶対的な破壊力を持った『大口径砲を搭載した主力戦艦』が必要だ。それも、列強のさらに上を行く規模のものが。
同時に、命中した後に装甲の内部で爆発する『遅発信管付きの徹甲榴弾』の開発を急がせろ」
さらに慶家は、陸軍の装備についても言及した。
「歩兵の小銃(村田銃)の性能は悪くない。だが、瀋陽で真に敵を足止めしたのは『マキシム機関銃』だ。
しかし、輸入品の機関銃は弾薬の消費が異常に早く、また連続射撃による銃身の焼き付きが頻発した。……機関銃はこれからの戦争の『主役』になる。自国で量産でき、かつ極寒の満州でも作動不良を起こさない、空冷あるいは水冷の頑強な『国産重機関銃』の設計設計を、至急兵器廠に命じろ」
会議は、深夜から明け方まで続いた。
誰一人として「大勝利の祝杯」を挙げることなど忘れ、彼らはただひたすらに「昨日までの勝利の戦術」を過去のものとしてゴミ箱に放り込み、「明日からの全く新しい戦争」のための設計図を引き直していた。
「……以上だ。本戦役における我が軍の『粗』は、おおよそ洗い出せた。各部門は直ちにこの精査結果を持ち帰り、来るべき『対ロシア戦』に向けた軍制改革案および兵器開発案としてまとめ上げろ」
窓の外が白み始めた頃、慶家はようやくチョークを置き、疲労の色濃い幕僚たちを見渡した。
「良いか。我々が清国に勝てたのは、我々が強かったからではない。我々の『システム』が、たまたま清国の旧態依然とした軍隊に対して相性が良く、相手が勝手に致命的なミスを犯してくれただけだ。
次に来る北の熊は、我々のシステムを研究し、物量で押し潰しにくる。……休んでいる暇はないぞ」
幕僚たちは、一斉に立ち上がり、誰に命じられるでもなく、慶家に向かって深く、そして熱烈な敬礼を送った。
彼らは理解したのだ。この滝脇慶家という男が、なぜこれほどまでに冷徹で、なぜこれほどまでに恐ろしい盤面を描けるのかを。
彼は「天才」だから勝てるのではない。誰よりも負けることを恐れ、誰よりも己を疑い、勝利という名の麻薬に絶対に酔わないという『狂気じみたまでの生真面目さ(合理性)』を持っているからなのだ、と。
「……恐ろしい男だ、貴様は」
会議室から参謀たちが散っていった後。残された川上操六が、珈琲を啜る慶家に苦笑混じりに言った。
「せっかくの勝利の余韻が、完全に吹き飛んでしまった。貴様の頭の中には、平穏というものがないのか?」
「平穏など、死んだ後にいくらでも味わえます」
慶家は、窓の外から昇る朝日を、漆黒の瞳で静かに見つめた。
かつて、三河の小大名から始まり、数え切れないほどの血を流し、裏切りと死線の果てにようやく掴み取った『天下泰平』。
しかし、この近代という時代においては、島国を統一した程度で泰平など訪れない。海の外には、かつての武田信玄や豊臣秀吉すらも児戯に思えるほどの、巨大な列強という化物たちがひしめいているのだ。
(……この国を、絶対に滅ぼさせはしない)
台湾で後輩たちが華やかな勝利の舞を踊っているその裏側で。
極東の覇王・滝脇慶家は、自らの『理戦論』の刃をさらに鋭く、さらに冷酷に研ぎ澄ましながら、数年後に必ず訪れる大国との「国家の存亡を賭けた死の終盤戦」へ向けて、静かに、そして誰よりも早く、新たなる陣形を構築し始めていたのである。
―――
陸軍参謀本部で作られた「日清戦争の反省会(戦闘報告と改善案)」の分厚いファイルは、インクの乾く間もなく、帝都の中枢たる内閣(総理大臣官邸および大蔵省)へと提出された。
そこには、大日本帝国という国家がこれから直面するであろう「冷酷な未来」と、それを生き残るための「莫大な算盤(予算案)」が、ところ狭しと書き殴られていた。
勝利の安堵と、絶望の請求書
「……信じられん。我々が清国から毟り取った賠償金をすべて注ぎ込んでも、まだ足りないというのか」
大蔵大臣は、参謀本部から上がってきた『次期国防費要求書』の天文学的な数字を見て、思わず舌を巻いた。
今回の日清戦争において、日本政府は極めて困難な財政運営を強いられたが、結果としては「外債(外国からの借金)に頼ることなく、国内での戦費捻出だけで戦争を完遂できた」という、近代国家として奇跡的な偉業を成し遂げていた。
外国から金を借りずに戦争に勝てたことは、欧米列強に経済的な弱み(介入の隙)を与えなかったという意味で、大蔵省にとっても無上の安堵と誇りであった。
しかし、その安堵を根底から打ち砕くように、滝脇慶家が起案した報告書は、現状の軍備を「時代遅れの紙切れ」と断じ、主力戦艦の国産化、重機関銃の量産、シベリアの凍土を走破できる後方支援車両の開発、そして兵站線の完全なる鉄道化など、国家予算の数倍に跳ね上がるような恐るべき軍備拡張を要求してきたのである。
「いくらなんでも、この予算は狂っている。軍部は勝利に酔って図に乗っているのではないか?」
閣僚の一人が不満を漏らした。
だが、大蔵大臣は首を横に振った。
「いや……狂っているのは、彼ら(参謀本部)ではない。我々を取り巻く『世界』の方だ。この報告書に書かれている【大戦略】を読めば、この予算が『必要最低限の生存経費』であることが嫌でも理解できる」
予言された簒奪と、極東の盤面(大戦略)
慶家の報告書には、単なる兵器の要求だけでなく、三国干渉を経た後の『列強の動向に対する暫定的な大戦略』が、まるで未来から見てきたかのような正確さで予言されていた。
『――ロシアは三国干渉によって、我が国から遼東半島を清国へ返還させた。
しかし、奴らの目的は極東の平和などではない。遠からず、ロシアは必ず清国に恩を売り、自らの手で遼東半島(旅順・大連)を租借(奪取)するだろう。
そして、我が軍が落としたあの旅順を、さらに分厚いコンクリートと巨大砲で覆い尽くし、世界最強の要塞として作り替えるはずである』
閣僚たちは息を呑んだ。
自分たちが血を流して得た領土を返させ、そこに自分たちの最大の軍事拠点を築く。それが欧州列強の、ロシア帝国のやり方だというのだ。
『我が国が次に戦う相手は、間違いなくこの大国・ロシアとなる。
その時、大日本帝国は孤立してはならない。【誰を味方とするべきか】。それは、ロシアの南下を世界規模で最も警戒している海の大国・イギリス(日英同盟の模索)である。
そして【誰を利用するべきか】。それは、ロシアの極東専心に危機感を抱くアメリカの資本や、清国内部でロシアに反発する勢力である。
我が国は、外交と軍事の両面において、これらすべてのプレイヤーを盤面に巻き込み、利用し尽くさねば、決して北の熊は倒せない』
慶家のロジックには、一切の感情論がなかった。
ロシアが旅順を奪うことを「卑劣な行為」として憤るのではなく、「当然起こりうる物理法則」として事前に組み込み、それに対抗するための軍事力と外交のパッケージを冷徹に提示しているのだ。
「……大蔵省も、覚悟を決めねばなるまい」
大蔵大臣は、分厚いファイルを強く叩いた。
「参謀本部が国家の『脳髄』としてこれほど完璧に機能しているのだ。我々官僚が、予算がないと泣き言を言って『手足(国力)』を萎縮させている場合ではない」
大蔵省を中心とする文官官僚たちは、滝脇慶家の『理戦論(システムによる全体最適化)』に強烈な感化を受けていた。
軍隊が「兵站とシステム」で動くように、国家経済もまた、天才的な商人の閃きだけに頼るのではなく、緻密に計算された「システム」として構築されなければならない。
そこで大蔵省は、陸軍参謀本部の組織構造を真似て、官僚主導による極秘の経済戦略会議――『国家産業促進委員会』を立ち上げた。
この委員会の目的は、単なる企業の支援ではない。
「日本国内の産業育成における、農業と工業の完璧なバランスの構築」および「来るべき対ロシア戦に向けた、軍事費捻出と産業基盤の底上げ」であった。
戦争には、大量の兵器(重工業)だけでなく、兵士を食わせるための膨大な食糧(農業)が必要不可欠である。どちらか一方が偏れば、国家というシステムは崩壊する。
委員会は、全国の農地面積、収穫量、工場の生産能力、物流の動線をすべてデータ化し、参謀本部が兵站線を計算するように、国家経済のダイヤグラムを引き始めたのである。
この頃、日本国内の民間経済は、渋沢栄一をはじめとする傑出した実業家たちの手によって、凄まじい勢いで資本主義の血脈を広げていた。
渋沢は「合本(株式会社)主義」を唱え、紡績、鉄道、銀行など、およそ五百に及ぶ企業の設立に関わり、民間経済の活力を爆発させていた。
『国家産業促進委員会』の官僚たちは、渋沢栄一の持つ「民間の柔軟さ」と「利益を追求する商人の嗅覚(限界)」を正確に理解していた。
「民間の資本は、利益が出るところ(軽工業や商業)には素早く、かつ柔軟に流れ込む。渋沢翁の手腕は見事だ。彼らには、引き続き国の経済の『血流』を太くしてもらう」
委員会の長を務める官僚は、日本地図の上に赤と青の線を引いた。
「だが、民間資本には【リスクの大きすぎる事業】には投資できないという『限界』がある。
例えば、利益が出るまでに何十年もかかる巨大な製鉄所(八幡製鉄所など)の建設。軍艦を造るための特殊な造船ドック。
あるいは、過疎地を繋ぐためだけの戦略的な軍用鉄道網。……これらは、商人の目から見れば大赤字の不良債権だ」
そこで、官(政府)が動く。
「だからこそ、リスクの多い重工業やインフラ事業は、我々『官』が莫大な予算を被って徹底的に投資(保護育成)する。民が稼いだ利益を税として吸い上げ、それを官が巨大な産業基盤に変換し、その基盤の上でさらに民が稼ぐ」
これこそが、大日本帝国が世界に先駆けて構築し始めた「官民一体の国家総動員体制(ハイブリッド資本主義)」の雛形であった。
民間の柔軟な利益追求(渋沢栄一の領域)と、官の冷徹な計画経済(委員会の領域)が、互いの長所を活かし、短所を補い合うように完璧な『役割分担』を果たす。
軍隊において、現場の裁量を重んじる歩兵(民)と、それを後方から完璧に管理する兵站(官)が連動したように。
経済においてもまた、日本という国家は、一つの巨大な「生産と搾取の機械」として、無駄な摩擦をなくし、すべてのエネルギーを来るべき『ロシア帝国との決戦』へと集約させ始めたのである。
参謀本部で滝脇慶家が描いた『冷酷なる算盤』は、軍事の枠を完全に飛び越え、日本という国家の骨格そのものを、史上かつてないほど強靭で、合理的な「巨大要塞」へと作り替えようとしていた。




