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葵三つ葉  作者: 丸亀導師
日清戦争
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日清戦争 12 終戦

明治28年(1895年)早春。

大清帝国が、日本側から突きつけられた過酷極まる条約案(下関条約)を「一文字の修正もなく、完全受諾する」という内容の暗号電報が、東京・三宅坂の陸軍参謀本部にもたらされた。


その瞬間。


重苦しい緊張に包まれていた作戦室は、堰(せき)を切ったような爆発的な歓声と、地鳴りのような万歳三唱に包まれた。


「勝った! 我々は大清帝国に勝ったのだ!!」


「帝国陸海軍、万歳! 天皇陛下、万歳!!」


将校たちは手を取り合い、涙を流して歴史的勝利を喜び合った。


そして、彼らの畏怖と熱狂の入り混じった視線は、部屋の片隅で静かに万年筆を置いていた一人の男――滝脇慶家中佐へと一斉に注がれた。


「滝脇中佐……いや、閣下! 貴方の完璧な『理戦論』と情報統制がなければ、この圧倒的勝利は絶対にあり得ませんでした!」


「我が大日本帝国の歴史に、貴方の名は最高の軍略家として永遠に刻まれるでしょう!!」


次々と送られる最大級の賛辞。


しかし、大清帝国という巨大な竜を完全に解体し、極東の覇権を握るという偉業を成し遂げた張本人である慶家の顔には、一欠片の喜悦も、達成感すらも浮かんでいなかった。


彼はゆっくりと椅子から立ち上がると、卓上に広げられていた血塗られた満州と黄海の作戦図から目を逸らし、深く、ひどく重たい息を一つ、吐き出した。


そして、自らの軍帽を目深に被り直し、歓喜に沸く将校たちへ向けて、ただ短く告げた。


「――後は、頼む」


それだけを言い残し、慶家は参謀総長や次長たちの労いの言葉すら背中で受け流しながら、喧騒に包まれた参謀本部(陸軍省)の建物を一人、静かに後にした。


三宅坂から歩を進め、慶家が一人で足を運んだのは、市谷の台地に鎮座する『市谷亀岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)』であった。


江戸時代から武家の信仰を集めてきた神聖な杜(もり)である。しかし慶家は、武神である八幡神の拝殿には向かわず、その境内の脇にひっそりと佇む『茶ノ木稲荷神社(ちゃのきいなりじんじゃ)』へと真っ直ぐに歩みを進めた。


冬の終わりの冷たい風が、境内の木々を揺らしている。


軍服姿のまま礼儀正しく鳥居をくぐった慶家は、社務所にいた神主を呼び止め、自らの懐から多額の私財を包んだ封筒を差し出して、深く頭を下げた。


「突然の非礼をお許しいただきたい。……鎮魂の祝詞(のりと)を、執り行ってはいただけないだろうか」


怪訝な顔をする神主に、慶家は静かに、しかし深い祈りを込めた声で続けた。


「此度の戦役で命を落とした、我が大日本帝国の将兵。……そして、異国の平野と冷たい海で散っていった、数万の『大清帝国の将兵』。双方のすべての命が、無事に慰められ、迷わず天へと還れるように。どうか、お願い申し上げる」


神主は、目の前に立つ冷たい目をした軍人が、敵国である清国の死者のために鎮魂を願っていることに驚きながらも、その奥底に潜む底知れぬ「業の深さ」を感じ取り、静かに頷いて祝詞の準備を始めた。


ドンドンドン、と。


茶ノ木稲荷の静かな境内に、鎮魂の太鼓の音が響き渡る。


慶家は、目を閉じて深く首を垂れた。


彼の脳裏に浮かぶのは、平壌の暗闇で狂乱し自滅していった者たちの絶叫であり、黄海の波間に消えた者たちの無念であり、そして瀋陽の陵墓の前で機関銃の前に肉片となって散っていった、数万の八旗騎兵の姿であった。


(……私は、自国の生存のために、お前たちを一切の感情を交えずに盤上の数字として処理した。その残酷な手法を、後悔はしていない。謝罪もしない。……だが)


前世において、血みどろの戦国時代を生き抜き、関ヶ原や大坂の陣で数え切れないほどの命を刈り取った「徳川家康」の魂。


家康は、戦の盤面においては鬼よりも冷酷であったが、戦が終われば必ず怨親平等(おんしんびょうどう=敵味方の区別なく供養すること)の精神で、敵の死者を手厚く弔う男であった。


死者を単なる「数字」として処理し続けることは、生者の魂を確実に腐らせる。冷徹なシステムで大量の命を奪ったからこそ、誰かがその命の重さを背負い、静かに祈らねばならないのだと、魂が理解しているのである。


(お前たちの流した数万の血の海の上に、この極東のかりそめの『平和』と、我が国の未来が築かれる。……怨むなら、この滝脇慶家一人を怨め。私一人に、取り憑くが良い)


慶家は、自らが設計した巨大な屠殺場(システム)で命を落とした、すべての魂に向けて、心の中で静かに手を合わせた。


冷徹な悪魔の顔の下に隠された、為政者としての果てしなく重い十字架。この孤独な祈りを知る者は、世界にただ一人として存在しなかった。


数時間ののち。


一通りの鎮魂の儀式を終え、心なしか憑き物が落ちたような、静謐(せいひつ)な表情を取り戻した慶家は、再び三宅坂の参謀本部へと戻ってきた。


作戦室では、戦後の台湾接収や、賠償金の受け入れ、そして遼東半島への駐留軍の配置など、次なる「戦後処理」の事務作業が慌ただしく始まっていた。


「滝脇中佐、お戻りになられましたか」


川上操六参謀次長が、慶家を見据えて告げた。


「これより、参謀本部は平時体制への移行、および戦後処理のフェーズに入る。貴官の立案した『日清戦役作戦指導』は、これをもって正式に終了とする」


それは、軍の中枢からの正式な「お役御免」の通達であった。


戦争という狂気の盤面においてのみ絶対的な権力を振るった異端のシステムは、平和が訪れた瞬間、再びその役目を終えて休眠に入るのだ。


「御意に御座います」


慶家は、微かに安堵の息を漏らすと、川上に対して端正な敬礼を返した。


「占領地の行政や、捕虜の送還、条約の細かな履行確認などは、もはや私の専門外に御座います。以後の実務作戦は、優秀なる参謀本部の皆様にすべて一任いたします」


そう言って、慶家は自らのデスクに残されていた私物をまとめ始めた。


狂気に満ちた『理戦論』の指揮杖をあっさりと手放し、元の「一介の参謀将校」へと戻っていくその後ろ姿を、部屋にいた将校たちは、畏怖と安堵の入り混じった複雑な眼差しで見送っていた。


日清戦争という、極東の歴史を永遠に変えてしまった巨大な嵐。


大日本帝国を勝利へと導き、大清帝国を完膚なきまでに叩き潰した「覇王」は、自らが背負い込んだ莫大な死者の怨念を市谷の社(やしろ)に鎮めると、次なる歴史のうねり(ロシア帝国との激突)が訪れるその日まで、再び深い影の中へとその身を隠していったのである。


―――


明治28年(1895年)春。

日清戦争における大日本帝国の完全なる勝利と、下関条約の締結。それは、極東の島国が数千年にわたり君臨してきた「中華帝国」という巨大なパラダイムを完全に打ち砕き、新たな覇権国家として世界史の表舞台に躍り出た瞬間であった。


滝脇慶家が軍中枢の作戦指導から身を引き、表舞台から姿を消したのと時を同じくして、日清間での領土の引き渡し(置換)や賠償金支払いの実務的な話し合いが粛々と進められようとしていた。


しかし、世界のパワーバランス(勢力分布図)が極東で激変するのを、欧州の列強が指を咥えて見ているはずがなかった。


「――日本が遼東半島を所有することは、清国の首都・北京を常に脅かし、朝鮮の独立を有名無実化するものである。ひいては極東の『恒久的な平和』に対する重大な障害となるため、我が国は日本政府に対し、遼東半島の領有を放棄することを勧告する」


条約締結からわずか数日後。


ロシア、フランス、ドイツの三国が共同で、日本に対して『遼東半島の清国への返還』を要求してきた。のちの歴史にいう『三国干渉』である。


彼らが掲げた表向きの理由は「東アジアの平和維持」であった。


だが、その内実は極めて醜悪な帝国主義的野心の塊である。ロシアは自らが満州を南下し、不凍港である旅順を手に入れるために、日本の存在が邪魔であった。ドイツはロシアの目を極東に向けさせて欧州での圧力を減らすため。フランスは同盟国であるロシアに追従したに過ぎない。


史実において、疲弊しきっていた大日本帝国は、この三国による圧倒的な武力(巨大艦隊の威容)を背景にした恫喝の前に屈し、血を流して得た遼東半島を涙を飲んで手放す(臥薪嘗胆)こととなる。


しかし。


この世界線の日本政府は、慶家が組み上げた『理戦論』の恩恵により、国力の過度な消耗を防ぎ、兵力と経済にまだ十分な余裕を残していた。そして何より、日本政府と外務省の背後には、警察庁保安部という、世界最高峰の『諜報機関』が存在していたのである。


「……ロシアのバルチック艦隊の極東配備状況、およびシベリア鉄道の未完成区間のデータ。そして、ドイツ・フランスの極東における兵站能力の限界……。すべて、保安部の調べがついている」


外務大臣・陸奥宗光は、首相・伊藤博文と共に、机の上に積まれた分厚い諜報ファイルを見下ろして獰猛に笑った。


「連中の言う『武力行使』は、現時点では完全なブラフ(脅し)だ。兵站線が伸び切る極東において、三国が今すぐ我が国と全面戦争を行えるような準備は整っていない。……この『眼(インテリジェンス)』があれば、列強の脅しなど恐るるに足らずだ」


日本政府は、欧州三国の恫喝に対して、かつてないほど「強気」な姿勢で外交交渉のテーブルに臨んだ。


彼らは、三国の公使たちを呼びつけると、一枚の外交文書を突きつけた。


「我が大日本帝国は、貴国らが真に『極東の平和』を願う善意によって勧告を行っているというのであれば、遼東半島の返還を考慮しても良い。……ただし」


陸奥は、冷徹な目でロシア公使を見据えた。


「『貴国らが現在我が国に強いている【領事裁判権】および【不平等条約】を完全に撤廃し、我が国を対等の文明国として扱うこと】。それが、我々が返還に応じる絶対条件である」


それは、欧州列強の「偽善」を根底から突き崩す、極めて悪辣にして見事なカウンターであった。

この当時、フランスは清仏戦争などの外交的経緯(この世界線における特殊な背景)から、すでに日本に対する強硬な不平等条約の行使権を実質的に持っていなかった。


しかし、ロシアは持っていた。


日本が突きつけた論理はこうである。


『あなた方は、極東の平和と平等のために遼東半島を返せと言っている。ならば当然、我が国に対する不平等な扱い(治外法権)も即座にやめられるはずだ。まさか、自分たちの権益だけは甘い汁を吸い続けながら、他国にだけ平和の道徳を説くような、薄っぺらい三流国家ではないだろう?』


もしここでロシアが「不平等条約の撤廃」を拒否すれば、彼らが掲げた『平和維持』という建前は完全に崩壊する。単なる「自国の領土的野心(実利)のために干渉してきた野蛮な侵略国」であることが世界中に露呈してしまうのだ。


大国のプライド(面子)を取るか、不平等条約という実利を取るか。


日本は、警察庁保安部の諜報網によって「ロシア宮廷内における面子(ヨーロッパの文明的調停者としての体面)への異常な執着」を完全に把握した上で、この天秤(踏み絵)を用意したのである。


「……おのれ、極東の猿どもめ……!」


ロシア公使は顔を真っ赤にしてワナワナと震えたが、反論の余地はなかった。


ここで建前を捨てれば、イギリスなどの他の列強からどのような外交的非難(介入)を受けるか分からない。


熟考の末、ロシアは『面子』を取った。


三国は日本の条件を呑み、日本国内における領事裁判権の撤廃(不平等条約の改正)を確約。引き換えに、日本は遼東半島を清国へ返還(事実上の莫大な代償金との引き換え)することに同意した。


領土の代わりに、国家の悲願であった『完全なる主権(不平等条約の撤廃)』を列強から力ずくで毟り取る。それは、軍事力と情報(諜報)を連動させた、大日本帝国による歴史的な外交的完全勝利であった。


一方で。


下関条約によって日本への割譲が決定していた『台湾』において、新たな火種が燻り始めていた。


台湾の清国側官僚や一部の現地有力者たちが、日本への引き渡しを強硬に拒絶。彼らは清国中央から独立し、『台湾民主国』の建国を宣言して、日本軍の進駐に対して独自の軍事力(義勇軍)を挙げて徹底抗戦の構えを見せたのである。


「台湾にて武装蜂起。……面倒なことになったな」


「だが、もはや滝脇中佐は作戦室にはおられない。我々だけで対処せねばならん」


参謀本部において、慶家の後任として作戦指導を引き継いだ若き参謀将校たちは、作戦台の前に集まり、台湾の地図を広げた。


彼らには、慶家のような「神がかった未来予測(家康の魂)」や「悪魔的な直感」は備わっていない。

だが、彼らには慶家が残した『理戦論(合理的な戦争指導マニュアル)』が、すでに血肉として染み込んでいた。


「滝脇中佐であれば、絶対に正面から力押しはしないはずだ。……敵は一枚岩ではない。現地人の義勇兵と、清国から残された官軍との間には必ず軋轢がある。そこを『情報』で突く」


後任の参謀たちは、極めて要領が良かった。

彼らは慶家のやり方を完璧に模倣(コピー)し、武力による鎮圧の前に、まずは警察庁保安部の『草の者』たちを大量に台湾内部(台北・台南)へと潜入させた。


「日本の大軍が来れば、お前たちの財産はすべて奪われる」


「いや、清国の将軍たちは、金だけ持って大陸へ逃げる準備をしているぞ」


草の者たちは、暗闇から流言飛語を撒き散らし、台湾民主国の指導層の間に疑心暗鬼の種を植え付けた。


さらに、現地で不満を持っていた客家(ハッカ)や原住民の勢力に対し、日本の総督府から「協力すれば財産と権利を保証する」という甘い密約(賄賂)を裏からばら撒いた。


結果はどうなったか。


日本軍の先遣隊(近衛師団)が台湾の海岸に上陸するや否や。


「将軍が逃げたぞ!!」


「裏切りだ! 日本軍がもう城の裏まで来ている!」


『台湾民主国』の軍隊は、日本軍と本格的な交戦を行う前に、内部からの疑心暗鬼と裏切りによって勝手に自壊を始めたのである。


指導者層であった唐景崧(とう けいすう)らは、兵士たちを見捨てて早々に大陸へと逃亡。残された義勇兵たちも、混乱の中で暴徒と化し、自らの街を略奪して四散していった。


歯車は回り続ける


「……台湾内部の瓦解を確認。これより、我が軍は速やかなる無血進駐を開始。主要都市を制圧し、総督府の設置を粛々と進める」


台湾に上陸した日本軍は、大きな血を流すこともなく、ただ自滅して空っぽになった陣地を一つずつ事務的に接収していった。


東京の参謀本部では、後任の参謀たちがストップウォッチと報告書を見比べながら、安堵の息をついていた。


彼らは慶家ほどの絶対的なカリスマ(恐怖)は持っていない。しかし、その分だけ「組織として極めて洗練された官僚的な動き」で、情報を巧みに使いこなし、極東の島々を日本の版図へと綺麗に組み込んでみせたのである。


天才(滝脇慶家)の手を離れても、彼が創り上げた『システム(理戦論と諜報網)』は、すでに大日本帝国という国家の脳髄として、自律的に機能し始めていた。


力で殴るのではなく、情報で崩し、最小の犠牲で最大の果実を収穫する。


日清戦争とその戦後処理を通じて、大日本帝国は、もはや後戻りのきかない「冷徹なる近代国家」への進化を完全に成し遂げた。


世界がまだその真の恐ろしさに気づかぬまま、極東の歯車は、やがて来るべき『世界最大の帝国(ロシア)』との死闘へ向けて、静かに、そして確実に回り続けていくのである。


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