日清戦争 11 山東半島攻略戦
明治27年(1894年)冬から翌28年(1895年)初頭。
平壌、黄海、瀋陽、そして絶対防衛線である旅順要塞の喪失。大日本帝国軍の冷徹なる「処理(殺戮)」によって、手足をもがれ、牙を抜かれた大清帝国は、もはや国家としての軍事的機能を完全に停止しつつあった。
しかし、東京・三宅坂の陸軍参謀本部に座る滝脇慶家の目は、戦場での勝利などとうの昔に見切りをつけ、次なる、そして最も冷酷な盤面――『外交と戦後処理』へと完全に移行していた。
戦争とは、敵を殺すことが目的ではない。戦後の「利益」を自国に最も有利な形で固定化するための、ただの過激な交渉手段に過ぎない。
慶家は、清国へ最後通牒(講和条件)を突きつける前に、極東における最大のプレイヤーである大英帝国に対して、水面下で周到極まりない「すり合わせ(根回し)」を完了させていた。
「……イギリスが清国に望んでいるのは、領土の分割ではない。『自由貿易の拡大』と、ロシアの南下を阻む『防波堤』だ。ならば、我が国が突きつける講和条件は、イギリスの国益と完全に合致するものでなければならない」
慶家は、外務省を動かし、イギリス政府に対して「日本が清国に要求する条約案」を事前に提示した。それは、イギリスが喉から手が出るほど欲しがっていた『清国内陸部への経済的進出』を、日本が代わりにこじ開けるという、極めて魅力的な提案であった。
イギリスからの「暗黙の了解(不介入の保証)」を取り付けた慶家は、いよいよ大清帝国に対して、国家の背骨を完全にへし折るための『絶望の条約案』*提示したのである。
日本政府を通じて清国へ突きつけられた要求は、単なる敗戦のペナルティなどという生ぬるいものではなかった。それは大清帝国の「宗主国としての面子」を泥で塗り潰し、経済と主権の心臓部に直接管を通す、恐るべき搾取のシステム(吸血鬼の契約書)であった。
その内容は、以下の通りである。
【第一項:属国支配の完全否定】
* 朝鮮の完全無欠なる独立国としての承認: 清国が長年維持してきた「朝鮮は自国の属国である」という前提を完全に破棄させる。
* 朝鮮王朝の謀反人・李埈鎔の身柄引き渡し: 日本の意に反して動こうとした朝鮮内の不穏分子を清国から引き渡させ、朝鮮半島における日本の絶対的なコントロールを確立する。
【第二項:領土の割譲(地政学的首輪)】
* (甲)奉天省南部の土地(遼東半島)の割譲: 清国の首都・北京の喉元に、大日本帝国の軍事基地(恒久的なナイフ)を突きつける。
* (乙)台湾全島、その付属諸島嶼および澎湖列島の割譲: 東シナ海から南シナ海に至るシーレーンを完全に日本の支配下に置く。
【第三項:天文学的な戦争賠償金】
* 日本国への軍費賠償:庫平銀2億両
* 朝鮮王朝への軍費賠償:庫平銀5千万両
* ※これらを5カ年賦にて支払うこと。
* 大清帝国にとって最大の屈辱は、日本だけでなく、かつて自分たちの属国であった「朝鮮」に対してまで莫大な賠償金を支払わされることであった。これは中華思想の根底を破壊する精神的拷問に他ならない。
【第四項:経済と主権の完全蹂躙(イギリスへの供物)】
清国と欧州各国とのあいだに存在する諸条約を基礎とし、列強並みの最恵国待遇と通商特権の拡張を要求。さらに以下の条件を叩きつけた。
* 内陸部と『首都』の解放: 従来の開市港場に加え、北京、沙市、湘潭、重慶、梧州、蘇州、杭州の各市港を、日本臣民の住居営業のために開くこと。(※首都・北京に堂々と外国人の拠点を許すことは、国家主権の放棄に等しい)
* 航路の独占: 旅客および貨物運送のため、日本国汽船の航路を清国内陸部まで拡張すること。
* 無税の搾取構造: 日本国民が輸入する際、原価2パーセントの抵代税を納めれば、清国内地の一切の税金・賦課金・取立金を免除する。また清国で購買した輸出貨物についても一切の税金を免除する。
* インフラの特権利用: 日本国民は清国内で貨物を保管するため、何らの税金や取立金も納めずに倉庫を貸与される権利を有する。
* 通貨支配: 課税および手数料は庫平銀で納めるが、「日本国本位銀貨」での代納も許可させる。(清国経済に日本円を浸透させる)
* 工業支配: 日本臣民は清国において各種の製造業に従事し、機械類を自由に輸入できる。(清国の安い労働力と資源を、日本の工業資本が直接搾取する権利)
* インフラ整備の強要: 清国は自費で、黄浦江河口にある「呉淞浅瀬」を取り除く工事に着手すること。(日本の大型船が安全に遡上できるようにするため)
【第五項:究極の脅迫(最後通牒)】
* 「これ以外の条件(妥協)は一切認めない。拒否する場合、大日本帝国は清国領内からの撤兵を行わず、より強度の強い『次なる侵攻』を即座に開始する」
この条件を見た清国の首脳陣(西太后や李鴻章ら)は、怒り狂った。
領土の割譲だけでも耐え難いが、二億五千万両という国家予算数年分に匹敵する賠償金、さらには首都・北京の解放や内陸部での製造業の許可など、これを飲めば大清帝国は完全に日本の「経済的奴隷(植民地)」に成り下がる。
「断じて受け入れられん! 倭奴(日本)の小国ごときが、大中華に対してこのような無礼な要求を突きつけるなど、万死に値する!」
清国の朝廷は、未だに自国の置かれている絶望的な状況を正しく認識できていなかった。
彼らは「日本の国力も限界に達しているはずだ。これほどの条件を本気で飲ませられると思っているわけがない、ただの脅し(ブラフ)だ」と高を括り、この要求を一度『明確に拒否』するという、国家の命運を絶つ致命的な判断を下してしまった。
―――
東京・参謀本部。
清国からの「拒否」の電報を受け取った滝脇慶家は、一切の落胆も見せず、ただ機械的に作戦室の時計を見た。
「……交渉決裂。想定通りだ」
慶家にとって、清国が一度拒否することは『理戦論』のフローチャート(分岐)における「プランBへの移行条件」を満たしたに過ぎなかった。
脅しなどではない。家康の魂を持つこの男は、交渉のテーブルにつく時点で、相手が拒否した瞬間に首を刎ねるための『ギロチンの刃』を、すでに空高く吊り上げていたのである。
「これより、我が軍は予備作戦として準備していた『次なる侵攻』を発動する。……標的は、山東半島・威海衛。大清帝国の最後の希望である北洋艦隊の残存勢力を、完膚なきまでに根絶やしにする」
慶家が放った命令は、すでに前線で待機していた陸海軍の部隊へと、電信を通じて瞬時に伝達された。
明治28年(1895年)1月。
猛烈な寒波が吹き荒れる黄海を渡り、大日本帝国軍の巨大な刃が、清国の首を完全に刎ねるべく山東半島へと襲いかかった。
標的は、かつて『第二次黄海海戦』で半数の艦艇を失い、ボロボロになって逃げ込んだ清国海軍の最後の拠点――威海衛。
そこには、日本の榴弾によって上部構造物を吹き飛ばされながらも、未だ分厚い装甲に守られて浮いていた巨大戦艦『定遠』『鎮遠』をはじめとする、北洋艦隊の生き残りが立て籠もっていた。
清国は、日本軍が旅順と同じように「海から」攻めてくると信じ、湾の入り口に強固な防潜網を張り、砲台の狙いを海へと定めていた。
しかし、日本軍の統帥は、もはや一つの狂いもない『陸海統合の殺戮機械』へと進化しきっていた。
「……旅順の時と同じだ。艦隊は湾の入り口を封鎖し、敵を閉じ込めろ。その間に、陸軍が背後から回り込んで要塞砲を奪い取る」
連合艦隊司令長官・伊東祐亨と、陸軍の将官たちは、完璧な連携のもとに作戦を実行した。
日本陸軍(第二軍の一部)は、威海衛の砲台の射程外である栄城湾に悠々と上陸。そこから雪中行軍を強行し、清国軍の守備隊を背後から蹂躙しながら、威海衛の陸上砲台群を次々と占領していったのである。
「ば、馬鹿な! 陸側の砲台が、すべて日本軍に奪われただと!?」
「砲台の狙いが、湾内の我々に向けられているぞ!!」
威海衛の湾内に身を潜めていた北洋艦隊の残存艦艇は、パニックに陥った。
外の海には、手ぐすね引いて待ち構える大日本帝国・連合艦隊。そして背後の陸上からは、自国の要塞砲を乗っ取った日本陸軍が、自分たちの頭上へ向けて砲口を下ろしている。
完全に「袋の鼠」となった北洋艦隊に対し、日本軍は一切の情けをかけなかった。
「撃て」
陸と海からの、容赦のない十字砲火が開始された。
さらに、夜間の猛吹雪に紛れて湾内に侵入した日本海軍の『水雷艇』部隊が、肉薄して必殺の魚雷を放った。
ドゴォォォォォォンッ!!!
氷点下の夜空を焦がす巨大な水柱と爆発炎。
幾度となく日本の速射砲を弾き返し、大清帝国の誇りとして浮き続けていた東洋一の巨大戦艦『定遠』がついに魚雷の直撃を受け、致命的な浸水を起こしてその巨体を傾けた。
「……定遠が、沈む……! 我が北洋艦隊は、終わった……」
防衛の指揮を執っていた清国の提督・丁汝昌は、炎上する艦隊を見つめながら絶望に膝をついた。
反撃の能力も、逃げ道も、もはやどこにも残されてはいなかった。陸と海から完璧に連動する日本軍のシステムの前に、清国軍の旧態依然とした組織力では、一矢報いることすら不可能であった。
2月。
丁汝昌は、部下の命を助けることと引き換えに自ら服毒自決を遂げ、残存する艦艇(無傷で鹵獲された巨大戦艦『鎮遠』を含む)はすべて日本軍へと引き渡された。
ここに、かつて極東の海を支配し、日本を震え上がらせた大清帝国・北洋艦隊は、「一隻の残存艦も残さず、完全に消滅」したのである。
―――
山東半島・威海衛の完全陥落。そして北洋艦隊の消滅。
この決定的な報せが北京に届いた時、清国の朝廷を支配していたのは「怒り」ではなく、底なしの「絶望」と「恐怖」であった。
もはや、渤海湾を守る船は一隻もない。日本軍はいつでも天津に上陸し、北京城へと攻め上ることができる。彼らが突きつけてきた『これ以外の妥協は一切認めない。拒否すればより強い侵攻を行う』という最後通牒は、虚仮威し(こけおどし)などでは決してなかった。
あの島国の軍隊は、条件を拒否されれば、本当に息を吐くように国家を解体しに来る、血の通っていない怪物なのだ。
「……李鴻章。直ちに日本へ向かえ。……奴らの条件を、一言一句違わず、すべて呑むのだ……!」
西太后は、震える声で講和全権大使・李鴻章に命じるしかなかった。
かくして。
滝脇慶家が綿密に引き起こしたこの一連の軍事行動は、相手の「拒絶」すらも計算の内に組み込み、物理的・精神的に一切の反抗の余地を剥奪した上で、自らが描いた『絶望の条約案(下関条約の原型)』を、一文字の修正も許さずに大清帝国へと叩き込むことに成功したのである。
イギリスへの根回し、緻密な条約の設計、そして拒否された瞬間に自動的に作動する「山東半島への侵攻」という暴力のシステム。
軍事、外交、情報のすべてを一つの脳髄で操作する滝脇慶家の『理戦論』は、ここに日清戦争という巨大な盤面を、完全なる「チェックメイト(詰み)」へと導いたのであった。




