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葵三つ葉  作者: 丸亀導師
日清戦争
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日清戦争 8 瀋陽会戦

明治27年(1894年)晩秋。

海における『第二次黄海海戦』での一方的な殲滅劇と時を同じくして、大日本帝国陸軍は、ついに大清帝国と朝鮮を隔てる国境の巨大な水脈――鴨緑江(おうりょくこう)の渡河作戦を発動した。


そこに展開していたのは、平壌から逃げ延びた敗残兵や、清国本土から急遽かき集められた侵朝清軍の防衛部隊であった。彼らは鴨緑江の北岸に陣を敷き、日本の北上を食い止めようと試みた。


しかし、結果は『鎧袖一触(がいしゅういっしょく)』であった。


最新の兵站システムと野砲の圧倒的な火力支援を受けた日本軍の猛攻の前に、清国軍の防衛線は文字通り粉々に粉砕された。彼らは数日の抵抗すらできず、雪崩を打って自国の領土の奥深くへと逃げ散ったのである。


ついに日本軍の軍靴が、大清帝国の「本土(満州)」の地を踏み荒らした。


鴨緑江を突破した日本軍は、ここで軍を大きく二つの鉾(ほこ)に分割した。


一方は、乃木希典少将率いる部隊。

彼らの目標は南下し、東洋一の軍港である『旅順要塞(遼東半島)』の背後を陸路から強襲、これを陥落させることである。


海軍と連動し、清国の海軍力を根絶やしにするための本命の刃であった。


そしてもう一方は、乃木軍の側面を援護し、清国軍の主力を「北」へと釘付けにするための陽動兼、制圧部隊。彼らが駒を進めた先は、大清帝国の発祥の地であり、満州最大の拠点――**『瀋陽(奉天)』**であった。


「……旅順へ向かう乃木支隊を確実に成功させるためには、清国軍の目を瀋陽へと引きつけねばならない。敵に『首都・北京への道(満州)が危ない』と錯覚させ、手持ちの予備兵力をすべて北へ吐き出させろ」


東京の参謀本部で盤面を操る滝脇慶家の指令通り、日本軍は驚異的な速度で満州の平野を北上し、瀋陽へと迫っていった。


一方、自らの庭先(満州)を異常な速度で蹂躙され始めた大清帝国の中枢は、かつてないほどの危機感と屈辱に打ち震えていた。


満州は、彼ら清王朝(女真族)の父祖の地である。ここを落とされることは、国家の根幹をへし折られるに等しい。


「倭奴(ウォヌ)どもの進軍速度は異常だ! 歩兵の行軍では到底追いつけん!」


「ならば……我が大清国が誇る『虎の子』を放つしかない。祖先の地を汚す東夷どもを、馬の蹄で踏み潰してやれ!」


清国が、日本軍の早急な進軍速度に対応し、かつ瀋陽を死守するために差し向けた切り札。


それは、かつてユーラシア大陸を席巻し、明王朝を滅ぼして大清帝国を建国した誇り高き戦闘集団――『八旗(はっき)』を中心とする、数万の精鋭騎兵集団であった。


近代火器の導入が遅れていた清国にあって、彼ら騎兵部隊は「機動力」と「白兵戦能力」において最強の威力を誇ると信じられていた。彼らは怒号とともに北京方面や内陸部から凄まじい土煙を上げて集結し、瀋陽へと迫る日本軍を平原で迎え撃つべく、疾風の如く南下を開始したのである。


しかし。


大日本帝国陸軍は、清国が「騎兵集団」を差し向けてくることを、完全に計算(予期)していた。


広大な平原において、歩兵中心の軍隊がまともに騎兵の突撃を受ければ、陣形を食い破られて蹂躙される。それが過去の軍事常識である。


だからこそ日本軍は、平原での野戦を避け、あらかじめ「敵騎兵の機動力を殺し、一方的に撃ち下ろせる防御地点」を完璧に選定し、そこに強固な陣地を構築する戦術をとった。


日本軍の先遣隊として放たれた秋山好古ら騎兵科の部隊は、瀋陽の郊外において、その「理想的な防御地点」を確保し、後続の主力部隊をそこへ集結させた。

そこは、丘陵地帯に広がる広大な松林と、頑強な石造りの城壁に囲まれた、荘厳なる聖域であった。


大清帝国初代皇帝ヌルハチ、あるいは二代皇帝ホンタイジが眠る場所。

すなわち、『清国皇帝の陵墓(東陵・北陵)』である。


「……見事な石垣だ。これなら、敵が何万騎で突撃してこようと、馬が壁を登ることはできまい。大砲の弾除けとしても申し分ない」


「しかも、周囲の地形より一段高く、眼下の平原を完全に見渡すことができる。十字砲火を組むには最高の『要塞』ですな」


日本の将校たちは、その荘厳な霊廟の屋根に土足で上がり込み、重機関銃(マキシム機関銃)と野砲を次々と据え付けた。美しい彫刻が施された石の階段には塹壕が掘られ、カーキ色の軍服を着た日本兵たちが、聖なる敷地を血と泥と硝煙の匂いで塗り潰していく。


それは、単なる戦術的な地形の利用ではない。


滝脇慶家が仕組んだ、極悪非道な『心理的挑発(精神的拷問)』であった。


敵は、誇り高き清国の騎兵である。


彼らが、自分たちの祖先が眠る「神聖なる陵墓」を、異国の野蛮人(日本兵)が占拠し、土足で踏み荒らしている光景を見た時、果たして冷静な判断が下せるだろうか。


答えは「否」である。


彼らは必ず、怒りで理性を失い、戦術も何もない『盲目的な正面突撃』を仕掛けてくる。

陣形を整えたり、兵糧攻めにしたりするのを待つことは絶対にできない。「祖先の墓を取り返す」ために、一刻も早く突撃せざるを得なくなるのだ。


慶家の理戦論は、敵の『文化』や『信仰』すらも、自発的にキルゾーンへ飛び込ませるための餌(スイッチ)として冷酷に利用したのである。



翌朝。


瀋陽の郊外、広大な平原を埋め尽くすほどの土煙とともに、大清帝国の主力たる八旗騎兵軍が姿を現した。その数、数万。


馬のいななきと銅鑼の音が地鳴りのように響き渡り、彼らが掲げる色鮮やかな軍旗が、秋の乾いた風にはためいていた。


そして、彼らは見た。


自分たちが命に代えても守り抜くべき祖先の聖地(陵墓)の屋根に、忌まわしい日章旗が突き立てられ、砲身がこちらを見下ろしている光景を。


「……おのれ、倭奴ども!! 陛下の大御霊(おおみたま)が眠る聖地を、土足で汚すとは!!」


「一匹残らず切り刻め! 祖先の誇りにかけて、奴らの首を刎ねよ!!」


清国軍の将官たちは、完全に血に飢えた獣と化していた。


敵の陣地の偵察も、砲兵による事前牽制も、迂回しての包囲戦術も、彼らの頭からは完全に吹き飛んだ。

ただ一点。目の前の陵墓に取り付き、日本兵を皆殺しにする。それ以外の思考は消え失せた。


「――殺(シャァ)ッ!!!」


数万の騎兵が、一斉に手綱を引いた。


地鳴りが平原を揺らす。恐るべき速度と質量を持った騎兵の波が、抜き身の青龍刀や槍を振りかざし、陵墓の陣地に向かって一直線に雪崩れ込んできた。


それは、かつてユーラシアを震え上がらせた「騎馬民族の栄光」を体現する、壮絶にして美しい突撃の姿であった。


しかし、その突撃を待ち受けていたのは、名誉も誇りも存在しない、極めて事務的な『工業的処理』であった。


「……敵騎兵、距離二千。密集陣形で正面より突撃してきます」


「馬鹿な奴らだ。自ら大砲の的になりに来るとは」


陵墓の石垣に身を潜めた日本軍の将校は、ストップウォッチを見つめながら、冷え切った声で命じた。


「距離一千。……全砲門、機関座、射撃開始(テエッ)」


ズガァァァァァァンッ!!!

ダダダダダダダダダダダダッ!!!


聖なる陵墓が、一瞬にして死を吐き出す巨大な火山へと変貌した。


据え付けられた野砲から放たれた榴散弾(りゅうさんだん)が、突撃してくる清国騎兵の頭上で次々と炸裂し、無数の鉄球の雨を降らせた。


そして、斜面に沿って配置された機関銃と、数千の歩兵による村田連発銃の『十字砲火』が、秒間何十発という凄まじい密度で弾幕を形成した。


「ぎぃぃやぁぁぁっ!!」


「馬が! 馬が倒れる!!」


人間と馬の肉体が、見えない巨大な壁に激突したかのように、次々と弾け飛んだ。


騎兵の最大の武器である「機動力」と「衝撃力」は、機関銃という近代の悪魔の前に、なんの意味も為さなかった。


彼らが日本兵の陣地に辿り着くためには、一切の遮蔽物のない平原を走り抜け、さらには陵墓の石垣をよじ登らなければならない。その間に、彼らは文字通り「ハチの巣」にされていく。


それでも、清国騎兵は止まらなかった。


彼らを動かしているのは、もはや戦術ではなく、祖先を汚されたという『狂信的な怒り』であった。


前の者が倒れればその後ろの者が馬を走らせ、死体の山を乗り越えて突進してくる。大中華の誇りにかけて、絶対に退くことはできないのだ。


しかし、その彼らの誇り(感情)こそが、日本軍にとって最も都合の良い「兵站の浪費(敵の自滅)」に他ならなかった。


「……撃て! 弾薬は腐るほどある! 敵の心が折れるまで、ひたすらに鉛を浴びせ続けろ!」


日本軍は、陵墓の堅牢な石垣という絶対的な安全圏から、ただ引き金を弾き続けた。


秋山好古ら騎兵隊は、自らは馬から降りて塹壕に入り、敵の騎兵を射殺撃で狙い撃ちにする「騎兵による射撃戦」を徹底した。馬に乗って戦う者と、馬を降りて銃を構える者。どちらが近代戦において優位かは、誰の目にも明らかであった。


戦闘は、数時間にわたって繰り広げられた。

いや、それは戦闘ではなく、ただひたすらに「命の消費活動」であった。


「前へ! 前へ進め!! 祖先の地を取り戻……ガハッ!」


突撃の先頭に立っていた清国の勇猛な将軍が、機関銃の掃射を腹に受けて落馬した。


主将を失ってもなお、残された騎兵たちは絶叫しながら石垣に取り付こうとしたが、日本軍の冷酷な銃剣と上からの手榴弾によって、次々と壕の底へと叩き落とされていった。


やがて、夕暮れが瀋陽の平原を赤く染める頃。


ついに、清国騎兵の波が完全に停止した。


銃声が止んだ後、日本軍の将兵が陵墓の石垣から眼下を見下ろした時。


そこに広がっていたのは、文字通りの『血の海』であった。


数万の騎兵と馬の死体が、陵墓の周囲を囲むように何重にも折り重なり、大地は彼らの流した血で赤黒い泥濘(でいねい)へと変わっていた。


大清帝国の最強の矛であった八旗騎兵は、日本軍の陣地に傷一つ付けることすら叶わず、自分たちの祖先の墓標の前で、無残にも全滅したのである。


「……敵騎兵の殲滅を確認。これより、部隊を再編し、瀋陽城の包囲へと移行する」


大勝を収めたにもかかわらず、日本軍の将校たちの声に歓喜の響きはなかった。


彼らはただ、滝脇慶家の指示通りに「防御地点を選び」「火力を集中し」「敵が自滅するのを待った」だけである。感情を交えず、極めて事務的に、大清帝国の誇りを数式処理のようにすり潰したのだ。


かくして、『瀋陽会戦』は終結した。


陵墓という敵の聖地を「物理的な要塞」兼「精神的な挑発装置」として利用するという、人間の血が通っているとは思えない冷酷な戦術。


この大敗により、清国は満州を防衛するための主力機動部隊(野戦戦力)を完全に喪失。瀋陽は事実上、無血開城に等しい形で日本軍の手に落ちることとなる。


そして、この瀋陽での陽動(大殺戮)が清国の目を完全に北へと引きつけている間に。


南へ向かった乃木希典率いる別働隊は、いよいよ清国の最後の絶対防衛線――『旅順要塞』の背後へと、音もなくその刃を突き立てようとしていたのである。


―――


夕闇が、血の匂いにむせ返る瀋陽の平原を赤黒く染め上げていた。


数万に及ぶ大清帝国の八旗騎兵が、その誇りと共に機関銃の十字砲火の前に散った陵墓の陣地。


硝煙の立ち込める石垣の上に立ち、眼下に広がるおびただしい屍の山を見下ろしながら、日本軍騎兵部隊を率いる秋山好古は、静かに軍刀の血振るいをして鞘に収めた。


好古は、滝脇慶家という男が提唱する『理戦論』の戦術的原則を、陸軍の誰よりも深く、そして本質的に理解していた。


それは、自ら無謀な攻撃(先手)を仕掛けて戦線を間延びさせるのではなく、あらかじめ堅牢な陣地を構築して相手の猛攻を徹底的に『受け』に回るという哲学である。


敵の最も得意とする攻撃の勢いを完全に吸収し、その力を利用して相手の陣形を空回りさせ、盤面が複雑化する終盤戦において一気にカウンター(逆襲)を仕掛け、完膚なきまでに盤上からすり潰す。


極めて防御的でありながら、最終的には敵を確実な「詰み」へと誘導するその冷徹なカウンターアタックの戦理を、好古は自らの騎兵戦術にも完璧に組み込んでいた。


そして同時に。


好古は、あの男(慶家)であれば、その「盤面」を完成させるために、いかなる手段(策)を使うのかということも、痛いほどに理解していた。


(……敵の聖地である陵墓を、あえて防御陣地に選ぶ。そうすれば、誇り高き清国の騎兵たちは怒りで理性を失い、必ず正面から無謀な突撃を仕掛けてくる)


地形を利用するだけではない。敵の文化、信仰、そして感情すらも、相手に「最大の攻撃」を放たせるための誘い水(スイッチ)として利用する。


それは、騎士道や武士道を重んじる者から見れば、外道に堕ちた卑劣極まりない策である。のちに欧米の観戦武官たちがこの戦場を見れば、「日本軍は死者への敬意すら持たない悪魔だ」と激しく罵倒することだろう。


国内の理想主義者たちからも、「誇りを失った鬼の所業」と誹りを受けるかもしれない。


しかし、好古の心に迷いはなかった。


「……どれほど罵倒されようが、例え鬼や悪魔と呼ばれようが。……負けた者(死者)は、それを口にすることすらできないのだ」


好古は、血に染まった大地に向かって、ぽつりと呟いた。


戦争において、最も愚かなのは「美しく戦って、死ぬこと」である。


陵墓を汚さず、平原で正々堂々と騎兵同士で激突していれば、日本軍にも数千、数万の死者が出ただろう。


その死者たちは「勇敢に戦った英雄」として称えられたかもしれない。


だが、死んでしまえばそこまでだ。国は滅び、残された家族は蹂躙される。


勝ったからこそ、そして【生きているからこそ】、罵倒されることができる。


「卑怯だ」「悪魔だ」という言葉は、生き残り、国を守り抜いた勝者だけが背負うことのできる、特権であり勲章なのだ。


慶家は、そのすべての泥と罵倒を自らが引き受ける覚悟で、この残酷なまでに合理的な盤面を敷いている。


将兵を一人でも多く生きて故郷に帰すため。そして、大日本帝国という国を存続させるためだけに。


「……見事な突撃であった。安らかに眠れ」


好古は、自らが機関銃を据え付け、足場として踏み荒らした清国の初代皇帝の陵墓(石垣)に向き直ると、静かに軍帽を脱ぎ、深々と手を合わせた。


自らを死地へと追いやった敵の誇り高さに対する、一人の武人としての純粋な敬意。


そして、この忌まわしい殺戮の業(カルマ)を背負い、大局を動かしている三宅坂の「覇王」に対する、深い畏怖の念を込めて。


(滝脇中佐……。貴方は、すべてを計算の道具とする『冷徹(れいてつ)』な男だ。……だが、決して無意味に血を好む『冷酷(れいこく)』な男ではない)


好古は確信していた。


慶家が感情を殺しているのは、誰よりも「味方の命」を無駄に散らさないためなのだと。


自らの手を汚すことを厭わず、すべての悪名を被ってでも、国家という巨大な船を確実な勝利の港へと導こうとする。その男の背負う孤独の深さを思えば、ここで流されたおびただしい血すらも、冷徹なる慈悲の裏返しであった。


「さあ、我々の仕事(陽動)は終わった」


好古は振り返り、夕闇に染まる満州の平原から、遥か南の空を見上げた。


自らがここで数万の敵をすり潰し、清国の目を引きつけたことで、今頃、乃木希典の率いる別働隊は、いかなる邪魔立ても受けることなく、清国の絶対防衛線である『旅順要塞』の背後へとその刃を深く突き立てているはずである。


「すべては、あの男の描いた盤面の通りに……」


瀋陽の空に一番星が瞬く頃。極東の覇権を賭けた巨大な戦争は、いよいよ旅順攻略へと向けて、最後の歯車を回し始めていた。


―――――――――


【瀋陽会戦:双方の損害報告】

■ 大清帝国(八旗騎兵・満州防衛主力軍)

* 総兵力: 約 40,000名

* 戦死・行方不明: 約 25,000名

* (※大部分が平原を突撃中の機関銃掃射、および榴散弾の弾幕による即死・轢死)

* 負傷・捕虜: 約 12,000名

* 物資損害: 軍馬の約9割を喪失。兵器・弾薬のほぼすべてを遺棄。

* 結果: 大清帝国の切り札であった「野戦機動部隊(八旗精鋭)」の完全なる消滅。部隊としての再編は不可能。

■ 大日本帝国陸軍(秋山支隊および陽動主力部隊)

* 総兵力: 約 15,000名

* 戦死: 78名

* (※死者の大半は野砲の暴発事故や、狂信的な突撃でわずかに石垣をよじ登ってきた清国兵との局地的な白兵戦によるもの)

* 負傷: 214名

* 物資損害: 極めて軽微。重機関銃の銃身過熱による交換部品の損耗、および弾薬の大量消費のみ。

* 結果: 陵墓陣地の完全防衛、および敵野戦軍の殲滅。作戦目標(敵主力の北への誘引と粉砕)の100%の達成。


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