日清戦争 6 情報戦
明治27年(1894年)秋。
東京・三宅坂の参謀本部には、朝鮮半島や黄海から、昼夜を問わず無数の暗号電報が届き続けていた。
それらはすべて「大日本帝国軍の歴史的連勝」を告げる吉報であるはずだった。しかし、作戦室を支配していたのは、歓喜の熱狂ではなく、まるでお化け屋敷の真ん中に放り込まれたような「底知れぬ静寂と戦慄」であった。
「……またか。また、我が軍の損害は『数十名』……対する敵の損害は『万』を超えているというのか……」
参謀本部において軍の最高位たる参謀総長として君臨していた有栖川宮熾仁親王は、届けられた平壌陥落の報告書を握りしめたまま、その手を微かに震わせていた。
熾仁親王は、かつて戊辰戦争で東征大総督を務めた歴戦の皇族である。
彼が知る「戦争」とは、血と泥に塗れ、互いの将兵が命を削り合い、屍の山を築きながら一歩ずつ前進するものであった。
だが、手元の紙片に印字された数字は、彼の知る戦争の常識を完全に破壊していた。自軍の死者34名に対し、敵軍の死者1万8千名。
それは武勲でも勝利でもない。ただの「無機質な大量虐殺(屠殺)」の記録に他ならなかった。皇族としての高貴な精神と倫理観を持つ彼は、自らの統帥する軍隊が、得体の知れない化物へと変貌してしまったことに、深い恐怖を覚えていた。
その狂気のシナリオ(作戦計画)を、実際に裁可し、有栖川宮へ上申して実質的にこの戦争を取り仕切っていたのは、参謀次長である川上操六であった。
川上は、日本陸軍きっての知将である。彼は滝脇慶家が提出した『理戦論』に基づく作戦のすべてに目を通し、その圧倒的な合理性と必勝の論理を理解した上で、自らの責任においてゴーサインを出した。
彼とて、近代戦における火力と兵站の重要性は痛いほど理解していた。慶家の言う通りに動けば、必ず勝てる。その確信はあった。
しかし――。
実際に盤面が動き出し、結果として叩き出された「あまりにも非対称すぎる損害比」と、その死のメカニズムの残酷さを突きつけられた時。川上操六という傑物の精神にすら、耐え難い軋轢が生じた。
作戦室の隅。
次々と運び込まれる電報の束に見向きもせず、すでに次の『旅順攻略』の兵站計算を万年筆で黙々と書き進めている男がいた。
滝脇慶家である。
川上は、重い足取りで慶家のデスクへと歩み寄った。
そして、周囲の幕僚たちに聞こえぬよう、しかし感情を押し殺しきれない震える声で、その男の背中に問いかけた。
「……滝脇」
慶家は、万年筆を動かしたまま振り返らない。
「平壌の件だ。見事な作戦であった。……だが」
川上は、奥歯を強く噛み締めた。
「――いくらなんでも、『殺し過ぎ』ではないか?」
それは、軍事的な質問ではなかった。
人間として、武人としての根源的な恐怖から来る、魂の叫びであった。
逃げ道を用意し、そこに敵を誘導し、海軍の艦砲で一網打尽にする。それは確かに「合理的」だ。だが、相手にも家族があり、人生がある。
これほどまでに無慈悲に、一滴の血も通わぬ方法で数万の命を流れ作業のように消し去る権限が、果たして人間にあるのか。川上は、自らが「開けてはならないパンドラの箱」を開けてしまったのではないかという罪悪感に苛まれていた。
ぴたり、と。
慶家の万年筆が止まった。
彼はゆっくりと椅子を回し、川上を見上げた。
かつて妻の梅子が中秋の名月の夜に見た、あの「光の一切存在しない、漆黒の闇」のような瞳が、川上を真っ直ぐに射抜いた。
「――殺してなどおりませんよ、閣下」
慶家の口から紡がれた言葉は、秋の夜気よりも冷たく、一切の感情を含んでいなかった。
「は……?」
「我々は、清国兵を一人たりとも『殺して』などおりません。私はただ、兵站の線を繋ぎ、城を囲み、西側へ抜ける道を開けておいただけです」
慶家は、卓上の海図を指先でトントンと叩いた。
「勝手に暗闇で疑心暗鬼に陥り、味方同士で首を刎ね合ったのは清国軍です。
我々の包囲に怯え、城を捨てて西の道へ逃げ出したのも清国軍です。
その逃げた先に、たまたま我が国の海軍が演習のように大砲を構えて待っていた……ただ、それだけのこと」
慶家は、まるで算数で「1足す1が2になった」という当然の事実を述べるように、淡々と言い放った。
「彼らは、大中華のプライドと、旧態依然とした己の無能さによって、自ら死地へ歩みを進め、勝手に死んでくれただけです。……我々大日本帝国は、何一つ手を下してはおりません。違うでしょうか?」
川上操六は、絶句した。
詭弁だ。完璧に計算し尽くした殺人鬼が、罠に落ちた被害者を嘲笑うような、極悪非道な詭弁である。
だが、軍事という『論理の世界』において、慶家の言葉を論破することは誰にもできなかった。日本軍は国際法を破っていない。ただ盤面を操作し、「相手が自滅する環境」を完璧に整えただけなのだから。
「……貴様は」
川上は、目の前に座る男が、もはや人間ではない別の生き物に見えた。
「貴様には……血潮というものがないのか。武人としての誇りも、敵に対する憐憫も……」
「誇りで国が守れるなら、そうすればよろしい」
慶家は冷たく言い捨て、再び机に向かって万年筆を握り直した。
「大国・清を解体し、遠からず来る『露西亜という世界最大の暴力』からこの小さな島国を生き残らせる。その為には、感情も、誇りも、武勲も、すべて路傍の石以下の無価値なノイズです。
我々(参謀本部)は、ただひたすらに冷徹な『脳髄』であり続けること。……相手が何十万人死のうが、同情する必要はありません。彼らは、我々が生き残るための『計算式の答え』として、粛々とゼロになってもらうだけのことです」
カリカリ、と。
再び、図面上に死の幾何学模様を描き始める万年筆の音が、静まり返った作戦室に響き始めた。
川上操六は、背筋を伝う悪寒を抑えきれぬまま、ただ立ち尽くすしかなかった。
大日本帝国という国は、清国という巨大な敵に勝とうとしているのではない。滝脇慶家という『理戦論』の化け物に国家の心臓を完全に握られ、もはや後戻りのできない血みどろの未来へ向かって、全速力で引きずり回されているのだ。
―――
明治27年(1894年)秋。
平壌の戦いにおける異常な戦果がもたらした衝撃が参謀本部を覆う中、滝脇慶家は次なる『戦場』――すなわち「情報戦」の盤面へと、間髪入れずに駒を進めていた。
戦争において最も恐ろしいのは、前線での敗北ではない。
連戦連勝の美酒に酔いしれた国民が「このまま北京まで攻め落とせ」「大清帝国をすべて手に入れろ」と狂乱し、国家の国力を完全に度外視した『無限の拡張』を軍に強要することである。
前世において、秀吉の朝鮮出兵という際限のない泥沼を冷ややかに見つめ、自らは一歩も動かずに天下を掠め取った家康の魂を持つ慶家は、その「勝利がもたらす大衆の暴走」を何よりも警戒していた。
だからこそ彼は、国民の熱狂が臨界点に達する前に、極めて冷水を浴びせるような『情報操作』に打って出たのである。
「……これらの数字を抜粋し、直ちに国内の新聞各社、および通信社にリークしろ。一面で大々的に報じさせよ」
慶家が情報官に手渡した書類。それは本来、参謀本部内でも極秘とされるはずの、大日本帝国と大清帝国における『経済状況』『戦争疲弊度』『人口分布』『兵力総数』の比較データ(グラフ)であった。
数日後。
『東京日日新聞』や『時事新報』をはじめとする国内の主要紙は、軍から提供されたその「わかりやすいグラフ」をこぞって掲載した。
それを見た日本国民は、連勝の熱狂から一転して、背筋に冷たい汗をかくことになった。
そこには、残酷なまでの「国力の差」が視覚化されていたからだ。
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* 人口比: 清国(約4億人)に対して、日本(約4千万人)。10倍の差。
* 領土面積と奥深さ: 日本軍がどれほど勝って進軍しようとも、清国の領土は絶望的なまでに広大であり、奥地へ行けば行くほど日本の補給線(兵站)は細く、致命的に伸び切ってしまうという図解。
* 経済の限界: このまま戦争が長引けば、日本の国家予算は数年で完全に底をつき、逆に清国はその広大な領土から無限に兵隊を絞り出せるという冷徹な予測。
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「我々大日本帝国は、精鋭なる軍隊の力によって連戦連勝を重ねている。……しかし、我々の手足(国力)には明確な『限界』がある。北京まで攻め入り、広大な大陸を支配するような真似は、物理的に不可能であり、国家の自滅を招く」
記事には、参謀本部の意向を受けた論説委員たちの筆によって、日本の【進軍限界点】が明確に示されていた。
そして同時に、この戦争の『絶対的なゴール(目標)』が、国民に対して強く、そして極めて理路整然と定義づけられたのである。
『本戦役の目的は、大陸の征服ではない。朝鮮半島に巣食う清国軍を確実に殲滅し、彼らが二度と朝鮮半島を【侵略】できないようにするための、正当なる自衛の戦いである』
敵は「侵略者」であり、我々は「防衛者」である。
朝鮮半島から清国軍を完全に叩き出せば、我々の目的は達成され、そこで戦争は終わる。それ以上は望まないし、望んではならない。
慶家は、報道という首輪を使って、大衆の暴走を完璧にコントロール(制御)してみせたのである。
一方で。
慶家が外務省を通じて『欧米列強』に向けて発信させた宣伝は、国内向けのものとは全く性質の異なる、極めて巧妙で、そして吐き気を催すほどに「耳障りの良い偽善」に満ちていた。
平壌において、敵に逃げ道を与え、そこを海軍の艦砲射撃で一方的に吹き飛ばすという「悪魔の屠殺」を行った日本軍。
だが、欧米の新聞各紙(タイムズ紙やニューヨーク・トリビューンなど)に掲載された日本の公式声明は、その事実を全く別の物語へとすり替えていた。
『――我が大日本帝国は、清国軍の将兵に対して深い哀悼の意を表する』
その書き出しは、欧米の外交官たちを驚かせた。
『平壌における戦闘において、清国軍はあまりにも無謀であった。
清国の指揮官たちは、近代戦のセオリーを無視し、兵士たちをいたずらに死地(海岸線のキルゾーン)へと追い込んだ。我々は幾度も降伏の機会を与えようとしたが、彼らは自ら進んで死地へと突き進んできたのである。
清国の指導部にとって、兵士は人間ではない。「道具」とすら思っていないのだろう。
弾薬の尽きた兵士を無意味な突撃で消耗させる彼らの旧態依然とした残酷さに、我が軍の将兵は深く心を痛めている。
我々日本は、これ以上の無益な流血を望まない。
文明国として、大清帝国が早期に過ちを認め、平和的な交渉のテーブルにつくことを、我が国は強く【戦争の継続を望まない】立場から要求するものである』
―――
「……どうだ? ロンドンの連中の反応は」
参謀本部の一室で、慶家は淹れたての珈琲をすすりながら、外務省からの報告書を持ってきた情報官に尋ねた。
「はっ。欧米各国のメディアは、我が国の声明を概ね好意的に報じております。『野蛮な清国に対して、日本は文明国としての慈悲と理性を保っている』と」
情報官の言葉に、慶家は薄く笑った。
欧米の白人たちは「東洋の野蛮な専制国家(清国)が、人民を虫けらのように扱っている」というステレオタイプな報道が大好きである。
慶家は、その西洋人の心理(偏見)を逆手に取ったのだ。
日本軍が一方的に虐殺したのではない。「清国の無能な将官が、自国の兵士を虐殺(自滅)させたのだ。我々は、自ら死地に飛び込んでくる彼らを撃たざるを得ず、心を痛めている」と。
これこそが、情報戦の極致。
自分たちが組み上げた地獄の罠の責任を、すべて「敵の無能さ」に押し付け、あまつさえ自分たちは『平和を愛し、敵兵の命すら憂う文明国』の仮面を被る。
「……戦争とは、銃弾だけで勝負が決まるものではない。国民の『熱狂』を冷まし、列強の『同情』を買い、敵の『尊厳』を泥で塗る。言葉もまた、大砲よりも強力な兵器だ」
慶家は、珈琲のカップを静かに置いた。
国民には「これ以上進めば国が滅ぶ」という冷酷な現実(数字)を突きつけて手綱を握り。
世界には「清国が野蛮なだけで、我々は平和を望んでいる」という美しい嘘を撒き散らす。
平壌の戦いを経て、大日本帝国は軍事力のみならず、近代国家における「情報の完全統制」という分野においても、大清帝国を、そして欧米列強すらも完全に置き去りにして、遥か彼方の次元へと足を踏み入れていた。
すべては、慶家が描き出した『理戦論』という巨大な怪物の一部に過ぎなかった。




