日清戦争
明治26年(1893年)。
秋の気配が帝都を包み込む頃、大日本帝国陸軍参謀本部の滝脇慶家を取り巻く空気は、かつてないほどの激しい緊張と多忙さを帯び始めていた。
警察庁保安部をはじめ、世界中に張り巡らされた「草の者」たちから三宅坂へと届けられる機密情報の量が、突如として爆発的に増加していたのである。
情報の激増。それは取りも直さず、海を隔てた大清帝国、そして朝鮮国(李氏朝鮮)の内部において、慶家が長年かけて仕込んできた調略と経済支配の毒が致死量に達し、国家の構造が音を立てて軋み、崩壊(変化)し始めていることの決定的な裏付けであった。
参謀本部の情報官たちは、昼夜を問わず送られてくる膨大な暗号電報を精査し、冷徹な『理戦論』のフィルターを通して重要度を割り振り、外務省、海軍省、そして内閣へと、次なる一手を途切れることなく送り出し続けていた。
大日本帝国という巨大なシステムが、来るべき「殲滅戦」へ向けてその重い歯車を完全に噛み合わせた、凄まじい稼働音。
その中心に座る慶家は、本来であれば寝る間も惜しんで執務室に張り付いているべきはずであった。
しかし。
この頃の慶家は、旧暦でいうところの「九月十三日(十三夜)」と「十月十五日(十五夜・十日夜)」の夜だけは、いかなる緊急の軍務があろうとも、ピタリと万年筆を置き、必ず定刻に自宅へと帰還していたのである。
―――
昨年の夏頃、アメリカでの留学を終えて帰国を果たしていた妻の梅子は、夫のその奇妙な行動を、縁側から不思議なものを見るような目で見つめていた。
中秋の名月、そして十三夜の美しい月明かりの下。
慶家が縁側に設えた祭壇に供えていたのは、当時の東京の家庭で一般的であった「月見団子(餅)」ではなかった。彼が自らの手でうやうやしく奉納していたのは、泥を綺麗に洗い落とした里芋や栗、豆といった「その月に取れた土の作物」であったのだ。
(なぜ、わざわざ泥臭い芋などを供えるのかしら……)
アメリカで生物学という最先端の科学を修め、極めて合理的な思考を持つ梅子にとって、あるいはこの明治という近代化に沸く時代の人間にとって、それは奇異な光景に映った。
だが、前世である徳川家康の魂を持つ慶家にとって、それは三河の土まみれの時代から何一つ変わらぬ、最も根源的な「神仏への畏れと感謝(吉凶への祈り)」であった。
慶家は、誰よりも合理的に算盤を弾き、冷酷に謀略を巡らせ、実戦的なシステムを構築する男である。
しかし、自らが『完璧な盤面』を組み上げれば組み上げるほど、彼は戦争という化け物が孕む「人知を超えた不確実性(戦場の霧)」の恐ろしさを誰よりも熟知していた。
99%を人間の知略と計算で埋め尽くしたとしても、残りの1%、天運や風向きといった神の領域が必ず存在する。その最後の1%を味方につけるための究極の念押しとして、彼は神仏というものを病的なまでに重んじた。
この頃の彼は、事あるごとに神道式にせよ、仏教式にせよ、時にはキリスト教式にすら拘泥せず、兎に角「神頼み(祈祷や儀式)」を行っていた。
参謀本部の幕僚たちは、そんな慶家の姿を「また滝脇中佐が変なジンクス(験担ぎ)をやり始めた」と、天才ゆえの奇行として半ば呆れ気味に受け流していた。
しかし――妻である梅子の目に映るそれは、全く違った。
彼女の背筋を凍らせたのは、その儀式の奇妙さではなかったのだ。
―――
月明かりに照らされた縁側。
作物を供え、静かに柏手を打ち、瞑目して祈りを捧げる夫の横顔。
梅子は、息を呑んだ。
一人の人間が、一つの「祈り」という儀式を行うにつれて。慶家の双眸に宿る眼光が、少しずつ、少しずつ、異常なまでの鋭さを増していくのが分かった。
いや、光を放っているのではない。彼の瞳から「人間らしい体温や光」が完全に抜け落ち、すべてを吸い込むような底知れぬ漆黒の『闇』へと染まりきっていくのだ。
(……ああ。この人は、神仏に『平和』を祈っているのではない)
梅子は、本能的な恐怖で肌が粟立つのを感じた。
慶家が行っているのは、畏れ多い神仏の前で、自らの内に僅かに残っている「人間としての情」や「躊躇い」を、最後の一滴まで完全に殺し尽くすための『冷血の儀式』であった。
何万、何十万という人間を大陸の泥濘で殺し合わせ、国を滅ぼす。その途方もない大罪とカルマを自らの背中にすべて背負い込み、完璧な機械として盤面を回し切るための、凄絶なる自己暗示。
月光に浮かび上がるその顔は、もはや夫の顔でも、帝国軍人の顔でもなかった。
それは、人間を「数字」と「駒」としてしか認識せず、その命を毛ほどにも思わない、地獄から這い出てきた『修羅(化物)』の顔そのものであった。
「……ちちうえ?」
ふと、夜泣きをして目を覚ました次男の吉次が、乳母の腕の中から縁側の父親を見つめた。
次の瞬間。吉次は火がついたように泣き叫び、怯えたように乳母の胸に顔を埋めた。
無垢な子供の生物的な本能が、そこにいるはずの父親が「人間ではない恐ろしい何か」にすり替わっていることを、完璧に察知したのである。
梅子は、泣き叫ぶ我が子を宥めることも忘れ、ただ縁側に座る黒い影を見つめて震えていた。
(この人は……)
これから彼が引き起こそうとしている、巨大な戦争。
大日本帝国という国を生き残らせるためだけに、世界中を騙し、謀略を張り巡らせ、人間のあらゆる感情を算盤の玉として弾き飛ばす。
その冷酷なシステムを完成させるために、彼自身が誰よりも先んじて「人間」であることを捨てようとしている。
梅子は、胸が締め付けられるような悲壮感と恐怖の中で、声にならない問いを月夜の闇に投げかけていた。
(貴方は、いつか『人』に戻れるのでしょうか。……それとも、自ら生み出した理戦論という悪魔と同化し、人間の心を永遠に忘れてしまうのでしょうか……)
美しく澄み切った秋の夜空の下で、来るべき日清戦争という巨大な流血の坩堝へ向けて、極東の覇王は一人、音もなく完全なる怪物への羽化を遂げようとしていた。
―――
明治27年(1894年)、初頭。
帝都・東京の首相官邸において、大日本帝国の命運を決する極秘の御前会議(閣僚会議)が開かれていた。
陸軍参謀本部は、長年にわたり朝鮮半島に張り巡らせてきた『工作』の最終段階――すなわち、暴動の誘発と武力介入の可否――を、内閣へと問うたのである。
内閣総理大臣・伊藤博文は、重苦しい沈黙の中で、手元に置かれた参謀本部の計画書をじっと見つめていた。
伊藤は本来、清国との全面戦争には極めて慎重な「非戦派」である。国力において未だ清国には及ばず、欧米列強の干渉も恐ろしい。
しかし、滝脇慶家を中心とする参謀本部が組み上げたこの盤面は、あまりにも「完璧」すぎた。
日本が侵略者として非難される余地は一切ない。朝鮮の王政を庇護し、反乱軍を鎮圧するという、国際法上いかなる列強も文句のつけようがない『絶対の大義名分』が、そこに用意されていたからだ。
(……ここまで盤面を整えられて、退くことなどできるはずがない。いや、退けばこの国の未来はない)
伊藤博文は、長く深い思考の末、ついに覚悟を決めたように顔を上げた。
そして、傍らに控える陸軍首脳に向けて、静かに、しかし後戻りのできない命令を発した。
「――事態の進行を始めよ」
その一言が、海底電信ケーブルを通じて暗号となり、冬の冷たい海を越えて朝鮮半島へと飛んだ。
朝鮮半島南部、全羅道古阜郡。
冬の寒風が吹きすさぶこの小さな村は、極限の飢餓と絶望に支配されていた。
日本の資本が入り込み豊かになっていく親日派両班の領地とは対照的に、清国にすがりつく守旧派の両班(郡守)は、自らの没落のツケをすべて農民たちへの「重税」という形で搾り取っていた。水税の過剰な取り立て、不当な労役、そして容赦ない拷問。
村人たちの限界は、とうの昔に臨界点を突破していた。
ある氷点下の夜。
一軒のあばら屋から、夫婦の激しい口論の声が響き渡った。
「食べるものなど何もない! 米も粟も、すべて役人に奪われたのに、まだ税を出せと言うのか!」
「お前が隠しているのだろう! このままでは明日、私が両班の庭先で打ち首にされるのだぞ!」
狂乱した夫が妻を殴りつけ、泣き叫ぶ妻の声が寒空に響く。
それは、貧困がもたらしたありふれた家庭の悲劇……のはずだった。
しかし、その口論の声は、まるで乾ききった枯れ草に火を放ったように、周囲の家々へと次々に連鎖していった。
「そうだ、我々にはもう食うものがない!」
「なぜ、隣の村の連中は腹一杯飯を食っているのに、我々だけが両班の犬として飢え死にしなければならないのだ!」
暗闇の中から、鍬や鎌を握りしめた農民たちが次々と湧き出してきた。
彼らの怒りの矛先は、もはや目の前の家族ではなく、自分たちからすべてを奪い続ける「守旧派の両班」へと完全に定まっていた。
群衆の中に紛れ込んでいた数名の『草の者』たちが、巧みにその熱狂を煽り、方向を指し示す。
「生きるために、奪い返せ!!」
明治27年(1894年)2月。
のちに『甲午農民戦争(東学党の乱)』と呼ばれる巨大な暴動が、ついに火蓋を切った。
古阜郡から上がった反乱の狼煙は、瞬く間に全羅道全域へと燃え広がり、怒り狂った数万の農民軍が、次々と地方官庁を襲撃し始めたのである。
反乱の報は、ただちに漢城の王宮をパニックに陥れた。
「暴徒どもが北上してくるぞ! 地方の鎮台兵では全く歯が立たん!」
「このままでは王宮が落とされる!」
朝鮮政府の機能が麻痺し、守旧派と親日派が責任をなすりつけ合って完全に割れる中。
漢城の日本公使館と軍事顧問団は、異常なまでの素早さで動いた。
彼らは「暴徒からの保護」という名目で、一瞬にして王宮を制圧し、国王・高宗の身柄を完全に確保(保護)したのである。
日本の銃剣に囲まれた玉座で、震え上がる高宗に対し、日本の公使は恭しく、しかし絶対的な威圧感をもって迫った。
「国王陛下。ご安心ください、大日本帝国は陛下の正統なる王政を全力でお守りいたします。……つきましては、我が国に『反乱鎮圧のための救援』を要請する勅書に、御署名をお願いいたします」
もはや選択の余地などなかった。
高宗が震える手で玉璽を押した瞬間、日本軍の朝鮮半島への大規模展開は、国際法上における『正当な治安維持活動』へと昇華されたのである。
一方、王宮を日本軍に制圧され、漢城から追放される形となった守旧派(親清派)の両班たちは、絶望の中で最後のカードを切った。
「日本軍の傀儡となった高宗王など、もはや我々の王ではない!」
彼らは、高宗の甥であり、反日感情の強い大院君の孫である李埈鎔を新たな神輿として擁立。彼を正統な指導者であると宣言し、クーデター派政権を樹立した。
そして、追い詰められた彼らは、慶家が予見した通りの「致命的な一手」を放った。
「宗主国たる大清帝国よ! どうか不法なる日本軍と親日派の逆賊どもから、我が国をお救いください!!」
彼らは血書をしたため、清国・北洋艦隊の拠点である天津の李鴻章へと『救援要請』の使者を走らせたのである。
東京、参謀本部。
次々と舞い込む電報を前に、滝脇慶家は狂気に満ちた薄笑いを浮かべていた。
「……役者は、すべて舞台に上がったな」
朝鮮という盤面は、今や完全に二つに割れた。
日本の武力を背景とし、「国家の近代化と反乱鎮圧」を掲げる高宗の正統派政権。
清国の武力にすがり、「日本の排除と伝統回帰」を掲げる李埈鎔のクーデター派政権。
もはや、農民たちの苦しみなど誰も見ていない。
彼らの暴動は、日清という二つの巨大な帝国が、互いに「正義」と「大義名分」を振りかざして激突するための、完璧な着火剤(引き金)として消費されたのだ。
「日本は、正統なる高宗王の要請を受けて出兵する。清国は、自らの属国を救うため、李埈鎔の要請を受けて出兵してくる。……どちらも国際法上、一歩も引くことのできない『合法的な出来レース』の始まりだ」
慶家は、卓上に置かれた将棋の駒を、パチンと激しい音を立てて打ち下ろした。
極東の覇権を賭けた、大日本帝国と大清帝国による殲滅戦(日清戦争)。
それは、偶然の衝突でも外交の失敗でもなく、極東の覇王・滝脇慶家が何年もの歳月をかけて血のインクで書き上げた「理戦論」という名の、あまりにも残酷で巨大な喜劇の幕開けであった。




