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葵三つ葉  作者: 丸亀導師
日清戦争
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日清戦争 2

明治27年(1894年)春。

朝鮮半島全土を飲み込もうとする動乱の炎に対し、大日本帝国軍の動きは、列強の軍事常識を完全に凌駕する異常なまでの「早さ」であった。


暴動発生の一報が入るや否や、すでに周到な準備を終えていた日本軍の先遣部隊は、怒涛の勢いで玄界灘を渡り、朝鮮半島へと展開した。


彼らが上陸してまず最初に行ったのは、敵軍への攻撃ではない。「自国民(日本の居留民)の安全確保」、そして何より「欧米各国の公使館および要人・民間人の完全なる保護」であった。


「……暴徒(農民軍)の標的は、搾取を行ってきた特権階級と外国人だ。欧米の外交官や宣教師たちを、我が軍の盾(銃剣)で完璧に守り抜け。彼らの目に、我々日本軍が『極東の野蛮な暴徒から文明人を守る、頼もしき文明国の軍隊』として映るように立ち回れ」


滝脇慶家のその冷酷な指令は、現地で一寸の狂いもなく実行された。


自ら裏で糸を引いて経済を破壊し、農民たちを限界まで追い詰めて暴動(火災)を起こさせておきながら、いの一番に「正義の消防団」として駆けつけ、ちゃっかりと欧米の要人を救出してみせる。


極めて悪辣な『マッチポンプ(自作自演)』である。


もしも、騎士道精神や正々堂々とした野戦を重んじるこの時代の欧州の軍人たちが、この動乱の「真の起点」が日本の参謀本部にあると知ったならば、「極めて下劣で、吐き気を催すほどの邪悪である」と、唾を吐き捨てて慶家を非難したことだろう。


だが、現実には、欧米の誰もその『邪悪な謀略』に気づいてはいなかった。


恐怖に震えていた欧米の外交官たちは、迅速に駆けつけ、礼儀正しく自分たちを保護してくれた日本軍に対して、手放しの賞賛と深い感謝の念を抱いた。


この瞬間、大日本帝国は国際社会において「暴徒を鎮圧し、秩序をもたらす正当なる執行者」という、これ以上ない外交的なお墨付き(支持)を完全に獲得したのである。

     

大義名分という「見えない最強の装甲」を纏った日本軍は、ここから一切の容赦のない軍事行動へと移行した。


連合艦隊が瞬く間に朝鮮半島沿岸の制海権を確保し、海上からの兵站線を完全に確立。欧米の要人を後方へと護衛しながら、陸軍の主力部隊は漢城(ソウル)近郊へと怒涛の上陸を果たした。


そこから先は、戦争と呼ぶことすら憚られる『一方的な蹂躙(処理作業)』であった。


農具や旧式銃しか持たない東学党の農民軍に対し、日本軍は沖合の軍艦からの猛烈な艦砲射撃による支援を受けながら、最新の村田連発銃と機関砲の弾雨を浴びせかけたのである。


慶家が仕掛けた経済戦争の犠牲者であり、ただ生きるために立ち上がった農民たちは、日本軍が清国軍と戦うための「合法的な足場固め」の生贄として、チリ芥のように無残に蹴散らされていった。


その進軍速度は、およそ常軌を逸していた。


宗主国である清国も、李埈鎔の要請を受けて慌てて鎮圧軍(北洋軍)を南下させようとしたが、日本の速度は彼らの予測を遥かに上回っていた。

清国軍が半島南部に本格的に展開し、恩着せがましく「暴徒鎮圧」の功績を挙げようとする前に、日本軍は反乱の火種そのものを文字通り『物理的に消火(駆逐)』してしまったのである。


『故(ゆえ)に其(そ)の疾(と)きこと風の如く』――。


かつて孫武が兵法書に記した機動の極意。


地形を読み、物資(兵站)を読み、人の心理と恐怖を完全に読み切って構築された『理戦論』の軍隊は、清国の古臭い軍隊がノロノロと陣形を組んでいる間に、すべてを終わらせた。


反乱軍の鎮圧に要した時間は、わずか数ヶ月。


気がつけば、朝鮮半島の南部一帯は、名目上の保護下にある国王・高宗の政権もろとも、完全に大日本帝国軍の『軍政下』へと呑み込まれていた。


漢城の王宮には日章旗が翻り、主要な港湾と補給路はすべて日本軍の堅牢な陣地へと変貌している。


遅れて朝鮮半島へと到着した清国軍が目にしたのは、暴徒の姿ではなく、すでに完璧な防衛陣地を構築し、「不法に侵入してきた清国軍から、正当なる朝鮮王政を守る」と銃座を構えて待ち構える、冷徹な大日本帝国軍の壁であった。


「……盤面は、すべて確立した」


東京の陸海軍参謀本部(大本営が設置されなかった)で、半島南部が完全に制圧されたという報告を受けた滝脇慶家は、氷のような眼差しで地図を見据えた。


自国の庭先(属国)で完全に主導権を奪われ、面子を丸潰れにされた大清帝国が、このまま引き下がるはずがない。彼らは必ず、怒りに任せてその壁に突撃してくる。


罠は、完璧に作動した。


何百年もの間、極東に君臨し続けてきた巨大な中華帝国を解体するための『真の戦争(殺し合い)』が、ついにその牙を剥こうとしていた。


―――

明治27年(1894年)春。


朝鮮半島南部を圧倒的な速度で軍政下に置いた大日本帝国は、次なる盤面の操作へ移行した。


それは、軍事行動の総仕上げとも言える「外交」という名の、極めて暴力的な挑発行為であった。


滝脇慶家が外務省と結託して起草し、漢城に駐在する清国公使、さらには天津の李鴻章へと直接叩きつけられたその『最後通牒』は、外交儀礼の体裁を装いながらも、大清帝国が何千年もかけて抱き続けてきた「中華思想の逆鱗」を、これでもかと抉り、嘲笑うような最悪の劇薬であった。

     

―――――――――

【大日本帝国政府より、大清帝国政府並びに駐留軍への最後通牒】

『爾等(なんじら)が庇護する李埈鎔は、正統なる朝鮮国王・高宗に弓引いた大逆人である。

かつて自らを「中華」と称し、礼節と徳をもって周辺国に王道を示すと嘯(うそぶ)いた大清国が、あろうことか一介の反逆者を擁立し、他国の主権を蹂躙する無法の徒に成り下がったとは、世の末たるや笑止千万である。

そもそも朝鮮は独立した主権国家であり、旧態依然とした貴国らの朝貢国(属国)ではない。

時代遅れの「華夷の夢(大中華の妄想)」に固執し、近代の国際法を無視して他国の王政を脅かすのであれば、それはもはや文明の敵であり、東洋の秩序を破壊する「夷狄(野蛮人)」そのものである。

直ちに逆賊・李埈鎔を我が軍に引き渡し、朝鮮の領土より一兵残らず立ち去れ。

若しこの要求に従わず、なおも虚妄の面子にしがみつき、逆賊を匿うのであれば、貴国は「背信者の味方をする逆賊」と同義である。

要求期限までに完全なる撤兵が為されない場合、我が大日本帝国は万国の公法と正義に基づき、他国の主権を脅かす貴様ら侵略者に対し、相応の「懲罰的武力(膺懲)」を行使する。

大清国がかつての誇りを失わぬ文明国であるならば、直ちに身の程を知り、賢明な判断を下すがよかろう』

     

―――――――――


この通牒が北京の紫禁城、そして直隷総督・李鴻章の元へ届けられた時。 


大清帝国の中枢は、文字通り「爆発」した。


「東の海に住む、取るに足らぬ『倭寇(小鬼)』の末裔どもが……我が大清帝国に向かって、身の程を知れだと!?」


光緒帝の側近たち、保守派の重臣たちは、血走った目で書状を握り潰し、口々に日本への呪詛と怒号を吐き散らした。


彼らにとって、自分たちは世界の中心(中華)であり、日本はかつて自分たちから漢字や文化を学んだ辺境の蛮族(東夷)に過ぎない。


その蛮族が、あろうことか「お前たちは時代遅れの野蛮人(夷狄)だ」「罰を与える(懲罰)」と上から目線で通告してきたのだ。


自らの宗主権を完全に否定されたばかりか、文明国としてのプライドを泥で塗られ、顔面に唾を吐きかけられたに等しい。


これ以上の屈辱は、中華の歴史上存在しなかった。


「李中堂(李鴻章)! もはや猶予はならん! すぐに北洋軍を南下させ、あの恩知らずの黄色い猿どもを日本海へ叩き落とせ!」


「大清帝国の恐ろしさを、奴らの骨の髄まで叩き込んでやるのだ!」


元より清国の軍備の実態(腐敗と弾薬不足)を知る李鴻章は、日本との全面戦争には慎重であった。


しかし、この慶家が放った「中華思想を根底から愚弄する通牒」は、李鴻章の冷静な抑えすらも完全に吹き飛ばすほど、清国国内の主戦論を異常なまでに加熱させた。


国内の面子と暴動寸前の世論を抑えきれなくなった李鴻章は、ついに自らの意思に反して軍を動かすことを余儀なくされたのである。


清国軍は、もはや外交的駆け引きなどかなぐり捨てていた。


大日本帝国が提示した「要求期限」など待つことなく、怒りに任せて全軍に出撃命令を下したのである。

牙を剥いた数万の清国・北洋陸軍が、雪崩を打って朝鮮半島北部を南下し始めた。


そして、その背後からは東洋一の巨大戦艦『定遠』『鎮遠』を擁する北洋艦隊が、日本のちっぽけな海軍を海の藻屑にするべく、黄海へと巨大な錨を上げた。


―――


東京、参謀本部。


「……清国軍、要求期限を待たずして南下を開始。我が軍の防衛線へ向かって一直線に進軍中」


情報官からの報告を受けた滝脇慶家は、一切の表情を崩すことなく、ただ冷たい万年筆を静かに置いた。


(……馬鹿な奴らだ。感情(プライド)で軍を動かした時点で、お前たちはすでに死んでいる)


要求期限を待たずに軍を動かしたこと。


それは国際社会(列強)の目から見れば、「和平交渉の余地を残していた日本に対し、清国が一方的かつ野蛮に戦争を仕掛けてきた」という、日本にとって最も都合の良い事実(大義名分)の完成を意味していた。

すべては、完全に計算された『出来レース』。


慶家の冷徹な挑発によって、大清帝国は自らの面子を守るために、自ら進んで日本軍が構築した「完璧なキルゾーン(殺戮の盤面)」のど真ん中へと、猛烈な速度で突進し始めたのである。


―――


大日本帝国が清国へ突きつけた「最後通牒」は、各国の公使館を通じて直ちに欧米列強の首都へと打電された。


その内容は、欧米の外交官たちに「極めて好意的」な驚きをもって受け止められていた。


『――日本は、他国の主権(朝鮮)を尊重し、反乱軍を不法に支援する清国に対して、ただちに攻撃するのではなく「猶予期間(デッドライン)」を設けた。これは極めて紳士的であり、国際法を遵守する文明国の振る舞いである』


ワシントンも、パリも、ペテルブルクも、日本の対応を「野蛮なアジアの中にあって、唯一西洋のルールを理解する理性的な国家の行動」として賞賛した。


彼らの目には、大日本帝国が「朝鮮の独立と主権を護る、正義の執行者」として完璧に映っていたのである。


しかし。


ロンドンのホワイトホール、大英帝国の中枢である外務省(フォーリン・オフィス)の一部だけは、この熱狂から完全に冷めきっていた。いや、彼らは冷や汗すら流しながら、この「最後通牒」の裏に潜む大日本帝国の『恐るべき狡猾さ』に戦慄していたのである。


イギリス外務省の極東担当官たちは、日本の最後通牒の『原文(漢文)』と『英訳文』を並べて比較し、そこに仕掛けられた悪魔的なトリックに気がついていた。


「……なんという恐ろしい国だ。奴らは『言葉(翻訳)』を武器にして、世界中を騙しきったのだ」


英訳された文章は、西洋の外交儀礼に則った極めて洗練された「文明的な最後通牒」である。


しかし、原文の漢文が持つ文化的・歴史的ニュアンスを理解しているイギリスの東洋学者やベテラン外交官からすれば、その原文は「大清帝国が何千年も抱き続けてきた中華思想のプライドを、最も下劣な方法で踏みにじり、相手が絶対に正気を保てないように設計された『最悪の罵倒』」であった。


日本は、知っていたのだ。


東洋の複雑な歴史的感情(面子や華夷秩序)など、西洋人には到底理解できない。

だから、この通牒が欧米の言語に翻訳された瞬間、あの「中華思想へのえげつない煽り」はすべて濾過(ろか)され、『極めて紳士的で、合理的な警告文』へと完全に姿を変えるということを。


「日本は、相手(清国)の文化と逆鱗を完全に理解した上で、わざと期限前に暴発するように煽り立てた。そして同時に、西洋の文化(国際法と紳士的儀礼)を手玉に取り、我々西洋人には『日本は平和的解決を望んでいたが、清国が野蛮にも期限を破って攻撃してきた』と錯覚させたのだ……!」


相手の文化を操り、味方の文化を操り、自らは完全に手を汚すことなく、敵に「最初の引き金」を引かせる。


イギリスの外交官たちは、大日本帝国という国が、軍事力以上に『情報と心理の支配』において、自分たち欧州の外交術すら遥かに凌駕する次元に到達していることを悟った。


スコットランドヤードに監視させてどうにかなるような相手ではない。

この国の中枢には、国家の心理すらもチェスの駒のように操る、とてつもない怪物が潜んでいる。


大英帝国が、日本のその「底知れぬ邪悪さと高度な盤面操作」に気づき、極東における真の脅威を見定めた、まさにその時であった。


ロンドンの駐英日本公使館を通じて、日本の外務省(実質的には参謀本部と連動する滝脇慶家の意志)から、イギリス政府に対して一通の極秘の打診が舞い込んだのである。


その内容は、イギリスの外交官たちをさらなる絶望と、そして抗いがたい誘惑へと突き落とした。


『――今次事態が収束し、両国間で【和平協定(講和条約)】を結ぶ折には、是非とも大英帝国の威信と絶大なるお力をお借りし、調停の労を執っていただきたい』


まだ、戦争は始まってすらいない。


両軍の主力は激突しておらず、欧米の軍事専門家たちは「小国・日本と大国・清の戦争は、数年がかりの泥沼になる」と予測を立てていた段階である。


それにもかかわらず、日本はすでに『戦後の講和条約(事後処理)』に向けて、イギリスに調停役としての座(特等席)を打診してきたのだ。


「……奴らは、すでに勝ったつもりでいるのか」


イギリスの外務大臣は、手にした打診の書簡を震える手で見つめた。


いや、違う。勝ったつもりでいるのではない。


日本の頭脳(参謀本部)は、この戦争がいつ始まり、どのように推移し、いつ清国が屈服するかを、最初から最後まで完全に『計算し尽くしている』のだ。彼らにとって、これから流れるおびただしい血は、すでに完成した設計図をなぞるだけの作業に過ぎない。


そして日本は、イギリスがこの打診を「絶対に断れない」ことまで計算し尽くしている。


極東の覇権が清から日本へと移り変わる歴史の転換点。


その講和条約の調停役(パトロン)として君臨することは、イギリスのアジアにおける権益を確固たるものにする最大のチャンスだからだ。

日本の邪悪な謀略に気づいていようと、大英帝国は自らの国益(算盤)のために、この「悪魔の招待状」を受け取るしかない。


「……負けだ」


ロンドンの空を覆う灰色の雲を見上げながら、イギリスの高官は力なく呟いた。 


軍事力で負けたのではない。外交という盤面において、自分たちは完全に日本の掌の上で踊らされている「一つの駒」に過ぎないという事実を、突きつけられたのだ。


一発の砲弾が放たれるよりも前に、大日本帝国は『理戦論』の冷酷な方程式によって清国を死地に追いやり、さらには世界最大の覇権国である大英帝国をも、自らの戦後処理のための「立派な道具(権威)」として完全に盤面に組み込んでみせた。


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