理戦 10
明治26年(1893年)、夏。
世界の外交地図に、一つの巨大な楔が打ち込まれた。
太平洋の要衝であるハワイ王国を巡る、前代未聞の多国間条約――『ハワイ中立条約』の締結である。
参加国は、大英帝国(英)、アメリカ合衆国(米)、フランス共和国(仏)、ロシア帝国(露)、ドイツ帝国(独)、イタリア王国(伊)、オーストリア=ハンガリー帝国(墺)。
そして、極東から唯一名を連ねた有色人種の国家、大日本帝国(日)であった。
八カ国によって調印されたこの条約は、ハワイ王国を永世中立国とし、いかなる列強も単独での領土併合や軍事介入を行わないことを国際法として確約させるものであった。
この条約の締結は、アメリカ合衆国にとって「血を吐くような屈辱」以外の何物でもなかった。
自国の庭先(太平洋)であり、実質的に白人資本家たちが経済を牛耳っていたハワイ。
武力クーデターによって強引に併合への既成事実を作ろうとしたにもかかわらず、日清の移民たちという想定外の壁に阻まれ、さらにはその裏工作の証拠をイギリスに握られ、世界中に暴露されるという最悪の失態を演じたのだ。
中立条約へのサインは、アメリカがハワイという極上の果実から「手を引く」ことを、列強すべての前で強制的に誓わされる公開処刑に等しかった。
一方で、アメリカ以外の列強、とりわけイギリス、フランス、そして日本の思惑は、この一点において完璧に合致していた。
イギリスとフランスは、新興国アメリカが太平洋に巨大な海軍基地(真珠湾)を築き、自国のアジア権益(香港やインドシナ)を脅かすことを極度に警戒していた。英仏間で結ばれていた既存の太平洋における中立合意の枠組みを拡大し、アメリカを含む列強全員に「ハワイには手を出さない」というルールを批准させることは、欧州列強にとって莫大な利益(現状維持)をもたらしたのである。
大日本帝国もまた、同じであった。
来るべき清国との大陸決戦を前に、背後の太平洋でアメリカと火花を散らすわけにはいかない。日本の外交官たちは、イギリスの威光を巧みに利用しながら欧州の外交倶楽部の中を泳ぎ回り、この条約の早期締結を強力に後押しした。
結果として、条約は驚くべき早さで締結された。
日本は、建国わずか数十年にして、欧米の巨大帝国と肩を並べて国際条約のテーブルに着き、大国の野望を国際法という鎖で縛り付けることに成功したのである。
―――
ロンドン、ホワイトホール。
霧に包まれた大英帝国の外務省の重厚な会議室では、極東アジアの勢力図に関する「重大な再評価」が行われていた。
「……信じ難いが、事実と認めざるを得ない。あのハワイの騒動における、大日本帝国政府の対応速度と情報収集能力は、およそ文明国の枠を大きく逸脱している」
初老の外交官が、日本から提供された「アメリカのクーデター工作の証拠書類」をテーブルに叩きつけた。
クーデターが発生してから、その裏付けとなる決定的な証拠がロンドンのタイムズ紙と外務省に持ち込まれるまでの時間が、異常なほど短かったのだ。
海底ケーブル(電信)の速度を考慮したとしても、日本側が「クーデターが起きる前から、首謀者たちの動きを完全に監視し、証拠をファイリングして待っていた」としか考えられない手際の良さであった。
「我が国の東洋艦隊の報告によれば、日本の海軍は新型の装甲巡洋艦を自前で建造し、陸軍はプロイセン式の高度な参謀本部体制を確立しつつあるとのこと」
別の高官が、渋い顔で報告を続ける。
「もはや、極東における日本の立場は、図体ばかりが巨大な大清帝国(Qing)よりも『上』であると認識すべきです。彼らは単なる新興国ではない。……大英帝国のアジア覇権にとって、無視できない【脅威】となりつつある」
これまでイギリスは、極東における最大のパートナー(あるいは搾取の対象)として清国を重んじ、日本はその属国に近い小国程度の認識しか持っていなかった。
しかし、このハワイでの一件を機に、イギリスの対日観は劇的に変化した。
日本は、野蛮なアジアの国ではない。高度な外交ゲームのルールを理解し、その裏で謀略を張り巡らせる「危険なプレイヤー」であると認識したのである。
「ただちに、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)に指示を出せ」
会議の議長が、冷徹な声で命じた。
「ロンドンの日本公使館に出入りする職員、留学生、商人、すべての在外日本人を徹底的にマークしろ。彼らが我が国で何か不審な動き(情報収集)をすれば、直ちにその尻尾を掴み、押さえ込めるように体制を整えよ」
かくして、大英帝国は国家の誇る警察権力と防諜網を動員し、日本に対する監視の目を光らせ始めたのである。
―――
ロンドンの石畳を濡らす冷たい雨の中。
黒い山高帽にトレンチコートを着込んだスコットランドヤードの私服刑事たちが、日本公使館から出てきた小柄な日本人外交官の背中を、一定の距離を保って尾行していた。
彼らは、自分たちの尾行技術が世界最高であると固く信じていた。大英帝国の威信を背負い、ロンドンの路地裏を知り尽くしたプロフェッショナルとしての自負があった。
しかし。
彼らが尾行しているその日本人外交官(実は警察庁保安部の『草の者』)は、歩きながらショーウィンドウのガラスに映るイギリス人刑事の姿をチラリと一瞥し、内心で腹を抱えて笑い転げていた。
(……なんて鈍重で、お粗末な尾行だ。足音は消せていない、視線の外し方も素人同然。あれで『隠密行動』のつもりとは、恐れ入る)
江戸時代から続く忍びの技術を体系化し、異常なまでの訓練メニュー(暗殺、潜入、読唇術、変装)を生き抜いてきた保安部の工作員たちから見れば、スコットランドヤードの刑事たちの動きなど、まるで舞台の上で大声で歌って踊る三文芝居の役者のように滑稽であった。
東京、三宅坂。
参謀本部の執務室で、ロンドンに潜伏する工作員からの定期報告書を読んだ滝脇慶家は、薄い唇を歪めて冷笑した。
「……大英帝国も、案外底が浅いな。スコットランドヤードを動員したか」
慶家は、書類をデスクの端に放り投げた。
「分かりきっているマーク(監視)など、無いも同じだ。むしろ、相手が『自分たちは監視できている』と安心している状態こそが、最も情報の抜き取りやすい最高の間合い(ブラインド・スポット)であるという基本すら、西洋の連中は理解していない」
スコットランドヤードが日本人外交官を尾行し、「今日は彼らはレストランで食事をしただけで、不審な動きはなかった」と報告書を書いているその裏で。
公使館のボーイとして潜り込んでいる別の『草の者』が、イギリス外務省の清掃員を買収し、ゴミ箱の中から外交暗号の切れ端を回収し、すでに日本への船便に載せている。
相手が「見張っている」と信じている対象(囮)をただ遊ばせておき、本命の工作員は完全に別のルートで国家の心臓を食い破る。それが、慶家が構築した防諜・諜報の基本戦術であった。
この時、イギリスをはじめとする欧米列強は、日本に対して「致命的なミス(見誤り)」を犯していた。
彼らは、日本の国力や海軍力、経済力といった「目に見える物理的な大きさ」を見誤ったのではない。相手が保有している【見えざる暴力の構造】そのものを、根本的に理解できていなかったのだ。
当時(19世紀末)、イギリスには――いや、世界中のいかなる大帝国にも――『独立した、国家規模の強大な諜報機関』というものは存在していなかった。
大英帝国の諜報活動はどうなっていたか。
外務省の外交官が夜会で噂話を集め、海軍省の駐在武官が軍港の船の数を数え、陸軍の将校が個人的なツテで地図を買い漁り、あるいは東インド会社出身の民間商人が個人的な冒険心からスパイ活動を行う。
つまり、各省庁や個人が、それぞれの予算と目的で、バラバラに情報を集めているだけの『パッチワーク(つぎはぎ)』の状態でしかなかった。
横の繋がり(情報共有)など皆無に等しく、海軍が掴んだ極秘情報が、陸軍や外務省に伝わらないことなど日常茶飯事であった。
のちに世界を暗躍するイギリスのMI6(秘密情報部)やアメリカのCIA(中央情報局)といった、国家が統制する近代的な情報機関が設立されるのは、まだ数十年も先、第一次世界大戦の泥沼を経験してからのことである。
しかし。
ただ一国。
極東のアジアの端に位置する大日本帝国だけが、この時代において、完全に独立し、すべてを統括する『一個の巨大な怪物(諜報機関)』をすでに産み落としていた。
内務省・警察庁『保安部』
大日本帝国という、過去の歴史から権謀術数の粋を抽出した国が、近代的な警察システムと忍びの技術を悪魔融合させて創り上げた、世界でも類を見ない特異な組織。
それは、列強のバラバラな情報収集組織とは、全く次元の違う存在であった。
脳髄としての『保安部』
警察庁保安部は、単なる「スパイの集まり」ではない。
それは、国家という巨大な肉体を動かすための『絶対的な脳髄』であった。
保安部は、内務省という警察権力を隠れ蓑にしながら、日本国内の治安維持と反政府運動を完全に圧殺する防諜網を敷いている。と同時に、数千人規模の『草の者』を、商人、留学生、売春婦、労働者として、清国、ロシア、欧州、アメリカ、そしてハワイへと送り込み、世界中の情報を吸い上げていた。
そして、その凄まじさは「収集」だけではない。
集められた世界中の莫大な情報は、すべて三宅坂の参謀本部へと一極集中させられる。そこで冷徹な算盤(理戦論)によって分析され、精製された『武器としての情報』が、今度は内閣(政治)、陸軍(陸戦)、海軍(海戦)という国家の手足に対して、最適なタイミングでリーク(配分)されるのである。
イギリスのように、海軍と陸軍が情報を出し惜しみして足を引っ張り合うような愚行は、この大日本帝国においては絶対に発生しない。
なぜなら、保安部というたった一つの巨大な脳髄が、「海軍はこの情報を使って動け」「陸軍はこの情報で待機しろ」「外務省はこの証拠を使ってイギリスを脅せ」と、上から完全にコントロールしているからだ。
「……相手の大きさを測り間違えるのは、西洋人の悪い癖だ」
夏の生ぬるい夜風が吹き込む執務室で、慶家は一枚の広大な世界地図を見下ろしていた。
列強は、自分たちの外交官や海軍の駐在武官といった「個人単位」の工作員が、日本のそれと戦っていると錯覚している。
だが、現実は違う。イギリスの優秀な外交官一人(点)に対し、日本は保安部という国家組織全体(面)で襲いかかっているのだ。
「世界中の国が、情報の価値を『点』でしか捉えていない。我々はそれを『線』で繋ぎ、『面』で覆い尽くし、最終的には『立体』として盤面全体を支配する。
……彼らが、この極東に生まれた怪物の真の正体に気づくのは、我々が大陸の覇権を完全に握り、彼らの喉首にナイフを突き立ててからになるだろう」
ハワイ中立条約という華々しい外交的勝利の裏側で。
大日本帝国が世界に向けて放った「保安部」という見えざる菌糸は、大英帝国のスコットランドヤードの監視網を嘲笑いながら、ロンドン、パリ、ペテルブルクの心臓部へと、音もなく、しかし確実にその根を張り巡らせていた。
すべては、歴史の予定調和を破壊し、ただ日本一国のみが絶対的な生存を勝ち取る『理戦論』の総仕上げ――来るべき大清帝国との殲滅戦へと向けた、冷酷にして壮大な事前構築に過ぎなかった。




