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葵三つ葉  作者: 丸亀導師
理戦
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理戦 8

明治25年(1892年)。


大日本帝国軍の歴史において、常識では到底考えられない「異例中の異例」とも言える事態が発生した。


海軍兵学校、および海軍大学校の戦術教範(テキスト)として、一冊の書物が正式に採用されたのである。


表題は『理戦論』。


著者は、他でもない「陸軍」中佐・滝脇慶家であった。


覇王の土下座(プラグマティズム)


陸軍と海軍。


どこの国でもそうであるが、殊に日本の陸海軍は創設期から予算と主導権を巡って激しく対立する運命にあった(長州閥の陸軍、薩摩閥の海軍という藩閥対立もこれに拍車をかけていた)。


陸軍の将校が書いた戦術論など、プライドの高い海軍が素直に読むはずがない。


滝脇慶家がいかに陸軍参謀本部の実力者であろうと、軍令も予算も全く別枠である海軍という組織に、彼の権力は一切及ばなかった。


しかし、来るべき清国(そしてロシア)との大陸決戦において、「海陸共同作戦」と「海上兵站線の絶対確保」が不可欠であることを知り尽くしている慶家は、その海軍のプライドという下らない壁を、極めて『物理的かつ合理的な方法』で破壊しにかかった。


彼は、海軍省の中枢に単身乗り込み、海軍の将官たちを前にして――一切の躊躇なく、深く頭を下げたのである。


『陸軍の流儀を押し付ける気は毛頭ありません。ですが、これからの戦争は海と陸の盤面を完全に同期(リンク)させねば、国家が滅びます。どうか、我々陸軍の「算盤(ロジック)」を、海軍の皆様にも共有していただきたい』


陸軍のエリート中佐が、面子もプライドも完全に投げ捨て、海軍に頭を下げて「教範を使ってくれ」とねじ込んできたのだ。


この慶家の行動は、陸海軍双方に凄まじい衝撃を与えた。


前世(家康)において、天下を獲るためならば豊臣秀吉の前に平伏し、陣羽織を着て頭を下げることなど息をするのと同じくらい造作もなかった慶家にとって、「軍人のくだらない面子」など、一円の価値もないゴミに過ぎなかったのである。


そして、慶家には一つの確信があった。


「海軍という組織にこそ、この『理戦論』の合理性を骨の髄まで理解できる人間が、必ずいる」という確信である。


陸軍の歩兵は、極論を言えば「精神論」や「根性」で山を越え、銃剣で突撃することが(非効率ではあるが)可能である。


しかし、海軍は違う。


軍艦は、「気合」では1ノットも速くならない。石炭(兵站)が尽きれば鉄の棺桶となり、砲弾の弾道はすべて物理法則と数学によって支配されている。


海軍とは、本質的に『極限まで数学的・論理的でなければ成立しない巨大なシステム』なのだ。だからこそ、理戦論が説く「事前構築と計算の絶対性」に、海軍の知識人たちは必ず魅了されるはずであった。


その慶家の確信を、まさに体現している一人の若き海軍将校がいた。


横須賀の鎮守府の薄暗い自室。


ランプの灯りの下で、真新しい『理戦論』のページを食い入るように、それこそ文字を喰破るかのような猛烈な勢いで読み耽っている男。


のちに「日本海軍最大の頭脳」と呼ばれ、日露戦争の日本海海戦において伝説的な丁字戦法や七段構えの戦術を立案することになる天才――秋山真之(あきやま さねゆき)少尉、その人である。


真之の目は、ページを捲るたびに異様な興奮に血走っていた。


(……なんという男だ、この滝脇慶家という中佐は!)


真之は、海軍兵学校を首席で卒業した己の頭脳に、まるで雷が落ちたような衝撃を受けていた。


『戦争は、戦う前に調略と情報によって終わらせる』


『戦場での流血は、すでに確定した勝利の確認作業である』


真之は、この陸軍中佐が書いた戦術論が、陸の戦いよりもむしろ「海戦(フリート・アクション)にこそ、完璧に合致する」ことに気づいていた。


遮るもののない広大な海原(盤面)においては、奇襲や伏兵は極めて困難である。速力、大砲の射程、石炭の搭載量、そしてそれらの情報をいかに早く正確に掴むか。盤面が整った時点で勝敗が決しているという理戦論の哲学は、海軍の戦術ドクトリンそのものではないか。


(この男……陸軍の軍服を着ているが、その頭の中身は、陸の泥臭い歩兵戦ではなく、何百海里もの盤面を俯瞰する「艦隊司令長官」と同じだ)


真之は、本からふと目を上げ、自らの『兄』の顔を思い浮かべた。


陸軍騎兵科に籍を置く、あの無欲でストイックな兄・秋山好古である。


数年前、兄が帰省した際に、真之は「滝脇中佐とはいかなる人物か」と尋ねたことがあった。


普段は他人の評価を滅多に口にしない好古が、その時ばかりは茶碗を置き、真剣な目でこう言ったのだ。


『真之。あの男は、決して血の通った軍人ではない。戦争という化け物を動かすための、ただの巨大な計算機だ。

……だがな、あいつの冷酷な算盤(計算)ほど、前線の兵士にとって「信頼できるもの」はこの世にない』


兄の言葉の真意が、この本を読んでようやく分かった。


精神論で兵を死なせない。面子で国を滅ぼさない。ただ勝つためだけに、陸軍のプライドすら捨てて海軍に頭を下げにくる。


(兄さんの言う通りだ。この男には「ロマン」の欠片もない。だが……だからこそ、この『理戦論』は絶対に負けないための最強の学問(ツール)になる)


真之は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「……面白い。陸軍のオッサンがこれほどの盤面を描くというのなら、俺たち海軍は、この理戦論を【海の戦い】に最適化(アップデート)してやるまでだ」


後に真之が研究することになる、村上水軍の海賊戦法や、緻密な数学的予測に基づく艦隊機動。そのすべての根底に、この夜、滝脇慶家の『理戦論』という絶対的な骨格が組み込まれたのである。


極東の覇王がプライドを捨てて海軍へと放り込んだ「理戦論」という名の劇薬は、秋山真之というもう一人の天才の脳髄に完璧に感染し、大日本帝国海軍を、世界でも類を見ない「極限の論理集団」へと変貌させる決定的な起爆剤となったのである。


―――


同年


滝脇慶家の冷徹な計算に基づく国家改造の盤面に、新たな、そして極めて強烈な「異能の駒」が加わることとなる。


その男の名は、北里柴三郎。

ドイツのコッホの下で破傷風菌の純粋培養と血清療法を確立し、世界的名声を得て帰国したばかりの、不世出の細菌学者である。


この歴史的な邂逅(かいこう)は、日本資本主義の父たる渋沢栄一と、慶應義塾の創設者・福沢諭吉という二人の巨人の仲介によって実現した。


元々、軍の兵站と経済の結びつきから渋沢と深いつながりを持っていた慶家は、渋沢の紹介で福沢と面識を得ていた。

福沢は、帰国したものの日本の医学界(帝国大学)から冷遇されていた北里をパトロンとして庇護しており、その北里の「圧倒的な実力と不遇」を、渋沢を通じて慶家に耳打ちしたのである。



当時、日本の医学界を真っ二つに引き裂いていた大論争があった。「脚気(かっけ)」の原因は何か、という問題である。


この世界線の日本陸海軍においては、脚気による死者は史実ほど悲惨な規模には達していなかった。


なぜなら、明治5年頃、まだ血気盛んであった若き慶家が、長州のドンである山県有朋に対し、「江戸患い(脚気)が白米の過剰摂取によるものであることは、過去の江戸の歴史と統計学が証明している!」と怒鳴り散らし、強引に軍の糧食に麦飯や肉類を導入させていたからだ。


結果、軍内部では『脚気栄養説(食事改善)』が主流となり、多くの将兵の命が救われていた。


しかし、民間や権威主義に凝り固まった東京帝国大学の医学部(後の森鴎外ら)は、ドイツ軍医の受け売りである『脚気菌説(未知の細菌が原因である)』に固執し、軍の統計学を「医学的根拠がない」と見下し続けていた。


日本国内は、栄養説と菌説の二大派閥が激しく対立する異常事態となっていたのである。


そこへ帰国した北里柴三郎は、帝国大学の権威を微塵も恐れることなく、自らの最新の細菌学の知識をもって、この『脚気菌説』を真っ向から、完膚なきまでに論破(反証)してのけたのだ。


「無いものを『在る』と言い張り、事実から目を背けるのは科学ではない」


権威に媚びず、ただ事実とデータのみを突きつける北里のその強烈な反証論文を読んだ時。


冷血な覇王・滝脇慶家は、自室のデスクで思わず感嘆の息を漏らした。


(――この男は、本物だ。この国を、根底から大きく変える力を持っている)


かくして、福沢の用意した帝都の料亭の密室において、大日本帝国陸軍参謀本部の怪物と、世界的細菌学者の極秘会談が実現した。


北里は、目の前に座る無表情な陸軍中佐を、油断ならない鋭い目で見据えていた。


軍人など、どうせ大和魂や精神論を振りかざす頭の固い連中だろう。帝国大学の連中と同じく、自分を権威に従わせようとするのではないか。北里はそう警戒していた。


しかし、慶家の口から出たのは、精神論とは対極にある冷酷な『算盤(ロジック)』であった。


「北里博士。私は貴方の脚気菌説の反証を拝読し、深い感銘を受けました。事実(データ)を前に権威を恐れぬその姿勢、まさに真の科学者とお見受けする」


「……軍人さんに褒められるとは思いませんでしたな。陸軍は脚気問題ではうまくやっているようですが、帝国大学の連中は私の言葉に耳を貸そうとしません」


北里が皮肉げに鼻を鳴らすと、慶家は表情を変えずに頷いた。


「権威にしがみつく者は、例外なく盤面を誤ります。……博士、私が本日お会いしたかったのは他でもない。

軍と官民の『防疫(ぼうえき)』という観点から、貴方に一つ、確認しておきたいことがあったからです」


慶家は、卓上の茶碗を静かに脇へ押しやり、北里の目を真っ直ぐに見た。


「これからの戦争は、何十万という人間が国境を越え、大陸の泥濘の中で入り乱れる総力戦となります。その時、我が軍にとって最大の脅威となるのは、清国の機関銃でもロシアの大砲でもない。……チフス、コレラ、赤痢といった『見えざる微生物(細菌)』です。

いくら完璧な兵站を組み上げようと、水源が汚染されれば、三万の軍団が戦わずして一週間で全滅する。伝染病とは、軍の根幹を破壊する最大の『戦術兵器』に他ならない」


北里は、目を見開いた。


この男は、細菌(バクテリア)の恐ろしさを、精神論ではなく「軍団の致死率」と「兵站の崩壊」という冷酷なシステムの問題として完璧に理解している。


「私は『理戦論』という、戦争を事前に計算し尽くす哲学を持っています。しかし、私の算盤には、その『見えざる敵』に対する防御力が致命的に欠けている」


慶家は、深く頭を下げた。帝国陸軍の中佐が、一介の学者に対して見せた最大の敬意であった。


「我が大日本帝国には、目に見えぬ敵から兵と民を守るための、絶対的な防壁(防疫網)が必要です。北里博士。貴方のその知性と執念を、この国の生存のために振るってはいただけないか」


沈黙が落ちた。


北里柴三郎という男もまた、肥後(熊本)出身の強烈な「もっこす(頑固者)」であり、国を想う熱情にあふれた男である。


自らを異端扱いする帝国大学の冷遇に腹を立てていた彼にとって、慶家のこの「細菌を国家存亡の脅威として認識し、全面的なバックアップを約束する」という言葉は、我が意を得たりという究極の理解者の出現であった。


「……滝脇中佐」


北里は、口元に獰猛な笑みを浮かべた。


「私を軍の御用学者にする気なら、お断りですぞ。私は私の信じる科学の真理にしか従わない」


「結構。天才の閃きを軍の枠に押し込めるような愚は犯しません。

貴方には、福沢翁や渋沢殿と共に設立される『伝染病研究所』にて、存分に腕を振るっていただく。軍はその研究成果を買い上げ、莫大な予算と組織力をもって、大陸に展開する軍団の『防疫マニュアル』として完璧に実装する。……ただの互恵関係(ビジネス)です」


「ハッ! 嫌な男だ、だが話が早くて素晴らしい!」


北里は膝を叩き、豪快に笑い声を上げた。


『理戦論』の体現者・滝脇慶家と、世界最高峰の細菌学者・北里柴三郎の結託。


それは、のちの日清・日露戦争において、欧米列強の軍隊が必ず陥った「戦闘による死者よりも、病死者の方が圧倒的に多い」という戦争の常識(ジンクス)を、大日本帝国が世界で初めて『科学と兵站の力』で打ち破るための、決定的な盟約の瞬間であった。


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