理戦 7
明治24年(1891年)。
この年、大日本帝国は二つの極めて重大な「危機」に見舞われることとなる。一つは外交的危機、もう一つは未曾有の自然災害であった。
しかし、滝脇慶家が構築した冷徹なる国家システムは、その双方に対して歴史の必然すらもねじ伏せるような対応を見せたのである。
春。ロシア帝国の皇太子、ニコライ(後のニコライ2世)が日本を公式訪問した。
史実において、この訪問は警備の警察官・津田三蔵が皇太子に斬りかかるという暗殺未遂事件(大津事件)を引き起こし、日露関係を破滅の淵へと追いやることになる。
しかし、この世界線においては、不平士族という存在自体が慶家たちの徹底した内需拡大と治安維持策によってとうの昔に解体されており、西南戦争も抜刀隊も存在しなかった。
何より、慶家が創り上げた警察庁「保安部」の防諜・警備体制は、異常なまでの完璧さを誇っていた。
「皇太子の視察経路に立つ警備人員は、三親等に至るまでの思想調査と身辺調査を完全に終えた『保安部が保証した者(手駒)』のみを配置せよ。狂人一人の刃で、国家の盤面を乱されることなど断じて許さん」
参謀本部の極秘指令により、警備体制からは微かにでも国粋主義的な思想を持つ者や、精神的に不安定な者は完全に排除されていた。
結果として、ロシア皇太子の日本訪問は、最初から最後まで極めて順調かつ友好的なまま幕を閉じた。
ニコライ皇太子は日本の美しい風景と完璧な歓待に深い満足を覚え、ロシア本国への帰途に就いた。清国との決戦を控える日本にとって、背後の巨大な熊の機嫌を損ねず、時間を稼ぐという最大の外交目的は、完璧に達成されたのである。
しかし、秋に入り、日本列島そのものが牙を剥いた。
10月28日。岐阜・愛知を中心とするマグニチュード8.0の巨大地震――「濃尾地震」が発生。死者約3,000人、倒壊家屋十数万という、明治期最大級の震災が中京地方を襲ったのである。
この時、大日本帝国陸軍は、歴史上初めて「軍隊による組織的な災害派遣」を実施した。
慶家の『理戦論』に基づき、散兵戦と諸兵科連動を叩き込まれていた部隊は、指示を待つことなく現地の下士官の裁量で柔軟に分散し、瓦礫の撤去、負傷者の救護、治安維持、そして仮設の兵站線の構築に当たった。この迅速な初動により、救われた命は数知れなかった。
だが、参謀本部の執務室で被害報告を読み込む慶家の顔には、深い焦燥と不満が刻まれていた。
「……遅すぎる」
慶家が重い口を開いた。
部隊の動き自体は良かった。だが、致命的だったのは『被災地への移動速度と、物資輸送の物理的な限界』であった。
地震によって鉄道網が寸断され、道は地割れと泥濘に覆われていた。物資を運ぶための駄馬や荷車は、悪路に足を取られて全く前に進まなかったのだ。
「戦場において、道が綺麗なまま残っていることなどあり得ない。砲弾でひっくり返った泥濘の平野で、この程度の輸送速度しか出せないようでは、大陸での総力戦における兵站は必ず破綻する」
参謀本部での事後会議において、移動速度の改善案が議論された。
馬車を増発する案が出たが、慶家は即座にこれを却下した。
「馬は餌(輜重)を食いすぎる。これ以上の頭数の確保は非効率の極みだ。馬に依存する兵站は、必ず限界を迎える」
その時、洋行帰りの若手将校が恐る恐る提案した。
「ならば……欧州で実用化されつつある『自動車(ガソリン・エンジン車)』を輸入してはいかがでしょうか。馬を必要とせず、機械の力で動く荷車です」
会議室がざわついた。自動車という最新の技術は知られていたが、同時に「舗装された道路でしか走れず、不整地(泥濘や悪路)での走破能力は極めて低い」という致命的な欠点も広く認識されていたからだ。
「瓦礫や泥の山を、あの細い車輪で走れるわけがなかろう。ただの金持ちの玩具だ」と、否定的な意見が相次いだ。
しかし、慶家の眼光だけは、鋭く光っていた。
「……車輪が沈むのなら、沈まないように【自ら道を引きながら進む】構造にすればよいだけの話だ」
慶家は黒板の前に立ち、チョークで一つの奇妙な図面を殴り書きし始めた。
「クリミア半島の戦訓を思い出せ。泥濘に沈む大砲を運ぶために、イギリス軍が蒸気トラクターの車輪に板を巻きつけて走らせた記録があるはずだ(※ボイデル車輪などの泥濘地用装置)。……ならば、自動車の車輪に、鉄の板を帯状に繋ぎ合わせた**『無限軌道』を巻き付け、その上を転がせばいい。そうすれば、いかなる泥濘も、塹壕も、瓦礫の山も乗り越えられる絶対的な兵站車両が誕生する」
参謀たちは、黒板に描かれたその異形の機械――のちの『戦車』や装軌式トラクターの原型となる設計図――を見て、言葉を失った。
「来年(明治25年)、フランスから最新のガソリン自動車を数台、研究用に購入・輸入する。ただし、乗って遊ぶためではない。エンジンと駆動系を解体・調査し、我が国の工場でこの『無限軌道』を接続するためのテストベッド(実験台)とする」
慶家は、チョークを置き、居並ぶ将校たちを見据えた。
「これは災害のためだけではない。清国の、そしてその先にいるロシアの広大な泥濘を食い破り、無限の兵站を前線へ送り届けるための『鉄の足』を創るのだ」
濃尾地震という巨大な悲劇すらも、冷徹なる覇王にとっては「兵站網のストレステスト」に過ぎなかった。
数十年後の世界大戦でようやく登場するはずの「無限軌道」という概念が、天才の狂気的な先見性によって、明治の日本において産声を上げようとしていたのである。
―――
大日本帝国が内政と災害の対応に追われていたこの年、ロンドン、パリ、ワシントンといった欧米列強の海軍省や諜報機関の関心は、極東の地震などではなく、日本の「ある狂気じみた造船計画」へと向けられていた。
近代における装甲艦の建造とは、一国の重工業力のすべての結晶である。
極めて高度な冶金技術、複雑な機関設計、そして数万の部品をミリ単位で組み上げる造船工学。
それは当時の欧米列強(一等国)にのみ許された特権であり、開国からわずか三十年足らず、アジアの辺境にある後進国が自前で建造するなど、物理的に不可能な「おとぎ話」だと考えられていた。
『――日本の黄色い猿どもが、自国のドックで7000トン級の装甲艦を建造中である』
この情報がもたらされた時、ロンドンの紳士録が集うクラブでは、それが「いつ座礁して沈むか」「公試運転でボイラーが吹き飛ぶか」という、悪趣味な賭博の対象にすらなっていた。彼らは完全に高を括っていたのだ。
しかし。
この年、二隻の巨大な鋼鉄の塊が、軍艦旗を翻して静かに、そして完璧な姿で就役を果たした時。
列強の海軍武官たちが抱いていた嘲笑は、うすら寒い『恐怖』と『不気味さ』へと変わることになる。
列強の駐在武官たちが血眼になって収集したその新鋭艦のスペック(性能評価書)は、彼らの海軍ドクトリンの常識から見れば、あまりにも異端であり、ひどく歪なものであった。
『新鋭7200トン級 局地決戦型帯甲巡洋艦』
* 基準排水量: 7,200 トン
* 速力: 20.0 ノット
* 装甲: シタデル(集中防御区画)200 mm
* 主兵装: 20.3cm(8インチ)連装砲塔 2基4門 / 16cm単装砲 8門
当時の海軍の常識であれば、7000トンもの排水量があれば、鈍足であっても30.5センチクラスの大口径砲を積み、ミニ戦艦(海防戦艦)として設計するのがセオリーである。あるいは、装甲を削って航続距離を伸ばし、通商破壊用の長距離巡洋艦とするかだ。
しかし、日本が設計したこの軍艦は、そのどちらでもなかった。
大口径砲を諦め、石炭の積載量を極限まで削り、外洋(太平洋やインド洋)へ進出する能力を完全に捨て去っている。
その代わり、浮いた重量のすべてを「200mmの分厚い装甲」と「円筒形ボイラーによる20ノットの機動力」、そして「圧倒的な手数を誇る20.3cm速射砲」に全振りしていたのである。
それは、汎用性を完全に投げ捨て、ただ一つの目的――『黄海という閉鎖海域において、清国の北洋艦隊を殺すこと』――のみに特化した、冷酷な暗殺用の刃であった。
盤面を読み切る「カウンターアタック(後の先)」
列強の戦術家たちを最も戦慄させたのは、この艦のスペックから読み取れる「異常な戦術ドクトリン」であった。
西洋の海軍が重んじるのは、ネルソン提督以来の「見敵必戦」。自ら陣形を崩してでも突撃し、主導権を握る華々しい攻勢である。
だが、この日本の装甲艦は、自ら攻撃を仕掛ける(先手を取る)ことを極端に嫌う設計思想を持っていた。艦首部分にはあえて重装甲を施さず、自ら突撃すれば被弾して機動力を失うという明確な弱点(アキレス腱)を残している。
この艦の真骨頂は、『徹底した防御と、終盤での盤面支配』にあった。
海戦の序盤、敵艦隊が猛烈な砲火を浴びせてきても、決して前へは出ない。200mmの強靭なシタデル装甲を盾にして、敵の波状攻撃をひたすらに「受け」に回る。敵の攻撃の勢いを着実に削ぎ落とし、相手が疲労し、陣形が複雑化するのをただ冷徹に待つ。
そして、海戦の中盤以降。敵の攻勢の息切れ(隙)を完全に読み切った瞬間。
温存していた20ノットの機動力で一気に盤面を制圧し、20.3cm砲の圧倒的な手数の多さ(速射)をもって、敵の弱点を徹底的にすり潰す。
自ら動くことはせず、相手のあらゆる攻めを吸収し、複雑な盤面において相手を読み切ってからカウンターで押し潰す。
それは西洋の騎士道的な海戦術ではなく、極東の将棋において、相手の猛攻をしのいだ後に隙を突き、詰みへと追い込む『受け将棋の達人』のような、極めて陰湿で、しかし絶対に負けないための戦法であった。
恐怖の胎動と『赤石型』の誕生
「……信じられん。奴らは、西洋の軍艦をただ猿真似したのではない。自分たちの『戦術哲学』に合わせて、一から鋼鉄の化け物を設計し、建造してみせたのだ」
ロンドン海軍省のデスクで、報告書を読んだ提督たちは青ざめた顔を見合わせた。
まだ海軍戦術が手探りの時代に、「自軍の弱点を理解し、あえて局地戦とカウンターに特化する」というこれほど明確で冷酷なコンセプトを持った軍艦を、アジアの島国が自国建造で生み出したという事実。
それは、大砲の口径や装甲の厚さ以上に、日本という国家の「恐るべき知的水準と、戦争に対する異常なまでの合理性」を欧米列強に証明するものであった。
のちに計4隻が建造され、日本アルプスの名峰から名を取って『赤石型』と呼称されることになるこの装甲巡洋艦群。
嘲笑が消え去った欧米の視線の先で、滝脇慶家の『理戦論』をそのまま鋼鉄で具現化したようなこの異形の艦隊は、静かにボイラーの火を焚きながら、やがて来る清国・北洋艦隊との「終わりの始まり」を待っていた。
―――
アメリカ合衆国ペンシルベニア州、ブリンマー大学。
赤レンガの学舎が並ぶ静寂なキャンパスの一角、生物学の実験室で、滝脇(旧姓・津田)梅子は顕微鏡のレンズを真剣な眼差しで覗き込んでいた。
スライドガラスの上にあるのは、細胞分裂を繰り返す「蛙の胚(受精卵)」である。
一つの細胞が二つに、四つに、八つにと分裂し、やがて複雑な器官を備えた生命体へと形作られていく。その神秘的で精緻な過程をスケッチしながら、梅子の胸の奥には、遠く太平洋を隔てた日本に残してきた二人の幼子――信一と吉次――の顔が浮かんでは消えていた。
(……人もまた、この蛙と同じようにして、母の胎内で細胞から形作られ、産まれてくるのだろうか)
科学者としての冷徹な探究心と、母親としての切ない愛情。
乳飲み
子を置いて異国の地で学問に没頭することへの、世間に対する引け目がないわけではない。しかし、彼女にはここで最先端の学問(生物学や教育学)を修め、日本の女子教育の礎を築かねばならないという絶対的な使命があった。
大学が休暇に入ると、梅子はワシントンD.C.近郊にあるチャールズ・ランマン夫妻の邸宅を訪れていた。
最初の留学時代から梅子を実の娘のように可愛がり、育ててくれた「第二の父母」である。暖炉の火がパチパチと爆ぜる温かな居間で、梅子は夫妻に、日本で待つ家族のことを穏やかに語っていた。
「……私の夫は帝国陸軍の軍人ですが、とても合理的な人で、私の目指す夢(女子教育)に完全な理解を示してくれています。彼が『盤面は自分が守る』と言って子供たちを見てくれているからこそ、私は世間の非難をよそに、こうして再びこの国で学べているのです」
当時の日本の極端に封建的な常識(男尊女卑)をよく知るランマン夫妻は、梅子のその話に驚き、そして安堵したように目を細めた。
「それは素晴らしい男性だ。梅子、お前は本当に良い伴侶を見つけたね。……いつか是非、その旦那様にお会いしてみたいものだよ」
夫妻の温かい言葉に、梅子は「ええ、いつかきっと」と微笑んで応えた。
しかし、内心ではそれが極めて困難なことだと冷静に理解していた。大日本帝国陸軍参謀本部の中枢にいる夫と、アメリカの知識人。互いの立場がそれを許さないという政治的な壁がある。
だが、それ以上に……梅子の脳裏には、あの夫・滝脇慶家が時折見せる、底知れぬ「狂気」のような冷たい瞳がフラッシュバックしていたのである。
(あの男は……決して、無償の愛や単なる善意だけで動くような人間ではない)
慶家という男の行動原理は、常に絶対的な『打算』と『計算』によって成り立っている。
梅子の留学を全面的に支援し、周囲の激しい非難から防波堤となって彼女を守り抜いているのも、単なる「優しい夫」だからではない。
来るべき国家総力戦を見据え、女性の知性と労働力を国家システムに組み込むための『強烈なデモンストレーション(布石)』として、自らの妻を利用し、世間に手本を見せつけているのだ。
梅子自身、その彼の冷酷なまでの合理性を完全に理解し、彼と「契約」を結んだ上でこのアメリカにいる。その点においては、彼女もまた夫と同じ盤面に乗る共犯者であった。
だが、だからこそ恐ろしいのだ。
日本から定期的に届く手紙には、子供たちの成長の様子や、休日に彼が縁側で過ごす穏やかな日常が、まるで事務報告のような淡々とした筆致で綴られている。国内は平穏であり、何も問題はないと。
しかし、梅子は知っている。
あの「理戦論」の怪物が、ただ大人しく縁側で子供をあやしているはずがないことを。
手紙には決して書かれない水面下で。彼が今、どれほど恐ろしい『盤面』を動かし、いかにして仮想敵国(清国やロシア)の喉元に見えないナイフを突き立てようとしているのか。
ビスマルクが失脚したという国際ニュースの裏に、夫の放った何者かの暗躍があったのではないか。朝鮮半島で起きている不穏な動きも、すべて夫が書いた筋書き(シナリオ)通りなのではないか。
(貴方は今、あの日本で……一体誰の血を流さずに、どの国を殺そうとしているのですか?)
手紙の行間からは決して読み取れない、極東の覇王の底知れぬ謀略。
ランマン夫妻が淹れてくれた温かい紅茶を口にしながら、梅子は窓の外の遠い空を見つめた。
自らの夢を後押ししてくれている夫への深い感謝と愛情。それと同時に、彼のその「狂気的なまでの打算」が、やがて大日本帝国という国をどのような修羅場へと導いていくのか。
遠く離れた異国にいるからこそ際立つ、言い知れぬ不安と心配を、梅子は一人静かに胸に抱き続けていた。




