理戦 4
明治23年(1890年)。
帝都・東京、三宅坂の陸軍参謀本部。
欧州から海底電信ケーブルを伝って届いた一通の暗号電報が解読された瞬間、作戦会議室は、普段の厳格な規律を忘れたような「割れんばかりの歓声」に包まれた。
『――普魯西皇帝ヴィルヘルム二世、オットー・フォン・ビスマルクを宰相より罷免せり』
ヨーロッパ全土に複雑怪奇な同盟網を張り巡らせ、数十年間にわたって列強のパワーバランスを完全に支配し続けてきた『鉄血宰相』の失脚。
世界中の新聞が「予測不能の激震」としてこのニュースを報じる中、大日本帝国の頭脳たる参謀本部の将校たちは、誰一人として驚いてはいなかった。
彼らが上げていた歓声は、偶然の幸運を喜ぶものではない。自分たちが何年も前から欧州の心臓部に仕掛けていた『調略と心理戦の種』が、ついに完璧な形で芽を出したことへの、確信と戦慄の入り混じった歓喜であった。
―――
喧騒に包まれる作戦会議室の片隅で。
数え年で三十三歳となり、中佐へと昇進を果たしていた滝脇慶家は、手元の書類から目を離すことなく、その知らせを静かに聞いていた。
(……ようやく、効果が現れ始めたか)
無表情な仮面の下で、慶家は内心、深い安堵と冷酷な喜びを噛み締めていた。
ドイツ帝国は、現状において、大日本帝国の最大の仮想敵国である『ロシア帝国』の背中を支える強固な後ろ盾であった。
ドイツとロシアの間には、ビスマルクが心血を注いで結んだ「再保障条約(独露二重同盟)」が存在し、両国は決して互いの背後を突かないという絶対の安心感を抱いていた。
のみならず、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世と、ロシアの次期皇帝(皇太子)と目されるニコライは、互いに「ヴィリー」「ニッキー」と呼び合う従兄弟同士(遠い親戚関係)であった。
大日本帝国政府のもとで世界中に放たれた日本の『草の者』たちは、宮廷の奥深くにまで潜り込み、この二人の間で交わされる親書や電報のやり取り、その内容や感情の機微に至るまで、完全に傍受・把握していた。
このままドイツとロシアが強固な絆で結ばれていれば、数年後、あるいは十数年後。大日本帝国がいざ大陸(清国や朝鮮)へ進出しようとした際、ロシアは後顧の憂いなく、シベリア鉄道を使ってその巨大な全軍を極東へと差し向けてくる。それだけは、絶対に避けねばならなかった。
ゆえに、慶家が立案し、実行に移した作戦。
それは、「ドイツとロシアを繋ぎ止めている最大の楔である、ビスマルクという老境の巨木を切り倒す」という、途方もない謀略であった。
―――
後世の歴史家たちは、このビスマルクの罷免を「若き皇帝と老宰相の路線対立による、歴史の必然であった」と冷ややかに断じるだろう。
確かに、自己顕示欲の強いヴィルヘルム二世と、権力を独占するビスマルクの間に軋轢が生じるのは、時間の問題であったかもしれない。
しかし、慶家たちが放った『草』が行った調略は、その「歴史の必然」を、『100%完全に日本に都合の良い方向へ転がすための、徹底したコントロール』であった。
日本の工作員たちは、ヴィルヘルム二世の側近や、反ビスマルク派の貴族たちの耳元で、絶え間なく甘い毒(情報)を囁き続けた。
「宰相閣下は、陛下をまだ世間知らずの子供だと周囲に吹聴しております」
「ドイツ帝国が陽の当たる場所へ進出するためには、ロシアとの古臭い条約などという『足枷』は不要です。偉大なる陛下ご自身の力で、新たな世界政策を推し進めるべきです」
若き皇帝の『虚栄心』をくすぐり、『疑心暗鬼』を限界まで肥大化させる。
直接刃物を突きつけるのではなく、対象の周囲の環境(空気)を完全に操作し、対象自身が「自らの意志で」最も愚かな選択をするように仕向ける。
それは、かつて徳川家康が、豊臣秀頼と淀殿を大坂の陣へと引きずり込んだのと同じ、東洋の冷酷極まりない『心理操作』の極致であった。
結果として、ヴィルヘルム二世はビスマルクを切り捨て、ロシアとの再保障条約の更新を自ら蹴り飛ばした。
日本は一兵も損なうことなく、一発の銃弾も撃つことなく、欧州における最大の同盟関係という『楔』を、見事にへし折ることに成功したのである。
―――
「……中佐殿。これで、ロシアの背中(西側)は完全に空きましたな。いずれロシアはフランスと結びつくでしょうが、ドイツとの間に消えることのない緊張を抱えることになります」
部下の一人が、興奮した面持ちで慶家に報告した。
「ああ。これで極東(我々)に注がれるロシアの眼光は、半分になる」
慶家は、懐中時計を取り出し、静かに時間を確かめた。
明治23年。
大日本帝国という若きキメラは、ただ西洋の軍事力を模倣するだけの段階をとうに終えていた。
極東の島国から見えない糸を伸ばし、世界中の宮廷や議会に張り巡らされた「信頼関係」という楔を、一つ一つ、丁寧に、外科手術のように切り離していく。
代わりに、そこに『疑心暗鬼』という名の種を蒔き、列強同士が互いに憎しみ合い、殺し合うための巨大な舞台(第一次世界大戦)を、密かに整え始めている。
すべては、やがて来るべき大陸での激突において、日本が最大の利益を得るための「事前構築」に過ぎない。
理戦論の体現者たる滝脇中佐の冷徹な眼差しは、すでに欧州の狂騒を通り越し、迫り来る「眠れる獅子(清国)」の急所へと、真っ直ぐに突き刺さっていた。
―――
ビスマルク罷免という欧州の激震が引き起こした余波を計算しつつ、中佐となった滝脇慶家は、参謀本部の自室で各兵科から上がってくる膨大な専門報告書に目を通していた。
机の上に積まれているのは、砲兵科からの新型榴弾の弾道計算書、騎兵科からの軍馬の育成および機動戦術案、歩兵科からの散兵陣形の展開マニュアル、そして警察庁保安部からの清国に関する極秘の諜報データである。
慶家は、それらの書類を一つ一つ精査しながら、極めて客観的かつ冷酷な「自己評価」を行っていた。
(……砲弾の風速計算と着弾布陣の精緻さにおいて、私は砲兵科の専門将校には勝てない)
(……騎兵団を率いた局地的な突破力や軍馬の扱いの深さにおいては、騎兵科の猛者には及ばない)
(……歩兵の泥臭い小部隊指揮能力では歩兵科に劣り、暗殺や潜入工作の純粋な技術においては、私が創り上げた保安部の草の者たちにすら、今や明確に劣っている)
慶家は、一切の自己陶酔や見栄を捨てる男である。
彼はこの頃、己の能力が、それぞれの分野で「超一流」と呼ばれる専門家たちに比べて、明確に劣っているという事実を完全に自覚していた。
しかし、同時に彼は、別の決定的な事実も見抜いていた。
それら各兵科の「超一流」たちは、極端に特化しているがゆえに、自らの専門外の領域においては驚くほど無知であり、時に「三流以下」のポンコツに成り下がるということだ。
砲兵は騎兵の兵站(馬糧)の苦労を理解せず、歩兵は諜報の政治的意味を軽視する。彼らは鋭く研ぎ澄まされた『槍』や『鉄砲』ではあるが、それ単体では戦争という巨大なシステムを回すことは決してできない。
「……なるほど。私という人間の本質は、そういうことか」
慶家は、万年筆を置き、深く息を吐いた。
彼には、突出した一つの専門性がない。
しかし、砲兵の弾道も、騎兵の機動も、歩兵の展開も、諜報の謀略も、兵站の計算も……戦争を構成する『すべての要素において、満遍なく一流の理解度を持っている』のだ。
すべての歯車の構造と限界を正確に把握し、それらを矛盾なく噛み合わせて、一つの巨大な「軍隊」という機械を駆動させることができる。
(自ら最前線に立って華々しく攻撃を仕掛ける必要などない。敵のあらゆる攻めを吸収し、その動きを完全に読み切り、終盤の複雑な盤面においてすべての駒を連動させて反撃し、圧殺する。
……そのためには、尖った刃(専門性)など邪魔なだけだ)
慶家は、将棋盤全体を俯瞰するような、冷徹な思考の極致に達していた。
参謀本部という国家の頭脳において、最も必要とされる人材とは何か。
それは、大砲の撃ち方に異常に詳しい天才でも、馬に乗るのが誰よりも上手い英雄でもない。
『専門性など必要ない。ただひたすらに凡庸であり、そのすべての凡庸さを極限まで高めた【凡庸の超一流】こそが、参謀本部なのだ』
個々の戦闘(局地戦)では誰にも勝てないかもしれない。
しかし、彼ら「超一流の専門家」たち全員の能力を完全に把握し、適切な予算を与え、最適な配置に置き、彼らが最も力を発揮できる盤面(大局)を設計してやることはできる。
突出した個の才能(天才)に依存するのではなく、すべての凡人を束ねてシステムとして機能させる。それこそが、彼が前世(家康)から一貫して求め続け、この明治の世において『理戦論』という形で完成させようとしている「絶対に負けない戦争」の正体であった。
「……私は、最強の兵士にはなれない。だが、最強の盤面を作ることはできる」
中佐・滝脇慶家は、自らの立ち位置と、参謀本部という組織が向かうべき究極の形を完全に悟った。
―――
明治23年(1890年)以降。
三宅坂の参謀本部に新たに配属されてくるエリート将校たち――陸軍大学校を優秀な成績で卒業し、自らの才能と国家の命運を背負うという強烈な自負に満ちた若き秀才たち――は、着任早々、軍の中枢に座る一人の冷徹な中佐から、そのプライドを木端微塵に打ち砕かれることとなる。
「……滝脇中佐殿。本日付で参謀本部に着任いたしました」
緊張の面持ちで敬礼する若き参謀たちに対し、慶家は書類から目を上げることもなく、ただ一言、氷のように冷たく、しかし絶対的な重みを持った言葉を投げかけた。
「参謀たるもの、凡庸たれ」
若き将校たちは、一瞬、自分の耳を疑った。
「凡庸」……。それは、選ばれしエリートである彼らが最も忌み嫌う言葉であり、英雄的軍人を目指す者への最大の侮辱にすら聞こえた。
しかし、慶家は顔を上げ、彼らの戸惑いを射抜くように続けた。
「お前たちは、自分が『超一流の天才』だと思い上がってここに来たのだろう。だが、勘違いをするな。砲の命中率なら砲兵科の伍長に劣り、馬の操り方なら騎兵科の曹長に劣る。
それがお前たちだ。……参謀本部に、己の専門性をひけらかす天才など一人も必要ない」
慶家は、立ち上がり、巨大な日本と東アジアの地図の前に立った。
「天才の閃きは、必ず盤面に『予期せぬノイズ』を生む。
大砲の天才は砲弾の威力を過信し、騎兵の天才は機動力を過信し、必ず兵站を破綻させる。
……我々参謀の仕事は、戦場で華々しい武勲を立てることではない。現場の超一流たち(歩・騎・砲・工)の狂気じみた要望を冷酷に切り捨て、あるいは調整し、全員が最も効率よく殺しを行えるように『裏方の盤面(予算と兵站)』をミリ単位で整えることだ」
慶家の言葉は、軍人のロマンを完全に否定する、血も涙もない機械の論理であった。
「だからこそ、凡庸であれ。すべての兵科の苦労を『広く浅く、しかし完璧に』理解し、己の感情や専門的執着を一切交えずに、全体を俯瞰できる【凡庸の超一流】になれ。
……現場の英雄たちに泥を啜らせず、確実に勝利という結果だけを運ばせる。それこそが、我々参謀の、最も退屈で、最も崇高な義務である」
「参謀たるもの、凡庸たれ」――。
この一見して矛盾に満ちた、しかし極めて冷酷で合理的な箴言は、滝脇慶家という男の哲学の集大成であった。
それはやがて、大日本帝国陸軍参謀本部の『見えざる掟』となり、血気盛んな若き秀才たちから無駄な虚栄心を削ぎ落とし、ただ国家の生存のためだけに機能する「恐るべき計算機」へと、彼らを確実に鍛え上げていくこととなる。
極東の島国は、英雄を求めない。
ただ、すべてを計算し尽くす冷徹な凡人たちの群れが、来るべき大陸での総力戦へ向けて、静かに、そして完璧な陣形を組み上げようとしていた。




