理戦 2
明治18年(1885年)、10月21日。
秋の深まりとともに、伊吹山から吹き降ろす冷たい風が、ススキの穂を激しく揺らしていた。
大日本帝国陸軍大学校の第一回「参謀旅行(現地戦術研究)」が実施されていた。
プロイセンから招聘された教官、クレメンス・ヴィルヘルム・ヤーコプ・メッケル少佐が、次代の将官たる若きエリート生徒たちを引き連れて訪れたその場所は、奇しくも日本史上最も有名なる古戦場――『関ヶ原』であった。
「……素晴らしい地形だ。両軍が激突し、天下を分かつ決戦を行うに相応しい、まさに天然の劇場と言える」
メッケルは、笹尾山から盆地全体を見渡し、満足げに頷いた。
プロイセン陸軍において、過去の戦跡を歩き、地形と部隊配置を分析する参謀旅行は、将校教育の根幹を為すものである。メッケルは、日本の生徒たちの戦術的眼力を測るため、この地を選んだ。
「さて、諸君」
メッケルは、野営の天幕の下に広げられた巨大な白地図と、木製の駒(部隊符)を指し示した。
「ここは日本屈指の古戦場だと聞いている。約三百年前、ここでいかなる戦いが行われたのか。諸君らの知識と知見をもって、当時の『合戦陣』をこの図上に再現して見せたまえ」
生徒たちは活気づいた。
彼らにとって、関ヶ原の戦いは武士の血を騒がせる最大の英雄譚である。彼らは和気藹々と、しかし真剣な面持ちで、歴史書や軍記物に記された通りの見事な陣形を地図上に並べ始めた。
西軍・石田三成は笹尾山に本陣を構え、宇喜多、小西らが完璧な防衛線を構築する。松尾山には小早川秀秋が陣取り、南宮山の毛利勢と合わせて、東軍・徳川家康を完全に『鶴翼の陣(半包囲)』に捉える形。
対する東軍は、数で劣りながらも中央の中山道沿いに密集陣形を敷き、決死の突撃を敢行する構え。
「……見事な配置です、少佐閣下」
一人の優秀な生徒が、胸を張ってメッケルに説明した。
「西軍の包囲網は戦術的に極めて優位にありました。しかし、東軍の徳川家康は中央突破の猛攻を仕掛け、膠着状態に持ち込みました。そして正午、松尾山の小早川が寝返ったことで西軍の側面が崩壊し、劇的な勝利を収めたのです! これぞ、日本戦史に輝く大逆転の機動戦であります!」
メッケルは感心したように顎を撫でた。
「なるほど。内線作戦と外線作戦の典型的な激突だな。戦術的な重心を見極め、敵の弱点(寝返り)を突いた指揮官の『意志の勝利』というわけか。プロイセンの戦術論から見ても、非常に興味深い」
天幕の中は、誇らしげな若手将校たちの熱気と、メッケルの学術的な満足感に包まれていた。
――ただ一人、最後列に立つ男を除いて。
滝脇慶家少佐は、天幕の隅で、腕を組んだままその「見事な陣形図」を冷ややかに見下ろしていた。
(……馬鹿なものを)
慶家の胸の奥底で、ドロドロとした黒い感情が、泥火山のようにふつふつと煮えくり返り始めていた。
それは、三百年前の記憶。
徳川家康として、この泥濘の関ヶ原に立ったあの日の、あまりにも生々しい感触と『怒り』であった。
軍記物が美しく描き出し、目の前の若僧たちが得意げに語る「天下分け目の大激戦」。
そんなものは、後世の文弱な学者たちが頭の中でこねくり回した『幻想』に過ぎない。
(大逆転? 膠着状態? 激戦だと?……笑わせるな!)
慶家の奥歯が、ギリッと音を立てた。
当時の実際の関ヶ原など、決戦でも何でもない。ただの『消化試合』であった。
戦いが始まる何ヶ月も前から、慶家(家康)は莫大な金と、領地の証文と、脅迫状を日本中にばら撒き、血を吐くような思いで『調略』を完了させていたのだ。
西軍の大名たちは、関ヶ原に集結した時点ですでに家康の掌の上にあった。
彼らは東軍と戦う気など毛頭なく、むしろ「いつ隣の陣にいる西軍の同志(石田三成や宇喜多)の背中から鉄砲を撃ち込んで、手柄にしてやろうか」と、互いに疑心暗鬼に陥り、殺し合いの算段ばかりを立てていた。
西軍は、すでに内部から完全に腐りきり、崩壊していたのである。
(私がなぜ、わざわざ江戸からこの関ヶ原まで軍を進めたのか。決戦をするためではない。
……私がバラ撒いた調略の種が、予定通りに芽を出すかどうか、『現地確認』をするためだ。完全に仕組まれた『出来レース』の最終確認作業に過ぎなかったのだ!)
あの日は、ただ敵が自滅し、寝返りの合図が連鎖していくのを、本陣の床几に座って眺めているだけの退屈な作業のはずであった。
ところが。
慶家の脳裏に、あの『薄らぼんやりとした息子』の顔がフラッシュバックした。
徳川秀忠。
三万八千という徳川本軍の主力(絶対的な暴力装置)を任せ、中山道を悠々と進ませていたはずのあの馬鹿息子。
(戦はすでに政治で終わっている。ただ兵を無傷で関ヶ原に並べ、西軍に『物理的な絶望(数の暴力)』を見せつければ、一滴の血も流さずに勝てる盤面だったのだ。それなのに……!)
あろうことか秀忠は、家康のその『戦争の真の意図』を全く理解していなかった。
道中にいた真田昌幸のわずかな兵に挑発され、「武士の面目」などという下らないプライドに固執し、あろうことか上田城で勝手に無駄な戦闘(泥仕合)を始め、足止めを食らったのだ。
(私がどれほどの胃の痛くなるような思いをして、全国の大名の腹を探り、寝返りの約束を取り付け、数ミリ単位で盤面を組み上げたと思っている……!
あの馬鹿は、私が整えた芸術的な『盤面』の上で、ただの子供のように『戦争ごっこ』をして遅刻しおったのだ!!)
三万八千の兵力が届かない。
それは、東軍が負ける危険性があったから腹が立ったのではない。家康が構築した「完璧な予定調和」に、自らの息子が泥を塗ったからこそ、腸がちぎれるほどに激怒したのである。
「――このように、東軍の奮戦と小早川の裏切りが噛み合い、奇跡的な勝利が……」
若手将校が、美しい戦術論のまとめを誇らしげに語り終えようとした、その時だった。
『全くコレではない!!!』
秋の関ヶ原に、野獣の咆哮のような怒声が轟いた。
天幕の中の空気が、文字通り凍りついた。
メッケルも、若き生徒たちも、目を見開いて声の主を振り返った。
そこに立っていたのは、普段の冷徹な仮面をかなぐり捨て、鬼神のような怒りに顔を歪ませた滝脇慶家少佐であった。
「た、滝脇少佐……?」
「どけ」
慶家は、呆然とする生徒たちを押しのけ、天幕の中央にある巨大な地図の前に進み出た。
彼の目は、明治の軍人たちを見ていなかった。その双眸に映っていたのは、三百年前の泥と血に塗れた、無様な現実の盤面である。
慶家は、生徒たちが綺麗に並べた「西軍の包囲網」の駒を、手の甲で無造作に、乱暴に払い除けた。
バラバラと木製の駒が地図の上に散らばる。
「馬鹿なことを言うな。奇跡的な大逆転? 決戦の機動戦?……反吐が出る。
これだから、机上の空論を弄ぶだけの文弱の徒は度し難いのだ!」
慶家は、残った駒を掴み、狂気じみた速度で地図の上に叩きつけるように置き直し始めた。
「見ろ! これが現実だ! 西軍の連中は、最初から東軍の方など向いていなかったのだ!」
ガンッ、ガンッ!と、慶家の手が駒を置く。
彼が作り上げた陣形は、先ほどの「美しい鶴翼の陣」とは似ても似つかない、あまりにも醜悪で、戦術的に意味不明なものであった。
「南宮山の毛利は、最初から動かない約束(密約)ができていた! 彼らの兵は、ただ弁当を食って座っていただけだ! 小早川は東軍を包囲していたのではない、いつ石田三成の背中を撃つか、私の顔色を窺って震えていただけだ!」
慶家は、西軍の駒の向きを、東軍ではなく、『同じ西軍の駒』へと向けさせた。
「敵の銃口は、最初から味方の背中に向けられていたのだ! 陣形など存在しない。指揮系統など完全に崩壊している。これは『軍隊』ではない。ただの疑心暗鬼に満ちた『暴徒の群れ』だ!」
メッケルは、息を呑んでその異様な盤面を見つめていた。
それは、戦術学の教科書のどこを開いても載っていない、完全なる無秩序であった。
「……では、東軍は?」
メッケルは、乾いた唇を舐めながら、恐る恐る尋ねた。
「東軍は、この状況でどのような機動を行ったのだ?」
慶家は、東軍の駒を指差して、冷酷に吐き捨てた。
「何もしていない。我々はただ、敵が勝手に仲間割れをして、自滅していくのを『見ていた』だけだ。突撃など必要ない。膠着状態など存在しない。
ただ……」
そこで慶家の声が、微かに、しかし激しい憎悪を帯びて震えた。
「私の……予定では、この東軍の背後に、圧倒的な数の暴力(三万八千の本軍)をただ並べて置くだけで、西軍の連中は戦う前に絶望して平伏するはずだったのだ。
……それを、馬鹿な身内(秀忠)が『戦争がしたい』などという下らない理由で遅刻し、盤面を無駄に汚した。……ただそれだけのことだ。関ヶ原に、戦術も、機動も、奇跡も存在しない!」
慶家は、両手を地図の端に強く突き、荒い息を吐いた。
天幕の中は、誰一人として言葉を発することができない、死のような沈黙に支配されていた。
三百年前の怨念が乗り移ったかのような、あまりにも凄惨で、圧倒的なリアリティを持つ少佐の独白。生徒たちは、自らの無知を恥じる以前に、ただその狂気に圧倒されて震えていた。
その重い沈黙の中で。
メッケル少佐の青い瞳だけが、異常なほどの光を放っていた。
(……なんという、ことだ)
メッケルは、慶家によって無茶苦茶に置き直された、あの「醜悪な盤面」から目を離せなかった。
西軍の駒が、互いに銃口を突きつけ合っている異様な配置。東軍はただ、その崩壊を見届けるための「立会人」として置かれているだけ。
プロイセンの軍人として、戦場の美学と火力の激突を信奉してきたメッケルの脳内で、パラダイムが音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
この滝脇慶家が書き上げた論文。
彼が読んだ『理戦論』の一節が、雷のようにメッケルの脳裏を駆け巡った。
『――戦争とは、外交と兵站、そして情報の暴力による事前構築の確認作業に過ぎない。盤面が整った時点で、勝敗はすでに決している』
(そうか……!)
メッケルは、震える手で自らの顔を覆った。
(私は、完全に勘違いをしていたのだ。『理戦論』とは、クラウゼヴィッツの延長線にあるものではない。この男の思想の源流は……この『関ヶ原』にあったのだ!)
戦場において敵を撃滅するのではない。
戦場に敵が現れる何ヶ月も前から、情報と金と調略をもって、敵の指揮系統と信頼関係を完全に破壊しておく。
敵が戦場に到着した時には、彼らはすでに軍隊としての機能を喪失しており、互いに殺し合うだけの暴徒に成り下がっている。
そして自軍は、ただ圧倒的な兵站と質量をもってその場に立ち、敵の自滅を『確認』するだけ。
(戦争は、始まった時には既に終わっている……!)
それが、極東の島国が何百年も前に到達していた、血を流さずに最大の利益を得るための『究極の戦争哲学』であった。
メッケルは、恐怖と、そして底知れぬ敬意をもって、荒い息を吐く慶家を見つめた。
この男は、単なる秀才ではない。
この『理戦論』という、人間の猜疑心と恐怖を計算し尽くした悪魔のようなシステムを、骨の髄まで理解し、体現している怪物なのだ。
「……タキワキ少佐」
メッケルは、ゆっくりと歩み寄り、慶家の無茶苦茶な盤面に対して、プロイセン軍の最敬礼を送った。
「素晴らしい講義に、感謝する。……私は今日、初めて『東洋の真の戦争』を理解した。そして、貴官の『理戦論』が、いかなる西洋の戦術論よりも冷酷で、完全なものであることを認めよう」
慶家は、自らの失態(感情の爆発)に気づき、静かに息を整えると、再びいつもの無表情な冷血漢の仮面を被り直した。
「……失礼した。少し、昔の『身内の愚行』を思い出して腹が立っただけだ。お忘れいただきたい」
慶家は踵を返し、天幕の外へと歩み去っていった。
秋の関ヶ原には、三百年の時を超えて、変わらぬ冷たい風が吹き抜けていた。
しかし、その天幕に残されたメッケルと若き将校たちの胸の中には、大日本帝国が世界に向けて牙を剥くための、恐るべき『絶対勝利の哲学(理戦論)』が、決して消えることのない深い刻印として焼き付けられていたのである。




