戦わず
明治18年(1885年)。
潮風が吹き抜ける横浜港から、一隻の大型客船が汽笛を鳴らし、広大な太平洋へと向けて出港していった。
ハワイ王国へ向かう、第一回官約移民を乗せた船である。
史実におけるこの時期の移民は、デフレ政策によって農地を失い、食い詰めた貧農たちが「地獄の底から這い上がるため」に決死の覚悟で乗り込んだものであった。
しかし、大久保利通と滝脇慶家による徹底した内需拡大と富国強兵が進むこの世界線においては、彼らの顔つきは全く異なっていた。
甲板から遠ざかる祖国の姿を見つめる彼らの大半は、食い扶持に困ったから国を捨てるわけではない。
「西洋の農法と知見を広げたい」「外貨を稼ぎ、日本の実家の勢力をさらに拡大したい」という野心に燃える豊かな農民の次男・三男坊たち。あるいは、政府の意を受けて動く資本家たちであった。
そして、その野心に満ちた群衆の中に、決して目立つことなく、海風に吹かれながら静かに陸地を見つめる一人の青年がいた。
彼は、帝国大学で最新の「農学」を修めたエリートであった。
しかし、彼がハワイへと渡る真の目的は、サトウキビ畑での成功ではない。彼もまた、大久保内閣と警察庁保安部が放った**『草の者(工作員)』**の一人であった。
(……さらばだ、美しき祖国よ)
青年は、内心で静かに別れを告げた。
表向きは一介の農民としてハワイの土に塗れ、コミュニティに溶け込む。それは、二度と日本の土を踏むことが許されない、片道切符の過酷な任務であった。
なぜ、大日本帝国はハワイという遠く離れた南の島国に、これほどまでに優秀な草の者たちを送り込んだのか。
それは、急速に近代化を遂げる帝国海軍からの「ハワイ王国は、我が国の国防上、絶対に失ってはならない生命線である」という強烈な危機感に基づいていた。
政府と参謀本部の地図(盤面)には、すでに未来の予測図が描かれていた。
巨大な生産力を持つアメリカ合衆国は、必ず西へ向かう。彼らは太平洋を『アメリカの湖(内海)』にするという野望を抱き、そのために太平洋の中心に位置するハワイ王国を何としても手に入れようとするだろう。
慶家が率いる情報網の分析によれば、ハワイ国内のアメリカ系白人農園主たちはすでに経済を牛耳りつつあり、「近い将来、十年から二十年以内に、必ずアメリカの支援を受けた白人たちによる『武装蜂起』が起こり、ハワイ王国は乗っ取られる」という極めて精度の高い予測が立てられていた。
もしハワイがアメリカの手に落ち、そこに巨大な海軍基地が建設されれば、大日本帝国は太平洋の防波堤を失い、喉元に常にナイフを突きつけられる状態となる。それだけは、何としても阻止せねばならなかった。
青年の任務は、明確であった。
ハワイに到着後、農夫として身を立てながら、すでに現地へ潜入している先着の『草の者』たちと合流すること。
そして、数千、数万という規模で渡っていく日本人移民たちを密かに束ね上げ、強固な「日本人コミュニティ(圧力団体)」を形成することである。
これは、ただの自国民保護ではない。
明治14年(1881年)。世界一周の途上で日本を訪れたハワイ国王・カラカウアと、明治天皇、そして水面下で動いた日本政府首脳との間に結ばれた『秘密協定』に基づくものであった。
史実において、カラカウア王は「白人に国を奪われる」という危機感から、明治天皇にアジアの連帯と皇室同士の政略結婚を申し入れた。史実の日本政府はアメリカとの摩擦を恐れてこれを丁重に断ったが、この世界線においては違った。
大久保と慶家は、アメリカを過度に刺激しないよう表面上は政略結婚を断りつつも、その裏でカラカウア王に対し、「大量の良質な日本人移民による王政の支持基盤(人口の防壁)」と、「アメリカの動向を王に伝えるための『情報網』」を提供することを密かに約束していたのである。
「我々日本人は、ハワイ王国の良き隣人となり、王の盾となる」
青年は、外套のポケットの中で拳を固く握りしめた。
アメリカの白人勢力がクーデターを起こそうとしたその時。ハワイ国内に、完全に統制され、情報網を持ち、いざとなれば王のために立ち上がる準備ができた『日本人コミュニティ』が存在していれば、アメリカの陰謀を物理的・政治的に封じ込めることができる。
遠く南の海を目指す鉄の船は、単なる移民船ではなかった。
それは、アメリカの太平洋覇権主義という巨大な波を食い止めるために、大日本帝国が極秘裏に打ち込んだ、静かで、しかし極めて強固な『戦略的楔』だったのである。
―――
明治18年(1885年)。
滝脇慶家らが血の滲むような思いで構築してきた大日本帝国の「情報」は、この10年の間に、仮想敵国である清国(中国)の巨大な肉体の奥深くにまで、致死の毒針のように深く食い込んでいた。
朝鮮半島を足掛かりとして、北京の中枢、さらには広大な満州の原野に至るまで。
商人や僧侶、あるいは流れ者の博徒に身をやつした「草の者」たちは、清国の精緻な地図、将軍たちの人間関係、軍閥の兵力配置、さらには清朝の「年間の国家歳入」といった極秘の経済データに至るまで、ありとあらゆる情報を目視で確認し、記録し、帝都・東京へと絶え間なく送り届けていた。
彼らの諜報活動が最も劇的な成果を上げたのが、先日の「清仏戦争」であった。
清国の軍事・政治機構は、決して一枚岩ではない。主に、北方を基盤とし洋務運動(近代化)を推し進める李鴻章の『北洋派』と、南方を基盤とし、強硬な排外主義を掲げる左宗棠を中心とした『南洋派』の二大派閥が、激しい権力闘争を繰り広げていた。
日本の草の者たちは、その清仏戦争の主戦場となった「南洋派」の奥深くに、完璧に潜入していたのである。
清仏戦争における南洋艦隊の動静、武器弾薬の枯渇状況、そして何より、南洋派が中央の西太后に対してどのような「外交方針(建前と本音)」を奏上しているのか。そのすべてが、日本の参謀本部にはリアルタイムで筒抜けであった。
だからこそ、日本政府はフランスに対して的確な情報提供(恩売り)を行い、最良のタイミングで停戦調停に乗り出し、不平等条約の撤廃という巨大な利益をかすめ取ることができたのだ。
清仏戦争の事実上の敗北により、強硬派であった左宗棠は大きく政治的求心力を落としていた。
しかし、かつて太平天国の乱やヤクブ・ベクの乱を鎮圧したこの老将軍は、依然として南洋派の首魁として隠然たる影響力を保ち、北洋派の李鴻章と激しく対立し続けていた。
「敵が内部で争っているなら、それを最大限に利用(拡大)せよ」
それが、日本の下した絶対的な謀略の基本(調略戦)であった。
左宗棠の周囲にも、有能な幕僚や助言者を装った「日本の影」がピタリと張り付いていた。
彼らは、決して直接的な暗殺や破壊工作は行わない。ただ、左宗棠の側近たちの耳元で、北洋派(李鴻章)への不信感を煽るような「事実に基づいた囁き」を落とすのだ。
「李鴻章殿は、清仏戦争において自らの北洋艦隊を温存し、南洋派を見殺しにしましたな」
「朝廷の予算は、すべて李鴻章殿の懐(北洋)に流れているのでは?」
南洋派と北洋派の対立という『亀裂』に、静かに、しかし絶え間なく楔を打ち込み、清国という巨大な帝国を内側から真っ二つに割るための工作。
かつて、徳川家康が関ヶ原の戦いや大坂の陣において、豊臣家の内部(文治派と武断派)の対立を煽り、内側から崩壊させたあの冷酷な『調略』が、数百年後の近代アジアという巨大な盤面において、大日本帝国の最強の武器として完全に機能していたのである。
清国という巨大な老木は、外見こそまだ恐ろしい威容を誇っていたが、その根の深層では、すでに日本の放った白蟻(草の者)たちによって、音もなく、しかし確実に喰い荒らされつつあったのだ。
―――
明治18年(1885年)。
深いスモッグに包まれた霧の都・ロンドン。世界帝国の首都であるこの巨大都市の治安を担う「ロンドン警視庁」には、年間を通じて膨大な数の犯罪報告が舞い込んでいた。
記録される重大犯罪だけでおよそ2万件。スリや詐欺といった軽犯罪まで含めれば、その数は数倍に膨れ上がる。
しかし、その有象無象の犯罪記録の中に、スコットランドヤードの捜査官たちを底知れぬ恐怖と混乱に陥れた『一件の巨悪犯罪』が紛れ込んでいた。
ホワイトホールの「幽霊事件」
事件の現場は、大英帝国海軍の中枢、ホワイトホールにある海軍本部庁舎。
その最も厳重な警備が敷かれているはずの「蒸気機関保管庫(機密記録室)」に何者かが侵入し、開発中であった次世代型軍艦用の『新型蒸気機関設計図面』がそっくりそのまま盗み出されたのである。
「馬鹿な! 扉の錠前は壊されておらず、窓枠にも傷一つないのだぞ!」
威信をかけて捜査に乗り出したスコットランドヤードの警部たちは、現場で頭を抱えていた。
当時、庁舎の保安に当たっていた屈強な衛兵たちは、口を揃えて「不審な人物など一切見ていない。足音すら聞いていない」と青ざめた顔で証言した。
犯人は一体どこから入り、どうやって分厚い図面の束を抱えて出ていったのか。まるで、壁をすり抜ける幽霊の仕業としか思えなかった。
スコットランドヤードは、ロシアの工作員か、あるいはフランスの産業スパイの仕業かと疑い、ロンドン中の暗黒街を徹底的に洗い出した。
しかし、図面の行方は杳として知れず、犯人の手口はあまりにも巧妙(異常)であった。
だが、スコットランドヤードの優秀な捜査官たちでさえ、想像だにしなかっただろう。
このホワイトホールでの図面盗難事件すら、巨大な氷山の一角に過ぎないということを。
この時、イギリス一国にとどまらず、フランス、プロイセン、アメリカといった「欧米列強」と呼ばれる国々の至る所で、同様の『幽霊による盗難・あるいは機密の複写事件』が同時多発的に頻発していたのである。
盗まれたのは、軍艦の設計図だけではない。
ある国の大学の研究室からは『革新的な化学式や数式』のノートが消え、ある国の重工業地帯からは、すべての機械の母となる『工作機械の精緻な設計図』が、金庫を開けられた痕跡すらないまま、一夜にして完璧に書き写されていた。
犯人は、一体誰か。
欧米の捜査機関が「白人のプロの産業スパイ」を探して奔走している間、彼らのすぐ傍を、礼儀正しく微笑む「アジアからの留学生」や「物静かな技師」たちがすれ違っていた。
内閣の号令のもと、数年前に列強の懐深くへと放たれた日本の『草の者』たちである。
彼らは、単なる泥棒ではない。帝国大学で最新の工学や化学を修めた「超エリート」でありながら、同時に、警察庁保安部において、戦国時代から連綿と受け継がれてきた『忍び(潜入・錠前破り・隠形)』の古流技術を完璧に叩き込まれた特殊工作員であった。
西洋の近代警察は、最新の科学捜査やプロファイリング技術を持ち始めていたが、「気配を消して天井裏に潜み、警備員の視線の死角を歩き、独自の合鍵(ピッキング道具)で金庫を開ける」という、極東の島国が数百年の殺し合いの中で洗練させてきた『アナログな隠密術』の前には、完全な盲目を突かれたのである。
列強の政府や警察機構は、自国で起きている機密の漏洩を、それぞれ「単発の産業スパイ事件」として処理し、互いに疑心暗鬼に陥っていた。
彼らは夢にも思っていなかった。
これらの多種多様な分類に渡る、数千、数万という最先端の技術情報が、ロンドンから、パリから、ベルリンから、見えざる糸に引かれるようにして、遠く離れた極東の島国へと、莫大な濁流となって流れ込んでいることなど。
西洋が数百年と莫大な資本をかけて生み出した『産業革命の結晶』は、今まさに、日本という貪欲なキメラの胃袋へと、一切の対価を支払うことなく直接注ぎ込まれていたのである。




