選有る事 6
明治17年(1884年)、夏の中頃。
アジアの覇権を巡り、清国とフランス共和国の間で「清仏戦争」が勃発した。
大久保利通内閣のもと、滝脇慶家が構築した日本の諜報網(草の者たち)は直ちにフル稼働し、両軍の艦隊の動き、兵站の枯渇具合、そして政治的思惑をリアルタイムで帝都へと送り届けていた。
世界が血なまぐさい戦火に包まれる中、慶家は参謀本部での定例業務をこなしつつ、満を持して「軍の根幹を覆す最大の改革」に向けた準備を始めていた。
夏の終わり頃、陸軍の射撃場において、慶家は奇妙な実験を開始した。
彼の手元には、一丁の『十三年式村田銃』。そして、その銃の上部には、彼が私費を投じて欧州から取り寄せ、特注で取り付けさせた「遠眼鏡(テレスコピック・サイト/狙撃用スコープ)」が装着されていた。
彼は、射撃場の様々な距離(100m、300m、500m、800m…)に、日・清・仏・普など各国の色鮮やかな「軍服」を着せた案山子を立てさせた。
そして、数名の徴兵されたばかりの新兵たちを呼びつけ、肉眼と遠眼鏡の両方で標的を覗かせたのだ。
「少佐殿。……あの、これは一体?」
「質問は許可していない。レンズを覗き、見えたものをそのまま紙に描け」
来る日も来る日も、慶家は全く別の新兵を連れてきては、同じことを繰り返した。
晴れの日も、雨の日も、風の日も、そして視界が最悪となる暴風の日も。彼はひたすらに、異なる天候・異なる時間帯における「兵士の視覚データ」を、一切の感情を交えずに紙の束(統計データ)として蓄積し続けていたのである。
「また滝脇少佐が、的を撃ちもせずに遠眼鏡を覗かせているぞ」
「天才の考えることは分からん。大方、射撃の新しい教範でも作っているのだろう」
周囲の将校たちは首を傾げたが、慶家は一瞥もくれずに実験に没頭していた。
―――
秋。
清仏戦争への介入を求める声に対し、日本政府は「我が国に大義(正当な参戦理由)なし」として、軍事介入を完全に拒否した。しかし同時に、フランスに対しては諜報網で得た「清国軍の動向」を秘密裏に提供し、強烈な恩を売るという老獪な外交を展開していた。
―――
そして冬。
朝鮮半島において、事態が動いた。親日派を排除し、清国への隷属を強めようとする『親清派』が軍事クーデター(挙兵)を起こしたのである。
「――朝鮮にて、親清派が挙兵」
雪が降りしきる参謀本部にその報せが届いた時、慶家は報告書をパラパラと捲り、「そうか」とだけ呟いて、再び射撃場での実験へと戻っていった。
彼が動く必要はなかった。
この親清派の挙兵は、日本の諜報網によって「初めから完全に筒抜け」であったのだ。
参謀本部と現地駐留軍は、あえて彼らを泳がせ、クーデターを起こさせた。そして「朝鮮王宮の治安維持能力の欠如」を大義名分として掲げ、完璧な包囲陣を敷いて親清派を物理的に粉砕したのである。
『理戦論』による明確なドクトリンと、下士官の独自裁量。
もはや大日本帝国陸軍は、滝脇慶家という天才が手取り足取り指揮をせずとも、凡人(一般的な将校たち)がマニュアル通りに盤面を動かし、確実に勝利を収めることができる『自立した暴力装置』へと完全に進化していた。
―――
明治18年(1885年)、3月。
清仏両軍の攻勢が互いに限界(攻勢限界点)を迎え、戦線が膠着し始めたのを見計らい、大久保内閣は一気に動いた。
日本政府は、清国に対して「これ以上戦闘を継続するならば、我が国も大陸への侵攻を辞さない」という恫喝に近い最後通牒を突きつけると同時に、政情不安に陥っていたフランス政府に対しては「ここが手打ちの潮時である」と譲歩を迫った。
周到な諜報と軍事力を背景にした日本の強烈な調停工作により、清仏の穏健派が同調。4月3日、ついに両国間の『停戦合意』が成立した。
そして、この世界大戦の火種を鎮火させた「見返り」として、日本外交の積年の悲願が達成される。
日仏間における『不平等条約の完全撤廃』の成立である。
大久保利通と伊藤博文が繰り出した外交のウルトラCに、日本中が祝賀の嵐に包まれた。
―――
日本中が条約改正の喜びに沸き立っていた、明治18年4月23日。
滝脇慶家は、半年以上にわたって蓄積した膨大な視覚データと、フランス軍が清仏戦争で流した血の戦訓(狙撃による士官の戦死率など)を完全に統合し、一つの提言書を上層部へと提出した。
それは、世界の軍事常識を根底から破壊する、冷酷な『科学的見地からの死刑宣告』であった。
表題には、こう書かれていた。
『現用軍装色と装飾の実戦不要論』
『選定色(カーキー色、また2色(カーキと暗緑色))への変更意見書』
当時の世界の軍隊――イギリスのレッドコート、フランスの鮮やかな赤ズボン、プロイセンのプルシアンブルー。
それらの軍服は、自軍の士気を高め、将校の威厳を示し、硝煙の中でも味方を識別するための「誇り(ロマン)」であった。日本の軍服もまた、フランスに倣った紺色や金糸の装飾が施されていた。
しかし慶家は、提出した膨大な統計データをもって、その軍人のロマンを徹底的に嘲笑した。
『無煙火薬の登場と、遠眼鏡を装備した小銃の前では、色鮮やかな軍服や、陽光を反射する金糸の階級章など、敵に自らの心臓の位置を教える「自殺用の標的(的)」に過ぎない。
硝煙が消え去るこれからの戦場において、軍服に求められるのは威厳ではない。大地の泥と草木に溶け込み、敵の視覚から消失すること、すなわち【偽装】のみである』
そして慶家が次期軍装の指定色として提示したのが、インドの土埃から生まれた泥の色『カーキ(Khaki)』と、日本の植生に溶け込む『暗緑色』の二色だけであった。
「軍人から、美しい装飾と誇りを奪い、泥のような色の服を着ろというのか!」
提言書を読んだ古参の将官たちは激怒し、青筋を立てた。
しかし、反論の余地はなかった。
慶家が提出した提言書には、天候別、距離別、そして遠眼鏡の有無による「発見される確率(被弾率)」が、完璧な数学的データとして添えられており、どんな石頭の将官であっても「現在の軍服を着ていれば、遠距離から一方的に射殺される」という残酷な真実を否定できなかったからだ。
泥に塗れることを厭わず、無駄な名誉を最も嫌う慶家。
彼の冷徹な眼差しは、来るべき日清・日露の総力戦において『一人の兵士も無駄死にさせない』ための絶対的な布石を、世界に先駆けて打ち下ろした。
しかし、事は一朝一夕では済まなかった。
提言書が提出されるや否や、陸軍省と参謀本部の会議室では、怒号が飛び交うほどの激しい紛糾が巻き起こった。
慶家の提出した「被弾率の統計データ」という理論は、科学的に見れば確かに全く正しい。
しかし、古今東西を問わず、軍人たちにとって『軍装』とは単なる布切れではない。「戦場における士気」の源泉そのものであった。
華やかな軍服を着るからこそ、兵は国家を背負う誇りを持ち、死地へ向かう足に力を込めることができる。
泥水のような汚らしい「カーキ色」の服を着せられて、好んで突撃したがる兵士がどこにいるというのか。それが、古参の将官たちの最も強い、そして理にかなった反発であった。
「軍服とは、帝国の威信そのものだ! 泥のような服を着せて、どうして兵の士気が保てるというのだ!」
激昂する将官たちを前にして、慶家は沈黙を守っていた。
(……士気と視覚の結びつき。そんなことは、私が誰よりもよく分かっている)
前世において、戦国最強と謳われた武田の『赤備え』。
その視覚的な恐怖と圧倒的な威圧感を肌で知り尽くし、武田滅亡後にその遺臣たちを吸収して「井伊の赤備え(徳川の切り札)」として再構築したのは、他でもない彼(家康)自身なのだ。
人間の視覚がもたらす「誇り」と「恐怖」の心理効果は、決して馬鹿にはできない。
だが、だからこそ。
無煙火薬と近代銃が支配するこれからの戦場において、その『色』に縋ったままでは国が滅びるのだ。
「――お言葉ですが、閣下」
慶家は、静かに、しかしよく通る声で反論の口火を切った。
「目立つ色が士気を高めるのは、『勝っている時』だけです。逆に、その部隊が火力を浴びて打ち捨てられ、敗走した時。軍全体が崩壊する速度を何倍にも引き上げるのは、他ならぬその『派手な色』なのです」
会議室が、水を打ったように静まり返った。
「長篠の戦いにおいて、無敵を誇った武田の赤備えが鉄砲の前に次々と薙ぎ払われた時。
あの『赤』が崩れ去る視覚的ショックは、武田軍全体の士気を一瞬で粉砕しました。
……先の清仏戦争でも同じです。鮮やかな軍服を着たフランス軍の将校が遠距離から狙撃されて倒れる様は、周囲の兵士に異常な恐怖を伝播させ、恐慌状態を引き起こしたではありませんか」
慶家は、一切の感情を交えずに、過去と現在の戦訓を突きつけた。
「軍服の装飾は、もはや味方を勇気づける旗印ではない。敵に対して『ここを撃て』と教え、味方に対して『自分たちが死んでいく様』を最も分かりやすく見せつける、最悪の舞台装置に成り下がったのです」
それでも、面子を重んじる将官たちは首を縦に振ろうとはしなかった。
「それは理屈だ、兵の心は理屈では動かん」と。
しかし、慶家には『最大の切り札』があった。
彼が、夏から冬にかけて、射撃場の実験に「全く別の新兵たち」を来る日も来る日も呼びつけた本当の理由。
それは、単なる視覚データの収集だけではなかった。
レンズを覗かせた後、慶家は必ず彼らに、ごく短い「質問」をしていたのである。
『――お前がもし戦場に立つなら、どちらの色の服を着たいか?』
答えは、聞くまでもなかった。
農村から徴兵されてきたばかりの純朴な若者たちは、遠眼鏡越しに「目立つ服を着た案山子」がどれほど簡単に狙えるかを肌で理解した上で、青ざめた顔で全員が即答したのだ。
「泥の色が良いです。絶対に、目立つ服には着替えたくありません」と。
「……これをお読みいただきたい」
慶家は、机の上に分厚い書類の束を叩きつけた。
それは、実験に参加した無数の兵卒や下士官たちから提出された、あるいは彼らが部隊に持ち帰って広めた噂によって巻き起こった、『下からの猛烈な突き上げ(上申書)』であった。
ボトムアップを許容する軍のシステムが、ここで完全に慶家を援護する強力な政治的武器として機能したのである。
「兵が望んでいるのです」
慶家の声が、会議室に重く響き渡った。
「彼らは英雄になりたいわけではない。ただ、『無駄に撃たれたくない』『犬死にだけはしたくない』と願っているのです。
……彼らは、国のために命を捨てる覚悟を持ってこの軍に入った。であるならば、その彼らの切実な願いに応え、一人の兵も無駄死にさせない盤面を用意することこそが――」
慶家は、居並ぶ将官たちを鋭い眼光で射抜いた。
「――我々『将』の、絶対なる務めではありませんか」
古いロマンに縋る上層部と、生存を渇望する現場の兵士たち。
冷徹な彼が放った「兵の命を無駄にしない」という大義名分は、反対派の将官たちの口を完全に塞ぐ、決定的な一撃となった。
―――
慶家の戦いは、泥臭い軍の会議室の机を叩き割るだけでは終わらなかった。
軍令と軍政の壁を越え、その上申書は陸軍省の稟議を通り抜け、国家の金庫の鍵を握る「内閣予算会議」のテーブルへと這い上がっていった。
慶家は、軍人としての「兵の命」という大義名分に加え、政治家と官僚の首を縦に振らせるための「絶対的な算盤(予算計算)」を、書類の裏に冷酷なまでに緻密に弾き出していた。
当時の軍服に用いられていた鮮やかな紺色や赤色の染料、そして将校の階級を示すための金糸銀糸の複雑な刺繍や装飾。これらをすべて廃止し、泥や草と同じ単色の安価な「カーキ色・暗緑色」の綿布に統一した場合のコスト削減効果。
それに加え、被弾率の低下によって浮く「戦死者の補充費用(訓練費・遺族年金・兵站負担)」の試算。
慶家が叩き出したその数字は、実に『1000万円(現在の価値にして約2000億円)』という、当時の国家予算の根幹を揺るがすほどの天文学的な削減額であった。
さらに、書類の隅には申し訳程度に、しかし極めて周到にこう書き添えられていた。
『なお、既存の華やかな軍装については、将兵の体面を重んじ、宮中行事や観兵式における【儀礼用】として引き続き使用することを具申する』と。
大日本帝国・首相官邸。
内閣予算会議の席上、総理大臣・大久保利通は、目の前に提出されたこの「軍装改定の予算案」を前に、深く、そして重い沈黙を保っていた。
1000万円の予算が浮く。清国との総力戦を前に、軍艦が何隻も買えるほどの莫大な金だ。政治家として、これほど魅力的な提案はない。
だが同時に、軍の伝統と士気の根幹を破壊しかねない極めて劇薬の提案でもある。
大久保は、自らの直感と計算だけでこの書類に判を押すことを良しとしなかった。
この上申書に隠された「真の意図」と「副作用」を完璧に見極めるため、大久保は議会の垣根を越え、委員外発言の特例として上局議長・徳川慶喜を会議室へと招き入れた。
「――天才の描いた図面を理解するには、同じ天才の眼を借りるのが最も確実ゆえな」
大久保にそう言われて席に着いた慶喜は、手渡された慶家の上申書にゆっくりと目を通し始めた。
静まり返った会議室。やがて、書類を読み終えた慶喜の口から、微かに、しかし堪えきれないような「笑い声」が漏れた。
「……フッ、ハハハハ……! これは傑作だ。大久保どん、これは単なる軍装の提案書ではない。滝脇少佐が仕掛けた、完璧な『政治的罠』だ」
慶喜は、書類を指先で弾きながら、そこに隠された慶家の権謀術数を鮮やかに解体してみせた。
「見事としか言いようがない。まず、この『1000万円のコスト削減』という数字。これを見せられれば、大蔵省も貴方も、絶対にこの案を否決できなくなる。政治の喉首を完全に押さえている」
慶喜の目が、鋭く細められた。
「次に『兵の損耗率低下』。これで現場の兵卒や歩兵将校たちの心を完全に掌握し、下からの突き上げで上層部を包囲している。
……そして極めつけは、この隅に書かれた『儀礼用としての既存軍服の存続』だ。
古い伝統とロマンにしがみつく石頭の将軍たちから、実戦での権力を完全に奪い取る代わりに、『お祭り(観兵式)で着るための綺麗な服』というオモチャを与えて、彼らの面子を丸く潰さずに黙らせる退路を用意しているのだ」
大久保も、同席していた閣僚たちも、息を呑んだ。
一つの提案書の中に、政治、経済、軍事、そして人間の心理(面子と恐怖)のすべてが計算し尽くされ、誰一人として「反対できない盤面」が最初から構築されていたのだ。
「滝脇慶家という男は、相手を説得などしていない。最初から、すべての関係者の『利益』と『妥協点』を計算し尽くし、全員が自分の意図したマス目にしか動けないように盤面を縫い合わせているのだ」
慶喜は、感嘆と、そして底知れぬ恐ろしさを込めて言い放った。
「……こんな恐ろしい上申書を書く男を、私は歴史上でもう一人しか知らん。それこそ、我が徳川の始祖・家康公くらいのものだろうさ」
大久保利通は、その言葉を聞いて深く頷き、冷徹な政治家の顔に戻った。
「議長殿の意見、大いに参考になった。……ならば、我々政府がこの盤面に乗らない理由はない」
大久保は、懐から万年筆を取り出すと、一切の躊躇なくその上申書に『承認』のサインを書き殴った。
「浮いた1000万円は、全額、来るべき対清国戦に向けた兵站と、新型砲の国産化予算へと回す。……軍のロマンなどという無駄飯食いにくれてやる金は、この国には一銭もないからな」
明治18年。
一人の若き将校が泥に塗れて描き出した冷徹な計算式と、天才たちによるトップダウンの決断が合致した瞬間。
世界で最も早く、大日本帝国陸軍から「色鮮やかな的(軍服)」が消滅し、生存と殺傷のみに最適化された近代軍隊へと、完全にその姿を変えさせた。




