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葵三つ葉  作者: 丸亀導師
選有る事
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59/81

選有る事 4

明治17年(1884年)、春。


近代化の波がうねりを上げる帝都・東京の片隅で、一人のフランス人画家が、日本という国の奇妙な「美術的変容」を、興味深く、そして少しの皮肉を交えた眼差しで見つめていた。


男の名は、ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー。

明治15年に、陸軍卿である大山巌の紹介(あるいは肝煎り)によって西洋画の講師として来日した彼は、少しずつ、日本の世相を鋭く切り取る『風刺画』を新聞や雑誌に寄稿し始めていた。


しかし、ビゴーがこの時期、何よりも心を奪われていたのは、西洋の油絵ではなく、日本独自の芸術である『浮世絵(木版画)』であった。


実用品としての「浮世絵」の再生


史実において、この時期の浮世絵は「古臭い過去の遺物」として見捨てられ、西洋への輸出品の包み紙として二束三文で扱われる運命にあった。


しかし、この世界線においては違った。


日本の内閣が政治や、慶家らが軍、渋沢等が民間で推し進めた「極端な効率化」と「日本文化の再評価(和魂洋才)」の波が、浮世絵というメディアに全く新しい役割を与えていたのである。


「……信じられない。彼らは、この精緻な芸術を『実用品』として使い倒している」


ビゴーが驚嘆したのは、浮世絵の技術が、単なる美術品としてではなく、「情報を大衆に最も分かりやすく伝達するためのインターフェース(視覚メディア)」として徹底的に活用(シフト)されていたことであった。


文字の読めない者や、難しい理論を理解できない大衆に向け、政府や軍は、教科書の挿絵、軍の教範の図解、あるいは新聞に載せる「漫画(ストーリー性のある連続絵)」として、浮世絵師たちを大量に動員していたのである。


西洋の銅版画にはない、日本独自の「ぼかし」や「透かし」、雲母(きら)を使った光沢の表現。

それらの高度な多色刷り技術が、近代的な印刷機と融合し、大衆を啓蒙するための「最強のグラフィック・デザイン」として息を吹き返していたのだ。


ビゴーは、この日本独自の芸術の深さと、それを実用品として使い潰す日本人の合理主義に、強烈な魅力を感じていた。


そんなある日。ビゴーは、大山巌からの個人的な余興として、陸軍参謀本部で異彩を放つ若き将校・滝脇慶家少佐の姿をキャンバスに描く機会を得た。


ビゴーは、意図的に『二枚の絵』を描き上げた。


* 一枚目(肖像画): 西洋の油彩技法を駆使し、軍服に身を包んだ慶家の姿を、威厳と知性に満ちた立派な「近代の青年将校」として写実的に描いたもの。


* 二枚目(風刺画): ビゴーが得意とするクロッキー(速写)と誇張を交えた風刺画。将棋盤の前に座る慶家を、冷徹な蜘蛛のようにデフォルメし、盤上の駒(人間)を指先で弾きながら、薄暗い笑みを浮かべている姿を描いたもの。


「さて、少佐殿。どちらがお気に召しましたかな?」


ビゴーが皮肉っぽい笑みを浮かべて二枚の絵を提示すると、慶家は一瞥しただけで、迷うことなく『二枚目の風刺画』の方を指差した。


「……ほう。てっきり、立派な肖像画の方をお選びになるかと。日本の武士は、メンツ(体面)を重んじるものでしょう?」


ビゴーが少し驚いて尋ねると、慶家は鼻で笑った。


「私が立派な軍人に見える一枚目など、私が軍服を着て外を歩けば、馬鹿な大衆が勝手に見ている『幻(嘘)』だ。何の価値もない。……だが、二枚目は違う」


慶家は、デフォルメされた蜘蛛のような自らの風刺画を指先でなぞった。


「貴様は、私の本質が軍人ではなく、盤上の駒を弄ぶ『裏の策士』であることを正確に見抜いて描いている。この絵には『真実(インテリジェンス)』がある。……ムッシュ・ビゴー。貴様の眼と腕は、我が国の新聞の挿絵を描くには少々もったいないな」


「褒め言葉として受け取っておきましょう、少佐殿」


慶家がこの風刺画を大いに気に入り、自らの執務室の裏に密かに飾ったという事実は、彼が「自己の体面」よりも「本質を正確に切り取る情報(メディア)の力」を何よりも高く評価していたことの、何よりの証左であった。


そしてビゴーもまた、この滝脇慶家という底知れぬ男の存在を通じて、日本という国が単なる「東洋の美しい箱庭」などではなく、列強と互角に渡り合うための冷酷な牙を剥き出しにし始めたことを、その鋭い画家の眼で確信するのであった。


―――


明治17年(1884年)、春。


滝脇慶家は、妻である梅子にこの日本の「息苦しい社会」を内側から解体させるための武器(情報)を与えつつも、彼女が日常の日本社会で直面している『決定的な弱点』を放置してはいなかった。


すなわち、「梅子が日本語をほとんど話せず、日本の古典や文化に対する教養が欠落している」という事実である。


いくらアメリカ帰りの知性と流暢な英語・フランス語を持っていようとも、日本語の機微や和の教養を知らなければ、最終的にこの国の民衆(特に女性たち)の心を動かし、啓蒙することはできない。


そこで慶家は、梅子の「日本語教師」として、最も適任と思われるとある人物を彼女に引き合わせた。


その男の名は、バジル・ホール・チェンバレン。

イギリス出身の翻訳家であり、かつて海軍兵学寮で英語教師を務め、日本の古典文学(後に『古事記』を英訳することになる)に並々ならぬ造詣を持つお雇い外国人であった。



慶家とチェンバレンの出会いは、数年前、慶家がまだ陸軍と海軍の『兵站統合』を進めるために、軍の垣根を越えて海軍省へ土足で踏み込んでいた頃に遡る。

当時の陸軍と海軍は、薩長閥の対立もあり、互いにいがみ合うのが常であった。


しかし、慶家は海軍の将官たちの前で、全く物怖じすることなく、流暢な英語を交えながらこう嘯(うそぶ)いていた。


「日本は四方を海に囲まれた要塞ですが、その全てを壁で覆うことは不可能です。ですから海軍の諸君には、もう少し頭を使って頑張っていただきたい。

陸軍としては、港湾の制圧と防衛を最優先の盤面として計算していますが、結局のところ、海の守りが抜け落ちれば国家防衛の算盤(そろばん)は合いません。……しかしながら、現状の貴官らの動きに不満があるとすれば――」


海軍のプライドを絶妙に立てつつも、その戦略的欠陥(シーレーン防衛の甘さなど)を冷酷なロジックで容赦なく批判する。


その陸軍将校らしからぬ異端な振る舞いと、お雇い外国人すら舌を巻く完璧な英語力は、海軍内に「滝脇慶家という変人(化け物)」の名を広く知らしめる結果となった。


その海軍省の廊下で、偶然慶家の英語を耳にし、興味を持ったのがチェンバレンであったのだ。


慶家から「妻の梅子に、正しい日本語と日本の古典を教えてやってくれないか」と頼まれたチェンバレンは、梅子の『アメリカ育ちで日本語が話せない』という数奇な身の上を聞き、知的好奇心を大いに刺激されて快諾した。


ここから、帝都の片隅で奇妙な「教育のサイクル」が回り始めた。


* 梅子は、自らが設立を夢見る学校の準備として、日本の女学生たちに『英語と西洋の知性』を教える。


* チェンバレンは、その梅子に対して、外国人である彼独自の論理的な視点から『美しい日本語と、古事記や万葉集などの日本の古典文化』を教える。


* そして慶家は、夜の食卓で、梅子に対して『この国の血みどろの歴史(権力闘争)と、男たちの建前を切り崩すための冷酷なロジック』を教える。


梅子は、この二人の異端な男たち(西洋人の日本研究家と、冷酷な戦国武将の魂を持つ軍人)から、急ピッチで「日本という国の輪郭(インターフェース)」を叩き込まれていった。


チェンバレンの人物評:「矛盾を内包する怪物」

チェンバレンは、梅子への講義を終えた後、よく慶家の借家に残り、彼と酒を飲みながら日英の文学や歴史について議論を交わしていた。


その深い交流の中で、チェンバレンは滝脇慶家という男の本質に、ある種の「底知れぬ気味の悪さと、強烈な魅力」を感じていた。


「……滝脇少佐。貴方は本当に、奇妙な男だ」


ある夜、チェンバレンはチェスの駒を動かしながら、慶家にそう評した。


「貴方は、戦争や政治を語る時は、血も涙もない機械のように『効率的な物差し』で測り、無駄な情緒や精神論を徹底的に嫌悪する。

しかし……いざ和歌や茶の湯、あるいは浮世絵や古典芸能の話題になれば、貴方はまるで何十年もそれに浸ってきた文化人のように、深い情緒と造詣をもって語り出す。

……まるで、冷徹な『西洋の計算機』の中に、古き『日本の魂(幽霊)』がそのまま住み着いているようだ」


チェンバレンのその鋭い人物評は、図らずも慶家(徳川家康)の正体を正確に言い当てていた。


戦場では兵站と謀略を冷酷に計算し尽くし、無駄死にを嫌う徹底した合理主義者。しかし同時に、平時においては能や茶の湯、香道を愛し、文化のパトロンとして二百六十年の泰平の文化の礎を築いた「数寄者(すきしゃ)」としての顔。


「……文化(情緒)を知らぬ者は、人間の心(弱さ)を操れない。人間の心が操れなければ、究極の合理(いくさの勝利)には辿り着けない。それだけのことだ、チェンバレン」


慶家は、煙管(きせる)の煙を細く吐き出しながら、チェス盤の上で静かに『チェックメイト』を宣告した。

相反する極端な合理主義と、深い文化的教養(情緒)。


その二つを矛盾なく内包する滝脇慶家という特異点は、梅子やチェンバレンといった知の巨人たちを周囲に引き寄せながら、来るべき「清国との総力戦」へ向けた盤面を、静かに、そして確実に完成へと近づけていた。



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