縁有る事 3
帝都・東京。
首相官邸の執務室にて、木戸孝允と徳川慶喜は、大日本帝国憲法において未だ明文化されていなかった「ある重大な空白」について、静かに、しかし極めて重要な密談を交わしていた。
「首相と議長、そして両院の議員の『任期』についてです」
慶喜は、出された茶に口をつけることもなく、真っ直ぐに木戸を見据えた。
天皇の任命(大命降下)にのみ依存する現在のシステムでは、理論上、彼らは死ぬまでその権力の椅子に座り続けることができる。
「最初はどれほど新進気鋭で志の高い者であっても、同じ人間が権力の座に長く留まれば、必ず思想の硬化と堕落が始まります。……二百六十年続いた我が幕府が、どのように腐り落ちていったか。私が一番よく知っている」
自らの家の恥部であり、歴史の最大の教訓を事もなげに口にする慶喜。
かつて日本を二分して戦った旧幕府の将軍と長州の元勲の間に、過去の遺恨はない。あるのは、新しく生み出したこの国家体制を、いかにして長持ちさせるかという冷徹なシステム設計の議論だけであった。
「故に、上局(上院)の任期は『八年』とし、四年ごとに半数を改選して人員を入れ替えるべきだ。血を巡らせ続けねば、組織は死ぬ」
「……なるほど。慶喜公がそこまで仰るのならば」
木戸は深く感銘を受け、手元の紙にペンを走らせた。
「民意を問う下局(下院)の改選も、それに準ずる形が美しいでしょう。任期を『六年』とし、三年での半数改選とする。これで、国家の血液は常に淀みなく循環するはずです」
二人の天才的な為政者によって、日本の議会制度がさらなる洗練を遂げようとしていた、まさにその時であった。
――執務室の扉が乱暴に叩かれ、血相を変えた官吏が転がり込んできた。
「木戸首相! 慶喜公! ……朝鮮にて、軍の暴動が発生! 漢城が火の海にございます!!」
事態は、滝脇慶家が予言した通りの最悪にして最速のシナリオを辿っていた。
暴徒と化した旧式軍の追撃を間一髪で逃れた高宗と閔妃は、日本の「隠密」たちの完璧な誘導により、無事に港へと到達。そのまま船で朝鮮南部へと逃れ、事態の収拾と王権の回復のため、日本政府に対して正式な「出兵要請」を発したのである。
この報せを受けた大日本帝国議会は、即座に緊急招集された。
板垣退助らをはじめとする下局は、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
「他国の内乱に軍を出すだと!? 戦費は誰が払うのだ!」
「豊かになったとはいえ、我々平民の税を、海の向こうのいくさに使うなど言語道断である!」
税の使い道に敏感な平民や資本家の代表たちは、経済的リスクを理由に派兵への警戒感を露わにした。
一方、議事堂の上階では全く異なる空気が支配していた。
「隣国の王家が危機に瀕し、我が国に助けを求めているのだ! これを見捨てるは武士の恥辱!」
「居留民と公使館を焼かれたのだぞ! 大日本帝国の威信に懸けて、即座に武力介入すべし!」
かつて刀を奪われ、不平を抱えていた旧大名や士族たちにとって、これは久方ぶりに訪れた『大義あるいくさ』であった。彼らは特権階級としての誇りと防衛の義務感から、出兵に猛烈に前のめりとなったのである。
ここで、新体制の「器」が完璧に機能した。
上局の議員たちが下局へと降り、猛烈な勢いで説得と「助言」を開始したのである。
「ここで朝鮮(防波堤)を清国やロシアに奪われれば、次は我が国の沿岸が脅かされる。国防の危機を前に、戦費を出し渋るなど本末転倒である!」
士族たちの気迫と、理にかなった地政学的な説得。
それに加え、首相・木戸孝允の強力なリーダーシップと、議長・徳川慶喜の静かな睨みが議場全体を包み込んだ。
結果として、紛糾していた下局は上局の熱に押し切られる形で妥協し、法案に同意。
議会は「即日の内に派兵案を可決」という、驚異的な意思決定の速度を見せつけたのである。
「――議会が、派兵予算を満額で可決したそうです」
陸軍参謀本部。
電信室からの報告を受け取った滝脇慶家少佐は、一切の驚きも見せず、ただ静かに懐中時計の蓋を閉じた。
「よろしい。ならば、ただちに動かせ」
慶家の指揮のもと、すでに数日前から港湾施設と鉄道網に待機を完了していた陸海軍の部隊が、一斉に起動した。
国内の莫大な内需を支える貨物列車は、一夜にして「軍用列車」へとダイヤを切り替え、大量の弾薬と、脚気対策の施された新型糧食(特製麦飯と肉缶詰)を港へと運び込む。
海軍の輸送船団と護衛の巡洋艦が、吐き出す黒煙で港の空を覆い尽くした。
「慌てるな。我々はすでに準備を終えている。予定された図演通りに、兵站を一つ一つ確実に大陸へと押し上げろ」
政治の「決断」から、軍事の「実行」までのタイムラグが、極限までゼロに近い。
それこそが、慶家がこの五年間で築き上げた『情報と兵站の網目』の完全なる証明であった。
明治15年、夏。
大日本帝国議会発足後、初となる「国外への武力介入(外征)」。
滝脇慶家によって徹底的に合理化され、牙を研ぎ澄ませた「日本式陸軍」が、ついに極東のアジア大陸へと、その重く冷酷な一歩を踏み出したのである。
―――
大日本帝国議会が派兵を可決し、熱狂に包まれていたその裏側で。
日本政府の「外交(外務省)」は、軍部よりもさらに早く、冷徹な盤面操作を開始していた。
陸海軍および警察庁保安部(滝脇慶家の諜報網)から、議会よりも先に『漢城暴動』の第一報を受け取っていた外務省は、木戸首相の特命を帯び、夜を徹してイギリス、フランス、アメリカ、ロシアの各公使館へと説明に回っていた。
当初、列強の公使たちは日本の単独武力介入に対して、強い難色と疑念を示した。
「我が国もつい数ヶ月前、朝鮮と修好通商条約を結んだばかりだ。自国の居留民保護を名目にして、日本が朝鮮半島の権益を独占しようという腹ではないのか?」
彼らは、極東の新興国が列強の許可なく軍事的な単独行動に出ることを、強烈に警戒したのである。
しかし、その硬直した外交の空気は、後続して飛び込んできた『一件の凄惨な凶報』によって、劇的に一変することとなる。
『朝鮮政府のお雇い外国人であったドイツ人顧問、パウル・ゲオルク・フォン・メレンドルフが、漢城脱出時に暴徒に発見され、惨殺(血祭りに挙げられた)された』
この情報が公使館にもたらされた瞬間、欧米の外交官たちの顔から「日本への警戒」が消え失せ、代わりに「野蛮なアジアの暴徒」に対する強烈な怒りと憎悪が沸き上がった。
当時の欧米列強を根底で繋いでいたのは、複雑な条約や国益以上に「白人の血は水よりも濃い」という、極めて強固な人種的連帯感(白人至上主義)であった。
『文明国の白人』が、『未開のアジアの暴徒』によって無残に殺された。この事実は、彼らにとって絶対に許容できない世界の秩序に対する挑戦であったのだ。
「……野蛮な暴徒どもめ! 文明の光を教えねばならん!」
「日本政府の迅速な軍事介入を、我が国は『文明国としての正当な警察行動』として全面的に支持する!」
メレンドルフの流した血は、結果として列強の猜疑心を完全に吹き飛ばし、日本の朝鮮出兵に対する「白紙委任状」を呆気ないほど簡単に引き出すこととなった。
外務省からの報告を受けた慶家は、「白人の傲慢な連帯感も、使いようによっては最高の外交手札になる」と、冷たく笑ったという。
列強の承認という最強の防壁(盾)を得て、いよいよ日本の軍事マシーンが海を渡る。
この暴動鎮圧と居留民保護の要として動いたのは、国司順正率いる『第三師団』であった。
当時の日本陸軍は、国内の治安維持を主目的とした旧来の「鎮台制」から、外征を視野に入れた近代的な「師団制」へと、まさに組織を移行させている真っ最中であった。国司の率いる部隊は、その新制に基づく高度な独立戦闘能力を与えられた最初の軍団の一つである。
そして。
参謀本部の中枢でこの盤面を描き切った滝脇慶家少佐は、机上の作戦指導だけでは飽き足らず、『第三師団参謀』として、自ら最前線へと赴く辞令を受けていた。
「国司師団長。部隊の掌握と前線の指揮は貴官にお任せします。私は、その後ろで『兵站の動脈』と『情報の神経』を完璧に管理する」
軍用列車に乗り込む前、慶家は国司に対して淡々と告げた。
「弾薬の補給、特製糧食の配給、そして敵の動向。私がすべて計算し、貴官の足元に届けましょう。……貴官はただ、前方の敵をどうすり潰すかだけを考えてくだされば良い」
それは、指揮官にとってこれ以上ないほど心強い言葉であると同時に、軍の命綱(兵站)を若き少佐に完全に握られるという、恐るべき従属の宣言でもあった。
明治15年、夏。
「日本式陸軍」という最新鋭の牙と、列強の支持という強固な盾。そして、兵站と情報を完全に支配する滝脇慶家という冷酷な頭脳を乗せ、大日本帝国の軍艦は、燃え盛る朝鮮半島へとその舳先を向けたのである。




