中事 7
明治十年(1877年)初夏。
日本の新体制発足の報せは、横浜や築地に駐在する欧米列強の公使館にとって、まさに「寝耳に水」の歴史的衝撃であった。
「……信じられない。革命で失脚した旧体制のトップ(将軍)が、わずか十年で国政の最高位に返り咲いたというのか?」
イギリス公使館の執務室で、駐日公使は届いたばかりの報告書を手に、信じられないものを見るような目で同僚たちを見回した。
彼らヨーロッパ人にとって、この事態から最も想起されやすい歴史的出来事といえば、フランス革命後に失脚したナポレオンがエルバ島から舞い戻った「百日天下」であろう。
しかし、今回の日本の政変は、当時のフランスのそれとは決定的に「異質」であった。
ナポレオンは軍隊を率いて武力で帝都パリを制圧し、時の国王(ルイ18世)を追い出して再び帝位に就いた。
だが、日本の徳川慶喜は武力など一切使っていない。
時の最高権力者である「天皇」の地位はそのままに、革命によって完全に没落したはずの男が、政府からの正式な要請を受けて、新設された議会の「議長席(上院トップ)」に堂々と座ったのである。
「皇帝と、かつての独裁者が、流血なしに権力を分かち合い、議会というシステムの中で共存するだと……?
ヨーロッパの政治史に、こんな奇妙で洗練された『革命の軟着陸』など存在しないぞ!」
フランスの外交官たちもまた、頭を抱えて困惑していた。
彼らの常識では、旧体制の支配者はギロチンにかけられるか、国外へ亡命して反逆の機会を窺うのが普通である。かつての支配階級が、自らを倒した新政府の用意した議席に座り、法案の修正役として組み込まれるなど、にわかには信じ難い光景であった。
「騎士階級」の沈黙と、異常なまでの流血の少なさ
そして何より、列強の外交官や駐在武官たちを底知れぬ恐怖と驚愕に陥れたのは、この国における「士族(騎士階級)たちの異常なほどの従順さ」であった。
「あの誇り高く、好戦的なサムライたちが、議会ができたというだけで剣を捨てたというのか?」
「そうだ。彼らは今、議会での法案作りに熱中し、新聞で政治論争を戦わせている。……あの大規模な反乱は、完全に消滅したのだ」
ヨーロッパの歴史において、特権を奪われた騎士や貴族階級が反乱を起こせば、それは泥沼の内戦となるのが常識である。イギリスの清教徒革命しかり、フランスのヴァンデの反乱しかり。
彼らは、九州で万の士族が蜂起したと聞いた時、「日本はこれから最低でも半年、長ければ数年にわたる凄惨な内戦状態に突入する」と確信し、その隙を突いて関税交渉や武器売却で莫大な利益を得ようと目論んでいた。
ところが。
その大規模な内乱は、「たった一ヶ月」という異常な短期間で、忽然と鎮圧されてしまったのだ。
「我が国の軍事顧問団が分析した九州の戦闘詳報だが……何度計算し直しても、数字がおかしいのだ」
ドイツの駐在武官は、青ざめた顔で報告書を机に置いた。
「反乱軍六千に対し、鎮圧にあたった官軍はたったの三千。しかも、官軍側の死傷者は『ほぼ皆無』だという。……彼らは、反乱軍とまともに撃ち合っていない。
兵站を徹底的に破壊し、包囲し、要塞化した陣地の前に誘い込んで、極めて機械的に『処理』しただけだ」
たった一ヶ月のいくさ。
しかも、国家を揺るがす反乱であったにもかかわらず、流れた血の量は、欧米の常識からすれば「暴動のボヤ騒ぎ」程度の、異常なまでの少なさであった。
この圧倒的に少ない流血と、凄まじい速度での鎮圧劇こそが、政治の舞台における「無血の体制転換(議会発足)」を可能にした最大の要因であることに、列強の何人かの鋭い者たちは気づき始めていた。
「……鎮圧軍を指揮したのは、たしかフランスに留学していた滝脇という若い将校だったな。我々は、日本の底力を完全に見誤っていたのかもしれない」
極東の「近代国家」誕生
「重税による農民の反乱は、巧妙な税制(自動安定化装置)によってゼロ」
「特権階級(士族)の不満は、一ヶ月の最小限の武力行使ですり潰し、直後に『議会』という名誉ある席を与えて完全に飼い慣らす」
「そして、帝を頂点としながらも、議会と法によって統治される洗練された立憲体制の確立」
欧米列強は、極東の小さな島国が、自分たちが何百年もかけて血まみれになりながら築き上げた「近代国家のシステム」を、わずか十年あまりで、しかも独自の極めて合理的な形で完成させつつあるという事実に、深い戦慄を覚えた。
(この国は、単なる未開のアジアではない。……底知れぬ恐ろしさを秘めた、一等国になり得る『怪物』だ)
明治政府の劇的な政体変化と、流血を最小限に抑え込んだ鮮やかな戦場での手腕。
滝脇慶家という男が軍事面で物理的に盤面を整え、木戸孝允や徳川慶喜らが政治面でその器を完成させたことで、日本は初めて、欧米列強から「侮り難い本物の近代国家」として、警戒と畏怖の眼差しを向けられることとなったのである。
―――
明治十年、初夏。
徳川慶喜を議長として迎え入れ、歴史的な開院を果たした第一回大日本帝国議会。
「言論の府」として生まれ変わったこの新政体が、熱狂の冷めやらぬ議場において最初に着手した仕事は、極めて現実的で冷徹な国家運営の基礎工事であった。
すなわち、「国庫の歳入と歳出の完全なるガラス張り(確認)」と、国家そのものの骨格を定義する「憲法(大日本帝国憲法)の制定」である。
首相となった木戸孝允は、下局(下院)に集った地方の有力者や資本家たちに向け、大蔵省が弾き出した国家の帳簿を包み隠さず開示した。
かつての有司専制下では、薩長の重鎮たちが密室で軍事費や外債を勝手に決めていた。しかし、新たな平時体制では、議会の承認(予算の議決)なくして国は一銭も動かすことができない。
議員たちは、初めて明かされた「日ノ本の懐事情」に固唾を呑んで見入ったが……そこに記されていた数字は、彼らの予想を遥かに超えるほど『豊潤で健全』なものであった。
渋沢栄一らが定着させた「基本税率2.5%+検見・定免法」による農業の爆発的な成長。
そして、農村の富が押し上げた強烈な内需により、酒造税やタバコ税といった間接税が、驚異的な勢いで国庫を潤していたのである。
さらに、滝脇慶家の冷酷な兵站戦術によって、九州の士族反乱がたった一ヶ月で、しかも最小限の軍事費と損耗で鎮圧されたことが、国家財政の破綻を完璧に防いでいた。
「……見事なものだ。我が国の血流(経済)は、かつてなく力強く脈打っている」
木戸は、議席から上がるどよめきを聞きながら、確かな手応えを感じていた。
財政の健全性が証明されたことで、議会は次なる最大の事業――『大日本帝国憲法』の草案審議へと力強く移行した。
その基礎草案として採用されたのは、幕臣時代から西洋哲学と法学を修め、日本に「哲学」という言葉を生み出した天才的頭脳、西周による草案であった。
西周の草案は、当時の明治政府の状況と、新たに発足した「天皇が議会に権力を委任する」という特殊な政体に、最も論理的に適応する形へとブラッシュアップされていった。
その憲法における最大の眼目は、史実の大日本帝国憲法とは異なる「二つの明確な楔」であった。
第一の楔が、完全なる『三権分立』の明文化である。
* 立法(議会が法を作る)
* 行政(首相と内閣が法を実行する)
* 司法(独立した裁判所が法を裁く)
かつての薩長閥のように、行政の長が裁判の判決に口出ししたり、法を無視して専断したりすることは、憲法によって完全に禁じられた。国家の権力は三つに切り離され、互いに監視し合うシステムが、近代国家の絶対の掟として組み込まれたのである。
そして、第二の楔。
これこそが、将来の日本を破滅から救うことになる、最も重大な条文であった。
史実の日本が太平洋戦争という破滅へと突き進んだ最大の原因は、憲法に「統帥権の独立(軍隊は政府や議会の命令を聞かず、天皇にしか従わない)」という致命的なバグが仕込まれていたことにあった。
しかし、この世界線の憲法においては、西周の合理的な法哲学と、木戸孝允の政治的嗅覚によって、『軍と政の明確な格付け(シビリアン・コントロールの確立)』が、極めて厳格に定義されたのである。
* 「軍隊(武力)は、国家の外交と政治目的を達成するための『手段』に過ぎない」
* 「ゆえに、軍の最高指揮権は天皇に属するが、その運用と予算の決定権は、天皇から実務を委任された『首相と議会』に完全に服従する」
いかに陸軍の将軍であろうと、議会の承認した予算の枠を越えて兵を動かすことはできず、内閣の決定した外交方針に反して勝手に戦端を開くことは、明確な『憲法違反』として裁かれる。
軍隊は国家という巨大な体における「物理的な腕」に過ぎず、決して「脳髄(政府)」の命令を無視して暴走してはならないという、強固な首輪がはめられたのだ。
―――
帝都・東京。陸軍省の一室。
大山巌の後ろ盾を得て、陸軍中枢へと喰い込み始めていた滝脇慶家中尉は、新聞に発表されたその「憲法草案の要目」を読み、薄く、しかし酷く満足げな笑みを浮かべていた。
「……見事だ、木戸孝允。そして西周」
同僚の石頭の将校たちが「これでは軍が政治家どもの言いなりではないか! 軍の独立が侵されている!」と顔を真っ赤にして憤慨している横で、慶家だけは、この憲法が持つ『真の価値』を理解していた。
「いくさの算段(兵站と経済)も理解できぬ阿呆な軍人が、己の威信や見栄だけで勝手に暴走する。……それこそが、国家にとって最悪の病なのだ。この『絶対的な首輪』さえあれば、無能な将官が国を滅ぼすリスクは封じ込めることができる」
慶家にとって、軍隊の地位が政治より下に置かれることは、不満どころか大歓迎であった。
なぜなら、法と予算によって軍隊が完全に制御されるシステムが完成したということは、『国家総力(政治・経済・外交・軍事)』のすべてを連動させた、完璧な近代戦の盤面が構築可能になったことを意味するからだ。
「さあ、これで国を動かす『器』は完成した」
慶家は、懐中時計の蓋をパチンと閉じ、窓の外に広がる帝都の空を見据えた。




