外事 5
明治七年(1874年)末。
長い航海を経て、フランス・マルセイユ港から花の都パリへと降り立った滝脇慶家(徳川家康)を待っていたのは、マルクリー中佐の熱烈な推薦状によって手配された、フランス陸軍の「参謀将校育成機関(後の陸軍大学校の前身となる機関)」への特例的な受け入れであった。
当時のフランスは、普仏戦争(1870-1871年)におけるプロイセン(ドイツ)への歴史的惨敗と、それに続くパリ・コミューンの内乱からようやく立ち直り、軍制を根本から再建しようと血の滲むような改革(徴兵制の導入や参謀本部の強化)を行っている真っ最中であった。
華やかなベル・エポック(古き良き時代)の幕開けに浮かれるパリの街。
しかし、慶家の目はルーヴル美術館にもオペラ座にも一切向けられなかった。彼が没入したのは、フランス軍が己の敗北を解剖し、泥にまみれて再起を図ろうとしている「軍事改革の最前線」であった。
そしてここから、フランスの軍人たちは、東洋の島国からやってきた十七歳の少年が内包する、「歴史上稀に見るレベルの努力家」としての真の姿を目の当たりにすることになる。
敗戦国という最高の教材
「……素晴らしい。プロイセンの強さを分析したこの報告書、実によくまとまっている」
留学開始からわずか数ヶ月。
慶家の私室は、フランス軍の教範、兵站記録、プロイセン軍の戦術分析書、さらには欧州全土の「鉄道網の時刻表」に至るまで、膨大な資料の山で埋め尽くされていた。
かつて徳川家康という男は、三方ヶ原の戦いで武田信玄に完膚なきまでに叩き潰された際、その恐怖と敗北の教訓を生涯忘れず、武田の軍法を徹底的に吸収して己の軍(井伊の赤備えなど)へと取り込んだ男である。
家康(慶家)にとって、「致命的な敗北から立ち直ろうとしている組織(今のフランス)」ほど、生々しく、学ぶべき価値のある教材はなかった。
彼らはなぜ負けたのか。プロイセンの鉄道輸送はいかにして機動したのか。ビスマルクの外交はどこでフランスの息の根を止めたのか。
フランス軍が屈辱の中で書き上げている「敗戦の解剖録」を、慶家はスポンジが水を吸うように、そして底なしのブラックホールのように吸収していった。
狂気すら帯びた「泥臭い努力」
「タキワキ少尉は、いつ眠っているのだ……?」
「昨日も深夜まで図書館で普仏戦争の砲兵運用記録を翻訳し、今朝は夜明けと共に野営地の演習を視察していたぞ。倒れないのか、あのアジア人は」
フランスの将校や士官候補生たちは、慶家のその異常なまでの勤勉さに戦慄していた。
中身が家康である慶家は、天才的な閃きだけで天下を獲ったわけではない。
彼の本質は、兵糧の計算、武具の調達、敵将の心理分析、天候の予測といった、「泥臭く、地味で、膨大な情報処理(努力)」を誰よりも忍耐強くこなせる点にあった。
慶家は、言葉の壁を乗り越えるため、睡眠時間を極限まで削ってフランス語(さらにはドイツ語の専門用語)を完璧にマスターした。
さらに、戦国の世で自ら薬を調合していた(薬学の知識がある)家康の気質そのままに、異国の地でも独自の健康管理術と食事療法を徹底し、決して過労で倒れることなく、強靭な肉体と精神を維持し続けた。
華やかな夜会やサロンの誘いには一切目もくれず。
休日は、パリ郊外の兵器工廠(シュナイダー社など)に出向いては、職人たちに混じって大砲の鋳造工程や製鉄の仕組みをメモし、泥だらけになって機関車の石炭の燃焼効率を計算した。
彼が求めたのは、華麗な戦術論ではなく、「どれだけの鉄と石炭があれば、何万の兵を何日で国境へ運べるか」という、国家総力戦の冷酷な算盤であった。
初めは「極東の遅れた国から来た、マルクリー中佐の贔屓の少年」と侮っていたフランスの教官たちも、半年も経つ頃には、慶家に対する評価を完全に改めていた。
戦術演習の図上演習において。
フランスの若きエリート将校たちが、フランス式の華麗な包囲陣をプレゼンする中、慶家はたった一人、極めて現実的で陰湿な盤面を描き出した。
「……右翼の展開が遅すぎます。この地点の鉄道の軌間と貨車の積載量から計算すれば、部隊の到着は予定より半日遅れる。
その隙に、私ならプロイセン軍と同じく、別働隊をこの森林に迂回させ、補給線を完全に分断して兵糧攻めにします。……戦争は地図上の線引きではない。兵の胃袋と鉄の重さの計算です」
数字と兵站の現実によって、エリートたちの机上の空論を冷酷に粉砕していく。
「……ムッシュ・タキワキ。君は、まるで『国家のすべてを背負って戦争を指揮した経験』があるかのような口ぶりだな」
ある老将軍が、驚きと畏れを込めてそう尋ねた時。
慶家は、青い瞳の異国人たちを見回し、フッと大御所の笑みを漏らした。
「ええ。前世の話ですがね」
フランス陸軍の内部で、滝脇慶家はもはや一介の留学生ではなく、「東洋から来たロジスティクスの悪魔」あるいは「異常なまでの勤勉さを持つ戦略の怪物」として、畏怖の念を持たれるようになっていた。
日ノ本を離れた二年間。
政治的なしがらみから解放され、「純粋な学徒」となった家康の知的好奇心と努力の才能は、欧州の巨大な軍事産業と敗戦の教訓を喰らい尽くすことで、まさに臨界点へと達しようとしていた。
彼が帰国する時。それは、明治の日本に「世界列強と互角以上に渡り合える、完璧な近代国家総力戦の頭脳」が持ち込まれることを意味していたのである。
―――
明治九年(1876年)。
フランスでの留学生活も二年目に突入し、滝脇慶家の「知識の貪食」は、もはや軍事の枠すら完全に飛び越えようとしていた。
この頃、慶家の私室の机の上に積み上げられていたのは、兵学書や戦史録だけではない。
欧州各国の『科学アカデミー雑誌(学術論文)』の山であった。
かつて江戸の世で蘭学を保護し、南蛮の時計や望遠鏡といった最新技術を誰よりも愛した大御所・家康の好奇心は、十九世紀の欧州において爆発的に開花していた。
幼少期に習得したオランダ語を足がかりに、フランス語はもちろんのこと、今や英語、ドイツ語すらも完全に読み解く語学力を身につけた慶家は、各国の最新技術情報を、いかなるフィルターも通さずに直接掻き集めることができたのである。
ある夜。
ドイツ語で書かれた最新の学術雑誌のページを捲っていた慶家の指が、ふと止まった。
「……ほう」
ランプの灯りに照らされたそのページには、図面と共に、ある『電気』に関する革命的な論文が掲載されていた。
ドイツの技術者集団、ジーメンス(Siemens)社による最新の発表である。
当時、欧州ではベルギーのグラムが発明した「環状(リング式)電機子」を用いたモーターが実用化され、持て囃されていた。
しかし、ジーメンスの論文は、それを根本から過去のものとする『ドラム式電機子』の構造を提唱していた。
磁力線を無駄なく切り、グラム式よりも遥かに高効率で安定した電力を生み出し、また動力に変換できるという、極めて論理的で画期的な設計。
それはまさに、欧州の技術者たちの間で火花を散らしている『モーター戦争』の最前線を告げるものであった。
(……なるほど。コイルの巻き方をこう変えるだけで、効率が劇的に跳ね上がるのか)
慶家は、その複雑な回路図や数式を、まるで新しい城の図面でも見るかのように目を輝かせて読み解いていった。
「……電気、か」
慶家は、窓の外――ガス灯が瞬くパリの夜景を見つめた。
現在の世界を動かしているのは、間違いなく『蒸気』である。蒸気機関車、蒸気船、工場の蒸気機関。
しかし、このジーメンスの論文を見た慶家の脳裏に、数十年先の、全く異なる「世界の盤面」が閃光のように過ったのだ。
(蒸気は巨大すぎる。だが、この『電気』という力は、目に見えず、細い線一本でどこへでも運べ、思いのままに動力へと変換できる。……さらに、油を燃やして直接動力を得る『内燃機』の研究も進んでいると聞く)
『これからの時代、国家の力(国力)を根底から引っ張るのは、間違いなく「電気」「内燃機」、そして「蒸気」の三本柱になる』
いくら優秀な兵士を育て、優れた戦術(備)を考案したところで、それを戦場へ運ぶ汽車がなく、銃弾を大量生産する工場がなければ、近代戦には絶対に勝てない。
モーターの効率化とは、すなわち「工場の生産性の爆発的向上」を意味する。軍事力の源泉は、軍隊そのものではなく、その背後にある『国家の工業力』なのだ。
慶家は、即座に論文を翻訳し、図面を模写した。
(……だが、これを日本の『陸軍』に送ったところで、全く無意味だ)
慶家は冷ややかに鼻を鳴らした。
長州閥が牛耳り、「いかに精神力で白兵戦に勝つか」という旧態依然とした議論に現を抜かしている石頭の陸軍将校どもに、このモーターの図面を見せたところで、「軍隊に関係のない見世物小屋のオモチャだ」と紙屑にされるのがオチである。
軍の近代化を急ぐが故に、軍人は「目の前の武器」しか見えなくなっている。
ならば、国家の土台を創るのは誰か。
「……こういう『種』は、最も肥えた土に蒔くに限る」
慶家は、翻訳した論文と図面、そして欧州の産業動向を克明に記した長文の手紙を束ね、分厚い封書を作った。
宛先は、陸軍省でも、政府の太政官でもない。
新政府の官僚という地位を自ら投げ打ち、一介の民間人として日本初の銀行(第一国立銀行)を立ち上げ、渋沢邸で「共犯者」の契りを交わしたあの男。
『民間実業家・渋沢栄一』である。
『――渋沢殿。
軍隊の鉄砲の弾を数えている場合ではありません。これからの世界は、蒸気から「電気」へと移行します。
同封したのは、独逸のジーメンスという企業が発表した、最新の動力機械の図面です。陸軍の阿呆どもには到底理解できぬ代物ゆえ、貴殿に送り付けます。
近い将来、この技術が必ず日ノ本の国力を左右する時が来る。
官(政府)が気づく前に、民間の力でこの「電気」という新しい火種に投資し、工場を興しなさい。
カネの算段は、貴殿の最も得意とするところでしょう。日ノ本の次なる臓腑を、頼みましたよ』
軍人でありながら、軍部の頭越しに、国家の百年先を見据えた最新の科学技術を民間資本へと直接流し込む。
滝脇慶家という特異点は、フランスという遠く離れた地からでも、新しき日ノ本という国家を「己の思い描く最強の要塞」へと造り変えるための布石を、極めて正確に、かつ冷酷に打ち続けていた。




